23
フィオレンサの願いを聞いてからおよそ二週間の間、アードルフは仕事が終わってから頻繁にシュミット邸を訪れるようになった。
滞在時間は一時間もないことが多い。目的はあくまで魔力操作を習得するためのものだからだ。
仕事終わりに訪れ、ミレイラの部屋で二人きりになって魔力操作の練習をする。それは愛する女性と対峙するアードルフからすれば、ある意味では残酷な、しかし至福なひと時でもあった。
「これだけ安定して魔力を操作出来るなら、もう練習する必要もなさそうですね」
そう言って嬉しそうに笑うミレイラは、しかし繋がれた感情から寂しさを伝える。こうして一緒に過ごす日が増えたことを、彼女自身も嬉しく思っていたことが分かり、それもまたアードルフの心を揺さぶる。
「あまり俺を喜ばせないでくれ」
「こんなに早く身に付けられるのは凄いことですよ?」
「そちらの意味ではない。離れがたいと思っているのは俺も同じだ」
その言葉から、この短い逢瀬が終わることに寂しく感じた事を言われたのだと気付いたミレイラは、恥ずかしそうに目を背けて頬を染めた。
「ミラ、この状況でその顔は駄目だ」
「……そんなこと言われても」
「あまり可愛い顔をされると、自制出来なくなる」
頬に手を添えてその柔らかな唇を親指で撫でながら、澄んだエメラルドの瞳を覗き込む。劣情の浮かんだ瞳に気付いたのか、ミレイラは顔を真っ赤にして硬直する。
「このカーペットなら、ミリィの体を横たえても痛くなさそうだな」
「……っ!ア、アル……それは駄目です」
「誘ったのはミリィなのに?」
「さ、誘ってなどいませんっ」
慌てて繋がれたもう一方の手を離そうとするミレイラを強く抱き寄せ、柔らかいミルクティー色の髪に隠れた耳元に、熱い吐息と共に愛称を囁き掛ける。
「ミリィは、甘い匂いがする」
「んんっ」
くすぐったいのか、色っぽい声が漏れだす。頭の片隅でこれはマズいなと感じながら、それでも抱き寄せた柔らかい体を離すことは難しい。
「アードルフ様……離して、下さい」
「……そこで愛称は呼んでくれないのか」
「アードルフ様が、誘うなんて言うから……駄目です」
ささやか過ぎる反抗は、逆にアードルフの加虐心を煽るのだが。そんなこと夢にも思うまい。膨れ上がる劣情を深く長い溜息と共に吐き出し、ようやくミレイラの体を引き剝がす。
「これ以上いると押し倒しかねないから、今日はもう帰る」
「…………はぃ」
顔を両手で覆いながら大仰に頷くミレイラに、アーノルドは思わず笑い声が零れてしまった。
✻✻✻✻✻
アードルフが魔力の操作を習得した翌日、ミレイラは昨日のことを思い出しては顔を赤く染めていた。
(アルは本当に……私のことを好いてくれている)
耳元に触れる熱い吐息や愛称を囁いたその声には、確かな熱と欲を孕んでいた。婚姻前と言うことで何とか抑えてもらったが、自分をそういう対象として見てくれていることを痛感し、それを嬉しく思ってしまった。
(アルはきっと、私を受け入れてくれる……)
それは信頼できる。だからこそあとは自分次第なのだ。
――話しておかなければならない。
いずれ彼は、ミレイラ本人にすらどうすることも出来ない、あの夢に関わる問題に直面するだろうから。
(知られたくない……でも、知って欲しい)
不安定になる心は、最近の曇り空にも多少影響されているだろう。
この国は毎年、この時期になると天候が不安定になる。大きな嵐は数年に一度しか起こらないが、ミレイラは嵐が一番嫌いだった。暴風雨が建物を叩きつける音は、心の仄暗い部分を刺激し、よくないものを呼び起こす。
その時、ミレイラの身に起きるアレを、アードルフにはまだ話せていない。
(次に来るのは、きっとユリウス様の件が片付いてから)
その時には、その話が出来るだろうか。
