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星空シンドローム  作者: 月都七綺
【第二章】高校三年、幻実
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氷雪の蛍火⑸

 一層寒さが増し、家の近くにそびえ立つ梅の木はつぼみ可憐かれんに開き始めた。

 気づけば小夜と出逢って二ヶ月余りが過ぎていた。オムライスを作ってくれた日からずっと、帰宅すると毎日おかえりと僕を抱きしめ、僕はただいまと返す。

 口には出さないけど、お互いにまだ会える喜びを確認し合うみたいに。


 二月に入った日曜日。昼下がりの穏やかな光を浴びて起床した。ぬるま湯で顔を洗い歯を磨く。寝癖を直して、黒シャツに細身のパンツで身だしなみを整える。

 自室のドアの前、壁に背をあずけて小夜を待った。なんとも言えぬくすぐったい心境で。

 一緒に出掛けるのは初めてではない。でも、今日はどうしてか、そわそわしている。


「変じゃ……ないかな」


 上半身を半分だけ扉から出して、恥ずかしそうに白い頬を染める彼女の姿に胸が高鳴る。

 花柄のブラウスに、膝上のタイトなスカート。もちろん手元には黒レースの手袋が付けられていて、エレガントな装いだ。

 ワンピースに憧れていた彼女へ、僕がプレゼントしたもの。特に意味はなかった。ただ、着て欲しくなったから。


「ねえ、何か反応してよね」


 ほうけていた胸元に、コツンとこぶしが当てられる。


「ああ、うん……似合ってます。店員さんに聞いて買ったから、好みじゃなかったらすみません」

「ううん、すごく好き。こんなお洒落な格好した事ないから、ちょっと緊張しちゃう」


 少し目線が下がるまぶたがキュッと上がると、黒目が上方にかたよって艶っぽく見えた。

 暮れ紛れ時、僕らは家を出て石畳の坂を下りて行く。道沿いの両側にはアイスキャンドルが並び、ほのかな灯りが連なって薄暗い町を照らす。

 キャンドルの中には紅葉や南天が入っていて、より美しさを際立てていた。


 僕の住む軫宿は昔、宿場長だった。現在では、ほとんどが普通の民家になっているけど、水舎小屋と古い街並みはそのまま残されている。

 このアイスキャンドルの正体は、各宿場町の跡地一帯で行われる『氷雪の灯祭ひまつり』という催しだ。


 木目のベンチ、軫宿郵便局、そして水車小屋の前にも氷の灯が並んでいる。

 坂の下には昔ながらの商店が顔を揃え、普段は閉まっている各々も、この祭りの間だけ特別に暖簾のれんを上げる。

 五平餅やおやきを食べながら神社の前を通り、しばらく先へと進むと小さな川が現れた。


 まだひと気のない河原に降りて、灯のともる石の橋を渡って行く。その幻想的な世界は、よどんだ人間の世界を忘れさせてくれる。

 僕たちは河原の丸石に腰を下ろし、水面みなもに写る灯を眺めた。


「このキャンドル、最後は溶けて無くなっちゃうんだね。こうして見てると、命の灯火ともしびみたい」


 静寂としたこの空の下で、水の流れる緩やかな音が僕らしかいないことを知らしめる。

 微妙に離れた距離。けれど、手を伸ばせば指に触れられる間隔かんかくは、互いに意識している事を現していた。


 あの交通事故により、君は二年前から昏睡状態で入院している。今も生きている。そう明かすと決めた。

 月城の母親と話した時、となりから苦しみの音が漏れていた。自分の家族と重ねていたのかもしれない。

 心残りを消していくほど、新たな未練が生まれ、長く一緒にいるほど、とどまっていたいと思わせてしまう。

 生きたいと目覚めさせなければ、小夜を見殺しにすることになる。小夜の家族を裏切ることになる。そう気づいた。


 もう少しこのままでいたい。彼女に触れたい。心の奥底から押し出る邪心は、捨てなければならない。



「ねえ? 私が前に、生まれ変わりってあると思うか聞いたの……覚えてる?」


 視線を川に向けたままの小夜が呟く。

 ザッと強い風が吹いて、草木や彼女の長い髪が空へさらわれそうになった。


