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翠煌のトカク  作者: 筧 黎人
修行編
7/26

煌力

 


「九百九十四…九百九十五…」



 聞こえてくるのは苦しそうに数字を数える声。


 ハルトは上半身裸で、与えられた部屋の机に片手を置き、逆立ちしながら腕立ての要領で身体を鍛えていた。


 一通り体力作りを教わって、何か変わったトレーニングをしようと思ったところ、とりあえず自分の限界までこれをやってみようと考えた結果だった。


 苦しくはあるが耐えられないほどではない。ソフィアとの戦闘訓練に比べれば雲泥の差だ。ハルトは確実に地力がついているのをその身で感じ取っていた。



「九百九十九…千…!」



 ようやく千回。これまで随分かかったような、あっという間だったような、考える時間を惜しんで余力がある内に繰り返そうと腕を動かす。



「…ん?」



 窓から差し込む光に目を眩ませる。


 これを始めたのは誰もが寝静まった夜更けだというのに外に目をやるとすっかり明るくなっており、朝を迎えたことを理解した。切りが良いので終わりにしようと机から飛び降り、用意していたタオルで汗を拭う。



「…もう三ヶ月か」



 王都騎士団第七部隊隊長のソフィア・ソラリスに連れられて王都の門を叩いてから、それだけの時間が流れていた。


 最初は始めてみる光景に戸惑うばかりで興奮が冷めず、彼女の案内もあって様々なことを教えてもらった。


 賑わう市場。味わったことのない料理の数々。変わった作りの建築物。本で読んだ記憶しかないものが現実となって目の当たりにした。


 とは言え遊びで来ている訳ではない。実際に王都の中を見て回れたのは数日だけ。その後は彼女に与えられている部屋の内一つを貸してもらい、ほぼ居候という形で過ごさせてもらっている。


 そして同時に彼女との稽古も始まった。彼女の『計画』に沿うならば、まず自分は強くならねばならない。それも、出来るだけ短期間でだ。焦らなくていいとは言ってくれたが、ここまでしてもらっておいて彼女の期待に早く応えなければと気持ちが先行していた。


 その様な事情で今回も体力作りに勤しんでいた。市場でいくつか見繕ってもらった服に腕を通すと、ほとんど生活用品のない部屋の扉を叩く音が聞こえた。


 この部屋を訪ねるのは一人しかいない。ハルトは笑顔で扉を開けると、きりっとした表情で扉の前に立っていた女性が透き通る声で告げた。



「ハルト。朝食の用意が出来た。私の部屋まで来てくれ」



 そう言ってソフィア・ソラリスが彼の手を引いたのだった。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 彼女は意外にも料理が得意だった。


 意外と言えば彼女に失礼だが、ハルトの第一印象は騎士の指揮と戦闘に秀でた実力を持つイメージが強かったのだ。


 なので彼女の手料理を初めて食べたときは感動した。そもそも他人に振る舞う機会も多くはなかったらしい。美味しい、と褒めるとはにかんで頬を赤らめた。



 そして今朝用意された食事も絶品だった。


 ジャムが添えられた白パン、じゃがいものポタージュに、骨付きラム肉のハーブ焼き、きゅうりとラディッシュのサラダと、どれも食欲を誘った。


 噛み締めて味わう。このまま食べ切ってしまうのが勿体ない。口の中に広がっていく感覚に思わず舌鼓を打った。



「どうだ? 口にはあったか」


「勿論です。いつも美味しい料理をありがとうございます」


「気にするな。…まだまだ食べ盛りだろうからな。身体を作るためにも、遠慮せず食べてくれ」



 飲み物を差し出してくれる。丁度喉が渇いてきたので受け取って一気に呷った。しばらくして食べ終えると、彼女に礼を言いつつ今後のことを話す。



「私との稽古はどうだ? 強くなっている実感はあるか?」


「そうですね。最初の頃よりは全然動きやすくなってきました。と言っても、貴方には全く歯が立たないですけど」


「当然だ。そう簡単に超えてもらっては困る」



 彼女との稽古は主に素手での戦いだ。剣と魔法の才能はないと彼女も分かっているため、それならば神経を研ぎ澄ませて技の一つでも磨いて行った方がよい。


 ハルトも同意して彼女に師事してもらった。どうにか一撃でも入れようと奮闘していたが、仮にも部隊長に選ばれるほどの実力を持った彼女相手には及ばず、いずれも惨憺たる結果に終わっていた。



