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冷血の意味、凛とした花の微笑み

 アーノルドの視界の端には、血を流して倒れるレガロ伯爵と付き添い人の姿。


 アーノルドは剣を構えてライナスを睨みつける。


「貴様ら……! サンダルク家に飽き足らず、レガロ伯爵にまで凶刃を振るったか!」


 ライナスも黒い長剣を構えた。


「もうじきお得意様の心配は必要なくなる。次の世を統べるのは俺たち……盗賊団アンツ・バエナのライナスと、新リーダーのカザフだ」

「賊が次の世を拝むことはない。今ここで私が斬り伏せるからだ」

「斬り伏せる? いいのか? 愛しのエリーナが助からなくなるぞ」


 ライナスはそう言うと、まるで見せびらかすように懐から小瓶を取り出した。


 その途端、エリーナは胸の奥に焼けるような痛みを覚える。

 彼女の口から、ポタリ、ポタリと血が滴り落ちた。


「なに……これ……」


 レガロ伯爵の付添人も同じように血を吐いて苦しみだす。


「ゲボッ、ゴホッ!」

「ウゴォ、えほっ!」


 ライナスは目もとを歪めてほくそ笑んだ。

 そしてわざとらしくふざけた口調で吐血の理由を説明し始める。


「ああ、ごめんごめん! 言い忘れていたよ。エリーナにも毒を盛っていたんだ。唯一の解毒剤がコレ」


 アーノルドの眉間にシワが刻まれ、目元にさらなる力がこもった。


「卑劣な真似を……!」

「卑劣だと? どの口が言うんだ……冷血のサンダルク公爵。お前の家ほどじゃないさ」


 ライナスは小瓶を握りしめて小さなヒビを入れた。

 そしてドスの効いた低い声でアーノルドを脅す。


「解毒剤が欲しいなら剣を捨てろ」

「…………!」

「ほら……どうした。先にこっちが捨ててしまうぞ」


 アーノルドはライナスを見据えながら冷静に思考を巡らした。


 ライナスの目的はアーノルドの剣技を封じること。


 武装したライナスとカザフ子爵を相手に素手で戦うのは、たとえ百戦錬磨のアーノルドでも不利だ。


 そもそも、小瓶の中身が本当に解毒剤かどうかすら分からない。


 アーノルドの直感は脅しに乗るべきではないと告げている。だが、もし直感が誤りならば、エリーナの命が危うい。

 自分のせいでエリーナが命を落とすかもしれない――そう思うと、父の殉職を知った日の記憶が彼の胸を締めつけて焦燥感を煽った。


 冷や汗を流すアーノルドに、エリーナはどんな言葉をかけるべきか分からない。


「アーノルド様……!」


 それでもエリーナは必死に考えた。今の自分にできることを。アーノルドのためにできることを。


 エリーナは小さな痕跡やライナスたちの仕草を観察し、見聞きしてきたこと全てを思い返してアーノルドを救う一手を探す。

 

 すると、エリーナの隣でカザフ子爵が笑い始めた。


「ハーーハッハッハッハーーー! さっきまでの威勢はどうした、エリーナ! もう笑いを堪えるのが大変だったぞ!」


 カザフ子爵はムチを引き伸ばしなから続ける。


「さあ、喚け! うろたえろ! 泣き叫べ! アーノルドが早々に死んだときは、この俺が解毒剤を飲ませてやるから安心しろ! おもちゃが壊れてしまってはつまらないからなぁ! アーノルドがしぶとく生き延びれば、それだけエリーナも長く苦しむことになるぞぉ? 助かりたいならアーノルドの死を望むことだな!」


 そのとき、アーノルドはライナスの要求通り剣を捨てた。


 金属音が鍾乳洞の中で反響する。


 カーーンカーンカーン……。

 

 ライナスはほくそ笑んで、小瓶を高々と持ち上げた。


「潔く剣を捨てるとは、お利口さんだな。では、ご褒美をあげよう」


 ライナスはそう言うと、小瓶をおもむろに手放す。


 小瓶は地面に向かって真っ逆さまに落ちていった。


 小瓶が落下するのと同時にアーノルドは地面を蹴って落下地点に飛び込む!


「そうはさせない!」


 アーノルドは地面に胸を擦りながら滑り込み、右腕を伸ばして小瓶を手のひらで受け止めた。


 しかし、小瓶は手のひらで小さく跳ねてアーノルドの手から転がり落ちていく。


 次の瞬間、ライナスは黒い長剣を逆手に持ってアーノルドの首を貫こうとした!


 アーノルドは左手で身体を少し持ち上げると、羅針盤のように反時計回りに回転!

