『灰色の魔女の日々と金色』
2018年2月8日あたりに初出とされる「#魔女集会で会いましょう」というtwitter上のタグが非常に尊かったので、僕も参加したくて書いてみました。ベタベタですけど、たまにはそういうのもええやん。道満清明先生のファンなので、ああいうのを目指してみました。
むかしむかし、あるところに、魔女がおりました。
魔女は元人間でしたが、永遠を手にしてからというもの、人里離れた場所で一人、穏やかに暮らしておりました。
春は葡萄畑を耕して苗を植え、夏は雑草をむしっては虫を防ぎ、秋には摘んでワインを作り、冬には狩りを嗜みながらワインを飲む。
(今年の出来は甘味がバカに強すぎる、料理には合わんな)
毎年毎年、毎月毎月、毎週毎週、毎日毎日、ワインの味以外はさほど変わり映えのない生活を繰り返しておりました。
魔女は優れた錬金術師であり、その術を用いれば瞬きをするほどのわずかな時間で水をワインにできます。そもそも飲食などしなくともなんの問題もありませんでしたが、それでも魔女は飽きもせずに黙々とワインを作っては鹿を撃ち、同じ日々を過ごしていました。
がむしゃらに勉学に励み、持てるすべての情熱を焼き尽くして魔女が手に入れた永遠の果ては、穏やかな灰の日々でした。
(今日の獲物はバカでかい、こいつで新しい毛皮でも作ろうか)
人間であった頃は悲しみや怒りや楽しみや喜びがあり、アップダウンの激しい極彩色に塗りたくられた日々で、それはエキサイティングな日々ではありつつも疲れるものでした。
毎日を同じような心持ちで同じように過ごせる。
それはさながら四季の移ろう一年のごとき暮らし。
超越者たる魔女が終に辿り着いた境地は、自らを自然そのものへと置換していくことでした。
やがては不幸も幸福もない、営みだけがある世界に行けたのならばどれだけ素敵だろう。そう魔女は考えていました。
ところが灰の日々に、輝かしい金色が光りました。
(おや――)
枝ばかりの冬の葡萄畑に、枯れ枝のような細い手足をした子供が迷い込んでおりました。雪の降りしきる日だというのに、子供はボロをまとっただけの薄着で、靴というにはあまりにも心細いサンダル姿です。
「逃げて!」
垢でくすんだ長い金髪をした少女は魔女に向かってそう叫びます。
少女の向こうには魔女の身の丈の倍はあるクマが直立し、今にも襲いかかろうとしていました。
どうやら、この少女は自分をクマから身を挺して守ろうとしているのだと、察しのいい魔女はすぐに理解しました。
(バカが――)
得意の錬金術でさくっとクマを爆殺して見せ、黒灰を白雪の上に降らせながら、魔女は少女に向き直ります。
「おいバカ、名はなんと言う」
「シャ、シャルル……」
「そうか、着いてこいバカ。おまえにこの冬だけ、寝床と食べ物を用意してやろう」
自分にもまだ気まぐれなどという人間らしさがあることに、魔女は驚きました。
しかし、考えてみれば季節ほど移り気なものも世の中にはありません。
こうした気分の揺らぎこそが、自然の本質なのかもしれない、そんなことを考えながら魔女は一人で雪道を歩きます。
「お姉さんは――」
「ああん?」
「お姉さんの名前は、なんというのでしょうか?」
「……ほう」
誘ってみたはいいものの、大きな人喰いクマを一瞬で爆散させた魔女でしたので、てっきり少女は泣き叫んで逃げ出すものと思っていました。
ですが存外、シャルルと名乗ったその子供は肝が据わっているようでした。
「……私の名はカルドネという」
魔女は久方ぶりに自分の名前を口にしました。その名前を口にしたとき、不思議と胸の内がむずがゆくなるのを感じましたが、それはごくわずかなことだったので、魔女はたいして気に止めませんでした。
(数百年ぶりにお姉さんと言われて嬉しいんだろうか――バカバカしい)
魔女は黒髪が麗しい姿で控えめに言っても美女でしたが、この数百年のあいだその姿を人前に見せたことはありませんでした。所用で村里へ降りるときはかかる煩わしさを避けるために老婆の姿へと変じることにしていたからです。