アードルフはミレイラが何かを話そうとしていることに気付いているが、本人の感情が前向きでないことを鑑みて、追及しないようにしているらしい。
(アルは……引かないかしら)
エルネストには随分迷惑を掛けてしまったそれを、アードルフにも願わなくてはならない。その時の自分はきっと彼の傍から離れられなくなる。
おそらく、今ではエルネストにも宥めきれないかもしれない。
他ならぬミレイラ自身が、アードルフを求めてしまったから。
それでも、もしアードルフがそれすらも受け入れてくれるのなら。
(私は、幸せになってもいいのかしら)
あの子ではなくとも。
✻✻✻✻✻
無事にミレイラから教わった魔力操作が安定してから一週間後、アードルフはウィルフレッドと共にロージェル公爵家を訪れていた。
早期に面会できるよう掛け合っていたこともあり、想定よりは早めにその機会がやってきた。
生憎と天気は芳しくないが、今日の来訪に影響を及ぼすほどではなく、予定通りの時間に公爵家へと到着した。
「王太子殿下、この度はわざわざお越し頂き、誠にありがとうございます」
「構わないよ、他ならぬフィオレンサの頼みだからね」
既にフィオレンサにはアードルフの特異体質については説明している。
魔法を無効化出来ると話したことで、何故アードルフが手刀でユリウスを気絶させた際に魔法が暴発しなかったのか、ようやく納得する事が出来たと満足そうだった。
アードルフの体質についてはフィオレンサの口から公爵へは伝えてはおらず、話すか否かはウィルフレッドに任せると言われていた。アードルフとも話した結果、必要以上に話すことは無いだろうと言うことになった。
そうしてロージェル公爵との挨拶を済ませると、ウィルフレッドと今日のことについて話し合う。
「ユリウス殿の魔力暴走について、解決する術を持っているのはアードルフだ。彼がこれから行うであろう行為と、その発言全てを秘匿すること。それを確約して頂けなければ、今回の来訪は婚約者との逢瀬で終わってしまうけれど」
公爵の判断でどちらにも転ぶと伝えると、彼は真剣な様子で頷いて見せる。
「元より息子の件を秘匿して頂いている身、王太子殿下のご意向通りに」
かくしてアードルフは主君の命を受けて、ユリウスの魔力暴走の対処に当たることとなった。
「実際手ごたえとしてはどうなんだ?」
「問題ないと思っている。後はユリウス殿がどれくらい自身の魔力を感じ取っているかだな」
暴走するほどの魔力を保有しているのだから、おそらく感じたこと自体はあるだろう。問題はそれをどの程度意識して感じられるかということ。魔力が自身の体内を循環する感覚は、アードルフも最初は中々掴みづらかったのだ。
ミレイラにやり方を聞く前に試したこともあった。魔力を感じると言ったミレイラの言葉を信じ、自分の感じ得る魔力に意識を傾けたが、やはりそれが循環しているかと聞かれると疑問が残った。
(ミラから及第点は貰ったが、未だに他者の魔力を感じたことはない)
ミレイラの習得した他者の魔力をも感知する能力は、そう簡単に他者が真似できるような代物ではない。自分に出来るのは、あくまで魔力がどういうものかを知覚させるのが関の山だ。
そして、二人はユリウスの私室へと案内された。
「アードルフ、準備はよろしいですか」
フィオレンサが不安そうに、しかし希望を滲ませた瞳で見つめて来る。
「そういう顔はウィルフレッドにするんだな」
「……っ!そう……ですが」
不安を隠しきれないフィオレンサの肩を、ウィルフレッドが優しく撫でる。
「大丈夫、アードルフは優秀だよ」
「……はい、よろしくお願いします」
「開けてくれ」
そうして、ユリウスに一言声を掛けてから、フィオレンサが扉を開いた。
「フィオ……姉様」
部屋の中で蹲るように膝を突いたユリウスは、苦し気にその視線を向けて来る。
