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笑顔の旅立ち

 アーノルドはエリーナの手を取り、彼女の目を見つめる。


「どうか私のもとで、書記長を務めてはくれないか」

「書記長? 私が、ですか……?」

「ああ。カザフ子爵のもとで働いていたというのなら、その手腕は申し分ない。噂は耳にしていたんだ。カザフ子爵のもとに優秀な財務士が入ったと」


 エリーナは嬉しさと驚きのあまり言葉を失った。

 

 アーノルドの提案を聞いたハンス男爵は、誇らしく胸を張る。


「エリーナよ。良い話ではないか」

「はい。アーノルド様にお褒め頂き、とても嬉しく思います。ですが、私には恐れ多いといいますか……自信が持てないのです」


 エリーナは持ち上げられた手を引こうとする。

 

 だが、アーノルドはその手を追いかけようとはせず、かといって差し伸ばした手を引こうとはしない。


 ただ静かに、彼は話し始めた。


「エリーナ……これは私の信頼できる情報をもとにした推測も含んでいるが、カザフ子爵がこの半年間存続できたのは君のお陰だと思っている」

「そ、そうでしょうか……? たしかに、初めて帳簿を目にしたときはあまりの酷さに気を失いかけましたが……」

「なにせ直前の監査では三ヶ月も保たないという分析結果だったのだよ。きみの苦労を察する。あのような男のもとで、本当によく頑張ってきた」


 アーノルドにそう言われた瞬間、エリーナの世界の色が変わる。


 エリーナはずっと、自分のことは取るに足らない存在だと思っていた。


 地道な努力は誰からも評価されず、挙句の果てに婚約破棄を言い渡されたのだ。


 身に降りかかったことは全て自分の努力不足が招いたことだと思っていた。

 

 だがそうではないと、アーノルドはそう言ってくれた。


 エリーナはおよそ半年間の努力が初めて報われた気がする。


「あ、あの……すいません。嬉しくて、なんと言葉にしたらいいのか」

「急な話で申し訳ない。旅は決して楽なものじゃないし、思いも寄らない危機に瀕することもある。慎重になって当然だ。それでも、私の願いを聞いてくれるなら、私は全身全霊できみを守る」

「アーノルド様……」


 ハンス男爵は大きな笑い声を上げて、エリーナの背中を叩いた。


「ハハハハ! では、俺は席を外すとしよう。どうするかはエリーナに任せる。旅に発つのもここに留まるのも、俺は受け入れよう。好きにしなさい」

「ありがとうございます、お父様……」


 エリーナは瞳を閉じて、自分の気持ちと向き合う。


 自分のような田舎者に重要な職務が務まるのか、不安でならない。期待を裏切ってしまうのが怖い。

 ただそれ以上に、アーノルドに恩返しがしたいと思った。

 自分の努力を認めてくれたことが、この上なく嬉しかった。


 たとえ危険なことが待ち受けていようとも、アーノルドと共に旅を続けたい。エリーナは心の底からそう思った。


「アーノルド様……私でよければ、ぜひ書記長を務めさせて下さい」

「エリーナ……よく決断してくれた。ありがとう」

「そんな……! 私のほうこそ、お褒め頂きありがとうございます。感謝してもしきれません」


 アーノルドは微笑みを浮かべると、一歩下がって左手を腰の後ろに、そして右手をそっと前に差し出した。


 エリーナはアーノルドの動きに合わせて跪き、差し伸べられた手を取る。


「これより、エリーナ・ハンスを我がサンダルク家の書記長に任ずる。共に旅を続けられることを、私はとても嬉しく思うよ」

「私もです。アーノルド様」


 アーノルドはエリーナの手を優しく引いて立ち上がらせた。


「長旅で疲れただろう。今日はここで休んでくれ。私は馬車に戻って、出発の準備をしてくるよ」

「私もお手伝いしたいのですが……」

「気を遣わなくていい。エリーナは久方ぶりの帰省だろうから、ゆっくりしておいで」


 エリーナはアーノルドに感謝を述べて、自らの決心を父と母に告げる。


 彼女の両親は、愛娘の新たな門出を心の底から喜んだ。


 それから、両親の助けを得て出発の準備を済ませたエリーナは、アーノルドの馬車へ駆け寄る。


「アーノルド様!」

「エリーナ! もういいのかい?」

「アーノルド様の書記長として、出発を遅らせるわけにはいきませんから。父も母も了承して下さいました」


 アーノルドはふと、男爵邸の方を見た。


 ハンス男爵と男爵夫人が、満面の笑みでアーノルドたちに手を振っている。

 

 エリーナも二人の見送りに気付き、名残惜しくも決心に満ちた微笑みを返した。そして小さく手を振り返す。


「ありがとう。お父様、お母様」

「そうか……では、共にゆこうか。エリーナ」

「はい。アーノルド様」


 アーノルドはエリーナに手を差し伸べて、エリーナは彼の手を取り、共に馬車の中へ。


 馬車は小気味よい音を鳴らしながら、二人を新たな旅へと導いた。

 

 一方その頃、エリーナの両親から資金提供を拒否された挙げ句、絶縁となったカザフ子爵は一族存亡の危機に陥っていた。

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