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コキュトスでも涙は凍らない  作者: ひゐ
第六章 弔いの業火
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第六章(06)



 * * *



 爆発の衝撃に、渡り廊下を走っていたルチフとベアタは倒れそうになり、立ち止まった。

 風に乗って運ばれてきた悲鳴が耳を貫く。ルチフが顔を上げれば、少し離れた場所にあった塔が燃え始めていた。最初は根本から、そして炎は天を目指すように、徐々に上へ。


 この国は一つの巨大な城。地下で起こった火事が、全体に広がりつつあった。まるで大地から湧き出た炎が、国の全てを包み込もうとしているかのよう。そしてその炎が国のいたるところにある『薪の石』を包み込めば、『薪の石』は大きく爆発し、火の勢いはさらに激しさを増した。


 あたかも、石に変えられた人々の様々な感情が燃えているようだった。怒りや憎悪、無念――爆発し粉々になった『薪の石』からは、細い煙が立ち昇る。

 炎の熱気と煙は、天への導き――まるで王国全体で天を目指しているようだった。全てを燃やして、雲の向こうへ昇ろうとしている。


 ――否、業火に焼かれているようだった。


「……いつか、こうなることが運命だったのかもしれないわね」


 身体を起こしたベアタが、燃えさかる塔を見つめた。


「エンパーロはそれほどのことをしてきた。人を道具同然に見て、命を軽く見て……」


 大火災が起きているものの、渡り廊下を抜ける風は、依然として冷たかった。

 そして空を見れば、やはり重たい雲が空を覆っている。


「……『薪の石』が生み出されるより、ずっと昔の話よ。エンパーロはもともと……銀色の髪に青い目の人間だけが暮らす村だったそうよ。近くには黒髪の人間の村しかなくて、エンパーロだけは違うから忌み嫌われていたんだって……だからエンパーロは皆で協力しあってた。そして虐げられる痛みも知っていたはずだった。それが……」


 と、再びの衝撃に辺りが揺れた。渡り廊下が、不吉な音を立て始める。


「崩れるぞ! 走り抜けるんだ!」


 ルチフはベアタの手を握ると走り出した。塔に逃げ込んで振り返れば、渡り廊下は崩れ始めていた。先程までいた場所がゆっくり傾き、地へ落ちていく。


 明らかに火の回りが速く、また崩壊も激しかった。全ては『薪の石』によるものなのだろう。

 ――『薪の石』で成り立ったこの国は『薪の石』で滅びるのだ。


「急いでこの国を出ないと……巻き込まれるぞ!」


 ルチフが声を上げれば、ベアタもわかっていると頷いて、また廊下を走り出す。廊下は慌てる兵士や泣きわめく召使いで騒がしいものの、誰も二人を止めなかった。


「全く、ここは迷路みたいだな……!」


 先程からベアタに城門まで案内してもらっているものの、未だにそれらしきものは見えてこない。城内を走り、塔から塔へと駆け抜けてきた。


「簡単に出られないようになってるのよ! 人間一人でも、貴重だから――」


 そう言ったベアタのすぐ目の前で、突然扉が開いたかと思えば、炎が吹き出した。驚いたベアタはとっさに身を引いたため怪我なく済んだが、どうやら火はすぐそばまで来ているらしい。その部屋から溢れ出た炎は、あたかも生き物のように床を這い、壁を撫で、『薪の石』を見つければ包み込んで爆発を起こさせ、さらに燃え上がる。


「――こっちよ! こっちの大広間を抜ければ!」


 一瞬怯んだものの、ベアタはまた走り出した。その先に、開けた場所が見えた。そこへ、ベアタに続いてルチフは駆け込む。


 その次の瞬間だった。背後から誰かに体当たりされたのは。声を漏らし、ルチフは倒れる。それはベアタも同じで、ベアタも悲鳴を上げれば床に倒れた。


「立て!」


 そう声を上げたのは、兵士だった。いつの間にか、背後に二人の兵士がいた。ルチフはその二人に腕を掴まれ捕まってしまった。腰の剣に手を伸ばそうにも、すぐさま兵士の一人が鞘から抜き取り、傍らに投げ捨てた。

