急がば回れ 逃げるが勝ち
戦艦アマテラスは、かつて来た航路を蛇行しながらゆっくり戻っていた。アキラの能力を使えば、一気に引き離すことができる。しかし艦橋メンバーはその選択肢を選ばなかった。
相手をなるべく長く遠くへ移動させる。移動距離はそのまま敵の負担となる。こちらの資源は潤沢ではないが、困窮しているわけでもない。持久戦を仕掛ける選択ができる程度には、ため込んでいた。
ただ逃げているだけではない。時間を使って、アマテラスの整備も行っていた。とある星系、小惑星の影に隠れた巨大戦艦はメイン推進器の起動試験を試みていた。
『メイン推進器起動試験、実行まで残り五分。関係者は最終チェック報告を上げてください。繰り返します……』
艦内に響き渡るカメリアのアナウンスを、パワードスーツに身を包んだバリーはぼんやりと聞いていた。いつものごとく、事故発生時の対応係として呼び出されたのだ。バリーの隣には、同じくスーツ姿のカイトがいた。彼の仕事も同じである。
彼らの背には、一抱えもある消火器が装備されていた。電子機器に対応する、消火ガスが詰め込まれている。
「しっかしまあ、このくらいの戦艦ともなると、推進器もでっけえな。ふつーに、高層ビルくらいあるんじゃね?」
「横向きだからいまいちわからないけど、たぶんそんなんじゃないですかねえ」
本職ではない二人には、アマテラスに搭載された推進器の凄さが分からない。素人感想で、デカいというのが限界だった。
「デカいで思い出しましたけど、この間ガラスさんがボヤいてましたよ。スラスターのメンテに行ったときの事」
「おう、なんだって?」
「コルベット艦のメイン推進器に使えそうなのがずらずら並んでたんですって」
「うっへぇ……まあこんなでっかい戦艦だもんな、そうなるか。そんなのが艦体のあっちこっちに付いてるとか。メンテ間に合わねぇぞ」
「全部は無理でしょうねえ。カメリアが言うには、方向転換が可能になるのを目標にして作業を進めるらしいですよ」
「引くのも戻るのも曲がるのも、アキラ様任せだからなあ。ご負担が減れば万々歳だな」
事故が起きてからが彼らの仕事が始まる。実験開始まで、二人は情報交換を兼ねた雑談を続けた。
『メイン推進器点火まで、のこり5、4、3、2、1、イグニッション』
頂点種から供給されたエネルギーが、推進器を駆動させる。巨大な戦艦を動かす、塔のごとき機械が目を覚ます。携わる多くの者が、それに達成感と感動を覚えた。……が、それもわずかな間だけだった。
推進器のあちこちから、微細な振動が検知され始めた。状態を示す色が緑から黄色、そして赤へと次々と変化していく。そして、爆発音。
『推進器停止。実験中止。各員は状況に対応してください』
「カイト、お前は左。俺は右いってくるわ」
「うっす」
パワードスーツを起動させ、二人は目標へ向けて矢のように移動する。バランサーのおかげで、大荷物を背に抱えていてもその走りは危なげない。カメリアの誘導に従い、すぐに出火元にたどり着く。
燃え上がるメンテナンスハッチを蹴り開けて、消火ガスを吹きかける。炎の熱も、有毒な煙もパワードスーツには効果なし。積極的に消火活動を進められる。
「……ただの高校生だった俺が、気が付けばこういう作業を覚えている。適応するってこういう事なんだなあ」
そのような感想を覚えているうちに、炎は消し止められた。作業ドローンがやって来たので、この場を任せて次へと移動する。
カイトたちは現在の状況を問題であると捉えていなかった。推進器そのものが破損しなければ大丈夫。劣化した周辺のケーブルが火を噴くなどというのは想定済みだった。悪い所は直せばいい。本番で火事にならないだけマシであるとすら考えていた。
さらに二か所を消火させ、近場で燃える最後の地点に向かうと先客がいた。
「おや、カイト。助太刀感謝する」
いつもの機能性重視のスーツに身を包んだスイランだった。彼女もまた、消火器を背負っている。彼女のスーツにはこういった重量物を据え付けるハードポイントがない。なので身体中にベルトを巻いて固定していた。
それでなくても目のやり場に困るスーツだというのに、ベルトによっていろいろと強調されているように思える。カイトは己がヘルメットをかぶっていてよかったと思った。が、それが意味のない事であることを思い出した。
スイランの種族、ライズについてはそれなりに教えられているのだ。アキラのように、心が読めるのだと。
「カイトは紳士だな。それほど気にしなくてもよいのに」
