堕落
カザフ子爵はベラノーラに謝礼を払いたいという手紙を送った。
争ったことをお詫びしたいので、直接会いたいという一文を添えて。
ベラノーラは手紙に書いてある通り、カザフ子爵の邸宅に向かう。
そこが盗賊団の根城と化しているとは知らずに。
ベラノーラは門前の鐘を鳴らした。
「さっさと出てきなさいよ、あのデブ……」
やがて邸宅の扉が開き、カザフ子爵が嘘くさい笑みを湛えながらベラノーラを迎えにくる。
「よく来てくれたな、ベラノーラ。正直、来てくれないと思っていたよ」
「そういうのはいいから、さっさと謝礼の金をよこしなさい。中に入るつもりはないわよ。そもそも、手紙に書かれている額じゃ足りないわよ!」
カザフ子爵は額に血管を浮かべるものの、歯を食いしばって怒りをこらえる。そしてライナスが用意した台本を必死に思い出した。
「そ、そうか……実は、うちの宝物庫に父が残した秘蔵の金塊がある。金額に不満があるなら、好きなだけ持っていってくれ」
「金塊ですって!」
ベラノーラの瞳が爛々と光り輝いた。欲望の光だ。
「本物でしょうね」
「当たり前だろう! 偽物を作るほうがよっぽど面倒だ!」
「ふん。とっとと宝物庫に案内しなさい」
カザフ子爵は込み上がる笑いを噛み殺して、ベラノーラに背を向ける。
彼は卑しい召使いのようにベラノーラを案内した。
「ここだ……好きなだけ持っていってくれ」
宝物庫もとい牢屋の中には、まごうことなき金塊が整然と積み上げられている。
すべて盗賊団アンツ・バエナの盗品だ。
ベラノーラの視線は金塊の山に釘付けとなる。
「まあ! これだけあれば新作のドレスを着てパーティも開き放題……他所の女を見返せるわ」
ベラノーラは金塊の山ににじり寄り、宝物庫の中に足を踏み入れる。
その瞬間、宝物庫の扉が閉じられた。
ガチャン!
そしてカザフ子爵がすかさず施錠する。
ベラノーラはビクリと体を震わせて、勢いよく振り向いた。
「ちょっと……何するのよ!」
「ふ……ふふ、ふふふふ」
カザフ子爵の口が開き、よだれの糸を引く。我慢していた笑いが腹の奥底で爆発し、発泡酒のように噴き上がった。
「ハーーーーーッハッハッハーーー! イーヒヒヒヒ! ざまぁみろこのクソ女がぁ!」
「ちょっと、どういうつもり! こんなことしてただで済むと思ってるの!」
「喚け喚け! お前はもう罠にかかったネズミだ!」
カザフ子爵はフォルネの真似をして、懐から黒いムチを取り出す。
「跪け、このメス豚が!」
「なによ、悪趣味な真似して! ブタはあんたの方でしょ!」
「なにー!」
二人の言い争いを鎮めるように、ライナスが暗がりの中から現れる。
「立場をわきまえろ、ベラノーラ。これが欲に溺れたお前の末路だ。噛み締めるといい」
「あ、あんたは何者なの……」
「盗賊団アンツ・バエナとだけ名乗っておこう。お前はこの瞬間から俺達の品物だ。今は価値を下げたくないのでね……手荒な真似はしない」
ベラノーラはゾッとして青ざめた。一気に血の気が引いて、彼女は膝から崩れ落ちる。
カザフ子爵は意気消沈するベラノーラをゲラゲラと嘲笑った。
「なんて不様な有り様だ! 最高だよベラノーラ! お前のあられもない姿を幾度となく見てきたが、今が一番興奮する!」
カザフ子爵は調子に乗ってムチを振りかぶる。
その瞬間、ライナスは鮮やかな手付きでそのムチを取り上げた。
「復讐で高揚するのは構わないが、勝手な真似は許さないぞ」
「ぐ……わ、わかった。大人しくしよう」
「賢くなったな、カザフ子爵」
ライナスとカザフ子爵はベラノーラに背を向けて、薄闇の中を歩いていく。
カザフ子爵はろうそくの灯火で照らし出される廊下を進みながら、ライナスに問いかけた。
「ベラノーラを人買いに売り付けるつもりか? 大した金にもならんだろ。俺が好きにしたところで変わらんぞ」
「いいや、変わるさ。だが、正直なところ売値はどうでもいい。男爵令嬢を攫ったことに意義がある。事件の噂が広まれば、貴族界はお前に恐れ慄くことになるだろう。カザフ子爵……お前が貴族たちを恐怖のどん底に陥れるんだ。ワクワクしてこないか?」
「俺が、貴族たちを恐れさせる……!」
カザフ子爵は昂ぶって口角を吊り上げる。
その顔はまるで、おもちゃを壊して喜ぶ幼児のようであり、人を堕落させて喜ぶ悪魔のようでもあった。
彼は愉悦の美酒に酔いしれて、逃げ出す気などさらさら失せる。
カザフ子爵は想像した。別の令嬢を虐げて辱める光景を。絶望に染まる生娘の姿を。
カザフ子爵は同じ興奮を味わうことしか考えられなくなる。
ライナスは彼の表情に確かな手応えを感じた。
「では、次の計画について話そうか」
「また令嬢を攫うのだろう? そうだろう? 今度はどこの令嬢を狙うつもりだ?」
「おいおい……俺が言うまでもないじゃないか。まだ復讐を遂げる相手が残っているだろう?」
カザフ子爵はハッとした。
彼の笑顔が邪悪に歪み、元婚約者の名前を口にする。
「田舎者のエリーナ・ハンスかぁ……俺のもとから逃げた卑しい売女め。二度と嫁入りできない体にして両親のもとに送り付けてやろう。俺をコケにした公爵も酷い目にあわせてやる」
「そうだ。その意気だ。己の本当の力を、貴族界に思い知らせてやれ」




