打ち破られた悪巧み、闇への誘い
「なに! 絶縁だと! バカな! エリーナのやつ、無事に帰省していたというのか!」
カザフ子爵はエリーナの両親から届いた手紙を読んで全身を震わせる。
当てが外れた。彼にはもう、金を用意する策がない。
「ええい、くそ! こんなもの、こんなもの! どいつもこいつも! うあああああ!」
カザフ子爵は手紙をクシャクシャに丸めて、書斎の窓から放り捨てる。
「はあ……はあ……レガロ伯爵の借金返済まで、あと五日しかないぞ……裁判だけは回避せねば。どうする、どうする」
書斎の中を右往左往していると、ノックもなしに扉が開いた。
ベラノーラだ。
「ねえ、カザフ様~。水風呂借りたいんだけど~」
「いちいち聞くな! 好きにしろ!」
「あと、大事なお願いがあって……明後日のお茶会にね、新しいドレスを着て行きたいんだけど、お金が足りないの」
カザフ子爵は額に血管を浮かべて怒号を上げた。
「俺は忙しいんだ! お前にくれてやる金などない! とっとと水浴びでもなんでも済ませて、俺の相手をしろ!」
「ええ~……わかったわよ。好きに使わせてもらうわよ。好きにね……」
ベラノーラは勢いよく扉を閉めて去っていった。
カザフ子爵は今の会話から一つの事実に気が付く。
「そうだ。ベラノーラのアクセサリーも、ドレスも、もとはと言えば俺の金だ……俺の物だ。俺の物は、好きに使う権利がある」
カザフ子爵は水風呂の更衣室に忍び込み、ベラノーラの所持品やドレス、下着に至るまで、彼女の私物を根こそぎ盗み出した。
「ほう……このブレスレットといい、大層イイ物を身に着けているじゃないか。ベラノーラごとき男爵令嬢には身に余る代物だ。この俺が金に換えてやろう」
彼は子爵邸を出て、急ぎ街の質屋に向かう。
彼にはもう、人の視線を気にする余裕はない。
質屋に到着したカザフ子爵は、店の扉を勢いよく蹴り開けた。
「オイ! 質屋の店主よ! とっととコレの鑑定を済ませて、俺に金を寄越せ!」
質屋の店主も客も、一斉にカザフ子爵の方を見る。
特に、客はカザフ子爵のことを見て苦々しい表情を浮かべた。
質屋にいた客はベラノーラだった。
カザフ子爵は呆気にとられる。
「な……なぜベラノーラがここにいる? 水風呂に入っていたはずだろう!」
「そっちこそ、どうしてここに?」
ベラノーラの服装は書斎に入ってきたときと違う。予め着替えを用意していたのだ。
ベラノーラはカザフ子爵の持ち物を見て目を丸くする。
「あっ! アンタが持ってるのそれ、全部わたくしの物じゃない! 下着まで盗み出すなんてあり得ない! この変態ブタ野郎!」
「お前が持ち込んでいる物も、俺の邸宅にあった物じゃないか! 貴様……水風呂に入ると偽って、盗みを働いていたというのか! このアバズレめえ!」
「アンタに言われたくないわよ!」
二人は醜い言い争いを始める。
カザフ子爵は怒りで我を忘れ、ベラノーラのブレスレットを持ち上げた。
「こんな物、貴様のような腐ったアバズレが身に着けていては、錆びついて値打ちが下がってしまうわ! いいや、既に腐っているぞ! これは貴様に返してくれる!」
カザフ子爵はベラノーラの顔面目掛けて、ブレスレットを放り投げる。
それは明後日の方向に飛んでいき、壁にぶつかって床に落下した。
ブレスレットは宝石部分が欠け落ちて見るも無残な有り様になる。
「キャーーーー! これ、おばあ様の大事な形見なのよ! この世に一つしかない大切な物なのに、傷だらけじゃない! なんてことすんのよこのブタ野郎!」
「ハッハッハー! 自業自得だ、この泥棒アバズレ令嬢め!」
カザフ子爵は勢いづいてまくし立てる。
「ベラノーラよ! お前はどうせ俺の金目当てでケツを振っていたのだろう? せっかく卑しい身分のお前を可愛がってやったというのに……これが恩を仇で返した罰だっ!」
「アラ? 恩? わたくし、アンタに何かしてもらったかしら? 親の財産以外に取柄がないくせに、自分が特別な人間だと勘違いしちゃったわけ? アンタなんてね、わたくしからしたら金庫よ。ブタにそっくりなき・ん・こ!」
ベラノーラは仕返しと言わんばかりに、カザフ子爵から盗んだ物を投げ飛ばす。
それもブレスレットと同じように明後日の方向に飛んでいき、壁にぶつかって床を転がった。
カザフ子爵は目を見開いて奇声をあげる。
「ああああああ! な、何をする! その宝石は、父上が長年大事にしていた物なのだぞ!」
「知らねーよこの糞ブタが!」
二人は互いの盗品を投げつけ合った。
質屋の店主は呆れ果てて、店の奥に待機している用心棒を呼ぶ。
すると、用心棒の大男が、二人の間に割って入った。
「お客さん……困りますよ。痴話ゲンカなら他所でやって下さいな。それとも、続きはブタ箱の中でしますかい? そういうことなら直ぐに手配しますがね……」
カザフ子爵とベラノーラは、恐怖のあまり固まった。二人はそそくさと質屋を後にする。
外に出た途端、カザフ子爵もベラノーラも、通行人から冷たい視線を向けられる。
二人は煮えたぎるような怒りを抱えるものの、言い争う気にはなれなかった。
「ふん! 二度とわたくしの前に現れないことね!」
ベラノーラは盗品を放り捨てると、質屋の前から立ち去っていく。
取り残されたカザフ子爵は、ワナワナと震えて立ち尽くした。
「ああああああああ! くそ! くそ! どいつも こいつも! 俺の思い通りにならない! ああああああ!」
通行人はそんな彼のことを見て見ぬふりをする。
誰もがカザフ子爵と関わろうとしない中、黒いローブと黒いフードで素顔を隠した人物が、カザフ子爵の肩を叩いた。
「カザフ子爵……ですよね?」
「誰だ! 俺は今機嫌が悪い!」
「落ち着いて聞いて下さい。私は、カザフ子爵と商談をしにきたのです」
黒いローブの人物は、勿体ぶるようにフードを脱ぐ。
正体を現したその人物は、女性だった。
髪の毛は目が眩むほどの金髪ロングヘアーで、前髪の隙間から真紅の瞳が煌めいている。肌は色白くみずみずしい。
カザフ子爵は女性の容姿に見惚れてしまう。
「おお……! フードで隠すには勿体ない美貌ではないか! お前の商談なら喜んで聞き入れよう。名はなんという?」
「ありがとうございます。私のことはフォルネとお呼びください。では、詳しいことは二人きりで……」
フォルネはニッコリと微笑みを浮かべて、カザフ子爵の両手をすくう。
カザフ子爵は彼女に促されるがまま、ひとけのない裏通りへと入っていった。
「ハッハッハ! 意外にも強引ではないか。気に入ったぞ。今夜はベラノーラの代わりに、俺の相手をしてもらおうか」
「ウフフ。私はあくまで商人ですから……代役なら幾らでも紹介できますよ」
「そうかそうか。では、お前と同じくらい美しい女を見繕ってくれ」
カザフ子爵は裏通りの闇の中へ、躊躇いなく足を踏み入れる。
フォルネの企みなど知る由もなく、のんきに破廉恥な妄想を膨らませながら。