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 薄い雲に日差しを遮られたこの日、ミレイラは友人へ手紙を書いていた。

 

 インクを乾かし終わり、後は封筒に納めるだけと思っていると、侍女のサリアがノックと共に入室の許可を求めてきた。それに応えると、サリアは一枚の封筒を差し出してくる。

 

「お嬢様、アードルフ卿から手紙が届いております」

 

 渡された手紙を丁寧に開き、見慣れた筆跡を読み進めていく。そして予想通りの内容を読み終わると同時に小さく溜息を吐いた。

 

「今週も会う事は叶わなそうだわ」

「余程お忙しいのでしょうね。あれ程足繫く通われておいででしたのに」

 

 アードルフと共に王立図書館へ赴いた日から二週間ほどが経った。

 

 最初の約束では先週に一度訪問する予定だったが、仕事が忙しくなってきたそうで予定を見合わせるとの知らせを受けた。元々忙しいはずの彼が今まで毎週のように訪問出来ていたのがおかしな話だと、知らせを受けた時のミレイラは特に疑問も抱かなかった。

 

 そして今日も、忙しさ故に時間を捻出するのが難しい旨の知らせが届いた。これについても特に異論などない。何なら自分の体を休める為に時間を使って欲しいと提案していたぐらいなのだ。その時は本人に即行で断られたが。

 

「ご自分の体調を優先するよう返事をするべきかしら……」

 

 会う時間を捻出できないと言うことは、体を休める時間も満足に取れていないはずだ。

 

「アードルフ卿であれば、お嬢様に会う方が大事だと仰りそうですが」

 

 確かにそれを安易に否定できないぐらいには、ミレイラも彼の性格を把握してきている。だからと言ってすんなり肯定するほど慢心もしていない。

 

「どちらにしても無理をして欲しくないわ。すぐに返事を書くから、今書いていた手紙と一緒に出しておいてくれる?」

「かしこまりました」

 

 

 

 サリアが手紙を受け取って退出したのを確認すると、ミレイラはソファーに深く座り背中を背もたれに埋める。

 

「会いたいけど……どんな顔して会ったらいいのかしら」 

 

 あの日、改めてアードルフと言う男性を認識し、自分が如何に彼に心を許していたかを思い知った。

 

 初めから……そう、初めから自分は彼に期待してしまっていた。能力を知っても手を振り払われなかったあの瞬間に、確かに自分は彼に好意を抱いた。

 

(それなら、彼にだけ正の感情が伝わったことにも納得がいく)

 

 

 ミレイラは家族から愛されている。ミレイラ本人も自覚しているし、自分も家族を愛しているからこそ家族の幸せを何よりも願っている。

 

 それでも、ミレイラには両親二人からの愛情を享受することができない理由があった。

 

 それはきっと、両親にとっては理不尽な理由だろうと思う。改善しようにも自分だけではどうしようもく、だからこそミレイラは両親に対して罪悪感が拭えない。

 

 そしてこれについて、一番の理解者であり被害者でもあるのが兄のエルネストだった。

 

 両親に怯えてしまった過去のミレイラが、最初に助けを求めてしまったのがエルネストだったのだ。そして鮮明にそれを体験(・・)させてしまった。

 

 そのせいで精神が不安定となる日、ミレイラは常に兄の傍を離れられなくなった。依存することで何とか自分を繋ぎ止め、やがて回復すると頭を下げて泣きながら謝った。

 

 ミレイラは成長していく中で、兄はこれから先の未来を自分のせいで束縛されるのではないかと恐怖を抱いた。

 

 兄を自分から解放したい。そう思いながらも精神が不安定になると依存してしまい、そんな自分に自己嫌悪してはまた同じ失態を繰り返す。

 

 両親にも、兄にも、時が経つほどに後ろめたい気持ちが積もり重なっていく。

 

 負の感情ばかりが伝わるようになってしまったのは、そんな後ろめたさが正の感情を上回ってしまったが故の結果ではないかと。

 

 

 ――けれど。

 

(アードルフ様は……私に心を寄せてくれた)

 

 どこまで伝わってしまったのかは分からない。だが、絶望に押しつぶされていた自分の感情を受け取ったはずの彼は、最初にそれを受けたにも関わらず求婚してきた。

 

(私の感情を許してくれた)

 

 こんな重く苦しい感情を、心地良いと言ってくれた。そしてアードルフは自身の体質を抑えてまで、ミレイラの意志を尊重し行動してくれた。

 

(……彼を、好きになってしまったんだと思うけど)

 

 それは、会えない期間が導き出した一つの答え。だがその答えにも疑問が沸き上がる。

 

(この気持ちは……本当に恋情なのかしら)

 

 好意であることは間違いないはずだ。だが、これが依存ではないと言い切れるか?