「ユリウス!」
「フィオレンサ、入り口からこちらには入るな」
手短にそれだけ言うと、アードルフは真っ直ぐにユリウスの元へ歩み寄る。
「不躾ですまない。俺はアードルフ・エイルースと言う」
「アードルフ……様?ウィルフレッド様の、側近……の」
「無理しなくていい。今も魔力を抑えているんだな?」
その言葉を聞いた途端、ユリウスの体が明らかに跳ね、顔に緊張が浮かび上がる。
「だ……だめです。アードルフ様……危ないから」
「フィオレンサ、防御結界を」
アードルフの言葉に、フィオレンサはすぐさま魔法を発動する。
「無理に抑えるのはよくない。結界も張ってもらった。一度魔法を使ってしまえ」
「!??」
「心配しなくとも、誰も怪我はしない」
「で……でも!」
「いいから、発動しろ!」
わざと語尾を強くしてユリウスの神経を刺激すると、抑圧された魔力は一気に活性化して強力な風を生み出す。そして、フィオレンサと同じ風属性の魔法を暴発させる。
「それでいい」
その魔法をユリウスの体に触れると同時に自身の無効化の魔法で結界内を覆いつくし、一瞬で全てを打ち消して見せる。
「!?」
「何度見ても不思議だな」
「ユリウスの魔法が……」
膨れ上がった暴風となりかけた魔法は、小さな破裂音と共に消滅し、結果内には僅かなそよ風だけが残った。
「…………魔法が」
「一度暴発させてしまえば、暫くは落ち着くだろう」
唖然とするユリウスに前にしっかりと膝を突いて、目線を合わせる。
「驚いているところ悪いが、ユリウス殿」
「は……はい」
「君は自分の魔力を感じられるか?」
「感じる……けど。今も、体の中がざわついてて」
おそらく一度暴走したことで、ミレイラでいう所の体内の循環に良くない影響が出ているのだろう。ざわついてると言うことは、ある程度魔力が回復すれば再び暴走しうると言うことか。
「俺がここに来たのは、魔力暴走を抑える方法を教える為だ」
「……っ方法があるの!?」
余程追い詰められているのか、体を前のめりにしてアードルフに問い詰めて来る。
「ある。今からそれを教えるから、両手を出せ」
ミレイラに教えてもらった通りの手順で、ユリウスにも魔力を感じてもらうための工程を説明する。
「まずは俺の魔力を感じてもらう」
「アードルフ様の?」
「これから俺の魔力を、ユリウス殿の体を覆うように纏わせる。まずはその魔力の感覚を覚えてくれ」
差し出された手を取り、吸った空気をゆっくりと、精神を研ぎ澄ませながら吐き出していく。
「ユリウス殿も、感覚を研ぎ澄ませろ」
ユリウスは言葉に従い、目を閉じて集中し始める。それを確認してアードルフもまた瞳を閉じる。
ミレイラが心地良いと言ってくれた自分の魔力を、体内を循環するそれに意識を向ける。そしてその魔力で、少しずつユリウスの体を覆っていく。
「……っ」
「驚かなくていい。これは何の害も与えない」
「これが……魔力?」
「俺は何の属性も持たないから、これと似たようなものをユリウス殿も感じたことがあるはずだ」
それは確かに、ユリウスも感じた事のあるものだった。
しかし、今まで体の中で暴れ回るものが魔力だと思っていたユリウスは、体を覆ったその澄んだものが魔力だと言われて驚きを隠せない。
「魔力は……こんなに綺麗で、穏やかな気持ちになるものなの?」
ミレイラに言われた感想と似たようなことを言われ、自分の魔力はそう言うものなのかと不思議に思いながら頷いて見せる。
「ユリウス殿の言うざわついている状態は、正常ではない。暴走しがちな状態から鎮めてやらないと、解決とはいかないだろう」
「でも、どうしたら……」
少しだけ沈んだ声色になる。それだけ日常的にユリウスの魔力は安定していないのだろう。
「前提から考え直す必要がある」
「前提……?」
