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11話の内容が短いので二話投稿します。
こちらは二話目となります。
「ここは……」
重厚な扉を前に体を強張らせるミレイラに、ここまで案内してくれたコレッドは慣れた様子で従者の手配と人払いを兵に命じる。
「王太子殿下の執務室ですよ」
それだけ言うと、彼はミレイラの侍女に視線を向ける。
「帰りは責任をもって見送らせて頂きます。従者を付けますので、あなたは馬車で待つように」
「……かしこまりました」
いささか返答までに間が空いたが、コレッドはこれに気を悪くすることなく扉をノックする。
「コレッドです」
『入れ』
中から聞こえる声は確かに聞き覚えのある声だった。
目の前に迫った現実に恐れが膨れ上がり、冷たい手を握り締めても震えが止まらない。
「すれ違わなくて何よりだ」
「何の話だ?」
聞き慣れた低音の心地よい声色は、いつになく不機嫌そうだなと場違いな感想を抱きながら、ミレイラは執務室に通された。
「約束通りお連れしましたよ、王太子殿下」
「ご苦労」
コレッドに促されて入室すると、ミレイラはいつも以上に丁寧にカーテシーをする。
「王太子殿下に、ご挨拶申し上げます。改めまして、ミレイラ・シュミットと申します。このような場所に私のような人間が足を踏み入れることを、どうかお許し下さいませ」
「ウィルフレッド・シェル・ユソルディアだ。そんなに畏まらずとも、呼び出したのはこちらだ。楽にしてくれ」
気さくに話しかけてくるウィルフレッドの隣には、目を丸くして驚いているアードルフが立っていた。
ミレイラが姿勢を戻すと同時に、アードルフがこちらへ歩み寄る。
「ミレイラ、なぜあなたが城に?」
「その……兄に所用がありまして」
そのまま忘れ物を届けに、と言うのは躊躇われた。間違ってもエルネストに悪印象を持たせたくはない。
「令嬢を立たせたままでは忍びない。アードルフ、お前も彼女と一緒に座るといい」
「……どういうつもりだ」
「策がいると言ったろう。まずは話を聞け」
不満を隠すこともなくぶつけるアードルフの態度に、ミレイラは思わず肩を震わせる。
そんなミレイラに気付いたアードルフは、心配した様子で目の前の彼女を観察する。
いつもと違って表情も乏しく、張り詰めた様子と震えた手元に気付いたアードルフは、少しだけ表情を和らげるとミレイラにいつもの声色で話しかけた。
「あなたに会えるとは思わなかった。手袋はしていないのだな」
「……お会いできるとは、思っていなかったので」
本当は会いたい気持ちがあって来たのだが、それでもこんな形になるとは夢にも思わない。
本当に、こんなことなら思い上がりと蔑まれてでも手袋をして来るのだった。
「こちらに」
気遣われるように優しく言葉を発せられ、ソファーに促される。
前回の外出時、ミレイラは手袋をした状態でアードルフのエスコートに身を委ねた。その経緯を踏まえてか、今日はアードルフから手を差し伸べられることはなかった。
それは元々の二人の約束であり、ミレイラを案じるが故のアードルフの配慮だった。その優しさが、今は何故かもどかしかった。
この時ほどアードルフに触れて欲しいと願ったことはない。それぐらい自分は今の状況に恐れをなしていた。それでも、ミレイラの方から手を差し出すほどの勇気もない。
(本当に私は……卑怯な臆病者だ)
ウィルフレッドが座るのを確認してから、ミレイラは震えた手を必死で押さえソファーに座る。そして少しだけ間をあけてアードルフも隣に腰を下ろした。
その間にお茶の用意を終わらせたコレッドが三人分をテーブルに置くと、ウィルフレッドの斜め後ろに立つ。
そしてそれを合図にするように、ウィルフレッドはミレイラに視線を合わせた。
「突然このような場所に申し訳ないね。だが、ようやく顔を合わせて話ができる」
爽やかに笑顔を浮かべるウィルフレッドの姿に、ミレイラはより緊張を滲ませる。