早速見抜かれたが、アキラでさんざん慣れている。わずかに頭を振ってから、消火活動を開始した。他で時間を取られたために、この場の火勢は強い。しかし他の現場から人が駆け付けるという連絡も来ている。大惨事は避けられるだろうとカイトは考えた。
「気にするなって言われてもその……まあ、デリカシーとか、エチケットとかありますし」
「とはいえ、生物は三大欲求に抗えぬもの。沸き上がるのは致し方がない」
「獣じゃないんですから。そればかりじゃダメでしょう」
「ふふ。それは誰かから教えられたものか?」
「あー……思い出せないけど、そういうのもあったかもしれません。でもまあ、一番はやっぱりアキラと話すようになってからですかね」
話しながらも作業は進める。炎上部分は順調に範囲を狭めつつあった。
「なるほど。アキラ様は運が良い。最初の焦点がカイトであったのだから。……いや、多くの光輝宝珠が最初に出会う焦点は人格者が多い。そういった人物であるから、選ばれるのか」
過大な評価を受けたカイトは、彼女に向けて通信で困惑顔のアニメ絵を送り付けた。コメントは無しで。心が読めるのだから、これで察してくれという考えだった。
「謙遜しなくてもよいではないか。……それにしても、カイトはよく己を制御している。普通、心を読まれてそこまで平然としていられるものはいないぞ?」
「平気ってわけじゃないですよ。助平心を読まれれば恥ずかしいし、いたたまれなくもなる。ごめんなさいって気持ちも。でもまあ、アキラで慣れたので。そちらこそ、いやらしい視線を向けられて気分が悪いんじゃ?」
「それこそ、慣れているからな。この程度を耐えられぬようでは、我々は宇宙で旅などできんのだ……お、増員だぞ」
スイランの言葉通り、追加の人員とドローンがやってきて消火活動に加わる。ほどなくして、この場も治まった。
その後は現場の片づけと物資の搬送。使えなくなったケーブル等はまとめて籠に放り込んでリサイクル行き。火災現場は清掃の後に復旧作業が開始される。ジョウの指揮の元、陸戦隊が力仕事を担当し仕事が進む。
「……こういう作業を嫌がる兵士もよくいるのに、ここの陸戦隊はまじめだな」
「何でもやらんと生き残れなかったものでな。なにより、一番偉い人が一番働いているのがこの艦だ。下っ端が怠けているなど許されん。個人的に俺も許さん」
「なるほど。もっともだ」
新入りと古参が、そんな雑談をしているのをカイトは耳にした。そしてふと思った。無事に文明圏に行けたら、兵士としての訓練を受けたいと。
「中々殊勝な心掛けだな」
「……読まれることに慣れたとは言いましたけど、平気じゃないんですよスイランさん」
「ふむ。ではその分は私のスケベ妄想でチャラにしておこう」
「大変申し訳ございませんでした」
それを言われたら頭を下げるしかないカイトだった。
「まあ、冗談はさておきだ。ジョウ戦隊長が我々火災対応組に休憩に入れと言ってたぞ。後は他の者の仕事だと」
「あ、そうなんですか。じゃあ、上がりますか」
カイトはツクヨミを駐車している方に足を向けようとして、一度止まる。そしてスイランに振り返る。
「スイランさん……」
「うむ。一緒に乗せてくれ」
「……話が早くてなによりです」
何ともやり辛いが、これも慣れるしかないな。そんな感想を抱き、これも読まれるんだろうなとため息をついた。スイランは何も言わなかったが。
カイトが彼女をバイクに誘ったのには訳がある。戦艦アマテラスは巨大である。現在カイトたちがいるのは後方の推進器区画。普段生活している中央区画までは約一キロほどの距離がある。
これほどの距離を移動するのに、通常であればトラムを使う。モノレールのような、船内移動装置。復旧されたこれは、現在乗員に使用されているのだが完ぺきではない。
安全を考慮して移動速度を遅くしている為、待ち時間がそれなりに長いのだ。加えて、使用者もそこそこ多い。うっかり満員の車両に入ってしまったら、乗り合わせた者達が辛い思いをすることになるのだ。
ツクヨミの乗車位置まで来て、サイドカーを作るように指示を出そうとして思い直す。ここまで通ってきた通路は、完全に整備されているとは言い難い場所がいくつかあった。床のパネルが剥がされたまま放置されていたり、荷物が置かれたままな所などが。
そんな場所を、サイドカー付きで移動するのは難しい。暴乱細胞のでたらめぶりを発揮させれば不可能ではないだろうが、たかが移動ごときでそれをするはどうなのだとカイトは悩む。何より面倒だった。
若干のためらいを覚えつつも、二人乗り用のシートを作った。カイトがツクヨミに跨ると、彼女もまた軽やかに乗り込んだ。