魔女は自分の中にまだ女性らしさがかすかに残っていることに驚きつつも、まぁ悪い気はしませんでした。
(それにしても、なんとまぁバカ汚い身なりなことか)
生ゴミのようなヒドい臭いがするので、すぐにシャルルを風呂に入れて大量のお湯で洗ってやると、その金髪の見事さは目を見張るものがありました。
(このまま剥製にして飾ってやろうか)
そう考えるていどには、美的な価値があるように魔女には思えました。
灰色の冬の日々に、陽光のような金色が混ざり始めます。灰となった魔女にはときおりシャルルが眩しく感じましたが、それなりに平和で楽しい毎日がやってきました。
ただ、このときの魔女は三つの誤算に気づきもしませんでした。
「ママ! 今度はなにを手伝えばいいのかな!?」
一つ目に、シャルルはまるで生まれたばかりのヒヨコのように魔女に懐き、冬が終わってもまるで離れる気配がないことでした。どれだけ邪険に扱っても、どれだけ遠くに捨てても、気がつけば戻ってきてしまうのでした。やがては魔女も根負けしてそばにいることを許してしまいました。
(バカに変なやつだ)
「母さん、この国はこれからどうなってしまうのだろう」
二つ目に、シャルルはやんごとなき王族の血を引いている子供なようでした。どうも本人から直接聞き込むに継母がとんだ悪女らしく、父である王を毒殺されたあげくシャルルも殺されかけたそうです。忠実な侍女のナイス機転によりなんとか城から脱出できたものの、行く宛もなく、さ迷っていたところを拾われたとのことでした。
(なんてバカ面倒くさい奴を拾ってしまったことか)
「母さん――いやカルドネ様、僕と夫婦になってはいただけないでしょうか」
三つ目に、これが一番の問題なのですが、可愛らしい少女だと思っていたシャルルは男性でした。しかも成長するにつけ魔女を親と慕う以上に異性として、愛しくてたまらないようでした。
確かにもはやシャルルは子供というような年齢ではとうになく、輝くような金髪をしたどえらいイケメンに成長していましたが、魔女的には煩わしい男の一人にしか過ぎません。
「村へ降りれば、バカなおまえのことを好きになってくれる若くて可愛い子がわんさといるだろう」
「僕はカルドネ様以外に興味が湧きません」
「バカが。口さがないことばかり言うようになりおって……」
「口さがないついでにお尋ねいたしますが。カルドネ様はいつになったら僕を弟子だと認めてくださるのでしょう?」
「百年早いわ」
「でしたら百年おそばにお仕えいたします」
「勝手にしろ。もっとも、おまえは百年経たずに死ぬ。だからとっととここから出て行け」
何度と繰り返されるこのやりとりの最後は、いつもシャルルが微笑んで終わりでした。
(まったく、バカだバカだ。ちょっとした気まぐれのおかげで私の穏やかな日常が台無しじゃないか)
平穏に暮らしていた二人でしたが、とある出来事が平穏を壊します。
シャルルを追い出した女王は老いの恐怖に嫉妬し狂い、魔女狩りを始めたのです。それは魔女狩りという名の自国民への虐殺行為でした。自分よりも若く美しい者たちばかりが次々と捕らえられて殺されていきます。
魔女殺しの杭を心の臓へとトカトントン。
トカトントン、トカトントン、トカトントン――次から次へと若者たちは死んでいきました。
都から始まった魔女狩りの魔の手はしだいに周辺の村へと伸び、ついにはカルドネも捕らえられてしまいました。
シャルルを強引に逃がした魔女は、おとなしく処刑台へと送られます。本当の魔女であることを今さら隠すつもりもさらさらなく、長く生きすぎた魔女はたいして死ぬことを恐れてもおりませんでした。
(殺されて、焼かれて、灰になって、風に飛ばされる。そうして、私は真の永遠を手にするのかもしれないな)などと、他人事のように死を見つめておりました。