「覚えてますよ」

「今はどう思う? やっぱり、ないかな」

「……分かりません。運命とか生まれ変わりとか、そうゆうの信じてないから。でも、僕は小夜さんに出会った。それだけは紛れもない事実です」


 白い吐息が現れては、すぐに暗闇の中に消えていく。草葉に置く露のように。

 おもむろに伸ばした手が、彼女の指に触れた。


「成仏しなくていいから」

「……え?」

「生きていて……ほしい」


 キャンドルの小さな灯りに照らされながら、小夜は潤む瞳を堪えている。まるで、なにかを察しているかのように。

 左の指先にある柔らかな感触が、ふわりと消える。黒いレースの手袋が冷たい地面に落ちていた。


「そっか……もう、時間なんだね」


 震えながら胸の前で握る彼女の右手は、氷のように透き通っている。衝動的にその腕を掴んで、小さな体を抱き締めていた。胸の中で蝶の羽音のような声が聞こえて、背中に細い手がそっと触れる。

 コートを掴まれる感覚は片側しかなくて、その手は小刻みに戦慄(わなな)いていた。


「手が、なんで……。もしかして、小夜さん、気づいて……?」


 強める腕には、まだ彼女の感覚がある。恐怖心に襲われながら、僕は抱きしめることしか出来ない。

 目を覚まして欲しいと、事実を告げると決意したけど、別れはもうしばらく先だと決めつけていた。


「初めは、早く成仏しないとって思ってたの。でも、理人といるうちに、このままでもいいかもって、思い始めて」


 震えながらも落ち着いた声で話すから、うなずいて聞くしかなかった。

 彼女との時間は、もうほとんど残っていないと悟ったから。


「気づいたのは、少し前。いろいろ違和感が出て来て。事故から二年経ってるって、知った。もしかして、私、まだ死んでないのかもって。成仏したいじゃなくて、理人と一緒にいたいって思うようになったの。生きていたい……って」

「……小夜さん」

「でも、怖くて。いつ消えちゃうか、元の自分に戻ったら、理人の記憶からなくなっちゃうんじゃないかとか。そんなことばかり考えてた。いっそのこと、私のこと嫌いって言ってくれたら……突き放してくれたら」

「そんなこと言わない」


 最後の言葉に被せるように、胸の奥から声が出ていた。


「いつからなんて、分からない。どこがって聞かれても即答出来ない。けど、嘘は言えない。言いたくない。好きだから。何回でも言う。僕は、小夜さんが好きなんです。どうしようもなく……、好きになってしまったんです」


 抑えられなかった。想いがあふれ出すとは、こういうことなんだ。

 彼女が消えてしまう勢いからではない。知らないまま、去って欲しくなかった。伝えておかなければいけないと思った。


 ──もう二度と、彼女には会えないかもしれないのだから。


 そっと体を離した小夜の瞳から、見たことのない大粒の雫が流れ落ちていた。しなやかな体が宝石のように光を放ち、暗闇の中で輝き始める。

 頬に手を伸ばし、優しく触れた。光のせいなのか、しっかりと肌を感じることが出来る。


「初めて……、(さわ)れた。あったかい」

「理人の手って、こんなに温かかったんだね。知れて、嬉しい」


 体温があるように感じられるのは、きっと小夜を包む小さな星たちが熱を持っているからだろう。

 濡れた下瞼を親指で拭う。彼女の瞳の中には僕がいる。しっかりと、その瞳子(どうし)に焼き付けてくれている。


 徐々に顔が近付き、小夜はゆっくり瞼を閉じる。甘い感触が口元と脳内に広がって、それは一瞬にして立ち消えた。

 静かに目を開けると、空には虹の星が放たれたように七色の光りが耀いていた。片方の瞳から一粒の滴が零れ落ち、もう片方からも。涙は止めどなくあふれていく。



「……小夜さん……小夜さん」


 星の光が消えた空の下は、金剛石のように暗く、キャンドルの灯は溶けてなくなっていて、色のない世界に僕だけが座っていた。

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