 首への一突きを回避しつつ、伸ばした右手でライナスの足首を掴もうとする!


 ライナスは後方に跳んでアーノルドの右手を避けた!


 間合いが離れたその隙に、アーノルドは地面を転がりながらアクロバティックに跳ね起きて体勢を直す。

 そして自分の剣を拾おうとした。


 その時、カザフ子爵の下品な笑い声が響き渡る。


「ハハハハハーーー! 武器を拾うことは許さんぞ! 解毒剤を踏み潰されてもいいのか!」


 転がった小瓶はカザフ子爵の足下に行き着いていた。


 カザフ子爵は豚のような足先で小瓶を踏みつける。


 剣を掴む寸前で、アーノルドは手を止めた。


「くそ……!」


 苦戦するアーノルドのことを、ライナスは肩を震わせて嘲笑う。


「フフフフ……この程度の策謀、サンダルク家の所業に比べれば可愛いものだろう。なあ? 冷血のサンダルク公爵」

「貴様にサンダルク家のなにが分かる!」

「よく分かっているとも。冷血の二つ名は先代からのお下がりだ。引き継がれてきた冷血の名は、血も涙もない政略からきているが……君は冷酷無比な剣技と戦闘技術からきているらしいな」


 ライナスは話し終えると同時に、アーノルドのヘソの高さに合わせて黒い長剣を左から右に勢いよく振るった!


 アーノルドは咄嗟に屈んで回避! 長剣はアーノルドの金髪をかすめる!


 ライナスは振るった勢いのまま長剣を構え直し、間髪入れずにアーノルドの頭部目掛けて振り下ろした!


 アーノルドは右に横転して回避!

 即座に両手を地面について起き上がり、ライナスに向かって踏み込んだ!

 瞬く間に間合いを詰める!


 対してライナスは後方に飛び退きながら間合いを保ち、身体を捻って回転斬りを放った!


 アーノルドは咄嗟に上半身を反り返して回転斬りを回避する!

 しかし、長剣の切っ先はアーノルドの胸を捕らえて肉を斬り裂いた!


 ビシャァ!


 アーノルドの鮮血が辺りに飛び散る!


「グッ……!」

「サンダルク家が啜ってきた血はこんなものじゃないぞ! 君の身体を引き絞っても足りないくらいだよなぁ! アーノルド!」


 アーノルドは胸の傷を抑えながら片膝をついた。


 ライナスは高揚感に身を任せてサンダルク家の所業を露わにしていく。


「サンダルク家は国政調査という権力を独占し、あらゆる貴族を言いなりにしてきただろ。国王はサンダルク家の報告書を鵜呑みにするからな……気に食わない奴がいたら適当にこき下ろして報告すれば、国王が直々に制裁を加えてくれる。いわば、国政調査は国王を飼い慣らす唯一の権利というわけだ」

「違う……国政調査は、国王から授かった信頼の証! 国家の腐敗を防ぐ重要な責務だ!」

「名目上はその通りで合っているとも。だが先代が実際にしてきたことは違うだろ? レガロ伯爵も制裁を恐れて、サンダルク家に隷属した貴族の一人じゃないか。そうやってサンダルク家はどれだけの人生を潰してきたんだ?」

「…………」


 アーノルドは反論しない。


 ライナスの言うことは、全て事実である。


 アーノルドは拳を握りしめて立ち上がり、ライナスとの間合いを測った。


「貴様の言うことは、確かに間違っていない……私が父上の後を継ぐ時、同じことを否応なしに知った。私は正当な後継者として、父の過ちを正す使命がある」

「口先だけご立派なのも先代そっくりだよ……世間知らずな田舎者を口説くのはさぞかし簡単だっただろうな? もうじきお前たちの偽善が作る時代は終わりだ! 俺たちのように時代に取り残された者たちが、ようやく陽の目を見るときが訪れる!」


 そのとき、ライナスの言葉を否定するようにエリーナが叫ぶ。


「アーノルド様! 剣を取って! この解毒剤は偽物です!」

「エリーナ……!」

「私、サンルート・ホテルの監査に行くまでの二日間で報告書を沢山読みました! あの病院の報告書も読んだんです!」


 エリーナが言う病院とは、アーノルドが火傷に効く薬と書こうとして火薬と書いてしまったところだ。


 ライナスはカザフ子爵に鋭い視線を送る。


「カザフ! その女を黙らせろ!」


 カザフ子爵は待ってましたと言わんばかりにムチを振るう!


 ビシィッ!


 エリーナの服が破け、肌に直接ムチが当たった!


