4話
「じゃあ、私は塾があるから。勉強はしておくのよ」
解くべきテキストを指示した後、失礼するわと言い薊は秘密基地を後にした。
テーブルへ置かれた大量のテキストを見て、辟易しながらその中の一冊を手に取った。やると言った以上、今更投げ出すのも格好が悪い。
「…これ小学生用のドリルじゃねえか」
ひらがなで『さんすう』と書かれたドリルを睨みつけた。
「どうせやらないと文句言われるんだろうな」
手に取ったドリルを開き、ペンを持ってきていない事に気がついた。
「………コンビニ行くか」
明日にしようかと思ったが、言葉を絞り出した。
財布を取り出し、コンビニへ向かう準備をしていると、ソファに置かれた細長い箱に気がついた。
“頑張りなさい、木葉” とえらく達筆で書かれた付箋が貼られた箱を開くと、一本の金属製のボールペンが入っていた。
「ボールペンじゃ消せねえじゃん…」
俺は文句を言いながらも、ペンを手に取った。
⭐︎
2時間ほど勉強を続けた俺は、バイトの時間が迫っていることに気づき、店へと向かった。
挨拶をしながら『ラウンジK』に出勤すると、久美さんの姿はなくスーツを着たオーナーの永ひさしさんが、カウンターに立っていた。首のタトゥーがチャームポイントの37歳である。
「オーナー、久美さん同伴っすか?」
「おう、今日は10時には来る。それまでは客も少ないと思うから、裏で宿題でもしとけ」
夫婦揃って、いつも似たような事を言う。
バックヤードに入ると、俺はいつもとは違い鞄からテキストを取り出した。
『木葉。案内所から一組だ、出てこい』
10分ほどテキストと睨めっこしているとインカムでオーナーから声が掛かった。
⭐︎
「お前、卒業したらどうするんだ?もう中3だろ?」
客が全て掃けた店内の片付けをしていると、オーナーに話しかけられた。
「まあ、一応高校は受けるつもりっす」
「…!…そうか」
オーナーは少し驚いたような顔をしながら言葉を続けた。
「お前は、もっと青春を楽しんだほうが良いな」
「進学だけが青春ってわけでもないでしょ」
「そうだとしても、お前にはまだもっとまともな道があるはずだ」
「えー!木葉ちゃん高校行くの!どこどこー?」
酔った久美さんも会話を聞いていたのか話に入ってくる。
「受けるだけっすけど、南守…」
「南森って、めーちゃ頭いいところでしょ!?」
「…無謀だな」
夫婦揃って驚いた顔をしながら、言葉を続けた。
「困難に立ち向かうって青春っぽいねー!頑張れよー少年!私にもそんな頃があったなー。……あったかな?」
「…落ちても、うちのグループで雇ってやる。やるだけやってみろ」
「受けるだけっすからね」
受験をすると言っただけで、この人達は応援してくれる。高校になど行くつもりはなかったが、こうまで喜ばれると裏切ってはいけないような気がした。