「引き続き鍛錬を怠るな。私も出来るだけ付き合うつもりだ。本気で強くなりたいと思うならば、一度死ぬような状況に陥らねばならないからな」


「…お手柔らかに」


「さあて。私は手加減が不得意だからな。うっかり殺してしまうかもしれん」



 くつくつと意地が悪い子供のように笑う。本気とも冗談とも取れる言動に、ハルトは冷や汗が止まらなかった。



 その後も軽く雑談して膨れた腹もだいぶ楽になってきた時、ソフィアが真剣な表情で本題を切り出した。



「…それはそれとして。お前も本格的に煌力(マクス)を覚醒させ使いこなしてもらう必要があるな。この後共に鍛錬場に行くぞ」



 煌力(マクス)



 それこそが彼女がハルトに提示した、戦うための力であり、世界を変えるための手段だった。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「魔法とは違うんですか?」



 運動前の軽いストレッチとして、ハルトは両足で屈伸していた。身体を動かすかどうかは聞いていなかったが、しておくに越したことはなかった。



「ああ。この世界における魔法は火・風・水・土の四大元素を基礎として扱うものだ。術者によって得手不得手はあるが何かしらの属性の魔法を使える」



 そう言うとソフィアは片手をかざして魔法陣を構築する。瞬間、凄まじい熱気を帯びた炎が浮かび上がった。魔法を発動したのだ。



「当然、素質のない人間も現れる。魔法云々の前に生まれつき魔力を持っていないんだ。どれだけ魔法に関する知識を培ったとしても、何かしらのイレギュラーがなければ生涯使うことはないだろう」



 …それはつまり、()()()()()()()()()()()があれば使うことも可能だという訳だ。とは言えそんなことを今考えても意味がないと頭の隅に追いやって、彼女の言葉に耳を傾けた。



「煌力は魔法に含まれはせん。一種の超能力みたいなものだ。しかしその種類は千差万別。その人間によって大きく異なってくる。そもそも明確には私も分かってはいないんだ。その実態については、な」



 歯切れが悪く渋い顔をする。魔法に匹敵する力であるのは間違いないようだが、その全体を把握できている訳ではないらしい。



「だが確実に存在する。私の煌力を見せてやりたいのだが…ここでは少し狭すぎるかもしれんな」



 参った、と嘆息する。狭いとは言っても先ほどいた部屋よりもはるかに広い空間である。それでも問題があるということは余程強大な力であるのか?



「あの。ソフィアさんが煌力というのを使えるのは分かりました。しかし、俺もそれを使えるとは限らないのでは?」


「それについては問題ない。お前も使えるはずだ」


「それは…何故?」


「ハルト。自分の身体に亀裂が入ったような感覚はないか?深い悲しみ…それこそ目の前が真っ暗になった感覚だ」



 深い…悲しみ。


 思い当たるのは一つしかない。幼馴染から送られてきた手紙。彼女に別れの言葉を告げられて黄昏ていた時、確かに自分の中で何かが砕け散った気がした。



「それが煌力に目覚めた証拠だ。人は生きている中で深い慟哭に襲われると、枷を掛けて封じられていた煌力が解き放たれる」



 ハルトにとってのきっかけが幼馴染との別離だったのだろう。そう考えると何とも納得いかない気持ちになる。



「ただ…人によって何がトリガーになるのかは分からない。それに枷を外したところで、それを自覚して使いこなさなければ意味がない。正しく認識する必要がある」



 成る程。どれほど高価な魔道具を持ち合わせていても、それを十全に使いこなせる知識と実力がなければ、宝の持ち腐れも同然ということだ。



「じゃあ、きっかけは掴んでいるんですね。でも、どうすれば…?」


「まずはお前の煌力がどんなものなのか見定める。目を閉じてその場に座れ」



 言われた通りに腰を下ろす。静かに目を見て閉じると、次の指示を待った。



「意識を集中させろ。自分の心に語りかける感覚で強く念じるんだ。お前の本質を知るためにな」



 語りかける–––––と言われても抽象的でよく分からなかったが、普段から精神統一などはこまめにやっていたため集中するのは難しくなかった。


 体の力を抜いて心の奥底を探る。それはまるで海深くまで潜って行く感覚。水泡が聞こえる訳でもないが自分がどんどん落ちていっている気がした。


 眠りに落下する寸前のような心地良さ。それが永遠に続いている。柔らかい何かに包まれ、何処までも沈んでいく。


 もう少し、と何かが手を掠めた。必死に()()を掴もうと手を伸ばす。伸ばして伸ばして––––確かに掴んだのを実感する。




『見てみて! 昨日母様に買ってもらった新しいドレスよ! ふふ、素敵でしょ?』




「……は?」



 最初に聴こえてきたのはそんな“声”だった。

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