淡雪と哀雨⑴
白い綿帽子のような初雪が舞い降りて、今年も残り二週間を切った。街の人々は年末へ向けて忙しなく時を歩いている。
冬休み前、最後の日曜日。音楽を聴きながら約二時間電車に揺られたのち、僕は見知らぬ地に立っていた。人影すらない閑散とした無人駅。
「これ、大丈夫なんですか? 乗車詐欺されそう」
「そんな罪人はここにいないの! こうゆう小さな駅は、地元の人しか降りないから大丈夫なの」
隣で必死に反論する小夜に、ふーんと相槌を打ちながら周りを見渡す。朱鷺駅と書かれた看板は、色褪せて少し凹んでいる。ここは生前に小夜が住んでいた町らしい。
僕が住む軫宿は、石垣と石畳の古い街並みが特徴的だけど、それはあくまでも一角に過ぎない。少し広めて聖川市で見たら、それなりに洒落たカフェや服屋もある。
けれど、この朱鷺という町は古い家が多いだけでなく、しばらく歩いてもコンビニもカフェも見当たらない。
同じ県でも、こちらは真の田舎と言っていいだろう。
「バカにしてるの?」
「ただ、すごいなぁって感心してるんです」
「やっぱりバカにしてるよね」
自然に恵まれた道を歩いて、ぽつんと立つ自販機でホットコーヒーとホットティーを買った。小さな小屋付きのバス停で休憩するのも悪くない。
温かいコーヒーが冷えた体に染みて、意味もなく優しい気持ちになれた気がする。
しばらくして、小夜の歩幅が小さくなり、迷いを生んだように足を止めた。視線の先には昔ながらの大きな平家と、白い息を吐きながら落ち葉を掃いている年を召した女性の姿がいる。
「ばあちゃん……」
隣で小さく呟かれた声に、僕は視線だけを向けた。あの白髪に少し腰を曲げた老女は、彼女の祖母らしい。
言葉を失ったように、小夜は呆然と立っていた。その瞳には、次に瞬きをしたら落ちてしまいそうな雫があふれている。
それ以上近付こうとはしない。少しの間、彼女は沈黙したままその光景を目に焼き付けていた。
冷たい結晶が赤い鼻の上にふわっと落ちて、ゆっくり溶けていく。止んでいた雪がちらほらと降り出し、小夜の髪も六花の髪飾りをしたように白くなっていった。
祖母がホウキを片付けると、彼女は小さく笑みを浮かべて。
「帰ろう」
「もういいんですか?」
「ここにいても、何も出来ないから。元気そうな姿見れて安心した。もう忘れなきゃ」
小夜は自分に言い聞かせるように、ぐっと唇を噛み締める。
本当はみんなと会いたい。 みんなと話したい。目がそう言っていた。
でも、僕はどうすることも出来なかった。
「……小夜か?」
背後から細々とした優しい声が聞こえた。振り返ると、目の前には先程まで庭掃除をしていた祖母が立っている。
「ばあちゃん?」
目を丸くした小夜が、ぽかんと口を開けたまま女性を見ていた。
この人には、小夜が見えているのか?
僕の周りをキョロキョロと見渡しながら、祖母はもう一度彼女の名を呼んだ。
「そこにおるんか? 小夜、出て来な。ばあちゃんはここにおるで」
緩んだ糸のような話し方なのに、芯の強さを感じる。どうやら、小夜の姿は見えていないらしい。でも、確実に彼女の存在を感じている仕草だ。
うろたえる小夜の足が一歩前へ出る。
「ばあちゃん! 私、ここにおるよ!」
祖母の前に立つと、小夜は声を荒げて呼び掛けた。必死というよりか、夢中という言葉が合う気がする。
「兄ちゃん、ここに小夜がおるんか? どこにおる?」
細いシワだらけの手で僕の腕をガシッと掴み、必死な目で訴えている。その力強さに僕は動けなくなった。
「目の前に、います」
「そうか……小夜、みんなに会いに来てくれたんか」
目を潤ませた祖母に、そう告げることしか出来なかった。
騒がしい靴音を立てて家から駆け出てきた年配の女性が、息を切らしながら祖母の肩を抱く。
「ばあちゃん、何しとるの!」
「小英子、ここに小夜がおるんや」
「何をまた寝ぼけた事言っとんの。ご迷惑お掛けしてすみません。ほら、もう病院行くよ」
「いや、あの……」
チラッと隣を確認すると、小夜はその女性をじっと見つめている。その眼差しを見てすぐに彼女の母親だと分かった。
「僕、小夜さんの友達で」
「小夜の……そうですか」
その人は僕の顔を見て不思議そうな表情を浮かべていた。あからさまな高校生が突然やってきて、娘の友達だと言ってきたら不審に思うのも無理はないだろう。
気が付いたら、友達という言葉が口から出ていた。
小夜の存在が少しでも、ほんの一瞬でも、形になればと思った。彼女たちを、もう少し繋ぎ止めておきたかった。
「最近、ずっとあんな調子で。幻聴が聞こえたり不安定なんです。家族みんな、前を向いて頑張ろうって話してるんですけど……すみません」
「……いえ」
毅然とした態度を見せながらも、母親の目は赤く充血していた。眠れていないのだろうか。
小夜は何も言わずに、母親の姿を見ているだけだった。
「雪、綺麗ですね」
ふわふわと舞い落ちる結晶が、白い希望を降り注ぐように僕らを包み込んでいる。まじまじと雪を見たのは、初めてかもしれない。
「そうやね……今日の雪は一段と綺麗やね」
「この雪は幸運を運んでくれるやもしれん」
意味深に話す祖母と母親が見つめる先には、小夜が立つ足先があった。
ゆっくりと視線を上げていき、小夜の顔があるあたりを黙って見ている。
「雪が触れた心を見せとる」
「ばあちゃん、またそんなこと……なんだか、私までおかしくなったみたい。寝不足やね」
ははっと疲れた笑い方をすると、母親は頭を横に振った。〝ありえない〟と何かを振り払うように。
「でも……頑張らなね」
小さく唇を動かすと、僕に軽く頭を下げて祖母と家の中へと入って行った。
今のは何だったんだろう。
まるで、姿が見えているかのように、彼女たちは僕の隣に立つ小夜へ目線を向けていた。
「理人、ありがとね」
ギュッと唇を結ぶと、小夜は白空を見上げた。彼女の体には小さな結晶がいくつも張り付いて、それは輪郭を表すように静かに光り輝いている。
儚く消えやすい淡雪は、いつしか花弁雪へと形を変えて僕らに降り注いでいた。