 カザフ子爵は笑い声を上げながらさらにムチを振るう!


「フハハハハ! その薄汚い口を閉じるんだな、エリーナ! ただでさえ土臭いお前の肌が、血の臭いで腐臭に変わってしまうぞ!」


 エリーナはそれでも怯むことなく、アーノルドに向けて言葉を送った。


「この症状、報告書の中で見たものと一致します! この毒は急病に見せかけて要人を暗殺するために使われるもの! 報告書を上げた病院では、この毒を解毒する薬を開発していました!」

「黙れ! 黙れ! 黙れぇええー! そんなに俺のムチが好きか? エリーナぁあ!」

 

 ビシッ、ビシッ、ビシィッ!


 さらにカザフ子爵のムチが激しさを増す!


 エリーナの背中の皮膚が破け、血が滲み始めた!


 それでもエリーナは怯まない!


「解毒剤は薬草をすり潰して作るもの! 透明な液体にはなりません!」


 ライナスもカザフ子爵も、エリーナに気を取られている。


 アーノルドはエリーナの助言に従い、自分の剣を取り戻すために移動していた。


 ライナスはアーノルドの動きに気づき、カザフ子爵にさらなる指示を送る。


「動くな! アーノルド・サンダルク! もし、それ以上動くなら……エリーナを叩き殺すぞぉ! カザフ、次は殺すつもりでやれ!」


 エリーナはその言葉に怯むことなくに、アーノルドに微笑みかけた。


 その微笑みは凛として強く、朗らかに明るい。

 まるで希望の光を灯す一輪の花のようだった。


 エリーナは微笑みを浮かべたまま、穏やかな声でアーノルドに応援の言葉を送る。


「私は大丈夫です。信じて下さい……アーノルド様」

「エリーナ……わかった!」


 アーノルドは素早く移動して剣を拾い上げた!


 その動きを見たカザフ子爵は、全身全霊の力を込めてムチを振るう!


「動いたな、アーノルド・サンダルク! 情けなくわめいて死ねぇ! エリーナ!」


 カザフ子爵が振るったムチは、エリーナを縛る縄に当たった!


 バチィ!


 結び目が切れてエリーナの拘束が解ける!

 

 エリーナは即座に立ち上がり、全体重をかけてカザフ子爵を押し退ける!


「な……! んなぁあああああ! バカなぁーー!」


 カザフ子爵は驚きと想定外の事態に、後頭部から倒れ込んで地面を転がった!


 ライナスはカザフ子爵の方に振り向きながら怒りを露わにする。


「何をしている! カザフゥ!」


 次の瞬間、ライナスは迫りくるアーノルドの気迫を感じ取った。


 ライナスは正面へ向き直りつつ、黒い長剣を左から右に思い切り振るう!


 アーノルドは剣を立てて黒い長剣を受け止めた!


 ギィイイン!


 アーノルドの剣はまばゆい火花を散らす!

 そのまま剣を擦りながら前進!


 ギィイイイイイイイイイイイイイン!


 さらに火花が散った!


 アーノルドはライナスを眼前に捉えた瞬間に姿勢を低くする。

 そしてライナスの懐に潜り込み、黒い長剣を受け止めていた剣を横に倒した。


 ビュンッ!


 黒い長剣はアーノルドの剣という支えを失って空を切る。


 同時にアーノルドは剣を振り抜き、鞘にしまった。

 彼は何事もなかったかのようにライナスの脇を通り抜けていく。


 次の瞬間、ライナスの身体から血飛沫が上がった。


 ライナスは懐に潜り込まれたその刹那、胴体を斬り裂かれていた。

 あまりの神業を前に、彼は呪詛よりも先に感嘆の言葉を口にする。


「これが、冷血の名を冠する剣技……!」 


 アーノルドは地面に倒れ伏すライナスを尻目に、エリーナのもとへ駆け寄った。


「エリーナ! すまない……君を必ず守ると誓ったのに、傷を負わせてしまった……」

「いいえ……アーノルド様はもう一度私を助けて下さいました。アーノルド様が謝ることなんて、一つもありません。改めて、お礼を言わせて下さい」


 エリーナの口から血が流れ落ち、彼女の足から力が抜け落ちた。


 エリーナはガクリと膝をつく。

 毒が着実に彼女の身体を蝕んでいる。


 エリーナの意識が徐々に薄れていった。


「アーノルド……様……私……」

「エリーナ! 今すぐ本物の解毒剤を持ってくる! 頼む! 死なないでくれ、エリーナ!」

「アーノルド様に……会えて……幸せ……でした……」

「エリーナ! エリーナーー!」

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