 

 今度は兄の代わりに、アードルフを依存相手として(・・・・・・・)選んだに過ぎないのではないのか?

 

 

 その問いには、更に一週間後にアードルフに会うその時まで、答えが出ることはなかった。

 

 

 

 

 

 ✻✻✻✻✻

 

 

 

 

 

 ミレイラとの逢瀬が叶わなくなって三週間も経とうかと言うこの日、アードルフは過去に類を見ないほどに不機嫌だった。

 

「アードルフ、露骨に不機嫌な顔をするなと何度言えば分かるんですか」

「改善策を却下している人間にそんなことを言われる筋合いはない」

 

 不機嫌さを隠す素振りすら見せないアードルフは、王太子であるウィルフレッドの執務室で勤務中であった。

 

「今は泳がせるべきだとお前も納得したから我慢しているのだろう?」

 

 わざとらしく溜息を吐きつつ、ウィルフレッドは書類に目を通していた。

 

「それにしても、将来有望な側近とあって噂の広がりも早いものだ」

 

 そう言うウィルフレッドに答えるように、コレッドはアードルフが外出した日を境に広がりだした噂についての調査結果を読み上げる。

 

 ・曰く、アードルフはとある貴族令嬢と懇意にしており密かに逢瀬を重ねている。

 ・曰く、その貴族令嬢は噂の深窓の令嬢で、夜会で彼女に暴言を吐いた子爵令嬢は影で公爵家に報復されたらしい。

 ・曰く、その貴族令嬢はアードルフに親し気に愛称を呼ばれており、懸想しているのは彼の方ではと囁かれている。 

 

 そしてそんな噂とは正反対の噂もある。

 

 ・曰く、アードルフが公爵家を継ぐと勘違いした件の貴族令嬢は、彼を篭絡することで次期公爵夫人を狙う女狐だと。

 ・曰く、件の顔も知られていない貴族令嬢とは実は庶民で、アードルフをたぶらかして貢がせている。

 ・曰く、アードルフはいずれ件の令嬢と共に、将来を約束された地位を捨て平民に下がる気だと。

 

 興味本位に流された噂もあれば、思惑があって流されたと思われる噂、そして悪意を持って流されただろう噂など、他にもさまざまあるらしい。要約すると大体はこの内容に帰結するようだ。

 

「逢瀬を重ねているのと子爵家への対応、あとはお前が懸想している件は間違いないな」

「愛称で呼んだのも事実だ」

「正式に了承を得ていないでしょう」

「本人には咎められてもいない」

 

 決して不機嫌な顔は変えずに噂を肯定するアードルフに、ウィルフレッドは頬杖を突きながら面白いとばかりに顔を緩める。

 

「となると、脈はあると言うことだ」

「そう感じるものがあったからこそ会いたいんだが」

 

 あの日のミレイラの反応と態度を見て、アードルフは彼女が改めて自分を異性として意識したのではないかと感じた。

 

 帰りの馬車で、二人はお互いに心を許さなければ言うことのないだろう話をした。

 

 そしてミレイラはアードルフが正の感情も受け取っていると知った時、信じられないと顔に出しながらも何かに気付いたような素振りを見せた。

 

 彼女を送り届け、別れ際に手を振った時の表情が……鮮やかなエメラルドの瞳が今も脳裏に残っている。

 

 あの瞳に、微かな灯火が揺らいだように見えたのだ。

 

「しかし、噂を放っておくことは出来まい」

「ミレイラに対する悪意ある噂を流した犯人は把握した。俺からすればそれが分かれば後はどうでもいい」

 

 仮にも目撃者がいたからこそ噂では『とある貴族令嬢』とされたのだ。それをわざわざ庶民と上書きし、ミレイラの存在を貶めようとする魂胆はあまりに幼稚な手段だ。だからこそ噂を辿るのは容易かった。

 

「残念だがそれでは済まされないぞ」

「俺自身の悪評など興味ないし、公爵家の悪評に至っては今に始まったことじゃない」

 

 

 貴族社会において、魔法の有無は優位性において欠かせないものだった。潜在魔力の多さ、そして属性魔法の多種性があるほどに爵位は高くあるべきである。

 

