アイスランドポピーの神
「マナちゃーん」
私の疫病神2号が甘ったれた声をかける。もちろん私はごはんを食べることに集中して、無視する。
「それでねー、土曜日だからぁ、ヒサビサに野田さんのところにいったのね、そしたらぁ、お店は開いてなくて、貼り紙があるの、なんて書いてあったとおもうぅ?」
知るか、2号。語尾にちいさい『ぅ』や『ぁ』を付けてしゃべるな、つーの。
でも2号は私の反応など構わず、
「死んじゃったんですって!お婆さん。閉店します、長い間ありがとうございました、だってぇ。ショックよねー、本当においしかったんだからぁ、野田のパン」
私はごはんを掻き込むと、そのまま食器を重ねて、
「ごちそうさま」
流しに食器を置くと、
「帰ったら洗うから、置いといて。早くしな、遅刻するよ」
「はぁーい」
もぐもぐやりながらにこやかに手なんか上げやがって。
日曜2時の私が作った遅い昼ご飯。2号と食事が一緒なのは、最近はこの時だけだ。
「そうそ、先週は今年度最高の売り上げでボーナス出たのぉ、マナちゃぁん、何か買ってあげるぅ。いつもメーワクばかりかけてるしぃ、ね、何が欲しい?」
「・・・欲しくない」
「そー言わないでぇ、ねぇ?お洋服ぅ?時計ぃ?ケータイの新しいヤツぅ?ね、ねー」
「いらねぇっていってんだろーが!」
キッチンをざっと整理する手を休め睨んだが、まったく動じた様子もない。にこにこっとこっちを見ている。
まだ化粧していないが、素っピンでも確かにきれいだ。店ナンバーワンの売れっ子だと聞く。なるほど最近羽振りがよくて色々貰ってくるし、しきりと私にも何が欲しい?と聞く。
「ねー。 ホンとに何かぁ」
「いるか、ヘンタイ!」
むかついてどなると、
「あーら、ご機嫌ななめねー、アノ日ぃ?いいなー、アノ日があってぇ」
バタン。私は廊下へ出て、ドアを力任せに閉める。厄病神2号こと兄貴のことも頭から締め出した。
*
私は学校で『カミ』と呼ばれる。恋愛の、人生のカミだそうだ。
いまどき珍しいが、ミッション系で女子高で伝統校で、お嬢さまが通うと言う。基本セーラー服だけど、いつの頃か誰の趣味だか知らないが、少し変なアレンジが入った制服は50メートル先からでも分かる。よく盗まれるそうだし、まったく迷惑な話だ。
この学校は親が決めた。親は母親だけ、私の疫病神1号。この街の真ん中、全国的にも有名な歓楽街でお店をやっている。人気店で儲かるらしいが店はそこだけ。金を出すからチェーン店出さないか、としきりに言われるらしいが、体は二つに出来ないから、と断るらしい。
ばか。人に任せて自分のネームバリューで適当に行き来すれば億万長者だろーが。カリスマって呼ばれてんだろう?アンタはさ。
でも、今の店だけでも相当儲かっているらしいし、おかげで親子3人暮らし一等地の高級マンション最上階の5LDK、私もお高い学校へ通う。まあ、好きで通ってはいないけど。
私がカミなどと呼ばれるのは、すべてこの疫病神たちのせいだ。それはそもそも、私を歓楽街で見かけた、という同級生から始まったらしい。
私は滅多に近付かないが、どうしても1号の店に行かなくてはならない事もある。たぶん見られた夜も、仕方なく1号の店へ行き裏口からこっそり入って、学校からの書類にサインとハンコを貰ったり、短いけれど学校の報告をしたり(何せ会えることが少ない)、担任との三者面談の日程を決めて、絶対にお水の格好で来るなよ、と念を押したりしていた。
それは入学間もないころだったけれど、どうやらこの時、店に出入りしているのを同級生に見られたらしい。
私はこんなだから、「街にいた?」と聞かれた時も無視して黙っていたら、何時の間にやら、
『中学時代、遊びまくって男もとっかえひっかえ、あげくに集団レイプされ、妊娠して中絶、今では歓楽街でも一目置かれている』、とケータイ小説のヒロインばりにされてしまった。
ばか言ってんじゃないよ。こちとらまだ処女だって。
けれど、女の子の集団妄想は走り出したらとまらない。もうイメージを変えるのも間に合わず、私はここまでの人生で、あきらめが大事だと学んでいたから放って置いた。
学校は1号の職業を知っているし私自身、服装や態度、成績が悪い訳でもないので、一度担任が、俺からみんなに話して誤解を解く、と言うから、やめてください、今度は母が理事長の愛人で学園を裏から牛耳って、みたいなことになるから、と言ってそっとしておいて貰った。どうせ人の噂も75日だ。今までだってそうだった。
1号は、特殊浴場で働いてお金を貯め、夜の街へ進出してお店を出した。私と2号の父はその時のお客らしく、店を出す時に資金を援助したらしい。2号が出来たので籍を入れ私が生まれたころ、父の浮気が本気になったそうで離婚、2号は微かに覚えているそうだが私は父を知らない。
