15
ミレイラとアードルフの婚約が無事に成立し、婚約者となってから二ヶ月ほどが経った。
その間に、色々なことが進められていった。
最初に行ったのは、エイルース公爵家への婚約報告だった。
シュミット家の方は、知らない間にアードルフと両親で直接話をしていたらしく、今更顔見せもないだろうと言う話になったのだ。
勿論婚約を承諾後、改めて二人で父に報告には行ったのだ。行ったのだが。
「今更殊勝を心掛けたところで囲い込みを許す気はない。さっさと公爵家にでも行ってこい」
そう言って、アードルフを素っ気なく追い払った。
珍しい父の態度にミレイラの方が動揺したのだが、追い払われたアードルフは意に介さなかったようで。
「ああ、気にしなくていい。自業自得だから」
まったく気にしてないと言わんばかりに笑顔でそう返されたので、それ以上言葉を続けることは出来なかった。
そんなこともあって、後日エイルース公爵家に挨拶に行こうと言う話になったのだが。
エイルース公爵は数年前から体調を崩しているらしく、現在は寝たきり状態で邸のごく一部の者としか話さないと言う。
「ミラどころか俺も会う事は出来ない。公爵に直接許しを請う事は無理だろうな」
説明してくれたアードルフの言葉は、まるで他人について伝え聞いたことを話すような口ぶりで、公爵との確執を如実に伝えてきた。
「今はアーノルドが公爵代理として仕事を賄っているから、挨拶するならあいつになる」
「アーノルド様は本邸にいらっしゃるのですよね?」
「ああ。ミラが来る旨は伝えているから、ちゃんと邸にいるはずだ」
そして初めて顔を合わせたアーノルドは、双子と言うだけあってアードルフと瓜二つだった。違うのは栗毛色の髪と、アクアマリンを連想するほどに淡く澄んだ空色の瞳ぐらいだろうか。
その姿を見て、寸前まで緊張で鼓動の激しかった心臓が少しだけ冷静さを取り戻した。
「初めましてだね、僕はアーノルド・エイルース。君の婚約者の双子の弟だよ。よろしくね」
「ミレイラ・シュミットと申します。こちらこそよろしくお願いします」
挨拶と共に笑顔を返されて、その笑顔がまたアードルフにそっくりだったので、ミレイラは思わず顔をほころばせてしまったのを覚えている。そうして挨拶を終えると、何故かその場でアードルフの腕がミレイラの腰に回されて、顔を寄せられた。
「ミラ、そんな可愛い顔俺以外に見せるな」
「あ……アードルフ様っ」
「愛称で呼ぶように言ってるはずだが?」
「い、今はそんなこと」
しっかり腰を抱かれている事実に加え、愛称呼びを要求されている現状に、羞恥心から硬直したのは無理もない話だと思う。
「うん、順調にアーディが執着してるみたいで何よりだよ」
笑顔をより深めたアーノルドにそんなことを言われたが、果たしてこの台詞はどう受け取ったらいいのだろうか。
「ミレイラ嬢、兄は今までどんなものにも執着することはなかったんだ。だから兄の望むことは、なるべくなら叶えて欲しいと思う」
「は……はい」
「と言うことだから、頑張って愛称呼びしようか」
「は………………え?」
何がアーノルドの琴線に触れたか知らないが、彼はとても楽しそうにミレイラに兄の愛称呼びを要求する。
「愛称呼びしたら、君をアーディの婚約者だって認めてあげる」
そんな交換条件、少ない人生経験ながら聞いたことがない。
「だそうだ、ミラ」
「な……っここで!?」
「認めて欲しくないなら後回しでもいいけど?」
何故挨拶に来たはずの公爵家にて、婚約者の愛称呼びを強制されているのだろうか。
訳も分からず振り回されるミレイラは、そもそもアードルフに腰を抱かれてる時点で逃げ場などないのだと追い詰められた。顔を真っ赤にしながらも何とか愛称を呼ばなければと口を動かすが、声にならない。
それには、ミレイラなりの小さな理由があった。
「そんなに躊躇うこと?」
「前に愛称呼びの話になった時、俺がミレイラの愛称には『ミリィ』もあるなって話したんだが」
「!!」
その愛称を聞いた途端、ミレイラは耳まで赤くして両手で顔を覆い隠した。
「え、何?」
「ミリィって発音が恥ずかしいそうだ」
「は?そんなことが??」
「あんまり恥ずかしがるものだから何度も言ってたら、今度はアーディって呼ぶのも恥ずかしくなったんだと」
「んん?待って意味が分かんない」
そう、これはアードルフのちょっとした加虐心と、ミレイラの羞恥心のせいでこんがらがった結果に起こった珍事だった。
最初は恥ずかしながらも、アードルフをアーディと呼ぶ努力をしていたのだ。
そんな折、ミレイラの愛称は家族なら誰もが口にする。そのことに少しだけ不満を感じたアードルフが、ミレイラの愛称には『ミラ』の他に『ミリィ』と言う呼び方もあると話したのだ。
そうしたら、呼び慣れない『ミリィ』という愛称にミレイラが盛大に照れた。そんなミレイラに気分を良くしたアードルフは、何度か二人きりの時に彼女の耳元でその愛称を囁いた。
