スパダリ教本 ~未来からの助言者と、憧れの人を射止める話~
『壁の花』という言葉がある。
パーティーでダンスや会話に参加せず、壁にそっと佇んでいる令嬢を指す言葉だ。もともとは、いわゆるぼっちを笑う言葉だったらしいが、気乗りしないパーティーは誰にでもあるもので、自ら進んで壁の花になる令嬢もいるとかいないとか。
では、男が、つまり令息がぼっちで壁際にいるとどう呼ばれるかは、知っているだろうか。
壁のシミだ。
俺のことだ。
「あ~、帰りたい」
黒を基調とした男爵家の礼装、その背中をシミよろしく壁にべったりとつけ、俺は項垂れていた。
今宵のパーティーは豪勢だ。上は公爵家から下は新興の男爵家まで、令嬢、令息が集められ貴族学院の創立日を祝うパーティーに参加している。
一応男爵家の嫡男だし、俺に辞退の権利はない。パーティーの主役になれずとも、出席していないだけで『なんとなく感じ悪いヤツ』扱いというのが閉鎖的な貴族界というものだ。
これから入学してくる弟や妹のため、パーティーの情報を仕入れておく意味もある。
貴族の身に宿る『魔法』という力を、効率的に伝承し、教育するのが貴族学院だ。ま、好き勝手に魔法を修行されたら、そのうち敵国に抱き込まれたり、過激思想に染まるヤツも出るかも知れない。
人を襲う存在、魔物の脅威もある。最近は小康状態とはいえ、いつ活性化するかはわからず、国として牙を研いでおくのも大事だ。
そのせいか学内には魔法が使える平民もわずかにいて、『身分平等』が形式上うたわれている。
――お兄様、学校では友だちをたくさん、できれば恋人も作るのですよ!
妹と弟はそう言う。
友だち、恋人ねぇ。
「『血』って残酷だよな」
魔法が使えるかどうかは、才能、というか血筋でほぼ決まる。
もうこの時点で、土台の不平等が見え隠れ。
さらに高位貴族にはより優れた魔法が宿り、武術も学問も、高位貴族であるほど有利とくれば、木っ端な男爵家の俺が学院でどんな立場が想像がつくだろうに。
目立たぬように。間違っても虐めのターゲットになどなりませんように。
壁の花ほど華やかでなく、もちろんパーティーの中心にも出て行けず、俺は礼服をべったりと壁に押しつけ、自分を壁のシミと同化させ続けた。
ため息をかき消すように、鐘が鳴らされる。
俺と同じように壁際で気配を消していた令息、令嬢らがそそくさと移動し始めた。
そろそろいいだろう。
俺もパーティー会場の外へ出る。
群れと出会ったのはそんな時だ。
1人の令嬢を囲う、大勢の取り巻き。なびく深紅のドレスは、赤の絨毯よりなお鮮やかで。
――アルテイシア様よ。
――今日もきれいね。
――周りにいるのは、公爵家に……。
彼女に目が吸い寄せられて、取り巻きに睨まれる。あわてて目をそらした。
凪いだ心には、悔しささえも感じない。彼女だって俺のことなど覚えていないだろう。
足早に会場を出た俺の頭に、
「いてっ」
空から何かが降ってきた。
本だった。
――スパダリ教本。
――ヘタレの君に、理想のダーリンになる術を教えよう!
黒字に金書体という古風な装丁に、ものすごくバカっぽい文字が踊っている。
誰だこんなもんを落としたヤツは。二階か? いや、でも近くにバルコニーはないし窓も遠い。
本をひっくり返して、俺は言葉を失った。
――著者:アレン・アンダーセン
俺の名前だった。
「……なんだ?」
眉をひそめてしまう。
それでも、異常な引力がある本だった。
馬鹿馬鹿しいのに、なんだか開かずにいられない。
俺はベンチに座って、街灯の魔力ランプで本を読むことにした。
――スパダリとは何か?
――それは『スーパー』な『ダーリン』のことである。
――高位貴族の女性を射止める場合、まずもってスパダリでなければ話にならない。格上の家柄であれば尚更だ。
――本書は、ヘタレ男子でもスパダリになれる方法を完全解説。
俺は力の限り本を閉じようとした。だが、不思議な力でページが勝手に開き、本が空中に浮かび上がる。
ベンチから立ちあがって、俺はあわてて本を膝の上に置いた。
魔力灯が、ジジ、と不吉な音を立てる。
――君を助けようというのに、ひどいじゃないか。
空白のページに、文字が浮かび上がってくる。
「な、なっ!?」
――僕は、未来の君自身だ。遙か先の未来から、過去にこの本を送っている。そして、君に語りかけている。
言葉を失った。
今、さらっと時空を越えた魔法を使っていると言わなかったか?