その頃から1号の店は軌道に乗り、名を知られるようになった。ママを一目見ようと観光客も訪れるようになる。おかげで羽振りはいいけれど生活はむちゃくちゃだった。
小学校ではいじめにあった。ヤリマンの子と言われ、女も男も両方から疎外された。そんな中で悟った。
誰も助けてくれない。自分しかいない。
あの頃は本だけが楽しみだった。今でもそうだけど、休みの日は図書館にいるか家で本を読んでいた。
インターネットは好きじゃないからやらない。チャットもイタも悪口だらけ、それを見ていると私に後ろから唾をかけたやつらを思い出す。
中学は今の学校とは違う私立に行った。小学校の同級のやつらと同じ中学に行けるわけがなかったから。
1号は私が孤立していたことを知ると、やたら済まながって自分のコネとお金を総動員して名門の学校に私を滑り込ませた。いわゆる『裏口』ってやつだが私は一応筆記試験も受け、なんだかぎりぎり合格点だったから1号は無駄なお金を使ったことになるらしい。
でも、表に出ない分、中学のいじめは陰湿だった。思い出したくもないから、詳しくは言わないが、ひとつだけ挙げると・・・
密かに好きになった隣のクラスの男子から突然手紙を貰って、放課後体育館裏で待ってます、とあるからどきどきしながら行くと、そこに他の学校の男子が三人、「おまえ、ただでやらせてくれるんだって?」と来た。
小学生の頃から逃げることばかりだったから、足には自信がある。でもあの時ほど走ったことはなかったな。
だから、『エレベーター』に乗らず、1号が勧めたこの高校に入った。
私がこんななら、三つ上の兄貴も似たような目に遭ったはずだ。
でも『兄貴』はちゃっかり別ルートに乗った。中学では既に立派な性同一性障害と誰もが認定、カミングアウトなんてどこ吹く風、担任の女教師すらマコちゃん(誠が本名だ)と呼んでいたそうだ。この人ほどこの性質と世の中との折り合いで悩まなかった人間もいないだろう。
で、その分私が悩んだ。1号の娘の非難に加え、あの罵声を浴びせられ。
「オカマの妹、お前ほんとはオナベだろ?・・・」
立派な厄病神2号の誕生だ。
そして今。私は立派にカミになってる。
1年の後期から、私が陰口にも超然としている、と見られたらしく、次第に周りの見る目が変わって行き、浮いていて半分無視されるのは変わらないが、ちょっかいは出されなくなった。まあ、そのころバックに筋の者がいるとのオヒレが付いたから、その効果かもね。
その内クラスの女子から、相談があるんだ、と声を掛けられ、恋愛の悩みをたらたら言うから過去に読んだ、べたべたの恋愛小説のヒロインが選んだばかな方法をアレンジしてしゃべったら、これが受け、しかも相談した女子が、おかげで相手とうまくいった、とかで言い触らすから、ぽつりぽつりと私のところに相談がある人間がやって来るようになってしまった。
間もなく、私はすっかり『XXの母』みたいになって、行列こそ出来ないものの、休み時間になると神妙な顔をして私の前に現れる女子の姿が増えて来た。
最初のうちはめんどくさくて適当にあしらっていた。あんまりうるさいから歓楽街の裏側で話されるドスの利いたことばで話したりして嫌われるようにした。そうすればそのうちいい加減さに気付いて『私詣で』もなくなるだろう、と思っていたが甘かった。私が汚い言葉で露骨に言えば言うほど、なんだか目を輝かせて聞き入る女子が次から次へとやってくる。
その内に結構深刻な話を持ち込むコが出始め、中絶や性病、果ては付き合い出したイケメンにクスリを打たれた、なんて話まで持ち込まれたから、私はすぐに1号にメールして、口が堅くて信用できる病院を必要な手配と共に紹介したり、1号の『知り合いのオジサマ』にイケメンと『話し合って』頂き、危なくシャブ漬けにされそうになったコを救ったりしたものだから、遂に私はカミの称号と多数の信者を得てしまった。
2年になった今、私は教室の窓際最後部という特等席(連中は恐山と呼んでるらしい)を与えられ、相変わらずみんなは私の方を見ないようにするけれど、私はもう、誰からも嫌な思いをされることがなくなった。
*
日曜日の午後3時、私はまだ寝ている1号とこれから長い出撃準備に入る2号を置いてバイト先に出かける。
本当は、学校ではバイトは禁止だ。1号は、お金が足りないなら言いなさい、と言うが、今でさえ私は、イマドキのコムスメとしたらびっくりするほど少ないパケット量のケータイ使用料(基本料金以上行くことはまずない)を払って、お昼代を払って、細々した物を払っても必ず1万は残ってしまう(もちろん余ったら貯金しているが)。 お金が理由ではない。
