秘密の場所⑷
寝違えによる首の痛みと原因不明の頭痛によって、最悪な翌朝を迎えた。
住み慣れた聖川駅の風景は、乱れた心を落ち着かせてくれる。昔ながらの町並みが遠退いていく様子を、ただひらすら眺めた。
アーチが連なる正門前まで来て、踏み出そうとした足を思わず止める。動けなくなったが、正しいかもしれない。
視線の先に、昨日と全く同じ格好をした小夜の姿があったからだ。
門の前に立ち、誰かを探すように辺りを見渡している。儚げな印象の目、透明感……間違いない。気付かれないように、顔を伏せた。
「どうした? 生徒指導でも立ってるか?」
隣を歩く洸哉が、門の向こう側を覗く。
「いや、ちょっと」と声を沈めた時、すぐ側で聞き覚えのある声に呼び止められた。
視線を上げた先に、小夜が立っていた。
ごくりと唾を飲み込んだのは、ここで再び会った焦りか。太陽の下で見た彼女が、想像以上に綺麗だったからなのか。その両方なのか、自分でも分からない。
「なんでここにいるんですか」
半信半疑の目を向けた。澄んだ瞳はくっきりしていて、柔らかな身体のシルエットも存在を鮮明に映し出している。
「君の匂いが強い所を辿って来たの」
「……普通に怖いです」
「不審者じゃないから! やっぱり、私には君しかいないの」
背中が痒くなるような言葉を吐いて、切実な表情で詰め寄ってくる。
体に触れはしないが、それくらいの近さ。普通の人ではないことだけは分かった。
「おーい」
呼びかけていたのが初めてではないらしく、やっと見たかと洸哉があきれた目をしている。
「理人、教室行かねぇのか?」
「行くけど。この人は、なんて言うか。知り合いってわけじゃ、なくて」
どう説明するべきか、しどろもどろになった。
「お前、何言ってんの? さっきから一人で話してっから、注目浴びてんぞ」
チラチラとこちらを見ては、生徒たちが耳打ちしている。
視線の先には、たしかに小夜は立っていて、鱗粉を振り撒くような存在感は一目でも認識出来た。
「言ったでしょ、君しかいないって。私のこと、他の人には見えてないみたいなんだよね」
軽い体を優雅に動かして、小夜が洸哉の前に仁王立ちする。
「おーい、おはよう」
顔の前で手を振って、明らかに視界を邪魔している。しつこいくらいに声を掛け続けるけど、洸哉は視点を合わせることなく。
「先行くぞ〜」と校舎へ歩いて行った。完全に無視している。いや、あれは見えていないのだろう。
後に続こうと足を踏み出すけど、小夜の細い指が制服の袖を掴んだ。
振り払うなど簡単にできる力だったのに、動きが止まる。
「このままだと、天国へ行けずにここを彷徨うことになっちゃう」
さっきの状況は、どう説明されても理解しきれない。だけど、彼女が幽霊だと言い切るわけにもいかない。
現にこうして、はっきりとした姿形で僕の目の前にいるのだから。
「僕に、どうしろって言うんですか」
「成仏出来るように、手伝ってくれない?」
「本気で言ってるんですか?」
まっすぐな表情は、からかっているようには見えない。
──あの人、なにしとるんやろうね。
──あんま見ん方がいいよ。
チクチクと視線を感じる。これ以上、異常者に思われたくなくて、声を潜めて頷くしかなかった。
「ありがとう! とりあえず、行く所ないから君の家でお世話になります」
「いやっ、それは……」
周りの目を気にしながら、言いかけた言葉を飲み込む。
どうして、彼らには聞こえない?
どうして、彼女らには見えないんだ。
灰色の空は稲妻を放つと、花火のような音を鳴らす。今にも雨が降り出しそうな雲は、この場を去りたい僕のように素早い速度で流れていく。
──僕は、とんでもない約束を交わしてしまったのかもしれない。