その結果、ミレイラの羞恥心が変なところに飛び火した。
お互いを『ミリィ』と『アーディ』と呼び合うのって、いちゃついてるみたいで恥ずかし過ぎないかと。
「凄いね、何でそうなるの?」
「正直照れるミラが可愛いから自分の愛称はどうでもいい」
「そこは執着しようよ」
双子で軽やかな会話が続いているが、ミレイラはそれどころの騒ぎではない。何とか愛称は呼びたい。でも恥ずかしくて『アーディ』と言う単語が声にならない。
そうして苦渋の決断を下したミレイラは。
「ア……」
「ん?」
「ア……ルフ」
無理やり違う愛称を作り出した。
そんなミレイラに、思わず爆笑してしまったのはアーノルドだった。
「ぷっあははははっ!そんなに呼べないの?違う愛称作るほど!?」
文字通り腹を抱えて笑うアーノルドに、ミレイラは動揺と羞恥心から涙が出てしまい、アードルフの胸に顔を押し付けた。そんなミレイラの感情込みで全部受け取っているアードルフは、とても良い笑顔で彼女を抱き締める。
「どうせならアルにしないか。ミラと同じで二文字の方が呼びやすい気がする」
「うぅ……」
「アルなら恥ずかしくないだろ?」
「……アル」
くぐもった声は確かにアルと呼んだ。顔を覆ったまま、更にはアードルフの胸に顔を押し付けているので、その声は肝心のアーノルドには届いていないだろう。
「くっ……ふふ、いいよ認めるよ」
未だに笑いが零れるが、確かにアーノルドは了承した。
「羞恥心に耐えてアーディに新しい愛称を考えてくれた義姉上のこと、認めてあげるよ」
義姉と呼ばれたことに驚いて顔から手を放して振り向くと、穏やかに笑うアーノルドがこちらを見つめていた。
「義姉上、アーディの唯一の人。兄を幸せにしてくれとは言わないから、二人で寄り添って生きて欲しい。その結果幸せになってくれたら、それ以上の望みはないよ」
公爵代理としての言葉ではなく、己の半身を思う故のその言葉は、純粋な願いを望んだ。
「アーディ、義姉上を手放しちゃダメだよ」
「当たり前だ。他の誰が許さなくても手放すものか」
言葉の強さを示すように、更に腕に力を入れてミレイラを抱き締める。苦しくすら感じるその抱擁に、瞳が潤むぐらい愛しさが溢れる。
「アーノルド様」
「何?義姉上」
「……アルの傍にいます。ずっと」
義姉と認めてくれたアーノルドに、きちんと伝えておきたかった。離れたくないと望んでいるのは、自分も同じだと。
「……むしろ、私の方がアルに依存すると思います」
間違いなく自分の方がアードルフに依存する。それが分かってしまうからこそ情けなくて、申し訳なくて、恥ずかしい。思わず抱き締めてくれているアードルフの腕の中に、顔を隠してしまうほどに。
そんなミレイラの心情を受け取ったアードルフの小さな笑い声が頭上から聞こえたと思ったら、その後すぐに何かが頭に触れたと同時に小さなリップ音が聞こえた。それに戸惑う時間すら与えられずに、今度は優しく頭を撫でられる。
「こういう事だ」
「……なるほどね、アーディが惚れるわけだ」
そんな会話と共に微笑ましいものを見守るような空気になってしまって、ミレイラはいたたまれなくなりながらも、無事に公爵家への挨拶を終えることが出来た。
その後は、両家でささやかな婚約パーティを開いた。
家族と近親者のみで開かれたパーティは、公爵家と伯爵家という爵位からすると、あまりにもささやか過ぎるものだったが、エイルース公爵の現状を考えると盛大に開くのは難しく、シュミット家もミレイラの能力を考えるとこれ以上人を集めるわけにはいかなかった。
それでも、つつがなくパーティは終了した。
パーティに合わせて視察を予定に入れていた王太子のウィルフレッドが、コレッドと共に顔を出した時は心臓が止まるんじゃないかと思うほどに驚いたが。
そうしてようやく、婚約に伴い必要な事項がまとまっていき、時間にも心にもゆとりが出来た。
だが、これで安心していられるわけではない。
アードルフと婚約したことで、今後ミレイラは今までのように邸に閉じこもってばかりではいられなくなるだろう。
今までは王家主催の夜会など、本当に最低限の社交しかしてこなかったのだ。
それを思うとどうしても先の不安に心が曇る。
それでも、アードルフの婚約者となったからこそ、今までのように逃げるようなことはしたくなかった。
せめて社交を求められた時は、不安な気持ちだけでなくアードルフの為に頑張りたいと言う気持ちも伝わるように。
例えどんなに情けない結果になろうとも、表舞台に足を踏み入れる覚悟だけは決める事にした。
ミレイラの考えたアルフの愛称をアルに変えさせたのは、ミラと同じ語感にしたかったから。
そんな理由だとは夢にも思わず素直に呼び方を改めるミレイラ。
そしてアードルフは、彼女しか呼ばない自分の愛称が出来たことを喜んでいます。




