視覚屋
…ザ…ザザー…
どこかの部屋で画面が光る。
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「なんか最近誰かにずっと見られてる気がするんだけど」
自意識過剰としか言えない悩みをぶつけている道行く男女に冷ややかな視線を送る。
馬鹿じゃねえの?何言ってんだか。
「あー腹減ったぁ」
気の抜ける声を出したこの男は宮田
まあ…友人ってやつだ。
「はあ?お前俺らはそれどころじゃねーだろ」
俺は刺々しく言い放つ。
「それな」
悩みを忘れ、新たな悩みを抱えた宮田が同意する。
「「金ねえなあ」」
それが俺と宮田の口癖であり挨拶のようなものだ。
「……足立お前なんぼ負け?」
宮田が項垂れたまま地面に置いた缶コーヒーに向けて放った言葉は恐らく足立と呼ばれる男、つまりは俺に届く予定のものだろう。
「5万…2千…」
空っぽになった財布を見て空っぽの俺は呟く。
駅前のパチンコ屋。
俺と宮田の待ち合わせ場所であり目的地。
大体暇な時行けばどちらかが居る。
「やべえよ今月家賃払えねーわ」
宮田は笑いながら言った。
目は笑えないほどに澱んでいた。
どこを見ているんだ?あの世か?
「俺も支払い全般滞納だわ…」
俺は真っ直ぐにあの世を見て言う。
煌びやかに光る画面
鼓膜を劈く心地良い音色
震えるボタン
まるで「お疲れ様です」
とお辞儀をしているように揃う7
そんな幸せの先にあったのは閻魔大王の審判を受けずとも誰でも手軽に堕ちることの出来る地獄だった。
人は簡単に詰む。いや詰もうとする、と言う方が正しいか。
たかが数十万の借金、滞る支払い。働けば良いだけの話だ。
働きたくない、そんな高校の卒業式にでも忘れてくるべき感情をいつまでも大切に懐にしまっている。
だから俺やこいつのような人間は現状を受け入れない。
まあ所謂ところのダメ人間って奴だ。
「シフト増やさないとなあ…」
ダメ人間Aが缶コーヒーに向けて呟く。吸い込まれそうな程項垂れてるなこいつ。
いや、いっそ吸い込まれた方が幸せだろ。
そんなくだらないことを考えていた。
「なんか良いバイトねーかなあ」
…もちろんこれも口癖だ。
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「はあ…」
あれから1ヶ月。
俺は相も変わらず地獄に入り浸っている。
変わったことと言えば宮田だ。
あいつこの前までは2万円無くなろうもんなら缶コーヒーに語りかけていたのに。
最近10万円近く負けても平気な顔してやがる。
気が触れたか?
「なあお前最近どうしたんだ?そんなに負けてんのに何で笑ってられんの?臨界点超えたとか?」
素朴な疑問と3万負けのストレスをぶつける。
「いやさ、めっちゃ良いバイト見つけたんだよ」
宮田は上機嫌で続ける。
「視覚屋っていうんだけど」
「資格?勉強なんてだりーよ」
俺は労働の次に勉強が嫌いだ。
「ちげーよ、視覚、し、か、く!」
無駄に澄んだ目を指さしながらそう叫ぶ宮田が何を言っているのか全く意味がわからなかった。
「なんか俺もよく分かってねーんだけどさ、支給されたコンタクト着けて生活するだけで毎月50万貰えんの」
…は?
