惑わす罵倒、相対する光と闇
エリーナは反響するうめき声で目を覚ました。
辺りは薄暗く、周囲を照らすものはろうそくのみ。
目の前には血を流して倒れるレガロ伯爵と、うめき声を上げるホテルの従業員。
「う……ぅぐ……」
「あぁ……腕が……」
そして、血が滴る黒い長剣を持つ男――ライナスの後ろ姿。
エリーナは理解し難い光景に息を呑んだ。
「レガロ伯爵! ここは一体……!」
エリーナは膝立ちの姿勢から立ち上がろうとするが、それはかなわない。
両手が細長い岩に縛り付けられている。
無理に動こうとすると縄と手首が擦れ、膝がゴツゴツとした地面に当たり痛みが走った。
エリーナの声に気づいたライナスは、冷酷な笑みをたたえて振り向く。
「おやおや、お姫様のお目覚めだ。これは僥倖……」
「あなたは誰……? ここは、どこ……?」
「俺は盗賊団アンツ・バエナのライナス。ここはきらめく湖の鍾乳洞だ」
「…………!」
エリーナは直前の記憶をさかのぼる。
「そうだ、私は桟橋で捕まって……アーノルド様はきっと、私を探しているんじゃ……」
「意外と飲み込みが早いじゃないか。君の言う通り、アーノルドは必ずここを見つけだす。そして君の前で死ぬ」
「え……?」
「どうして公爵ともあろうお方が、こんな田舎者を側に置こうとするのか……理解に苦しむな。なあ、カザフ」
ライナスがそう言うと、彼の背後からカザフ子爵が現れる。
カザフ子爵は黒いムチを引っ張りながら、下卑た笑みを浮かべてエリーナを見下ろした。
大急ぎでここに戻って来たせいで息づかいは荒く、口にはよだれの糸が引いている。
「全くだ! はぁ……はぁ……俺は、エリーナの実家の土地が欲しかっただけのこと! 縁談も何もかも全て俺の策略よ! アーノルド・サンダルクは相当な物好きのようだなぁ」
「カザフ……お前、随分と急いで戻ってきたんだな。まあいい」
エリーナは眉をひそめて目を見開き、カザフ子爵を見上げた。
「ど、どうしてカザフ子爵がここに……?」
「今の俺は、盗賊団アンツ・バエナのリーダーなのだ! 俺に恥をかかせたこと、忘れてないだろうな? 無事で済むと思うなよ、エリーナ!」
「そんな……盗賊団のリーダーなんて! 子爵という地位がありながら、どうして!」
「フハハハ! 俺の天賊の才が目覚めたのだ! 聞かせてやろう。俺が考えた悍ましい計画の全貌を」
実のところ、カザフ子爵の計画は全てライナスの受け売りである。
「まずは、アーノルド・サンダルクの前でお前を痛めつける! 動揺したアーノルドは我が右腕となったライナスによって殺される! 一人残されたエリーナは……永遠に俺のおもちゃになるのだ」
エリーナの背筋に悪寒が走った。
カザフ子爵の邪悪な顔つきは、エリーナと婚約していた頃よりも遥かに悪辣さを増している。
エリーナは歯を食いしばってかぶりを振った。
「私は、こんな卑劣な行いに屈しません! アーノルド様も隙を見せることなく、必ずやあなたたちを捕らえます!」
そう言い切るエリーナのことを、カザフ子爵とライナスは楽しそうに見つめる。
ライナスは剣をゆっくりと持ち上げると、倒れているレガロ伯爵にその切っ先を向けた。
「よく見ろ、エリーナ……レガロ伯爵はいち早くこの場所を見つけ出し、君のことを助けに来た。だがご覧の有様だよ。岩壁に頭を打ち付けてね、もう動く気配がない」
「そんな……!」
「レガロ伯爵の付き添いで来た二人には遅効性の毒を盛っている。親しくもない人間の死体を飾っても面白くないだろ? 苦しみ抜いて死んでいく人間というのは、なかなかお目にかかれるものじゃない。目に焼き付けておくといい」
エリーナは目尻に涙を浮かべて、必死にレガロ伯爵を呼んだ。
「レガロ伯爵! お願い、目を覚まして!」
エリーナの叫び声を聞いたライナスとカザフ子爵は満足気に頬を緩める。
ライナスは地面に黒い長剣を突き立てると、長剣の柄に寄りかかった。
「フフフフ……ようやくいい声が聞けたな。なあ、カザフ」
「そうだなライナス! 最っ高だっ! 早くアーノルドを殺してエリーナを好き放題痛めつけたい! もっと悲鳴を聞きたいぃ!」
エリーナは力なくうつむき、恐怖と悲しみで縮こまる。
ライナスはエリーナの髪の毛を思い切り鷲掴みして、彼女の顔を強引に引っ張り上げた。
「目を背けるな。まぶたを上げろ。見えているものは全て、君の選択が招いた結果だ」
