秘密の場所⑵
日が暮れて、木々の秋風に揺られる姿が虚ろになり始める頃。草の葉に頬をくすぐられて目を開けた。
いつの間にか、芝で眠ってしまったのか。
硬くなった上半身をゆっくり起こすけど、体の節々が痛く手足の先が冷たい。
こんな状態になるまで、どれほどの時間寝ていたのか。
後ろに頭を倒し首を捻ると、すぐ目の前に蹲っている女性が飛び込んで来た。哀愁を漂わせながら、空を見上げている。手を伸ばせば、簡単に触れてしまえる距離だ。
「うわぁっ!」
悲鳴のような声を上げて、僕は反対側へ倒れ込んだ。とっさの叫びは自分でも驚くほどの大きさで、それはもう何年ぶりに出したのかと言うくらい。
一体、何が起こった? どうして、こんな至近距離に女の人が座っているんだ。
薄暗くてはっきりと判別出来ないけど、見た感じは二十歳くらいと、僕より少し年上に見える。
白いブラウスに、上下が分かれた黒っぽいワンピースのような形のズボン。緩やかな髪を下ろした女性は、ハッとした様子でこちらへ目を向けた。
たった今、僕に気付いたかのように。さっき隣で、あんなに大きな叫び声を上げたのに、だ。
「……大声上げて、すみません」
重い腰をゆっくり上げて、尻の砂をサッと払う。早く帰らなければ。
周りを見渡しながら僕の顔を確認すると、彼女は自分の頬や胸に手を当てて、一呼吸置いてから。
「それ、私に、言ってるの……?」
ふわっと風が舞って、長い髪が宙に揺られた。その儚げな表情が、なぜか知るはずのない大人になった月城に見えて、胸をぐらつかせる。
──もう、彼女はいない。
正気に戻れと脳から指令を受けて、淡々とした口調で返す。
「あ、はい」
ここには僕らしかいないのに、この人は何を言っているんだ。
「……そっか、そうだよね。ああ、よかった! でもどうしよう。ねえ、ここはどこ?」
挙動不審な言動に身が震えた。情緒不安定なのか? 関わらない方が身のためだ。
軽く頭を下げて石段を降り始めたら、勢いよく呼び止めてきた。必死に腕を掴んで、行かないでと何度も繰り返している。
困った眉、目、口が、月城に助けを求められているみたいで、止まるしかなかった。
好きと伝えることも、さよならも出来ずに別れてしまったあの時から、僕は月城への後悔と執着を捨てられずに生きてきた。
気付いてあげられず、彼女の気持ちを置き去りにした日から。
「行かないで、お願い。ひとりにしないで」
声を震わせながら、女性は僕にしがみ付いて来る。そんな言葉を掛けないでくれ。
草木を揺らす秋風は、彼女の髪からほんのりと香りを運ぶ。清楚で懐かしい匂いを、僕は知っているような気がする。
「……サヤ」
今にも消えてしまいそうな、でも確かに、間違いなくあの名を口にした。
心臓が大きく跳ね上がり、鼓動が加速していく。
「今、なんて」
「……小夜。そう、私の名前は綾瀬小夜」
まるで自分に言い聞かせるように、彼女はもう一度名を呟いた。
雰囲気だけでなく、名前まで同じ人と出会わせるなんて。この世界は、僕を嫌っている。
彼女の話によると、眠りから覚めると辺りは光ひとつない暗闇で、前も後ろも分からない場所を彷徨っていたらしい。
「その世界には私しかいないのに、時々どこからか声が聞こえるの。でも怖くて聞きたくなくて、途中から聞こえないフリしてた。そしたら突然、真っ暗闇の世界に色が付いたの。君の叫ぶ声で」
「……僕?」
瞬きをしながら、自分を指差す。
「君がこの世界へ導いてくれたのかな」なんて言うから、余計に困惑した。