「…は?」
俺の人生で心と口が初めて一致した瞬間かもしれない。
そんな俺の前に村田はコンタクトケースを置いた。
「このコンタクト映像録画してるらしくてさ、その視覚情報?を俺たちは提供するだけなんだよ」
楽しかった出来事を両親に語る幼な子を思わせるキラキラした表情で黒く濁っていそうな話をするなこいつ。
「お前も話だけでもいいから聞いてみたら?」
馬鹿馬鹿しい。そんな危険な臭いのするバイトに俺を誘うな。勝手に一人でやれ。
「…そうだな」
どうやら俺の口はやっぱり嘘吐きだったらしい。
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「本日はお忙しい中ありがとうございます」
人形のような無機質な笑みを浮かべるその男は小川と名乗った。
「宮田さんのご友人とお伺いしております」
小川が笑ったまま続ける。
「はあ…えっと…視覚屋って何なんですか?」
当たり前の疑問を投げかける。
「はい。簡単に説明致しますと、皆さんが視覚を通して得ている情報を買い取らせていただく事業になっております。皆様の生活は情報の宝庫。どこにどのような需要が有るのか、年齢や性別による違いなど企業が喉から手が出るほど欲しい情報が詰まった宝の山です。私達は皆様から得た私生活の情報をそういった企業に売ることで皆様に対価をお支払いしているのです。」
一度も表情を崩すこと無く話し終えた小川になんとも言えない寒気を覚えた。
少し冷静になって考えてみる。
…
…
……いや意味わかんねえよ笑
「えっと…コンタクトを通して映像録画をしているって聞いたんですけど」
他にもっと聞くことがあるだろう馬鹿か俺は。
「そうですね、ご契約者様には基本的に睡眠時以外の時間弊社が支給するコンタクトを着けて生活していただきます」
小川は淡々とそう述べた。
「それってプライバシー侵されまくりじゃないですか?」
寝る時以外ということは風呂も飯も見ているテレビも全部バレるということだ。
冗談じゃない。
「プライバシーが侵される…ですか」
小川は無知なものを嗤うような声で言った。
「失礼ですが足立様はスマートフォンなどの検索機能はお使いになられますか?」
「まあ…そうっすねえ…」
何を当たり前のことを。
覇気のない声で俺は返す。
「では動画サイトなどは?」
小川は続ける。
「まあ観ますよそりゃ」
小川のハリのいい声に少し苛立ちを覚える。
「検索していないのにも関わらず関連動画が表示されたり、検索ツールで検索したものに関係する動画が急に出てきたり、そういった広告がよく表示されることなどは?」
小川の作られた笑みの奥に鋭い眼光があることに俺は今初めて気が付いた。
「……」
ある。何故だろう。とは常々思っていた。
そんな俺に小川は追い討ちをかける。
「検索ツールを運営する会社は当然足立様の検索履歴を管理しておりその情報は動画サイトの運営会社、ネットショッピングなどの購買サイトを運営する会社などで共有されています。ですから身に覚えがない広告や検索してもいない動画が表示されることがあるのです。」
笑みの消えた小川は一定のトーンで抑揚無く聞きたくもない事実を突き付けてくる。
嫌な男だ。
「つまりプライバシーは簡単に侵されているから今更そんなことを気にしても仕方ない…と?」
俺の26年間まともに使ってこなかった脳みそがフル回転で答えを導き出した。
「その通りでございます」
小川に先程の笑みが戻った。
たしかにその通りかもしれない。
プライバシーなんていつどこで流出しているかも分からない。
それなら流出していると分かった上で適度に気を付けて生活すれば50万も貰える視覚屋のバイトは幾分か良心的な気がする。
…
…
…
…
「契約します。」
ものは試しだ。少しでも不快に思ったらやめればいい。
そう言い聞かせて俺は頷いた。
「ありがとうございます。ではこちらの書類に住所氏名振込先等の個人情報の記入とサインをお願いします。後日弊社のコンタクトの方を支給いたしますので。」
小川はようやく人間らしい笑みを浮かべて言った。
用紙への記入を終えると小川は
「ご契約ありがとうございました。罪悪感を感じる方もいらっしゃいますが社会貢献の一つだとお考えください。それでは。」
と俺の抱えているであろう罪悪感を軽くする為に放った言葉で俺に新品の罪悪感を植え付け店を出た。
小川との面談を終えた帰り道はなぜかいつもより夕焼けが澱んで見えた。
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小川と契約を結んでから大体20日ほど過ぎた頃、俺の家のポストに覚えのない差出人からの封筒が届いていた。
「なんだこれ?誰だ?」
やけに軽い大きめの封筒。俺は生活に紛れ込んだ異物に対し警戒心を抱いた。
部屋に入り開封する。
…
…
…
コンタクトケースと紙が一枚が入っていた。
忘れていた。
そう言えば家に届くって言ってたなあいつ。
紙には
”睡眠時以外は必ずお着けください”
とだけ書いてあった。
面倒臭いが指示通りに大人しくコンタクトを着ける。
人生で初めて着けるコンタクトは思わず目を閉じたくなるほど嫌な感じがした。
…
…
…
ゆっくりと目を開ける。いつも通りの部屋、いつも通りの視界だ。
「こんなものを着けて生活するだけで50万円も本当にもらえるのかよ」
そう吐き捨て俺はスマホに目を落とす。
ー10連ガチャを今だけプレゼント中!ー
スマホゲームの画面がコンタクトを通して俺の視界に入り込んだ。
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…ザ…ザザー…
ー10連ガチャを今だけプレゼント中!ー
どこかの部屋に設置されたディスプレイの中の一つにそんな文字が浮かんだ。
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翌月、口座を確認した俺は唖然とした。
つい昨日まで残高が20円程度だった俺の口座に大量の0が付いていた。
「まさか本当に振り込まれるとはな…」
正直あんな話半信半疑で聞いていた俺はニヤケが止まらなかった。
すぐに10万円ほど引き出し風に舞う紙のようにフワフワとパチンコ店へ向かった。
…
…
…
あれ?こんなにパチンコってつまんなかったか?
