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書記長の務め、背負いし家督

 アーノルドはエリーナに個室を紹介する。


「ここの客室がエリーナの部屋だ。鍵を渡しておくから、好きに使っていい」

「ありがとうございます」

「次は仕事場まで案内するよ」


 エリーナは別荘の広さに目眩を覚えた。


「一人で歩いてると、迷ってしまいそうです」

「慣れないうちは、カルロスに案内を頼むといい。この角を曲がれば君の仕事場だ」


 絨毯が敷かれた廊下の先に、純銀の飾りで彩られた扉がある。


 扉を開けて中に入ると、まるで二人のことを出迎えるように夕陽の柱が差し込んできた。


 部屋の正面には湖を一望できる窓があり、その窓に向かって木製の机と椅子が置かれている。


 机の両脇には背の高い本棚がそびえ立ち、分厚い資料が何冊も並んでいた。


 アーノルドは椅子を引いて、エリーナに座るよう促す。


「どうぞ、エリーナ」

「ありがとうございます」


 椅子はほのかに温かった。


 窓の方へ視線を移せばきらめく湖を一望できる。

 エリーナは馬車から眺めたときに勝るとも劣らない感動を覚えた。


「ここでお仕事をさせて貰えるなんて、とても光栄です……!」

「喜んでもらえてなにより。左の本棚の二段目に、今までの報告書の写しがあるから目を通しておいて欲しい」

「分かりました」


 アーノルドは報告書の写しを一冊取り出して、机に置く。


「これは昨年のものなんだけど、サンルート・ホテルの監査結果と視察の内容が書いてある。二日後に私とエリーナで見に行くところだよ」

「アーノルド様と一緒にサンルート・ホテルの視察をして、私が報告書を作って、国王様に送る……ということですね」

「そういうこと。サンルート・ホテルのオーナーはレガロ伯爵だから、彼と会えるかもしれない。よく視察にくるみたいだし」


 エリーナは手を叩いて朗らかな笑みを浮かべた。


「私、レガロ伯爵にお礼がしたいです。カザフ子爵の借金のことで、レガロ伯爵と交渉をしたことがあるのですが……私の拙い話を真剣に聞いてくださって、とても助けられました」

「レガロ伯爵らしいね。エリーナがサンダルク家の書記長を務めていると聞いたら、彼も驚くだろう」

「そうですね。本当に今が夢のようです……」


 アーノルドはエリーナの肩に手を置いて微笑みかける。


「六時前になったらカルロスに案内させるから、食堂においで。本当はもうしばらく一緒にいたいけれど……仕事が残っているんだ」

「分かりました」

「それじゃあ、また後で」


 アーノルドはエリーナの肩を優しく叩いて、名残惜しく部屋を出ていった。


 一人になったエリーナは報告書に目を通し始める。

 彼女は事細かな記載内容に圧倒されながらも、エリーナは自分ならどんな風に報告書を作るかイメージを広げた。


「報告書には見たままの事実を書いているけど、社会情勢に基づいた分析がすごく細かい。勉強になるなぁ……写真だけじゃなくて挿絵もあるんだ。アーノルド様が描いたのかな」

