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コキュトスでも涙は凍らない  作者: ひゐ
第一章 温もりは天高く
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第一章(03)


 * * *



 一人でも問題ないと言っても、チャーロに手伝ってもらいつつオビスの世話をして、また数日。やはり人手があるのは、助かる。本当に一人だったならば、もっと大変だっただろうと、ルチフは毎日ひしひしと感じていた。

 その日は、昼頃に一度帰ったチャーロが、夕暮れ前に再び牧場へとやって来ていた。


「はいこれ! 野菜ね! それから干し肉! ……配給、ルチフで最後だよ!」


 空にはいつもよりも厚い雲があり、日暮れに差し掛かっているいま、いつも以上に暗くなりつつあった。その下でも、チャーロはにこにこと笑顔を浮かべていた。より冷え込み始めているにもかかわらず、寒さを感じていないように思える。


「……これ、ちょっと多くないか?」


 家の前で籠を受け取ったルチフはわずかに顔をしかめた。どうも、一人分の量には思えない。

 チャーロは詳しくは何も言わなかった。


「ま、食べてって! 仕事大変なんだから……それじゃあ、また明日の朝にね!」


 そうして帰っていってしまったものだから、ルチフは食料をそのままもらうしかなかった。やはり一人分にしては多いように思える。食料は貴重だ、植物はなかなか育たない上に、動物だってあまりいない。だから配給は、一人分の食料がきっちり決まっているはずなのだ。

 自分の分だけ、多くしたのだろうか。気を遣って。

 家の中に籠を運び込んで、ルチフはそれを、じっと見つめる。

 と、窓の外を見れば、外はより暗くなってしまっていた。外に出ると、冷たい風が頬を切るかのよう撫でていった。この調子だと、夜には吹雪になると、すぐにわかった。けれどももう、仕事は終えた。大人よりも弱い子供のオビス達も、小屋に帰した――。


 そこで、ルチフは気がついた。


 ――オビス達は、どこだ?


 暗くなりつつある、白い牧場。そこに巨大な毛玉達の姿はなかった。吹雪が来る時、牧場に出たままの大人のオビス達は、いつも家や小屋の近くで固まっているはずなのに。


 変だ。ざくざくと雪の牧場を進んで辺りを見回す。世界は白だけ。他の色は何もない。

 ――無意識に、腰の剣に手が伸びた。息を潜める。感覚を研ぎ澄ませる。

 進んで行くと、雪の上にオビス達の足跡を見つけた。何頭もの足跡。何故か皆、同じ方向に向かっている。ルチフもそれを追って進むと、やがて牧場を囲む柵にたどり着いた。

 その柵が、ひどく壊されていた。


「くそ、こんな夕暮れに……」


 とっさに、狼の仕業だと思った。狼からオビスを守るための柵だが、稀に壊されることがあるのだ。

 だが気付く。

 柵が外側からではなく、内側から壊されていることに。

 いくつものオビスの足跡は、柵の壊れた部分から外へと向かっていた。


 ――オビス達が自分達で壊したのか?


 ルチフが改めて牧場を見回せば、大人のオビスの姿はどこにもない。一頭一頭があんなにも大きいのに。そして壊れた柵から先を見れば、何頭ものオビスの足跡が雪原へ向かっている。

 まさか全員で外に出たというのだろうか。顔が青ざめるのがわかった。しかしどうして。子供のオビスが間違って外に出ることはあるが、大人のオビスが外に出るなんて、全くありえない出来事だ。オビスは賢い動物で、牧場にいれば狼に襲われないことも知っているし、餌も安定して食べられると知っているはずなのだ。


 とにかく、追わないと――辺りはますます暗くなっていた。けれどもルチフはランタンを取りにも戻らず、壊れた柵の間から外に出た。牧場の外へと続くオビス達の足跡を追って急ぐ――落ち着け、冷静になれ、と自分自身に言い聞かせながら。焦るな、大丈夫だ、と。

 冷たい空気に、吐く息が雪よりも白く漂った。昼間は白かった世界が、暗闇に包まれていく。まだ雪は降ってきていないが、降ってきてしまうと足跡が消えてしまう。その前に、オビス達を見つけなければならない。


 幸い、全てのオビスの足跡は、まとまって進んでいた。群れで動いているらしい。

 そしてさらに幸いして、オビス達は牧場を離れてすぐに見つかった。


 暗くなりつつある白い世界。そこに、平べったい大きな岩のような塊が見えてきた――オビス達だった。皆、まるで吹雪を前にしたかのように固まっている。じっとして、動かない。


 ルチフは長い溜息を吐いた。遠くには行っていなかったようだ、大事にならなくて済んだ。

 しかし、群れから少し離れたところに、一頭のオビスが倒れているのを見て、ルチフの顔から安堵の表情が消えた。眉を顰める。やがてルチフは、青い目を鋭くさせ、腰の剣をゆっくりと抜いた。刃が辺りのわずかな光と冷たさに輝く。


 倒れていたのは――あの一番年老いたオビスだった。

 そしてその巨体に群がっているのは、灰色の狼、数匹。大量の毛に覆われたオビスの身体に牙を立て、その肉を貪っている。辺りの雪はその血で赤く染まっていた。空気にも、血の臭いが漂っている。