「まったく。誰も彼もがカイトのように紳士であったなら我らも生きやすいのだがな」
「勘弁してくださいよ……」
「しかし、いささか気後れしすぎではないか? 互いにスーツを着ているのだから、こうやって密着しても何も伝わらないだろう?」
スイランは笑いながら、カイトの腰に手を回して体重を預けてくる。彼女の言う通り、スーツ越しでは何も感じない。ほっとした感情と残念が胸でまじりあう。そしてまた、ため息をついた。
「うむ。あまりいじめるものではないな。気遣いありがとうと言っておこう」
「どういたしまして。それじゃあ出発しますよ」
ツクヨミのモーターが目を覚ます。大きく威圧的な外見に似合わず静かに、緩やかにマシンは動き出す。同乗者がいるのだから、カイトは安全運転を心がける。そもそも人がいるかもしれない通路を進むのだ。速度を出すわけにはいかない。
しばらくはまっすぐな道が続いたが、やがて正面に暗闇が見える。ナビゲーションも路線変更を指示してきたので、カイトはそちらに従った。
「……この先に、なにかあるのか?」
先ほどとは違う、気を引き締めた声に運転手は答える。
「封鎖区画ですよ。アキラが、暴乱城塞と戦った事は知ってますよね? その時にぶち抜かれた大穴があるんですって。今は硬化薬剤でまとめて固めてあるんだとか」
「なるほど。だから、か。これと似たような気配を感じる理由は」
スイランが、ツクヨミのボディを叩く。
「カメリア曰く、当時暴乱城塞が送り込んできた細胞がまだ残ってるって話です。で、それは戦闘兵器として送り込まれてきたから、危なくて今はまだ開けられないんですって」
「で、あろうな。いるぞ、眠っている」
「開けるのは、光輝同盟に戻ってからになるでしょうね」
道を変えれば、封鎖区画は見えなくなる。そのまま一度話題が途切れた。ツクヨミは静かに道を進む。やがて唐突に、スイランが語り出した。
「我らライズの故郷は秘匿されている。頂点種の力を求めるものは宇宙に多い。その秘密の一端に迫れるのであれば、我らの権利も命も考慮しないという輩は星の数ほどいる」
気になっている話だったので、カイトは耳を傾ける。
「なので我らは、宇宙を旅する者に一定の技量を求める。確実に荒事に巻き込まれるのだから、それらを払える能力は必須。……が、何事も技量だけで片付けば苦労はない。ちょっとした事故でラヴェジャーに捕まって好き勝手改造される不幸な者も稀にいる」
「不幸にも」
「そう、不幸にも、だ。まあ、その後幸運にも頂点種様にお助けいただくことになるのだから人生分からぬもの」
「それはまあ、本当に。……しかし、それだけ危険なのに、何で宇宙に出てくるんです? 故郷の方が安全では?」
低速でツクヨミを走らせながら、カイトは尋ねた。変わらずその背に身を預けたまま、スイランは答える。
「理由は色々ある。まず切実な話として、経済だ。故郷は秘匿されているが故に、外の物資を得る手段が非常に限られている。優れた医療などは、やはり外のそれに頼るしかない」
「ああ……分かります」
「そんなわけで、出稼ぎが必要になる。傭兵として外貨を稼ぎ、連絡員に渡す。故郷に育てられた身だ。そこに貢献するのは当然のこと」
故郷のために。その言葉はカイトに地球の話を思い出させた。滅ぼされ、無残な姿にされた己の故郷。激情がうねりを上げて浮かび上がりそうになったが、スイランがそれを止める。回された手で軽く叩かれた。
「それに関して私が言えることはないが、運転はしっかりしてくれよ?」
「……すみません」
「いや、軽率だった。さて、次の理由を語ろう。これも理由は最初のそれと同じなのだが、情報収集を兼ねているのだ。閉鎖的な場所なのでな。外に出る者がいないと宇宙の情勢がさっぱりなのだ」
「それはまあ、そうでしょうねえ」
「だろう? 故郷の残念な輩は『外の事など気にせずずっとここにいればいい』などと寝言をほざく者もいた。まったく、想像力が足りていない。企業の進出、国家の領土拡張、海賊の跳梁跋扈、ラヴェジャーの略奪、そして頂点種。脅威がどこにあるのかわからずして、どうして対応が取れようか」
これもまた、耳の痛い話だった。もっと宇宙の事柄に関心を寄せていれば、地球の運命は変わったのではないか。せめてラヴェジャー以外と接触できていれば。流石にもう感情が暴れることはなかったが、苦い思いは止められなかった。
それを感じ取ったスイランは、ことさら明るく最後の理由を語り出す。
「とまあ、真面目に語ったが最後の理由が一番大きい。我々が宇宙に出る本当の理由。それは好奇心と修行の為だ」
