星空の記憶⑵
終わっていた星の光が、再び現れた。大きな宝石のように輝きながら、星屑の海を水しぶきを残すように流れていく。
暗闇は電気を付けたように──パァッと白く明るくなった。あまりの眩しさに、僕は身構えるようにして目を瞑る。
激しい光が収まり、ゆっくり瞼を開く。
突然、真正面から白衣の女性が歩いて来るのが目に入った。
危ないっ! と反射的に体を避けるけど、その人は表情ひとつ変えないで去って行った。
一体、なんなんだ?
白い空間に何室も並ぶ部屋。遠退いていく医療用ワゴンのタイヤ音や無数の金属が触れ合うかん高い音が煩音として耳に響いている。
白衣を着た何人かの看護師とすれ違って、ようやく病院にいるのだと理解した。
どうして、僕はこんなところに立っているのだろう。不思議に思いながらも、足が前へ進んでいく。
目の前に見える特別小児病棟の文字が、僕の心臓部を掻き立てた。近付いて自動ドアの前に立ってみるけど、開く気配はない。
後ろから来た看護師に続いて、扉の向こう側へ入ることが出来た。
ここでは、僕の存在は認識されていないらしい。手足の感覚もない。
これは妄想か夢の中なのだろうか。考えてみると、色褪せたフィルムのような映画を見ている感覚に近い。
急に看護師が振り向くから、驚いた僕は隠れようとした。もう一度、心臓が跳ね上がる。
ナースキャップの後ろで綺麗に結い上げた髪。凛としているけど幼さの残る清楚な顔は、紛れもなく小夜だ。
「……なんで?」
僕の声に反応することはなく、彼女は医療ワゴンから何かを取り出して個室へ入って行く。
やはり、僕のことは見えていないようだ。
小さな部屋には、窓側を向いてベッドに横たわる女の子の姿があった。天井には星空の写真、壁には無数の絵が貼られている。
「綾瀬さん、遅かったね。もしかして、また怒られちゃった?」
女の子がこちらを向いた時、高鳴っていた心臓が止まった。暑くもないのに額に汗が滲み出て、呼吸が荒くなる。
さらさらした胡桃色の髪、透き通る肌に映える桃色の唇。懐かしさが込み上げる声の主は、月城サヤだ。
「一番新人さんだから、風当たり強いんでしょ」
「サヤちゃんには、なんでもお見通しね」
笑い合う彼女たちは、とても親しげに見えた。
カメラのフラッシュのように部屋が光ったと思うと、次に瞼を開けた時には場面が変わっていた。
病院の中庭らしき場所で、白衣姿の小夜が月城の車椅子を押している。天気が良いから散歩だろうか。
「私、向いてないのかなぁ。今朝も単純なミスしちゃってね」
「元気出して。遠距離の彼はどうしたんですか? お話聞いてもらったの?」
「最近あんまり連絡取ってなくて」
「ちゃんと取らなくちゃダメだよ。綾瀬さんは、好きな人と繋がっていられるんだから」
「そうゆうサヤちゃんはどうなの? 書いてた手紙、出した?」
首を横に振る月城は、寂しそうな目をしている。まるで映画を見ているかのように、僕は彼女たちを無心に見つめた。
「ずっと、私は恋をしちゃいけない人間だと思ってました。好きになった人は、きっと不幸になる。いつ死ぬか分からない人間に好かれても、重いだけだから」
「サヤちゃん……そんなこと」
「でも、一人だけいたんです。星空を見てると、どうしようもなく会いたくて、声が聴きたくなる。そんな星空症候群を発症する人」
「星空症候群? 初めて聞くよ」
「良いネーミングでしょ?」
再びチカッと大きく光って、僕は夜空の屋上にいた。車椅子に座る月城の頬は少し痩せていて、手足も細くなっていた。
小夜が小さな弱々しい手を握って、空の星を見上げている。
「こんな時間に、こんなとこ来ていいの?」
「久しぶりの星空見たいでしょう? 今日は、星が綺麗だから」
「綾瀬さん、また現実逃避ですね」
「ほんとにサヤちゃんと見たかったの」
「知ってますか? 星は夜空でしか輝けない。暗闇は希望を生み出す魔法の時間なの。だから、星空の下で願い事をすると叶うんだよ」
「なあに、ロマンチックね。願ったことあるの?」
「願いごとは、いつか叶うよ。ねえ……くん……」
合うはずのない月城と目が触れ合った気がした。こちらを見て、何か言っている。
「……くんって、例の……」
ザザッ、ザザッという効果音と共に、小夜の姿が波打つように乱れ出す。
続けて月城が背景へ滲み出し、世界が歪み始めた。小夜の記憶を辿るみたいに、アルバムから飛び出したような映像が僕の横を通り過ぎて行く。
それは、ほんの数十秒の出来事だった。
現れた白い光が消えて瞳を見開くと、僕は秘密の場所に戻っていた。冷えた手足の指先がジンジンしている感覚が伝わってくる。息が苦しいのは、鼻を覆うマフラーのせいだろうか。
それとも、さっきの光景が妄想ではなく、小夜の記憶を見ていたのだと物語っているからなのか。
夜空を見つめる小夜の横顔は、流れ星が現れる前と変わらずで、時間の経過がないことを示していた。
「その子との別れが辛くて……しばらくして、地元の診療所に転職したの」
「……別れ」
現実を忘れかけていた。
あの後、三月二十六日に月城はこの世を去ったんだ。
「そうだ、 はづきくんだ」
「え?」
「最期の時、あの子笑ってたの。家族に見守られながら幸せだったって。それから、天井を見て何か言ってた。誰かに話し掛けるみたいに。『さよなら、はづきくん』って」
瞳から雨粒のような滴が流れた。瞬きをすると、反対側からも透明な筋が伝い、また熱いものが込み上げた。
「あの子にとって、特別な男の子だったの。お別れの言葉、自分で伝えたかったと思う。はづき繋がりで、つい話し込んじゃった」
隣から鼻をすする音が聞こえてくる。僕は気付かれないように、俯き気味に涙を拭った。
月城が僕らの前から去った後の人生には、いつも小夜がいたんだ。暗闇の中に、ひとり残されていたわけではなかった。
そして、僕が言えなかった別れの言葉を残してくれた。最期の時まで、彼女の心には僕がいたんだ。僕が彼女を思い続けていたように。
心の奥底に眠っていた月城に対しての後悔と執着が、星空に溶けて消えた。