ライナスはそう言って、自身の紅い瞳をエリーナの顔に近づける。
「田舎者は田舎者らしく、身の丈にあった一生を送れば良かったんだ……苦渋を飲み下してカザフ子爵に媚びへつらっていれば、こうはならなかった。いや、シワだらけの老いぼれになるまで果樹園の世話を続けるのがお似合いか」
エリーナは涙を流しながら首を横に振って、ライナスの手を振り払おうとした。
ライナスは彼女の髪の毛をさらに引っ張り上げてエリーナの耳元に残酷な言葉をささやく。
「君が欲をかいたせいで、アーノルドの別荘は燃え盛る石釜になった。そしてアーノルドはこの鍾乳洞で息絶え、レガロ伯爵と彼の付き添いできた二人は巻き添えになる。カルロス執事長は私の部下に首を落とされている頃合いだろうな。田舎者が不相応な幸せを望まなければ……誰も死なずに済んだだろうに」
「別荘まで……! アーノルド様も……レガロ伯爵も、カルロス執事長も……全部……私の、せい……?」
「そうだ……強欲な田舎者、エリーナ・ハンス。全て君のせいだ」
ライナスはそう言い放って、エリーナの髪の毛を手放す。
エリーナはガクリとうなだれた。
エリーナは思う。もしかすると、ライナスの言う通りかもしれないと。
純粋な気持ちでここまで来たと思い込んでいたたけで、自分本意な欲望のままに動いていただけかもしれない。
エリーナは自分の気持ちや感情に自信が持てなくなる。
ふと、沈み込む彼女の脳裏に、アーノルドの言葉がよみがえった。
大切なものは何か、アーノルドは教えてくれた。
「大切なのは出自や爵位じゃなくて……心の在り方……」
エリーナは自問自答する。
どうしてアーノルドと共に実家へ帰ったのか。
どうしてアーノルドの書記長として、旅を続けようと思ったのか。
「私は……お父様とお母様に約束したことを守りたくて……少しでも、アーノルド様に恩返しをしたくて……」
エリーナが両親と約束したことは、必ず幸せになるということ。
エリーナが一番幸せだと感じるときは、身近な人や大切な人が笑顔になったとき。
「私が頑張ってこれたのは……送り出してくれたお父様と、お母様の笑顔があったから……」
そして、カルロス執事長と交わした約束を想い出す。
夕食の時、エリーナは心の中で誓った。
たとえどんな苦難が待ち受けていようと、エリーナはアーノルドの心に寄り添い続けると。
「アーノルド様にも、この気持ちを……この勇気を……私は……」
エリーナは顔を上げて、ライナスの紅い瞳に凛とした眼差しを向ける。
「私はたしかに、幸せを望みました……」
「ほう……認めるのか。潔いな」
「私が望んだ幸せは、皆の笑顔と幸せです。カザフ子爵に婚約破棄を言い渡されるまでは、カザフ子爵の幸せも望んでいました」
エリーナは縄を力強く引っ張って、身体を前に突き出す。
「たしかに、不相応な望みかもしれません……それでも、皆の笑顔を願うことの、なにがいけないと言うのですか」
エリーナの声色が少しずつ強くなり、覚悟の迫力を帯びた。
「たとえ強欲と言われようと、田舎者と言われようと私の望みは変わりません。この命ある限り、私は大切な人の笑顔ために全力を尽くします!」
ライナスは言い返してきたエリーナに向けて頬を吊り上げた。
彼の端正な顔立ちが邪悪な笑顔で歪む。
「そんな綺麗ごとを並べて、君の周りは死屍累々じゃないか! 君が人の笑顔を願えば願うほど、君の周りは不幸になっていくんだよ!」
「違います! 私の大切な人たちを不幸にしているのは、あなたたちです! 私はもう惑わされません! お父様とお母様の笑顔が……アーノルド様からもらった大切な言葉が、私を導いてくれるから!」
そのとき、鍾乳洞の入り口から足音が響き渡る。
少しずつ少しずつ、その足音がエリーナのもとへ近づいてくる。
そして足音を鳴らす者は、ろうそくの灯火を受けて姿を露わにした。
日の光のようにきらびやかな金髪のショートヘアーと、空のように青く透き通った瞳の青年――アーノルド・サンダルクである。
アーノルドは照らし出された空間の奥にエリーナを見つける。
「エリーナ! 今助ける!」
「アーノルド様!」
二人の再会を引き裂くように、ライナスは黒い長剣を地面から引き抜いて笑い声を上げた。
「フハハハ! ようやく役者が揃ったな……待ちくたびれたよ、アーノルド・サンダルク!」