 現在の情勢で、魔法を使うことなど魔獣退治以外には殆どなくなっている。今後国家間での戦争がないとは言わないが、魔法が活躍する場は極端に少ないのが現状だ。


 そんな状況でも、魔法が使えることは何よりも貴族にとって必要最低限の能力とされている。

 

 だからこそ属性魔法の判定で属性無しと判断されたアードルフは後継者候補から外された。それは誰よりもエイルース公爵が魔法に固執していたからこその即断だった。

 

 それ以後アードルフは表舞台からは隠され、エイルース公爵家には存在しない者として扱われてきた。

 

 そんなアードルフとは対照的に、魔力でも属性魔法の多種性でも優れた能力を持つアーノルドは公爵にとって理想そのものだった。その結果、公爵はアーノルドを溺愛し束縛した。

 

 しかし皮肉な事に、常に傍に置いたアーノルドの強すぎる魔力によって『魔力過多症』を患った公爵は、現在ではアーノルド以外の言葉をまともに聞こうとすらしないほどに精神を蝕まれ、現在は本邸の自室から殆ど動けないらしい。アーノルドは父に代わり公爵代理として勤め、今は公爵家に長く勤めている者に教えを乞うている。

 

 そんなわけで、現在のエイルース公爵家はとっくに醜聞に塗れている。今更悪い噂の一つや二つ増えたところで痛くも痒くもない。

  

「それは放置していい理由にはならない」

「今更悪評をひっくり返せと?」

「放置すればミレイラ嬢にも被害が及ぶ。本来ならお前が彼女を連れて社交場に出るのが望ましいが」

「無理だな、伯爵家が許さない」

 

 シュミット伯爵との話し合いの中で、アードルフは既に言明されているのだ。ミレイラ自身が答えを出すまでは、例えどんな状況だろうと彼女を社交場に連れ出すことは許さないと。そして仮に答えを出す前に社交場に出る機会があろうと、エスコートは禁ずると。

 

「それに、俺も返事をもらうまで彼女と社交場に出るつもりはない」

 

 

 そもそもだ。

 

 何故たかが噂なんかの為に彼女を自分以外の目に(・・・・・・・)晒さなければならないのだ。

 

「やっと彼女の心が決まりそうなのに、俺以外の人間に彼女の意識を奪われるなんて……許せるわけがないだろう」


 そう言うアードルフは表情を無くし、その瞳から光が消える。

 

 今の状況で社交場に出れば、数多の人間の視線がミレイラに向かうだろう。好奇心と悪意の視線を一身に浴びれば、ミレイラの意識は一瞬でアードルフ以外の思考で埋め尽くされることは容易に想像できる。


 ……そんなことを、どうして許せると言うのだろうか。


彼女(ミラ)は俺のものだ」


 ミレイラのあの溺れるほどの感情の中に、アードルフ以外の人間への思考が混ざることが何よりも許し難い。

 

 一目惚れしたと分かった当初から、アードルフは心に決めていた。

 

 ミレイラに譲歩するように返事を保留にし、友人の座に甘んじた。少しずつ彼女との逢瀬を重ね、心に寄り添う権利を得た。それは決してミレイラの意思を尊重したからだけではない。

 

 アードルフは端から、彼女を諦める気など更々ないのだ。

 

「断られるつもりも手放す気もない。ましてや他人の思惑で引き裂かれるなど論外だ。ミラを貶めようとするなら容赦なく嬲り殺す。……それとも、身の安全の為にもミラを攫ってしまう方が早いか。彼女も社交は出来ないだろうし、すんなり囚われてくれるかもしれない」

 

 そんな恐ろしい独り言を語りだすアードルフに、ウィルフレッドは思わず立ち上がって両手を勢いよく彼の肩に叩きつける。

 

 音と痛みにより顔を上げたアードルフは、訝しげに主君と目を合わせる。

 

「少し冷静になろうか」

 

 そこには、顔は笑っているが珍しく冷や汗を流すウィルフレッドがいた。彼の斜め後ろで視界に入ったコレッドも、どこか慄いているように見受けられる。

 

「とにかく策は必要だ。あと数日だけ待ってくれ」

 

 くれぐれも独断で動いたりミレイラ嬢を攫ったりしないようにと厳命されたアードルフは、ここまできてそんな無謀なことはしないと返したが、何故か二人にはその言葉を信じてはもらえなかった。

 

 

 

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