決別と旅立ち
すっかり太陽が沈んだその日の夜。
ハルトは一度村に戻り、自分の部屋で荷物をまとめていた。薄汚れた巾着袋に服を、小物を必要最小限にして詰めていく。元々所有している物は多くなかったので一時間もせずに全て詰め終えた。
今日、この村を出る。
既に義理の両親には話をつけている。最初に話した時は驚かれたが、王都の人間に誘われて向こうで働くことになったこと、信用できる人物なので心配いらないことを告げると、渋々ではあるが了承してくれた。
あながち嘘を言っている訳ではないが、本当のことも言ってないので少し心が痛む。最後は頑張ってね、と二人揃って強く抱きしめてくれた。血は繋がっていなくとも、自分の両親なんだと泣きそうになった。
あと話すべき人間は誰か。思い当たるのは村長だった。しかし、この後のレティの帰還を祝う宴会で、そちらの準備にかかりきりだろうしそんな暇もないのではと顔を曇らせる。
どうしようか悩んでいると扉をノックする音が聞こえた。
「…ハルト、いる? 私だけど」
紛れもなくレティの声だった。幼馴染の訪問に特に慌てることなくハルトは扉の前に立ち、扉越しに返答した。
「いるよ。どうしたの?」
「今夜、村の広場で宴会があるのは知ってるでしょ? 少し早いけど一緒に行かない? 勇者様が誘って来いと聞かなくて」
「悪い。今取り込み中なんだ。まだしばらくかかりそうだから先に行っててくれないかな。終わったらすぐに向かうから」
「でも私もハルトにちゃんと謝りたくて–––」
「ごめん、ホントに忙しいんだ。終わったら行くからその時話そう」
突き放す口調で言うハルト。その声には明らかに不快の色が混ざっていた。これ以上は無理だと判断したのか、レティは覇気のない声で呟いた。
「…分かった。広場で待ってるから、終わったら来てね」
足音が扉から遠ざかっていく。思わず自分の胸を撫で下ろした。どうやら言葉を交わすだけで緊張していたらしい。
ハルトは頬を軽く叩いてその場に座り込むと、ソフィアとの会話を思い出した。
『私は勇者と会った後、すぐに王都に戻るつもりだ。おそらく護衛は必要ないだろう、部下に任せるさ。ハルト、お前が私の誘いに乗ると言うのなら共に王都まで来てもらわなければならん。私は今日の夜には王都に向かうがお前は準備など色々ある。後日使いの者を寄越すから–––」
そこまで言われるとハルトはやんわりと首を振った。
『いえ、大丈夫です。準備も夜までには終わらせます。だから一緒に連れて行ってくれませんか? 少しでも早く、この村を出たいんです』
『そうか。では夜になったら村の入り口で待っている』
立ち上がり部屋から出ると、家の中に誰もいないことを確認した。宴会の場に向かったようだ。家から出てそのまま村の入り口へと足を向けた。
無論、広場に行くつもりなどない。どんな顔をして行けばいいのか分からなかったし、レティと話す必要性も皆無だった。
自分はこのまま、村を去る。
篝火が照らす暗闇の中、ハルトは静かに歩きだした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
––––夜が更けていく。
ハルトが歩く反対方向から微かに聞こえてくるのは人々の話し声。レティの帰還を祝う宴会の準備をしているのだろう。
家から村の入り口まで五分とかからない距離だが、ここまで誰とも会わなかった。おそらく村人全員広場の方に集まっている。誰にも悟られず抜け出すには絶好の機会だった。
そんなことを考えながら歩いていると、一つの影に呼び止められた。
「おいおい。村の広場は真逆だぞ、ハルト」
現れたのは腰の低い老人。片手で杖をつきながら、気怠そうな表情でハルトに語りかける。
「…分かってるよ、村長。俺はこれから宴会には参加せずに、村を出る」
「何だそりゃ。また急な話だなぁ。他の奴らにはちゃんと言ったのか?」
「父さんと母さんには話した。後は別に言う必要ないかなって」
「オレは聞いてねぇぞ」
「うん。だから今言ってる」
穏やかに笑ってみせる。それを見た村長は顔を抑えながら呆れたように溜息をついた。
「ったく。あの子が帰ってきたと思ったらすぐ様逃げ出した奴が何粋がってやがる。心配して損したわ」
「それについては、ごめん」
「…村を出るってことは他の仕事かなんかをやってくんだろ。伝手はあるのか?」
「大丈夫。王都の騎士の人が連れて行ってくれるから。心配いらないよ」
村の入り口を指差しながら答える。ちらり、と其方に目をやった村長は僅かに頷き、ハルトに寄って軽く肩を叩いた。
「そうか…何はともあれお前も旅立ちの時って訳だ。お前の門出、ささやかながら祝わせてくれ」
そう言うと老人は白い歯を見せて笑った。不意に、鼓動が弾んだ。目頭が熱くなる。先程両親に祝いの言葉をもらったばかりだと言うのに、嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
「不思議なもんだ。少し前までは小さな子どもだったってのに、いつの間にか体はデカくなってここから巣立って行く。時間ってのは本当にあっという間だな」
「村長はそんな人を沢山見てきたの?」