ただ死の際で思い出される日々にやたらとシャルルがいることが、魔女には不可解でした。
(くだらん。どうせこれから、私に思うことなどなくなる)
まさに魔女の胸へ杭をが撃ち込まれようとしたそのとき、執行人の身体が大きく飛ばされました。周囲には金色の雪――いえ、灰が宙を舞っております。
「助けに参りました! カルドネ様!!」
それは魔女が乞われても決して教えなかった錬金術でした。シャルルが書庫に忍び込んでいるのは察していましたが、まさかここまでの錬金術の才をこの男が持っているとは知りませんでした。
魔女の腕前に匹敵するような秘術の数々を惜しみなく使ってみせるシャルルは、処刑を止めるだけでは飽きたらず、そのまま狂った女王を国から追放してしまいました。
王宮にはシャルルのことを案じていた侍女や家臣たちもまだ多く残っており、人々は王子の帰還を喜びます。
灰色の時代は終わりを告げ、黄金の時代が幕を開けると大騒ぎです。
(さて、ならば灰色の魔女はまた一人で生きるとしよう)
「カルドネ様!」
「……シャルルか」
「どこへ行かれるのですか?」
「わからないのかい? 帰るんだ。これからの時代に灰色は不要なはずだ」
「そんなことはありません! 私と一緒に、この国を支えてはいただけないでしょうか」
「バカな……」
「僕はバカではありますが、真剣です」
「……ふん、おまえのような痴れ者が王など片腹痛いわ」
「……」
「おまえは、これからこの全知全能の魔女の傀儡となるがいい」
「お心のままに」
シャルルが玉座につき、魔女は老女の姿となって、王の側仕えの相談役となりました。
錬金術という人の道を外れた力は使わず、二人はあくまでも人の道で国を再建してみせました。
それはまさに黄金の時代でした。
永遠に続く収穫祭のような時代。
しかし、人間であるシャルルは魔女とちがって老いていきます。
金髪は白髪へと変わり、瑞々しい肌はクシャクシャとなり、壮健な身体はやせ細り、玉座に座ることもままならなくなった王は、病床へと移りました。
ついに王の命が燃え尽きようとする日、王の側には黒髪の麗しい魔女が、出会ったときと寸分も変わらない姿で立っておりました。
「カルドネ様、申し訳ございません。儂はやはり、貴方の弟子にはなれそうにない」
「当然だ。おまえのようなバカに私の弟子など務まらん。おまえはせいぜいが一国の王となるだけの器しかなかったということ。それだけのオオバカモノだ」
「これは、手厳しいですな」
「手厳しいもバカもあるか、世継ぎも作らず……おまえというやつは」
「君主制より共和制のほうがナウいと仰ってたのは貴方もでしょう」
「バカが、まにうけおって。絶対の権力に酔いしれぬこともできん奴が王になるなど、もともと無理だったのだ。おまえはこんな風に生きたかったのか、王に生まれたから王をやるなど……バカげている」
「……育てていただき、ありがとうございました。儂は今も変わらずお慕いしておりますよ、カルドネ様」
「知っている」
「……」
「……」
「…………」
(…………バカが)
王の葬儀は盛大に行われました。
喪主となった魔女は、粛々と葬儀を取り仕切り、王の棺が地中深くに埋められたその日に、人々の前から姿を消しました。
魔女はまた、もとの家へと帰ってきました。
そして、以前と同じような暮らしを再開します。
春は葡萄畑を耕して苗を植え、夏は雑草をむしっては虫を防ぎ、秋には摘んでワインを作り、冬には狩りを嗜みながらワインを飲む。
「今年のワインは僕がいたこれまでの九十九年の中でも最高の出来です」
……ただ、灰の日々の中で以前と一つだけちがうのは、いくらか眩いことでした。
「そうかい」
「ついに来年ですね。まさか魔女様とあろうものが、一度言ったことを取り消したりはしますまい」
「うるさいバカ」
灰色の魔女の日々が眩しい金色に彩られてから、金色の子供の日々が穏やかな灰色に迎えられてから、もうすぐ、百年が経とうとしています。
<了>