「なにを」
――やれやれ。過去の僕は、けっこう鈍いな。それとも、やっぱり歴史が変わったのかな? まぁいい。
――君をスパダリにして意中の令嬢、公爵令嬢アルテイシアと結ばせよう。
唖然とする俺に、トドメを刺すように声は言った。
――じゃないと、35年後に世界が滅ぶ。
「は、はぁ!?」
今度こそ、俺は叫んで不本意にも目立ってしまった。
◆
どこから話したものか。
この世界には、数世代に一度、魔王という存在が生まれる。その存在を倒すノウハウを維持することも、貴族学院が用意されている理由の1つだった。
スパダリ教本に浮かび上がる文字列は、こう伝えている。
――君と公爵令嬢アルテイシアの息子が、魔王を討伐する。
なんだそりゃ。
信じられない。
俺はベッドに寝転がって本を放り出したが、悶々とした気分は残る。
男爵令息の俺と、公爵令嬢アルテイシア。
接点がまるでなかったわけではないからだ。というより、子供時代のある時期まで、俺は――バカな話だが――彼女に惚れていた。
まだ7才の頃、たまたま俺の領地の近くに、お忍び旅行で公爵家がやってくる。
逗留地は俺達の男爵領ではなかったが、きちんと挨拶に行った。
公爵家ってのは凄いんだな、と思ったものだ。
7歳の女の子だったが、領地にいるどんな子よりも、抜群にきれいで。正直、目を奪われたと思う。
周りに集まって近隣貴族と彼女では、容姿だけでなく歩き方のひとつさえ比べものにならない気品だった。
しかし、彼女は我が儘だった。『森へいくわ』と行ってずんずん進み、俺はその後を追って――魔物に襲われた。
びっくりした。
魔物が出るような森じゃなかったから。
俺はなんとか彼女を守ろうとしたが、すぐ傷を負ってしまい、逆に魔法を使いこなす彼女に守られた。
『大丈夫?』
そう言って腰を抜かした俺に手をさしのべられた時――ガキだった俺は、何段階も爵位が上の公爵令嬢に、惚れてしまったのだった。
恋心というか、憧れは、15才で貴族学院に入学するまでずっと抱いていた。
そして学院で現実を知り、今に至る。
魔法には血筋が大事。
つまり学校で目立とうにも無理だし、そもそも爵位の段階でお話にならない。
「今更、努力しろ?」
わかってる。努力は大事だよな。守らなきゃいけない領地もある。
でも……公爵令嬢のために、努力する? 今更? 男爵家の俺が?
ていうかスパダリってなんだよ……。
悶々としたまま、結局は本を開いてしまった。
――君の記憶を読ませてもらった。
――僕が体験したことと、少し違うな。
本を通して俺に語りかけているのは、未来の俺らしい。
誰かのイタズラというセンはすでに捨てていた。本は俺にしか見えないし、浮かぶ文字は明らかに俺と会話している。
そんな高度な魔法は、学校の誰にも使えない。
そしてこいつは、なんとアルテイシア公爵令嬢と結婚していたという。
――僕はアルテイシアと出会った後、魔物との戦いで彼女に才能を見いだされた。
「アルテイシアさん……と?」
学院では、一応は『様』付けすべき身分でも、『さん』付けで呼んでいい規則だった。
もちろん建前で、みんな高位貴族には空気読んで『様』をつけているが。
――彼女のアドバイスに従って努力した結果、魔法の力を強め、学業も貴族としての地位も上昇していた。
――20を越える頃には、周りからスパダリと呼ばれていた。
なんだ、それは?
