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コキュトスでも涙は凍らない  作者: ひゐ
第四章 天使達は雷鳴とともに
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第四章(01)

 珍しく雲の薄い夜だった。月光を吸い、雲はぼんやりと光っていた。それでも世界は冷え込んでいて、やがてまた雲は厚くなるのだろうと、誰にでもわかる夜だった。


 体調も回復し、腕の怪我もすっかり癒えた。ニヘンがすでに寝てしまった夜中、ベアタは一人、家の外に出た。


 向かったのは、村の広場。憩いの場にもなっている広場だが、深夜には誰の姿もない。ただ中央にある大きな焚き火だけは、煌々と燃えている。ベアタは焚き火を囲むように横たわらせてある丸太に腰を下ろし、ふと、遠くを見つめた。


 見つめた先にあるのは、村から少し離れたところにある、世界を隔てるような絶壁。


 赤い石のペンダントを握りながら、しばらくの間、ベアタは言葉なくその絶壁を見つめていた。と、思い出したように、手の中の赤い光を見つめる。


 突然、囁き声のような物音がしてベアタがそちらを見れば、焚き火で薪がくすぶっていた。

 ベアタはその赤い炎をじっと見つめる。赤々とした炎は、血の色とは別の色をしている。温かく、遺体を燃やせば天にその魂を昇らせてくれるという、炎。


 ペンダントの石を見れば、冷たい赤色。生きていない赤色。


 もう一度、ベアタは焚き火の炎を見据えた。


 ……一体どれくらいの時間、炎を見つめていたのだろうか。


 やがてベアタは、ペンダントを握る手の力を、そっと抜いた。

 そしてその手を、ふわりと、振った。


 宙に投げ出された赤色が、流れる涙のように光を反射した。炎の中へ、飛び込んでいく。

 炭になっていく薪に混じるように、ペンダントは熱の中に落ちた。冷たい赤色は、炎の熱く、温かい赤色に染まっていく。すぐに紐の部分が燃え消えて、石だけになった。だがその石も、突然燃え上がったかと思えば、悲鳴のような音を立てて、割れて砕けてしまった。

 石はそのまま、溶けるように小さくなっていく。やがてペンダントは、跡形もなく消えてしまった。大きく燃え上がった炎からは細い煙が伸び、少しして、炎は小さくなっていく。そしていまの出来事が夢だったかのように、元の大きさに戻った。


 ベアタは何も言わずに最後まで見届けた。

 ――涙を流しながら。



 * * *



 ベアタが村を飛び出してしまった騒動から、かなりの日数が経った。思えば彼女が村に来てから、結構な日々が過ぎていった――ふと、ルチフは、そうしみじみと感じ溜息を吐いた。