 その兵士は見たことのある服装をしていた――王の兵士だ。ルチフが隣を見れば、ベアタも捕まってしまっていた。


「――この大火事は、お前達の仕業だな!」


 この混乱の中でも、それを吹き飛ばすかのように激昂していたのは、見知らぬ男だった。正面から歩いてくる。その格好を見て、ルチフはすぐに誰であるかわかった――この国の、王。


「なんてことを――してくれたんだ! えぇ? 貴様、何をしたか、わかってるのか!」


 国王のロザは顔を赤くして怒鳴る。そして拘束されているルチフを怒りのまま蹴り飛ばした。

 痛みにルチフは顔を歪め床に倒れた。ベアタが「やめて!」と叫んでいるのが聞こえた。だがロザはやめない。床に倒れたルチフを、さらに蹴る。


「この……悪魔め……! 人喰いの……悪魔め……!」


 腹に蹴りをいれ、また踏みつぶそうとするかのように頭も蹴る。熱い痛みに、ルチフは息を吐き出した。額や頭のどこかが切れ、血が床に飛び散った。


「やめて! お父様! やめて!」


 ベアタが兵士の手から抜け出そうと、もがきながら声を張り上げた。その声はまるで喉が切れてしまうのではないかというほど、悲痛な叫びだった。それでもロザは止めない。


「こんな奴……死んだら外に投げ出してやる……王国の礎にもしてやらん……! 永遠に……苦しむがいい……!」


 再び腹を蹴られる。痛みが走り、ルチフが吐いたのは血だった。

 見上げれば怒りの形相のロザが見えた。だからルチフは睨んだ。


「……この国のやってることは、人のすることなんかじゃない!」


 血を吐きながらも怒鳴れば、ロザの顔がさらに怒りに歪み、その拳に力が入った。

 瞬間、ベアタが兵士の手から抜け出し、ルチフに抱きついた。そしてきっと父を睨み上げる。

 と、ロザは冷酷に笑う。


「――そうか、何故牢を出られたのか不思議だったが、さてはお前も姉と一緒で、抜け道を知っていたんだな? お前もあいつも、本当に不出来な娘よ!」

「……私はもう、あなたを父とは思っていません!」


 きっぱりとベアタは言う。するとロザは、


「おお! わしもお前をもう娘だとは思っていないぞ! 人喰いの村で過ごした娘なんてな! お前も喰ったのだろう? それこそ人のすることではない……なんとおぞましい……」


 わざとらしいほどに声を上げる。

 おぞましい、なんて。人のすることではない、なんて。


「――それは、そっちのことだろ……!」


 ルチフの叫びは、ゆっくりと広間に迫りつつある炎を揺らした。


「みんなを、人を、道具みたいに思って……!」

「お前達も、人を人として見ていないのだろう? わしらのことは、食料と見ていたのだろう?」

「……ふざけやがって!」


 両手をついて、ルチフは上半身を起こした。

 ……命を大切に思うからこそ、そうしてきたのだ。この国とは訳が違う。

 この国は多くの犠牲の上に、一部の人間が立っているのだ。

 ――皆と共に生きようとした、オンレフ村とは違って。


 と、次の瞬間、ルチフは再びロザに蹴られ、吹っ飛んだ。床に頭を打ちつける。

 すぐさまベアタが追おうとしたが、そのベアタまでも、ロザは殴り飛ばした。そしてロザは、再びルチフを見据える。


「そもそもお前は国の裏切り者の息子! 本当に……どうしようもない奴よ!」


 それから腹立たしげに続けたのだった。


「カイナもカイナよ! こんな裏切り者の息子の、それも人喰い悪魔を連れ込んで! 自分で兄を告発しておいて……何を考えているのだか! お前の一族は皆頭がおかしいのか?」


 ――自分で兄を告発しておいて?