ていうか、自分で『スパダリ』とかいうなよ。
「……あの人から、そんなこと言われた覚えはないぞ?」
そもそも、俺が戦う必要はなかった。7才なのに、彼女はほとんど魔物を瞬殺したし。
――僕の時は、魔物が強くて、アルテイシアは苦戦した。
――決死の覚悟で僕も戦い、2人で魔物を退けた。
――アルテイシアに、『君には敵を解析する力がある』と言われたよ。
あの人に、そんなエールを送られたのか。確かに、それなら死ぬ気で努力した気がする。努力する方向性も明確だ。
「……はは」
7才の頃から、今の16才まで、10年近くある。
俺なりに頑張ったが、がむしゃらで、指針もない。
一方、スパダリを名乗る俺は、明確な指針を与えられて、惚れた女のために努力し続けた。差がついて当然か。
――おそらく、歴史が変わったのは魔王のせいだろう。
――僕とアルテイシアの息子に倒された魔王は、最後の力で歴史を改編した。
「歴史を――?」
――普通は無理だ。僕の知識をもってしても、魔王の行使した力を解析するまで、過去の改ざんが可能だなんて思わなかった。
少し違和感が残る。
過去を変えられるなら、どちらかを子供のうちに殺してしまった方が早い気もするが。
それに、今のままだと、俺とアルテイシアさんが結婚する未来は見えない。未来の俺――つまりスパダリになった俺は、現時点ですでに存在できないんじゃないか?
――順番に応えよう。
――魔王が最後の力を振り絞っても、歴史の大幅な改ざんは難しい。『殺す』のではなく、婚姻をやめさせるのがせいぜいだったのかもしれない。
「……ふむ」
――二つ目の疑問は、まだ未来が確定していないからだ。だからこそ僕はこうして、君に今からスパダリになる術を語りかけている。
俺は真剣に考えた。考えに考えに考えた。
すべてを投げ出して、忘れてしまうのも手だろう。
だが――アルテイシアさんと結ばれる未来がありうる、というのはどうしようもなく魅力的だった。
――背筋を伸ばし、胸を張れ。
――中身は完璧でなくても、自信があるフリくらいはできるだろう。
――僕がくじけそうな時、よくアルテイシアは言っていた。
苦笑する。
血筋や才能の前に、頑張るなんて馬鹿らしいと思っていたが。
俺はこの際、もう少しだけアホになってみることにした。
目指してみよう、スパダリを!
◆
1つ、確かなことがある。
この本、確かに未来が読めている。
いついつに誰々がケンカする、といった普通なら予想しえない未来も伝えてくるのだ。
この力は大きい。
俺は未来の自分からの指示に従って努力をしつつ、すこしずつ学院で目立つようになっていった。さすが自分自身なだけあって、修行法をよくわかっている。
半年ほど経って、学年が1つ上がる頃には目に見えて強くなっていた。
――これは予知ではなく、予測だが。
――今日辺り、やっかみに注意したまえ。
「魔法の成績はよくなったけど、男爵家だしなぁ」
生意気に思われるのは、警戒してた。
――では、幸運を。
スパダリ教本の真っ白な紙面に、そう書かれた直後。
「ちょっといいか」
授業が全て終わった昼下がり、俺は侯爵令息に呼び止められた。
令息は長い前髪をかき上げて、俺を武闘場に呼び出す。
アルテイシアさんの取り巻きだとすぐにわかった。
トラブルを避けるため有力そうな子息の顔を覚えておくのは、学園生活の鉄則である。
「使え」
そう言って放り投げられたのは、木剣だ。
「っと」
あわてて受け止めた時、令息が踏み込んでくる。
「最近、調子にのってるな? 下位貴族のくせに!」
俺は、かろうじて高位貴族の木剣を受け止めていた。
令息の魔力を、解析する。スパダリ教本――いつ見ても未来の俺のセンスを疑うタイトルだ――で教わったとおり、俺には『魔法を分析する』という才能があったらしい。
「身体強化の魔法。速度、力、頑強さ、3種類を2回ずつか」
俺も同じものを使っているが、効果は相手の方がダントツに高い。魔力の量はあちらの方が多いのだ。
なら――
「ちょっと、借りるぞ」
相手の魔法を解析。魔力を送って、ちょっと効果を弄る。
すると相手に宿っていた身体強化の光が、俺の体に宿った。
「な、なに――!」
「すまんね」
俺は力任せに、令息の木剣を跳ね上げた。
魔法を解析して、効果の一部を書き換える――これは未来の俺が、真っ先に教えてくれたものだった。本人は開発に10年近くかかったようだが、もともと俺の魔法ということもあり、無理矢理半年で習得した。
令息が歯を食いしばる。
「もう一度――!」
「何をしている」
氷のような声で、武闘場が一気に冷えた。
公爵令嬢アルテイシアが歩いてくる。同じ制服に身を包んでいるというのに、令息とは威厳が段違いだった。
……この人と並んでたって、未来の俺はどれだけ凄かったんだ?
