凛冽なる冬⑵
それなりに女子と会話を交わして、歌も一曲だけ歯を食いしばって歌った。
「羽月くんって、声かっこいいね。落ち着いててクールだし。黒一色の服装もなんかミステリアスって感じ」
席替えで隣に座った女の子が、僕の耳元でポツリと呟く。その様子を前で見ていた三好が、小さくガッツポーズをして満ち足りた表情をした。なんの合図だよ。
とりあえず機嫌は治ったようで僕はホッと胸を撫で下ろす。
トイレへ立つと、後から三好が追いかけて来て僕に声を掛けた。
「羽月、大丈夫? やっぱ無理してる?」
洸哉が居ることをとやかく言われるかと思ったが、一応心配してくれているようだ。
「まあ多少。でも居心地はそれほど悪くないよ。たまには、こうゆうのも良いかなって」
「じゃあ、また誘っていい? さっきの子、羽月のこと相当気に入ってるみたいやから」
「それは……どうだろ」
曖昧な返答をしつつ、トイレへ身を隠す。さっきの言葉は嘘では無いけれど、正直神経をすり減らしているのは事実だ。慣れないことを、何時間もするものではない。
しばらくして廊下へ出ると、スマホをいじりながら三好が壁に寄りかかっていた。まだ居たのかと思う反面、少し安堵している。
あの空気に一人で戻るには勇気がいると思っていたから。それを分かっていて、彼女は待っていてくれたのだろう。
個室の前に立ち彼女がノブに手を掛けようとした時、室内から歌声ではない音がマイクから飛び出した。
──死神。
思わず伸ばされた三好の手を阻止する。聞き覚えのある単語に目をひん剥いて、背筋には凍るような風が吹きついた。続けて聞こえてくるマイクの音声は、三枝のものだ。
「羽月ってどっかで聞いた名前だと思ったけど、やっと思い出した。中学の時、アイツ女の子死なせてんだぜ。お前ら、付き合うのやめた方がいいぞ。マジで呪い殺されるかもな」
「なにそれ。死神だから全身真っ黒だったの? 怖すぎだって」
三好の手を押さえていた僕の指は、脱力してだらんと体の横に落ちた。
隣で聞いていた彼女は、気まずそうな視線を僕に向ける。
「用事思い出したから帰る。ごめん、お金立て替えといて」
後ろで僕の名前を呼んでいたけど、お構いなしで店を出た。突然合コンを抜け出す事を良い行為だとは思わないけど、致し方なかった。
穏やかな日常を過ごすうちに、すっかり忘れていた。
僕には、死神という別名があった事を。
それから、僕が彼らに連絡を入れる事はなく、また彼らから来る事もなかった。どう反応したら良いのか、分からなかったのかもしれない。僕もそうであったように。
この世界は僕を嫌っている。再びその感情が芽生えたのは、新年を迎えた一月一日。
三好からの電話によって、僕の思いは確信へと変わった。
元旦を迎えた朝。家族で雑煮を食べ終えてから、何もする事がなく近所の神社へ向かった。
黒のチェスターコートに黒いマフラーを巻いて、雪化粧をした水車小屋の前を通った。僕の隣には、黒レースの手袋にグレーのマフラーで口元を隠しながら歩く小夜の姿がある。
霊体の彼女を神社に連れていくのはどうなのかと思いながら、初詣へ行きたがる彼女の押しの強さに負けたのだ。
石畳の坂を下り、平坦な道をしばらく行くと小さな神社が見えて来る。地元の人がちらほら訪れる程度の古寂びた場所だ。
鳥居をくぐり、こじんまりとした手水舎で身と心を洗う。
「理人は、何に怯えてるの?」
小夜が僕の変化に触れたのは、初めてだ。
「まあ、話したくない事もあるよね」
左手が引き寄せられるように柔らかな感触に包まれた。小さな手が、僕の骨張った指を掴んでいる。
頬が紅潮して、触れている手が妙に緊張した。
「こうすると安心するんでしょ? それだけだよ」
「……うん」
小さな子どものように、穏やかな手を握り返す。自分から触れたこの前とは、まるで違って感じた。
どこからか聞き覚えのある音楽が流れて来る。ズボンのポケットに入っているスマホの着信音だ。
一瞬出るのを躊躇ってから、僕は仕方なくスマホに手を伸ばした。左側は小夜の手を握ったままで。
電話の向こうから聞こえたのは三好の声。途切れ途切れで、嗚咽を交えたような尋常でない口調だった。
「……洸哉、夜中に……私、今……」
何を言っているのか理解出来ないほど、語調は咽び泣きで乱れている。ただならぬ空気に、胸中が騒めいた。
「三好、落ち着いて。ゆっくりでいいから、何があった?」
「こ、洸哉が、洸哉が……事故で……」
スマホを握り締めたまま、瞬きすることも忘れたように、しばらく動けなかった。
息苦しさの中、浮き上がって来る温度のない左手。氷のような冷たい手を、反射的に離した。
どれだけ握っていても温かくならない手。それが今になって現実味を帯びてきて、震えが湧き上がる。人の死に直面する恐怖に襲われた。
「私が怖くなった?」
哀愁に満ちた目。でもどこか受け入れている表情に、何も答えられなかった。
離れた手が再び握られる事はなく、初東風が吹きつける左手は、さっきより寒い気がした。
──僕は、本物の死神だ。