 ……その言葉に、ルチフは怒りを忘れた。

 兄、というのは、自分の本当の父親のことだろうか。

 ――告発、というのは。


「おや……頭がおかしいのは、事実だろう? お前は人喰いで、この国を燃やした! カイナの兄エンティオはこともあろうか召使いに惚れ、子を作った上に国を出て行った! カイナはその兄の狂気こそ告発したが、十五年経ったいま、お前に入れ込んでいる! どいつもこいつも、狂っているとしか思えんだろう!」


 ルチフが唖然としていると、ロザは言う。


 ――兄の狂気を、告発した。

 微笑むカイナの姿が脳裏をよぎってかき消える。

 ――カイナは、本当の両親は、ほかの人間に関係が知られてしまったから、罰を受ける前に国を出て行ったと、言っていた。

 ルチフはただ、青い目を見開き、ロザを見ていた。


「カイナも戻ってきたら始末しろ! やはりあいつも信じられん奴だ!」


 ロザは背後の兵士に怒鳴った。と、その時、まるで世界の全てが震えているかのような揺れが広間を襲った。獣の咆哮のような音が、外から襲うかのように響いてくる。窓の外を見れば、燃えさかる塔の影が、ゆっくりと崩れていくのが見えた。


「――ええい! 鎮火はまだか!」


 ロザが近くの兵士に唾を飛ばしながらまた怒鳴る。広間の端を見れば、火の手はそこまで迫ってきていた。


「……もう無理です! 国王様! この国は……終わりです!」


 広間へ走ってきた兵士の一人が、半泣きになりながら叫んでいた。


「ここも崩れます! 国王様、外に『雪車』を待たせています、早く――」


 そこでロザがかつかつとその兵士に歩み寄ったかと思えば、腰の剣を抜いて、その兵士の胸に突き刺した。剣は兵士の身体を貫通し、血にまみれ、その切っ先から血が垂れる。兵士は声を漏らし、剣を抜かれると目を見開いたままその場にくずおれ、もう動かなかった。

 ほかの兵士がどよめいた。だがロザには、何も見えていないらしかった。


「この国が終わるだと! そんなことを口にするなんて反逆者も同然だ!」


 そしてロザは剣を手にしたまま――今度はベアタへと向かって歩き始めた。


 ……ルチフは起き上がろうとしたものの、身体は痛く、重かった。

 ベアタの目の前まで来たロザは、娘が悪魔同然であるかのように睨みつけた。対してベアタも、毅然と睨み返す。顔は煤に汚れ、殴られた頬は赤くなってしまっていた。だが青い瞳だけは強い意思を宿して燃えていた。


 ――それはとても美しくて。けれども目前にある血塗られた剣が、宙を切り裂いて。


 鋭利な先が、ベアタの胸に音もなく沈み込む。そして背から芽が出るように生えてきた切っ先の輝きは、赤く染まっていて『薪の石』を彷彿させる。


 ベアタの背と胸に、深紅の花が咲いた。ロザが投げ捨てるかのように剣を抜けば、滴った血の滴が花弁のように舞い、ベアタの身体は打ち捨てられる。

 深紅の花が、その花弁を大きく広げ、ゆっくりと床にまで広がり始める。


「ベアタ――」


 その瞬間、虚しいほどに身体が軽くなって、ルチフはベアタへと駆け寄った。

 身体を抱き起せば、ベアタは微笑んでいた。その青い瞳にルチフを映して。


 声なく、彼女は名前を呼ぶ。そして、まるで幸福に包まれているかのように、血を吐きながらもルチフの身体に腕を回して。


「ずっと、いっしょ、に……おねが……い……」


 血の赤さを纏った唇が、か弱い言葉を紡ぐ。

 その赤い輝きは、命の輝き。魂の輝き。


 ――死んでも、共に生きていく。


 死にゆくベアタの唇に、ルチフは唇を重ねた。

 自分の血の味と、ベアタの血の味が、混ざる。身体の中に、入っていく。温もりが、身体の中に。ベアタの魂が、とけ込んでいく。一つになっていく。

 ベアタは憶えていたのだ。


 ――ありがとう、と。

 だらりと、回されていた腕が垂れた。


「ベアタ……?」


 ――身体はまだ、温かかったのだ。まだ生きている気がした。しかしその身体は、重く。


「この――クズが!」


 かつかつと寄ってきたロザが、ベアタを抱いていたルチフを蹴り倒した。するとベアタの身体はルチフのもとを離れ、ロザはその遺体をも激しく蹴り飛ばす。

 重くも広間の隅に飛ばされたベアタの身体は、赤い炎に包まれる。あの長い銀髪が煙のように揺れて、ドレスも黒くなり、生気を失っていた瞳は炎の色に染まった――。

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