「僭越ながら、挿絵はわたくしめが……」

「え! カルロスさん! いつの間に!」


 エリーナは勢いよく振り返った。


 いつの間にか、カルロスが部屋の真ん中に立っている。


 カルロスの手には紅茶を乗せた純銀のトレー。


「驚かせて申し訳ありません。ノックはしたのですが」

「色々とびっくりしました……カルロスさんって絵がお上手なんですね」

「ありがとうございます。このときは写真機が故障してまして。正直に申しますと、苦肉の策でした」


 カルロスは机の脇にコップと砂糖、そしてミルクを置いた。


「アーノルド様から紅茶をお出しするようにと仰せつかりました。どうぞ、お召し上がり下さい」

「ありがとうございます。早速頂きます」

「しかしながら、アーノルド様がこんなにも初々しいお嬢様に自らアタックなされるとは……」


 エリーナは紅茶を噴き出しかけて咳き込んだ。


「げほ、げほっ……い、いえいえ、私とアーノルド様はそんな」

「それでも大きな進歩です! どんな縁談もことごとく断り、社交界でも首を横に振っていたアーノルド様が、自ら女性に声を掛けるのはいつ以来のことか……!」

「え? 私はてっきり、もう婚約者がいらっしゃるのかと」


 カルロスは首を横に振る。


「遅かれ早かれ知ることになるでしょうから、今ここでお話しましょう。アーノルド様は幼い頃に、父君を亡くしておられるのです」

「え……」

「殉職でした。賊の待ち伏せを受けたと聞きます。アーノルド様の母君は、最愛の人が命を落とした職務に向けてご子息を育てることになりました」


 エリーナは首を傾げて疑問を浮かべた。


「他の公務やお仕事では、いけない理由があったのですか?」

「サンダルク公爵家は、国王陛下から代々ご指名を受けて国政調査を遂行してきた家系。実績が途絶えてはなりません。アーノルド様が幼い頃は、わたくしめがアーノルド様と共に旅をしていたのです」

「そうだったのですね……」


 エリーナはアーノルドの母君の気持ちを想像し、俯く。


 愛する我が子を国政調査のために育てるということは、最愛の夫を奪った死地に向けて育てるということ。

 さぞかし複雑な心境だっただろうと察する。


「家督を守るためとはいえ、辛かったでしょう……」

「はい。アーノルド様は母君が苦しむ姿を一番近くで見ておられました。残された者の苦しみを、アーノルド様はよく知っておられます」


 カルロスは懐中時計を確認しながら続けた。


「アーノルド様はこう仰っておりました。女性をめとるということは、愛する人に重責を背負わせてしまうことだと」

「そうだったのですね……ですが、いつかは縁談を進めないと、サンダルク家が……」

「エリーナ様がご心配なさる通り、アーノルド様の代で潰えてしまいます。誠に僭越ながら、エリーナ様に協力して頂ければ、アーノルド様を勇気付けることに繋がるかと思いまして……」


 エリーナはうなずく。


「お話し頂きありがとうございます。アーノルド様は私の人生を変えてくださった恩人です。御恩に報いるためにも、アーノルド様のお心を癒せるよう尽力いたします」


 カルロスはエリーナの返答に感心し、彼女の両手を握りしめた。


「こんなにも前向きなお返事を頂けるとは、思っておりませんでした……! 書記長に任命されるのもうなずけます」

「い、いえいえ、そんな! 恐縮です」


 カルロスはもう一度懐中時計を確認する。


「おや、もうこんな時間でしたか。エリーナ様。食堂へご案内いたします」


 エリーナはカルロスの後ろについて行きながら、食堂までの道を記憶する。


 カルロスが食堂の扉を開けると、一番奥の席に座っているアーノルドの姿がエリーナの瞳に飛び込んだ。


 戸惑うエリーナに、カルロスが一礼して席の方へと促す。


「エリーナ様。どうぞ、アーノルド様のお隣の席へ」

「は……はい!」


 エリーナが着席するのを見計らって次々と料理が運ばれてくる。


 そのうち、アーノルドは魚介のスープに目配せした。


「きらめく湖は美しさもさることながら、生命の恵みに満ち溢れているんだ。ここで獲れる魚はとても美味しいから、是非味わってみてほしい」

「そうなんですね! 私の故郷ではあまり食べられなかったので、楽しみです」

「こちらのワインは、もう説明する必要はないね。エリーナのほうが詳しいかもしれない」

「もしかして、私の実家のものですか?」

「ああ、もちろん」


 二人は愉快に言葉を交わしつつも、お互いに胸の内で誓いを立てた。


 アーノルドは、どんな災いが降りかかろうとエリーナを必ず守り抜くと誓う。


 エリーナは、どんな苦難が待ち受けていようとアーノルドの心に寄り添い続けると誓う。


 二日後の視察で、二人の誓いが試される時がやってくる。

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