「学生同士で決闘か?」
「これは」
「いや、すまない。やり過ぎた」
俺は令息に手を差し出した。相手は顔を歪めて手を払ったが、貴族の意地か、優雅な一礼だけはして立ち去った。
俺もさっさと退散しよう。じゃないと、必要以上に意識してしまいそうだ。
「お見苦しいところを、アルテイシア様」
「アルテイシアでいい――苦労をかけたようだな」
アルテイシア……さんは、だいたいの状況を察したらしい。
俺は頭をかいた。
「いい練習になりましたよ」
「ふむ……」
アルテイシアさんは、じっと俺を見た。
「妙にいい顔になったな」
「え」
「いや、なんでもない」
首を振り、肩をすくめる。今、笑ったよな……?
「今年も、夏期休暇前に武術の試験がある。今年は少し楽しみが増えたな」
◆
俺と、スパダリ教本――つまり未来の俺は、少しずつ力を高めていった。
魔法を分析する力は、気づきさえすれば本当に有用だった。
他の人の魔法を解析して、長所を自分に取り入れたり。
逆に相手の魔法を分析して、改善点を教えたり。もちろん、こちらは求めに応じてだが。
この才能に気づいていたら、今までの努力だってもっと効率的にできただろう。
「もっと早く知っていればな」
――人の能力なんて、そんなものだ。
――ちょっとした縁で大きく結果が変わったりする。
「そんなものかな」
だからこそ、歴史の改編は俺とアルテイシアさんの出会いにまつわるものだったのかもしれない。
魔法への分析力は次第に人の知るところとなり、アルテイシアさんと話す機会も増えた。
――歴史が変わった原因もわかったな。
「ああ。7才の前に、アルテイシアさんが魔物に襲われていたとはね」
過去を改変するにあたって、魔王もやはり『俺とアルテイシア』のどちらかを殺すことを考えていたらしい。
5才のアルテイシアは魔物に襲われたが、結果的に彼女は天賦の才で切り抜けている。おかげで力をつけた彼女は、俺と共闘するはずだった7才、独力で無双。
生まれるはずだった俺と彼女の縁は、そこで一度潰えた。
スパダリ教本がなければ、危うかっただろう。
彼女を葬ることに失敗したとはいえ、確かに運命は変えられていたのだ。
――歴史の改編は、魔物がいるところでばかり起こっている。
――魔王の歴史改変は、魔物を媒介にしたものらしいな。
「ありがとう。世話になったよ」
――よせ。結局は血筋や才能がものをいうが、魔法においては努力も大事だ。
――君はそれをやってきたから、基礎があったから、今からでもなんとかスパダリになれそうだぞ。
俺は苦笑した。
だがスパダリ教本を見て、胸が締め付けられる。
俺に未来を伝え、鍛錬方法を教えた先輩は、だんだんとページ数が薄くなっていた。
――いつまでも僕は君と一緒にはいられない。
――歴史を元通りにするという、『時間の修正力』によって僕はこの時代にいる。
――君がスパダリになり、アルテイシアさんの心を射止めれば、歴史は元通りだ。
そうなれば、スパダリ教本は消える。お別れだ。
「なぁ、そうなると、俺やあなたはどうなるんだ?」
――僕か? 今までどおりの日常に戻るだけさ。
――ただちょっと、過去を変えた反動はあるけどね。
――具体的に言うと、君が生きてきた時代が、僕らの未来と完全に繋がることで、多くの人の記憶が少しだけ混乱するかも知れない。
あ、そうか。
俺が7才の頃から努力していた世界と、学院に入ってから努力した世界では、少し起きるイベントが異なるのだろう。
世界に影響を及ぼす、アルテイシアさんとの結婚という大イベントは同じなだけで。
「……今更だけど、男爵令息と公爵令嬢が、魔法の腕前だけで婚約できるものかな」
――彼女の家は、魔法の実力を何よりも重視している。
――下位貴族に魔法の天才が誕生して、寝首をかかれることを畏れているんだ。
――抱き込みたくなるほどの才と力を見せつけるんだ。
ちなみに、本来の歴史でも実際に結婚するのは20代の半ばらしい。
令息、令嬢の結婚としてはかなり遅めだ。苦労が忍ばれるな……。
――がんばれ。
――それでも、彼女の心を動かさなければ、どうにもならない。
――そしてそれができるのは、君だけだ。
「……うん!」
俺は武闘大会が行われる広場へ向かう。
2年生からは魔法の技量が上がるため、実力者は本物の魔物と戦わせられる。俺も、魔物と相対される組みに入れられていた。
戦いは、何重にも魔法陣が組まれた中で行われる。
広大な空き地にドーム状の魔法がいくつも展開され、その内側に魔物達が入っているのだ。
魔物が外に出ないための檻の役割で、生徒達は陣の内側で魔物と戦う。
「お前も来たか」
以前、俺に絡んできた令息も、じろっと俺を睨みつける。
あれ以来、高位貴族の間でちょっと俺の評価も上がっていた。
このあたり、壁のシミの方が楽だったかもしれん……。
未来の俺から、呼ばれた気がした。
俺は、スパダリ教本を取り出し、開く。時空を操っているだけあって、スパダリ教本はどこからともなく、『出てこい』と念じたら出てくる特別仕様だ。
そのうちこの原理も解析したい。
未来の俺もちょっとは安心して未来へ帰れるだろう。
――気をつけろ!