「アードルフと面識を持ってからそれなりに経ったが、彼は迷惑をかけていないかな?」
「い……いえ、迷惑など……どちらかと言うと私の方が」
質問されている内容の意図が理解できず、ミレイラは当たり障りのない返事を返すことしか出来ない。
顔色と態度から緊張しているだけではないだろうことを悟ったウィルフレッドは、ひとまず矛先をアードルフへ向けることにした。
「一方的に迫っているのだから、文句の一つや二つ言っていいと思わないか?」
「その考え方が許されるなら、俺は今この場でお前に文句を言って許されるわけだが」
アードルフに一言の相談もなく、この場にミレイラを連れてきた。おそらくはエルネストや伯爵家には話を通しているのだろう。でなければ、過保護な伯爵家の人間がミレイラをこんな場所に向かわせることなど有り得ないのだ。
「公の場に出ない代わりがこれか」
「相手の令嬢だけでもはっきりさせれば伯爵家も動く。伯爵にも了承は得ている」
「ミレイラの意志が伴われていない。この場で決めろと言っているようなものだぞ」
会えない三週間の間に、やはり噂が広まったらしい。今回の招集はその噂の対処と、相手がミレイラであることを知らしめる狙いもあるようだ。
「ミレイラ嬢、無理に言葉を返さなくてもいい。聞いてくれるか」
状況把握に必死だったミレイラは、少しだけ躊躇いながらもウィルフレッドと視線を合わせる。
「君たちの噂について、おそらくある程度は予測しているだろうと思う。だが、噂はある程度方向性を正す必要がある。そのためにエルネスト卿含め、伯爵家の者に頼んで君を城に呼び寄せた。それについては申し訳なく思う」
ウィルフレッドの言葉に、やはり兄の忘れ物と母の後押しは仕組まれたものだったのかと思い至る。
どおりでエルネストがあんな顔をするはずだ。
そして、自分と出掛けたことでアードルフに迷惑が掛かってしまった事実に罪悪感が沸き上がる。
噂の内容までは分からないが、良くない噂は当然あるだろう。こうしてミレイラが呼ばれたと言うことは、アードルフの相手についての憶測が悪い方向に向いていると言うことだ。顔を知られていないことが、もしかしたら災いしているのかもしれない。
「ミレイラ嬢の事情も把握しているが、今後どう転んでも我々が先に関わっておかなければ対処が後手に回る。強引な方法だが許してくれ」
そう言って頭を下げるウィルフレッドにミレイラは焦る。
「お、おやめください……っ王太子殿下に頭を下げさせるなんて」
「そんなに怖がらなくても、これ以上君に何かを求めることはしない」
震えながら声を出すミレイラに、ウィルフレッドは顔を上げながらも苦笑する。
「何がこれ以上求めないだ。初めから公爵家だけで対処させていれば、ミレイラが登城する必要もなかったものを」
アードルフは断られるつもりは更々ない。そのためにわざと噂が流れるような行動や行為をしたが、それはあくまでアードルフ側の囲い込みであり、ミレイラが出す答えとは別問題だ。
どちらの答えを出したとしても、その時は決してミレイラに実害の無い状態で終わらせるつもりでいた。伯爵家もミレイラに不利となる噂であれば、アードルフが何も言わずとも勝手に対処し打ち消すだろうと確信を持っていた。
アードルフが求めるのは、状況判断による妥協での回答ではない。ミレイラ自身がそれを望み、答えを示してくれることだ。
彼女の場合は社交に出ないが故に、下手な横やりが入る可能性はほぼ無いに等しい。だからこそ本人の意思が尊重されるのだ。心が伴わなければアードルフ自身の執着も、ミレイラの依存傾向にある感情も、どちらも一方通行では成り立つ事はないのだから。
だからこそ、こんな方法で答えを強制されることに憤りを感じ得ない。
冷たく鋭い視線をウィルフレッドに向けるアードルフは、震えるほどに己の拳を握り締めた。
そんなアードルフの様子に気付いたミレイラは、彼の怒りの根源が自分の意志を慮った故のものと理解して息を呑む。
ミレイラの答えがどちらであっても、アードルフはそれを受け入れる。