結局、私は17になってやっと心身共に軽くなってきたんだ。学校で勝手に看板を下げられているのはどうかと思うが、おかげで静かでいられる。1号2号も私の歳になってしまえば、ハタも大人の事情ってものを理解するし、別にいじめの理由にはならない。なんだかんだ言っても2人とも、その業界で成功しているのだから。
厄病神っていうのもそろそろ卒業かも知れない。何せ、私もカミになったのだからね。
少し余裕の出来た私は、今まで目をつぶって耳をふさいできた世の中を見てみたかったんだ。それにはバイトするのが一番だと思った。
バイト先は1号2号の勤務先からもあまり離れていない、オモテの繁華街にある大手のレンタル店。DVDやCD、ビデオだけじゃなく本も扱う。
今日は日曜、店に着くと、とても混んでいる。店の制服を着てレジに向かう。週2回のペースで働き始めて5ヶ月、ようやく慣れてきた。いつの間にか下も入って来て、今日のシフトはレジに4月に入った下が一人いる。
「きょうは半袖でもいけますね」
その下が声をかけてくる。向こうはお昼から入ってラストまで。上がりは一緒だ。
「そうですね」
下とはいえ、向こうは大学一年、倉林という2つ上の男性だ。
「昼過ぎにリンさんがおなか痛いって上がっちゃって、大変だったっすよ。忙しい時間だったのに」
「ふうん」
レジで話していると叱られるってば。私が気のない返事を続けるから、倉林さんはようやく黙った。
いつもバイトの時間はあっという間に過ぎて行く。日曜は10時閉店なので深夜はない。夜の8時から2時間は日曜のせいか返却が多く、淡々と過ぎて客も次第に減って行く。
休憩が明け店に戻るとレジは倉林さん一人で、返却のDVDを揃えていた。私はなんだか眠くなって、レジ前に立ってぼっとしていたら、突然倉林さんが耳元で、
「今夜、ヒマですか?」
「え?何?」
思わずびっくりして目が覚める。
「まあ、高校生を深夜時間帯まで引っ張るのはよくないってわかってますけどね」
なんだか失敗したって感じで、気まずそうに眉を寄せた顔がおかしくて、思わずニヤリ、としてしまった。
「少しなら、いいですよ。なんですか?」
「やった!いやあ、一人でメシ食うのも、寂しくて。それに、ずっと思ってたんですよ、小林さんってかわいいな、って」
ダイタンじゃないかクラバヤシ。
でも、私は分かってる、カミだから。私も少し惹かれていたんだ、この人、笑うとやさしい目になるから。
倉林さんはきょろきょろっとして、閑散とした店内で誰もこちらを見ていないのを確認すると、
「ハイこれ、プレゼント」
防犯カメラに映らないように小さな花束をレジ台の下から下へ、私の下げた手の中に押しつけた。私は手の中の赤に近いオレンジの花弁を見つめて、
「何の花です?」
「アイスランドポピーっていうらしいですよ。いやあ、小林さんに合う花はないかな、と思っていて、花屋に行って、花言葉で選んだんです」
カードが付いている。花の浮彫りのある白いカードに手書きでこう書いてある。
“アイスランドポピー
花言葉
気高い精神、慰め、忍耐”
「・・・なんで?」
「え?」
「なんで私がこの花なの?」
「ああ、深いイミはないんです。小林さん見てると、何か超越している、って言うか、そこにいるのにどこか遠くにいるような・・・で、時々何かに耐えているように目を細めていて、そういう時、横顔がはっとするくらいきれいで、何か試合前のフィギアスケートの選手みたいで、ケダカイ精神って合ってるかな、と・・・」
倉林さんは言い淀んだ。びっくりした顔で、
「ごめん、悪かった」
その時、私は涙を浮かべていたんだ。何か知らないけれど、涙があふれてきた。
見ていてくれた人がいる。普通、みんな、私を避けるから、こんなに観察されていたなんて、初めてかも知れない。
ちょっとキモイよ、クラバヤシ。それに買いかぶり過ぎてる。
私は・・・ぜったい気高くなんかない。
でも忍耐は人一倍あるかも・・・
慰めは、そう・・・いつでも気付かずに求めていたのかも知れない・・・
「ごめん、小林さん・・・」
倉林さんは本当に申し訳なさそうな顔で私の顔を覗き込む。
このあと、どうなるのか、食事をして今日でおしまいなのか、それとも、その先へ進んで行くのか。
そんなの、分からない。本当は、カミじゃないから。
けれど、これだけは分かる。もう耐えるだけなんてたくさんだ。
私は涙目を拭うと、最初の一歩を踏み出した。
「マナミ、で」
「え?」
「愛美って呼んでください」
―FIN
アイスランドポピーはケシ科の1年草。 原産地はシベリア、中国北部。
季節は3〜5月。 花の色は、赤、橙、黄、ピンク、白。
http://hanakotoba-labo.com/1a-aisurando-popi-.htm
花言葉ラボ より