「……好奇心と、修行?」
「うむ。閉鎖的で娯楽の少ない故郷から飛び出たいと思う若人は多々いる。私もまたその一人。なので必死で技を身につけた。我らの異能は心を読むだけにあらず。多くを学び、頂点種に一歩でも近づくのがライズの本懐」
「ああ、アキラもいろいろできますもんね。空間跳躍とか、念動力」
スイランは、深くため息をつく。そして情念を込めて言葉を続けた。
「……わずかでも異能に触れている身からするとな? アマテラスのような巨大戦艦を動かすというのはとんでもない事なのだ。ましてや、星と星ほどの距離を一瞬で跳躍するなどと、一体どうすれば……全くわからぬ。頂がどこにあるのか見当すらつかぬ」
懊悩の頭痛を頭を振って耐える。ヘルメットが背中に押し付けられて何とも言えぬ気分になるカイトだった。
「しかしながら、険しい上り坂だが道は確かにある。であれば、足を止める理由はない。我らは遠い祖先の代より、長く長くそれを求めて歩いてきたのだ。昇るのに、躊躇いはない」
「眩暈はあるようですが」
「茶化すな」
背に頭突きをもらった。スーツ越しなので、これも大した衝撃は無かった。しばらく無言で、通路を進む。再びスイランが口を開いたのは、中央区画までもう少しというあたりまで来た時だった。
「まあ、ともかくだ。カイトのような者がいてくれてうれしいというのは本当だ。嫌悪もなく、敵意もないというのは気が楽になる」
「それはなによりで。まあ、全部アキラのおかげですが」
「謙遜が過ぎる答えだな、それは。……まあ、長い付き合いになるだろう。互いにアキラ様にお仕えする身だからな」
「仕える……? いや、でもそうか。アキラは雇用者か。しかもトップだ。ダメじゃん俺。社長にタメ口とか」
「別に私、気にしないけど」
いないはずなのに、声が聞こえた。隣を見れば、アキラがいた。低速ではあるが、ツクヨミは普通に走っている。カイトは驚きでコントロールを損ないそうになった。すぐさま、システムが自動でバランスを取ってくれたが。
「うわ、わっ!? い、いきなり出てくるなよ!」
「あ。驚かせちゃった? ごめんね」
ふわりと、幽霊のように飛びながら並走するアキラ。彼女が立体映像だから出来る芸当だった。
(……実体を持っても、似たような事しそうだな。超能力で)
「できるよ?」
「だから、二人とも気楽に人の心を読まんで貰いたい」
「これはアキラ様。カイトの背を借りております」
「うん、仲良くなれてよかった」
「なんでアキラに断りを入れるの……いや、もういい」
カイトは何度目かのため息をついた。慣れだ。慣れていくしかないんだと諦めた。そうして、一行は中央区画に到着した。ヒトのざわめきが聞こえ始める。アキラの姿を見つけた幾人かが、会釈をする。
手を振ってそれに答えるアキラと共に、装備を管理している倉庫にたどり着いた。
「助かったし、有意義な時間だった。お互い本調子になったら、本格的な稽古を始めよう」
「いや、普通に模擬戦だけで十分……お互い?」
カイトは首をかしげる。身体の調子はいたって普通だ。定期的に受ける健康診断でも問題なしと言われている。その仕草を見て、スイランはただ微笑む。
「レリックとは頂点種の欠片。その身に宿したものが、ただ便利に変形するだけの道具でないことがそのうち分かる。まあ、詳しい話はこの騒動が終わった後にしよう。ではな、お疲れ」
「あ、はい。お疲れさまでした」
魅力的な背中を見せながら、女戦士は倉庫へ向かう。それを見送ってから、隣に浮いている頂点種に質問する。
「なあ、アキラ。スイランさんの話、分かる?」
話を振られた少女は、珍しく口をへの字にしていた。
「う~~~ん……。そう、なの? そうなっちゃうの? でも、どちらかといえば珍しい類だって聞くけど。でも、ううん」
「おーい、もしもし? 艦長様?」
目の前で手をひらひらさせるが、答えない。しばらく唸ったアキラは、何かしらの結論を出すとはっきりと言い放った。
「細かい事は、光輝同盟についたあとで!」
「……それで大丈夫なんだな?」
「うん。どうせ今はどうしようもないから」
「くっそ不安になるが……まあ、アキラがそういうなら」
本当に不味い話だったら、アキラだけでなくカメリアも口を出してくるだろう。そう考えて、カイトはこの話を終えることにした。二人への信頼だった。
「じゃあ、俺シャワー浴びに行くけど……」
「あ、ごめん。その前にちょっとお願いがあるの」
「ん? なんだ?」
「フィオレちゃんのこと。ちょっと一緒に来てもらえる?」