以前はあれほどまでに欲していた鼓膜を潤す旋律も脳を焼く光も何もかもが一気にくだらなく見えた。
何が楽しくてこんなもんやってるんだ?
3時間ほど経った頃俺は打つのをやめた。
まあ神様って見てるんだろうな。飽きた頃にこんなに勝ちやがる。
そんな世の中の不条理に感心しつつ店を出た俺の財布には25万円ほど入っていた。
「どうすっかなあ…」
なんて幸せな悩みを呟くと聞き覚えのある挨拶が聞こえた。
「おっすーお疲れー」
宮田だ。
「久しぶりじゃん、お前最近なにしてんの」
偶然の再会に少し心が躍る。
「いやまじですることなさ過ぎて辛い」
こいつも俺と同じ悩みを抱える迷える新人子羊らしい。
「だよな。俺も今パチンコ打ってなけどつまんな過ぎて大当たりの途中でやめたよ」
一ヶ月前の俺や宮田が聞いたら助走をつけて殴り飛ばす勢いの行動だ。
「まじかよ!」
宮田はなぜか嬉しそうに笑いながら続ける
「まあ金あるもんな、今」
「なあ、パーっとやらね?」
宮田がキラキラした顔で言う。
「そうだな、キャバクラでも行くか!」
20歳を過ぎて初めて腹から声が出た気がした。
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あれから1年ほど経った。
俺も宮田も金に余裕ができパチンコには行かなくなっていた。
必然的に宮田と会う回数もかなり減っていた。
「ねー視覚屋って知ってる?」
そんな声が聞こえて振り向くと若い女子二人が1年前の俺と宮田を思い出させるような虚ろな目をして話し込んでいた。
「またか…」
俺は不服を顕にそう漏らす。
街では視覚屋のアルバイトについて話す若い人達を割と見かけるようになった。
「ふーん…有名になったもんだな。」
そう呟いた俺の心情はずっと応援していた地下アイドルが地上に出てしまった時のオタクと同じようなものなのだろう。
そんなある日、偶然宮田と会った。
「宮田!お前久しぶりじゃん」
久しぶりの人との会話に思わず心が躍る。
「最近何してんの?元気してた?」
俺らしくも無く矢継ぎ早に質問してしまった。
「………」
宮田の様子がおかしい。こんな奴だったか?
「おい、どうした?」
少し不安を覚え尋ねる。
「足立お前…まだあのバイトやってんのか…?」
宮田が分かりやすい嫌悪感を俺に示す。
「は?当たり前だろあんな楽に稼げるバイト他にねーよ。お前まさか辞めたの?」
ん?なんかこれ1年前の逆じゃん。
「辞めたよ。」
宮田が弱々しく呟く。
「…?」
「…なんで?」
疑問が溢れて仕方ない、今の俺はさぞかし間抜けな面をしていることだろう。
「ずっと誰かに見られてる、いや監視されている気がして気持ち悪いんだよ。俺の知らないところで俺の情報が俺の知らない企業に売られてその金で俺の知らない奴が生活しているって考えたら気持ち悪くて仕方がないんだよ。」
何言ってんだコイツ、今に始まったことじゃねーだろ。
ん?どっかで聞いたことあるな宮田のセリフ。
そんなことを考えていると。
「とにかく俺はもう関係ねえからな」
そう吐き捨てて宮田は歩き出した。
何かに怯えているような背中で。
「バカな奴だな」
俺は同情とも不安とも言える言葉を口にした。
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家に帰りいつものようにニュースを観る。
「ー町で起きた殺人事件の容疑者が逃亡する様子が捉えられておりー」
物騒なニュースがそう伝え、映像が流れる。
その映像は逃走中の容疑者を同じ高さから撮ったものだった。
ん?監視カメラってもっと高いところになかったか?
「そういえば最近街中に監視カメラ見かけないなあ」
まあいいや。
明日は朝からずっと気になっていた映画を観に行くんだった。このバイトを始めてから金にも時間にも余裕が出来て毎日が幸せだ。
…
…
そろそろ寝るか。
コト。
コンタクトをケースにしまい、俺は眠りついた。
プツ…。
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刑務所の監視室
そう呼ぶのが相応しいと思わせるその部屋にはあまりに大量のディスプレイが設置されていた。どうやら監視カメラの映像を映しているらしい。
映っている映像は様々だ。
カフェの店内、家の中、車、道、公園、職場……
挙げればキリがない。
ただその全ては人の視点程度の高さから撮られたであろう映像だった。
その中の一つに足立の姿があった。
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「なんか誰かに見られてるような…」
そう呟き画面の中の俺は映画館へ向かう。