真っ白いページに、いっぱいの警告。
――時空への干渉を感じる。
――予想通り、魔王は、魔物を通じて歴史に干渉しているらしい。
魔方陣が作る結界の中で、集められていた魔物が吠えた。黒いオーラをまとい、凶暴化した彼らは結界の内側で暴れ回る。
――これまでで最大の干渉だな。
「なんだ」
眉をひそめるアルテイシアさん。
見物の生徒達があわてて逃げていく。結界に突進する魔物達は、魔力のドームにヒビを入れ始めた。
「アレン」
アルテイシアさんが言った。
「君は先に逃げろ。この魔物達は、どこからかかなりの強化を受けている。このままでは、学院だけではなく外にも被害が出る」
――確かに、危険だ。君とはいえ、今の実力では……。
未来の俺の助言が見えたが、俺はぐっと口を結ぶ。
ぱたんと本を閉じた。
「いや、一緒に戦うよ。あの時とは、同じじゃない」
まだスパダリ――スーパーなダーリンとはいえないかもしれない。
だが勇気を出せば、こんな俺でもダーリンではいられるかもしれない。
アルテイシアさんが言った。
「では、ここに英雄が二人いるな」
「え」
「わたしと君だ」
特に巨大な一体が、結界を破って外へ出る。
アルテイシアさんが叫んでいた。
「先生方は、結界内でまだ戦っている生徒の救護を!」
互いに剣を持ち、身体強化をしつつ、武器に魔力をまとわせる。
見上げるのは、薄く炎をまとった巨大な魔物。魔法陣の中では馬ほどの大きさだったのに、今は二階建てほどの高さがある。
「奇妙だな。単なるオークが、ベヒモスに変質するとは」
「魔物の中には、短時間で高位種に進化するものもいるそうです。こんな学院のど真ん中でなんて、聞いたことはありませんが」
魔神とさえ思えるような、凶悪な形相。こいつが魔王だといわれても納得してしまいそうだ。
いや、裏で魔王が魔力とか送ってるんだろうけど。
「アルテイシアさん、魔物達の弱点は額だ。そこに、魔力が集まってる」
「では、そこを狙う。援護は」
「もちろん!」
左手で抱えていたスパダリ教本が、薄くなり、消えていく。
力はまだまだだが――ありがとう、後は俺がなんとかしよう。
「アルテイシアさん。この戦いが終わったら、伝えたいことがあります」
まっすぐに見つけて告げると、アルテイシアさんは微笑んだ。
「いいだろう。恩人だものな」
「え?」
「覚えているか? 7才の時、君は私よりも先に前に出て、傷を負った。おかげで私も覚悟が決まったのだ。強くなる、覚悟が――」
……ああ、そういえば。
7才の時、役立たずだった理由は、真っ先に傷を負ったからだ。
あれでアルテイシアさんに迷惑をかけたと思っていたが、向こうは『庇ってくれた』と思ったらしい。
「はは」
「どうした?」
「アルテイシアさん、運命って信じますか?」
「どうした突然」
俺は微笑んだ。
「生き残ったら、教えてあげます」
魔物――それも、おそらく魔王が時空を越える魔法で異常強化した魔物達。ベヒモスと呼ばれる一体で軍勢を相手にできる魔物を、解析し、弱点を看破し、時に相手の魔力を利用する。
そして、俺の剣が敵の額を貫いた。
この一件で、俺の魔法は大勢に認められた。
スパダリになれたかはわからないが――大事な人の、大事な人になれたのだ。今はそれでよしとしよう。