「魔力はただ蓄積するものではない。今感じている魔力は、ユリウス殿の体の中を流れているんだ」
その言葉を聞いたユリウスは、思わず目を開けてアードルフに視線を向ける。それを感覚的に感じ取ったアードルフもまた、それに応えるべく目蓋を上げる。
「魔力は体内を循環する。魔法はその循環する魔力が活性化することで生み出される」
「体の中を、流れているの?」
「そうだ。おそらく普段のユリウス殿の魔力は、安定することなく激しく暴れ回っているんだろう」
だからこそ活性化した魔力は簡単に魔法を暴発する。そして魔法を使うことで一度落ち着いても、再び同じ状況に陥ってしまう。
「今感じた魔力が自分の中にも流れていると、感じることは出来るか?」
「…………分かんない」
「焦らなくていい。魔力そのものの感覚は理解できたな?」
「うん。魔力がこんなに澄んで穏やかなものだとは、思ってなかった」
暴発する魔力を抑え続けたことしかなければ、無理もあるまい。それでも、一度この感覚を理解できれば、いずれは体内で正しく循環させることも可能だろう。
「……少しだけ」
「ん?」
「少しだけ……分かるかもしれない」
そう言うと、ユリウスはアードルフの右手を両手で掴み、瞳を閉じてゆっくりと集中していく。自分の中に感じたもので、おそらくそれに一番近いものはこれだと。
ぎこちないながらも、ユリウスから小さなそよ風のような魔力が握られた手を撫でる。
「こ……これ、だと思う」
感覚を掴むのが難しいのか、変に力が入ってしまっている。
「初めてでこれが出来るなら大したものだ」
「合ってる……?」
「ああ、ユリウス殿の属性を含んでいる。間違いなく君の魔力だ」
温かく肌を撫でるそれはすぐに消えたようで、もう感じ取ることは出来ない。
それでも、ユリウスの魔力操作の能力はかなり高いと見える。これならば後は自力で習得してしまうかもしれない。
「もう、迷惑を掛けないで済むかな……」
後ろにいるフィオレンサには聞こえないほどの微かな声で、小さな体が震えながら呟く。その幼い姿は、いつかのアーノルドと重なる。
「君がこれから努力すれば、いずれはそうなる」
「フィオ姉様に、あんな辛そうな顔をさせないで済む?」
「ユリウス殿が笑えるようになればな」
慰める側なんて柄じゃない。だが、ユリウスの姿は過去のアーノルドでもあり、そしてミレイラでもある。
誰でも他者に救いを求める。求めずにはいられないのだろう。
「俺もこの方法は人から学んだ。俺より魔力操作の優れた君なら、魔力暴発なんてもう起こさないだろう」
そう言って繋がれてない方の手で頭を撫でてやる。
顔を下に向け、わずかに嗚咽が聞こえ始める。思い詰めていたのなら泣き出すのも無理はないだろう。
だが、流石にこれ以上は荷が重い。
そう思って後ろを振り返ると、涙を堪えたフィオレンサと、後ろから慰めるウィルフレッドの姿があった。
さらにその後ろには、一部始終を見ていたロージェル公爵の姿もある。心なしか瞳が赤いのは気のせいと言うことにしておこう。
「フィオレンサ」
ユリウスを慰めるのはお前の役目だろう?
視線でそれを伝え、ここに来るように促す。するとウィルフレッドが背中を押し、その力を原動力としてフィオレンサがすぐ傍まで駆け寄ってくる。
「ユーリ!!」
ユリウスの前から立ち去ると同時に、フィオレンサが小さな体を抱き寄せる。
「……姉様」
「ユーリ……っ!」
少しだけ苦しそうにしながらも、ユリウスが姉に腕を回す。
「心配させて……お願いだから」
「……っ」
「これ以上苦しんでほしくないの……だから、お願いだからっ一人になろうとしないで」
お互いの気持ちは、お互いに気付いているだろう。だからこそそれが辛くて、悪い方向へ転がり落ちて行く。
だが、これを機にこの姉弟は変わるだろう。