 狼にやられた足の怪我は、かなり前に完治した。もう十分にオビスの世話をできるようになっていた。いつもの平穏が戻ってきていた。


 昼下がり。ルチフは柵を補修するための木材をもらい、牧場へ帰る途中だった。荷車に木材を積んで村の中を進む。

 その時だった。広場で、ベアタと誰かが、仲良く話しているのを見かけたのは。広場の焚き火を囲うようにして並べられた丸太に、誰かと並んで座っている。


 リビだ。村の同い年の少年。何を話しているのだろうか。二人とも、楽しそうだ――。


「――おっ、おっ、おっ? これは……これはぁ……?」


 ルチフが止まっていると、背後から、からかいの声が。


「――やきもち?」

「黙れチャーロ」


 ルチフがわずかに荷車をひけば、そこに寄りかかっていたチャーロがバランスを崩して転びそうになった。けれどもチャーロは笑ったまま。


「許してあげなよ! この前君も、アーシュマと何か楽しそうに話してたじゃん。僕見たよ?」

「……お前って、結構そういう……人のあれこれ見るの好きだよな……あれは、オビスの話をしてたんだ……ていうか、やきもちじゃない」


 ルチフはチャーロを睨んだ。だがチャーロはへらへらしたままで、頭の後ろで手を組む。

 チャーロが調子よく笑っているのは、いつものことだ――溜息を吐いて、ルチフは再び広場へと視線を向けた。


 ……この村にもう一人、銀髪に青い目の人間がいることが、当たり前になっていた。

 ベアタがいることが、普通になっていた。


「……あいつもずいぶん、村に馴染んできたなって」


 それは本当に嬉しいことで。

 ――しかし、ああして他の村人と話しているのは、自分と話す機会が減るような気がしなくもなくて。


 と、話が終わったのか、リビが広場を離れ、ベアタが立ち上がりその背に手を振る。そして残されたベアタはまた座ろうとするものの、


「――ルチフ、チャーロ!」


 二人に気がついて手を振った。反射的にだが、柄にもなく、ルチフは手を振り返す。そこでチャーロはどこか意地悪そうな笑みを浮かべて、


「……僕、ばあちゃんに、あれやれこれやれ言われてるから……じゃあねぇ」


 と、ささっとどこかへと行ってしまった。思わずルチフは顔をしかめたが、ベアタがこちらを見て笑っている。待っているようだったため、荷車をひいて一人向かった。


「さっき牧場に行ったら、いなかったから、また後で行こうって思ってたんだけど……村の方にいたのね……それは?」


 ベアタは荷車に積まれた木材を見て尋ねる。ルチフは答えた。


「柵を直すのに必要で」

「あら、なら、手伝うわ」


 そう言ってくれるのはありがたいのだが。しかしルチフは首を傾げる。


「……何か、俺に用があったのか?」


 先程の口振りから、そう思えるが。

 ベアタははっとすると、丸太の上に置いてあったそれを手に取り、ルチフへと差し出した――青灰色の編み物だった。


「マフラーよ。ニヘンさんに教えてもらって、編んだの……ほら、ルチフのマフラー、私、だめにしてしまったでしょう? だから、あなたに」

「……俺に?」


 そうマフラーを受け取ると、少し重たかったものの、温かかった。

 ルチフは呆然とそのマフラーを見下ろしてしまった。戸惑ってしまったのだ。ベアタから、マフラーをもらえるなんて。


「……ねぇ、巻いてみて?」


 嬉しさのあまり我を忘れていると、ベアタにせかされて、ルチフは慌ててマフラーを巻いてみた。すでに巻く前から、顔が熱を持っていることに気付いて、それを隠すかのように巻いてみる。巻いてみる、が……。


 ……巻いて見せると、ベアタの柔らかな笑みが苦みを帯びた。それもそのはずだった。


「……やっぱり、長かった……わね」


 ベアタの手編みのマフラーは、身に付けても両端がルチフの膝まであった。


「ご、ごめんなさい……その、編むのが楽しくなっちゃって……」

「……いや、温かくていい。ありがとう」


 確かに長いものの、マフラーはとても温かかった。

 とても温かくて、幸せで。より顔が熱くなってきて、ルチフは顔をマフラーに埋めた。


「……よかった」


 不安そうな顔をしていたベアタも、また柔和な笑みを浮かべた。


 その時だった――ベアタのペンダントがないことに、ようやくルチフが気付いたのは。


「ベアタ、ペンダントは?」


 あれはベアタが大切にしているものだ。肌身離さずいつもつけている。それが、ない。

 とっさにルチフは辺りを見回した。また落としてしまったのかもしれない。けれども辺りに赤い光は見あたらない。


「誰かが拾ってるかもしれない、聞いて回るか……」


 そう提案したけれども。


「あ、あのペンダントなら、大丈夫。どこかに落としたわけじゃないから……」


 ベアタがつと、俯いた。どうしたのだろうか。その表情は少し曇っていた。

 彼女はまるでルチフから目をそらすように、そのまま元のように丸太に腰を下ろした。広場の中央にある大きな焚き火を見据える。青い瞳の中で、温かな色が踊った。


「……あのペンダントはね、燃やしちゃったの」


 ベアタはちらりともこちらを見なかった。

 後悔している様子はなかった。けれども、何かを失ったようには、見えた。

 悲しんでいる、というよりも、寂しさを覚えているような。


「……そうか」


 間違いなく、あのペンダントは彼女にとって大切なものだった。それだけは、何も言われなくとも、ルチフにはわかっていた。それを、燃やしてしまったなんて。一体どんな理由でなのかはわからない。聞いても話してくれないような気がした上に、聞こうとも思えなかった。


 ――ベアタが、そうしたのなら。

 ……ベアタのその表情は、どこか前向きな様子も見えた。


 そっと、ルチフはベアタの隣に座った。

 一緒にいたかった。


 並んで炎を見つめていると、ベアタの手が、自分の手に重ねられた。白く、冷たい手。それでも重ねていると、優しい温もりを徐々に感じ取れる。

 ルチフはその手を握った。


 目の前の焚き火が、ぱちぱちと音を立てていた。そんな穏やかな日だった。

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