「ああ……そうか……」


 オビスは賢い生き物だ――何が起きているのか、ルチフは理解した。

 恐らく、オビス達は群れで動いている際に、狼に襲われたのだろう。そこであの一番年老いたオビスが自ら前に出て、皆を守るための犠牲となったのだ。狼は常に飢えている獣。一頭がその生け贄となれば、狼達は貪るのに夢中になり、他のオビスが逃げられる――。


 だがおかしい。

 それならば、どうして残りのオビス達は逃げない。何故狼達から離れず、固まっている。


 とりあえずは、これ以上被害を出すわけにはいかない。剣を構え、ルチフはそのまま狼達へ向かっていく。狼達は貪るのに夢中で、まだこちらに気付いていない。だが一匹が耳を震わせ、口を獲物の血で真っ赤にした顔を、ついにルチフへ向けた。


 瞬間、ルチフは大きく踏み込んで剣を振るった。

 剣の冷たい光が、狼の灰色の身体に突き刺さる。そして剣はたちまち赤色に染まる。


 きゃんと悲鳴が上がり、狼の身体は雪原に転がった。そうしてようやく他の狼もルチフに気付く。貴重な食事の時間を邪魔する敵に、狼達は牙をむく。と、そのうちの一匹が、死んだオビスの身体を越えて、ルチフへと跳びかかる。

 その姿を、ルチフはしっかり捉えていた。すでに赤く染まった剣を宙に滑らせる。冷えた空気に、血の飛沫が舞う。剣は向かってきた狼を捕らえると、そのまま切り払う。そうしてまた一匹の狼が、雪原に転がった。


 残りは二匹。ちらりとルチフが見れば、その二匹は怖じ気付いたかのように身をひいていた。それでも、一匹が雪を蹴って向かってくる。雪の上でも狼の動きは速い。飢えた獣の目は狂ったような輝きを放っている。

 向かってきた狼をルチフはひらりと避けた。すると狼は慌てて振り返るが、その隙をルチフは逃さなかった――追って、身体に蹴りを入れ、胴を叩ききるかのように剣を振り下ろす。


 これで、残りは一匹――けれどもルチフが顔を上げると、その一匹の姿はどこにもなかった。ずいぶん暗くなってしまった雪原の向こう、灰色の姿が見えた――逃げたらしい。

 これで狼はいなくなった。ルチフは上がっていた息を整えつつ、剣を振って血を払い、鞘に納めた。そうして、倒れたオビスに駆け寄った。


 倒れたオビスは、身体の至るところが貪られ、毛皮も血に汚れてしまっていた。もう息はしていないが、身体はまだ温かかった。

 ルチフはしゃがみ込んで、その鼻を撫でてやる――一番年寄りだったオビス。ルチフが子供の頃から牧場にいた。そのオビスがついに死んでしまった。それも、仲間を守るために。

 ルチフは何も言わなかった。凍えるような空気の中、目を細め、やがて固く瞑る。

 次に目を開けたのは、固まっているオビス達の一匹が、まるで呼ぶように鼻をならした時だった。ルチフはゆっくりと立ち上がったものの、死んだオビスを見つめたままだった。


 オビスの死は、これが初めてではない。

 村長のケイに報告しないと。と、思い浮かんだ様々な思い出を払うように、ルチフは自分自身に言い聞かせる。日が暮れてしまったものの、村の皆に報告して、回収してもらわないと。

 そして、年寄りのオビスが守った他のオビス達を、連れ帰らないと。


 未だに固まっている群れを見れば、オビス達もルチフを見ていた。何故未だに固まっているのかは、わからない。もしかして、怪我をして動けないオビスを守っているのだろうか。そう考えれば、何故彼らがこの場から逃げなかったのか、納得がいく。


「さあ、どけ。ほら、見せろ……」


 固まっている群れにルチフが近づいていくと、群れはゆっくりほどけていく。巨大な体を押しのけて、ルチフは中央へ向かっていく。怪我をしたのはどのオビスなのか。軽いものならいいのだが、と考えながら。


 だが。

 果てに、ルチフは言葉を失った。

 思わず一歩退いた。瞬きをして、それを見つめる。

 オビス達が守っていたもの――それは、オビスではなかった。


 ――人だ。


 そこには少女が倒れていた。

 同い年くらいの、少女。


 ……何故オビス達が自ら牧場を出たのか、やっとわかった。

 オビスは賢い生き物で、人間達が自分達の味方だとわかっている。そしてオビスは目や耳がいい――きっと、牧場の外にこの少女がいるのを見つけたのだ。元々倒れていたのか、狼に襲われていたのかは、わからない。それでもオビス達は、このままでは彼女が危険だと判断して、柵を壊してまで全員で助けに向かったのだ。

 けれどもルチフが驚いたのは、人間がいたこと、そのことではなかった。


 屈み込めば、ルチフは震える手を少女に伸ばす。少女の赤い石のペンダントが、白い雪の上で輝いていた。彼女は目を固く瞑っているものの、まだ生きているらしく、呼吸にあわせて身体が上下していた。

 その彼女の髪に、ルチフはそっと触れた。

 暗い中でも、少女の髪はきらきらと輝いていた。雪の輝きを彷彿させるような――銀髪。


 倒れていたのは――銀の髪の少女だった。自分と同じ、銀の髪――。



【第一章 温もりは天高く 終】

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