それを分かっているからこそ、この現状はアードルフにとって許せないものだと推測される。
ミレイラが城内でコレッドから声を掛けられて執務室に呼ばれたと言う事実は、アードルフに由来する噂と結びつけられ、件の相手と認識されるだろう。それはつまり、ミレイラがアードルフを憎からず想っていることの証左と言える。
実際ミレイラは、アードルフに好意を抱いている。
それは間違えようのないもので、自分が悩んでいたのはその先の感情が恋情か依存かの判断だった。
未だにその判断は付かない。けれど……。
ミレイラは、指が白くなるほど力の入れられたアードルフの拳の上に、そっと己の手を乗せた。
初めて自分の意志でアードルフに触れて、そして気付く。
(……やっぱり。手袋をしていないのに、防御魔法が解かれない)
アードルフは手袋がなくとも、自分の体質を制御していた。動揺していて今まで気付けなかったが、彼の手が握り締められたところを見た時に気付いたのだ。彼の中を流れる魔力が完全に沈黙しているのを。
例え手袋がなくとも、ミレイラの為に己の体質を抑えてくれている。
初めて触れられた事実を唖然とした様子で受け入れたまま、アードルフの視線がこちらに向けられる。
そんな彼に、ミレイラは言葉で伝える。
「アードルフ様、気遣ってくれてありがとうございます。ですが……あまりご自分を、蔑ろにするのはお控え下さい」
どう言えば、今の自分の感情により近い形で伝えられるのだろうか。
「貴方の犠牲の上に成り立った平穏を享受するほど、私の心は貴方から離れているつもりはありませんから」
何とかそう言葉にすると、少しでも気持ちが伝わるようにと触れた手で彼の拳を覆うように包み込む。
いつの間にか育っていく好意に戸惑いながらも、改めてアードルフと顔を合わせる。
そこには、ミレイラの言葉と触れた手に動揺したのか、僅かに頬を赤らめるアードルフがいた。
「……え」
今まで見たこともない、幼ささえ窺える表情をするアードルフに、動揺から声を漏らしたミレイラは彼以上に赤面した。
「あ……の」
常に余裕を見せながらミレイラを翻弄していた彼が、今はミレイラ自身の起こした行動と発言によって頬を染めている。そんなに動揺するほど大胆な行動をしてしまったのかと考えてしまえば、その動揺はミレイラにも跳ね返る。
当然耐えられるわけもないミレイラは、重ねていた手を放して自分の顔を覆い隠し、それでも足りずに俯いて体を小さくする。
そんなミレイラの横で、アードルフもまた想定外の出来事に緩みかける口元を覆い隠した。
彼女自身がアードルフの手に触れ、今の彼女が感じる限りの好意を言葉にして伝えてくれた。それは、今思いつく限りの精一杯の返事をしたのと同じようなものではないか。
ついさっきまでウィルフレッドに殺気を向けていたとは思えないぐらい、今の彼はミレイラに対する感情で心を塗り替えられていた。
そんな二人の様子を見ていたウィルフレッドは、意外と上手くいっていそうだと微笑ましく見守る。
初めてミレイラと言葉を交わしたが、最初の怯え方は権力に対する畏怖では説明のつかない、明確な拒絶が窺い知れた。
社交はまず無理だろう理由は把握しているが、あれは単純に対人恐怖症の類ではないか。だとしたら、この先アードルフの隣に立つのはかなり厳しいことになるだろう。そう考えていたのだが。
(アードルフの為ならば、言葉にすることも行動することも恐れないのだな)
それが分かれば、今後二人の関係がどうなるか気に掛ける必要もないだろう。
出来ることならば、自身を含めた一切の事象に関心すら示すことのなかったこの男の唯一になって欲しい。
「ミレイラ嬢、今日はわざわざ済まなかったな。あなたに少しでもその気があるのなら、アードルフに見送らせてやってくれ」
その言葉に再びアードルフは眉間に皺を寄せる。そして慌てて顔を上げたミレイラに対し「無理にこちらの事情に合わせる必要はない」と気遣うが、彼女がそれを断ることはなかった。
そうして、偶然を装った王太子殿下との邂逅は終了された。