「そりゃそうさ。名を上げることを夢見て出て行った奴、まだ見ぬ新天地を求めて旅立った奴、何処ぞの馬の骨と寄り添うと決めて飛んで行った奴。理由はとにかく、皆この村から巣立った奴さ。…オレの息子もな」
そう語る村長の表情は何処か寂しげで、あまりに遠くを見つめていた。不用意に踏み込むべき内容ではない。そう思いながらも、好奇心が勝ったハルトは疑問を口にした。
「冒険者だったんだよね? 村長の息子さんって」
「ああ。成人すると同時に村を飛び出してった。剣の才能も無いくせに、一流の剣士になると言って聞かなかった。あいつが村を出ても野垂れ死ぬだけだと思ってオレは何度も反対した」
頭の悪い子だった。勉学を教えようとすれば一分もせずに逃げ出し、かと言って剣の稽古も全く上達しないと判断すると森に逃げ出した。呆れ果てる所業。こいつは村に括り付けて置くしかないな、と何度も考えた。
「だが、あいつは旅立った。村を出て二年ほどすると急に帰って来たんだ。何でも疫病が蔓延していた街を救ったらしい。その成果が認められて所属していたパーティ全員がCランクに昇格したんだと。オレも我がことのように喜んださ」
その日は親子揃って浴びるように酒を飲んだ。秘蔵の酒を引っ張り出し、息子の成長を純粋に喜んで夜が明けるまで飲み明かした。
「あいつはオレの誇りだ。あいつはオレの予想を超えて立派になった。素直に喜んで、また冒険者として旅立つ姿を見送った」
無意識に口角が上がる。脳内を過ぎるのは彼との思い出。一緒に居た時間はほんのひと時。けれど、親子の繋がりが確かにそこにあった。
そして、その終わりも呆気なかった。
突如大量発生した魔物の群れを、彼のパーティが討伐に向かったのだ。結果、パーティは全滅。討伐失敗となり、後になって村に送られてきたのはすっかり冷たくなった息子の遺体だった。
「…オレが止めていれば息子は死ななくて済んだのかもしれない。けど、あいつを止めるなんてこと、オレにはもうできなかった。あいつの瞳はいつだって真っ直ぐで、夢を現実にするんだって輝いていて––––」
溢れる涙。ハルトは黙って聞くことしかできず、やはり踏み込むべきではなかったと後悔した。しばらくすると村長は涙を拭って、ハルトに向き直る。
「すまんな。下らん話に付き合わせた。まあ、その、なんだ。オレが言いたいのはだな」
こほん、と咳払いをすると照れ臭そうに顔を背ける。そのまま待っているとはっきりと言葉を紡いだ。
「お前はお前が思うように生きろ、ハルト。人生ってやつは思ったよりも短い。できることなんて必然と限られていくんだ。だったら精々、やりたいことはやらないとな。…レティのことはオレも聞いた。それも全部引っくるめて、お前は村を出ると決断したんだろう。そんなお前を、オレは胸を張って送り出す」
すると村長は懐から何かを取り出した。暗闇の中でも鈍く光るそれをまじまじと見つめ、ハルトは慎重に受け取る。
「…ペンダント?」
「餞別だ。息子が旅先で買ってオレにくれたものだが、こんな物つける趣味はないし売りに出す訳にもいかん。なら、お前に持って行ってもらった方が良いと思ってな」
不器用に頭を掻く。息子の魂が籠るそれをしっかりと握りしめて、ハルトは感謝の言葉を送った。
「…ありがとう。最後に話せたのが村長で良かった。このペンダント、大事にするね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。そら、さっさと行っちまえ。他の奴らに絡まれたらお前も面倒だろ」
ごつごつと日焼けした腕で背中を押す。ハルトは手を振り、村長と別れた。歩いていると自然に足取りが軽くなる。
空は黒く塗りつぶされていると言うのに、自分の心は晴れ渡っていると感じずにはいられなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「隣町まで二日。そこから王都までだと一週間はかかるか。退屈だとは思うが、辛抱してくれ」
あの後ソフィアと合流したハルトは、彼女が駆る馬に乗りながら隣町まで続く道を進んでいた。無論、ハルトに乗馬経験などないので彼女に手伝ってもらう形で馬に跨った。
ふと、村の方向に目をやる。そう離れてはいないかつての故郷を感慨深く見つめた。
「どうした?」
「ちょっと、下ろしてもらっていいですか?」
ハルトは馬から降り、自分の胸に手を当てて目を瞑った。これまでの出来事が走馬灯のように駆け抜けて行く。やがて静かに目を開けると、あの村に向けての最後の言葉を口にした。
「さようなら」
少年は歩き出す。
これから先、何が起きるか分からない。ソフィアの元で強くなり、彼女と共に世界を変えることなんて本当に出来るのだろうか。
未来のことなど予測できず、自分のことなんて分かりもしなかった。
それでも、とハルトは笑う。
掴めなかった明日があり、新しい出会いに胸を弾ませる。心は軽く、背中に翼が生えたようだ。彼はかつての自分と決別し、これからの出来事に期待を抱いていた。
新しい自分になるため、その一歩目を踏み出した。
これにてプロローグは終了となります。
拙い文章ではありますが、これからも是非読んで頂ければ幸いです。