第一話 始まる死者との闘い
少年少女は逃げる。
そこは彼らが収容されている施設。
施設は山中にあり外界から遮断され、迷い人が偶然発見しない限りは認知される事はない。
昨今の温暖化の影響からか、まだ五月の終わりだと言うのに茹だる様な暑い夜が続いている。しかし、施設が山中にあるためか平野部よりは夜でも比較的に涼しい。
しかしながら少年と少女の額には大粒の脂汗が滴っていた。
施設内の構造としてはそこまで広くない。彼らにとっては家の様なものであり、施設内部の大体の間取りは把握している。逃走の際はどの通路を通れば最適なのかも知っている。
しかし、彼らは今だに施設を脱出出来ないでいた。
政府の管理下にあるこの施設が襲撃される事はまずない。一個中隊にもなる軍の精鋭部隊が配置している施設をどこの軍隊が襲撃しようと思うだろうか。
そんな鉄壁の要塞とも言えよう場所が現在その機能を発揮していない。
今は〈奴ら〉とあえて言うが、敵は人間ではない。明確に言えば“元人間であったモノ”。
〈奴ら〉は銃火器などで撃たれても殺す事が出来ない。また、〈奴ら〉に噛まれれば人間は息絶え〈奴ら〉として甦る。
まるでゾンビのようだ。
施設内では所々で銃声と人間の阿鼻叫喚が響き渡る。
そして、それも次第に数を減らす。この状況はつまり、精鋭の彼らが徐々に戦闘能力を喪失し始めていると言う事だ。
少年は決断を迫られていた。今やすれ違う人間の数よりも〈奴ら〉の方が多くなってきている。
逃げ回っていても、いつかは〈奴ら〉に囲まれる。生き残れる可能性は低いだろう。
であれば、端的に空間が開けた場所に逃げ出す事が得策であろう。
そして、少年の脳裏にはもう一つ気掛かりな事があった。
それは、彼らにとって最も大切な存在。血の繋がりは無いものの人格が形成され始めた頃から共に過ごした家族であり同族でもある彼ら。世界に八人しかいない少年と少女の同族。
本当ならば彼らを探し出し、彼らの無事を把握したい所だ。
そして、隣でしゃがみ込みながらシクシクと涙を流している少女を安心させてやりたい。だが、状況が状況な為そうも言っていられない。
少年が思考を錯綜させていると、三体の〈奴ら〉が迫ってきている事に気が付いた。
少年はそれを脅威と無意識のうちに判断し、彼は少女の右手を離さまいと握りしめ駆け出す。しゃがみ込んでいた少女もそれに釣られて駆け出すのだが、思いっきり引っ張られた為か、腕に痺れ程度の痛みを感じ、顔を歪める。
それを横目で確認し、罪悪感を覚えるが謝罪をしている余裕などない。
少年は決断する。エントランスから脱出する事を。きっと生き残りがいるかも知れない。もしかしたら同族も生きているかもしれない。
彼らがエントランスに近づいていくにつれ、断続的な銃声が次第に大きくなっていく。
つまり、エントランス付近には、生存者がいる事の証拠だ。
少年が淡い期待を抱いた矢先、少年と行動を共にしていた少女が足を縺れさせて倒れこんでしまう。そして、少年は少女の手を放してしまった。
「キャっ!」
少年は転倒してしまった少女に近寄り彼女の様子を確認した。膝には擦り傷がありそこから若干血が滲んでいた。そこで、完全に少女はへたり込んでしまった。
「おい佳純大丈夫か! ほら立ってくれ」
「シュウ兄……。もう無理だよ、私。……立てない」
「馬鹿な事言うな! 立ってくれ」
少年は大泣きする少女を宥めるが、少女は一向に収まる気配がない。
彼らがそうこうしていると、又も〈奴ら〉が接近してくる。それも数体。恐らく少女の鳴き声に引き寄せられたのだろう。
少年はその光景を目にし、若干絶望して泣きたくなる。が、少女がいまだ兄さんと言ってくれる手前、泣き言など言っていられない。
そして、なけなしの勇気を振り絞る。少年は少女の正面で両膝を突きながら屈みこんだ。
「佳純! 歩けないなら音部してやる。背に乗れ!」
「シクシク………。……うん、分かった」
「そうだ。それでいい。あと少しだから頑張ってくれ。そうしたら俺も頑張れるから」
少女は少年の行為に甘えると体を預けるように背に乗った。彼は確りと彼女を抱えられた事を確認すると、駆け出そうとする。
しかし、少年は屈んで少女を音部した状態から動き出すことが出来なかった。
そう、少年は疲弊しきっていたのだ。人間の子供より体力があったとしても、その比は成人した人間のそれ程しかない。然らば、ここまで頑張れたのは一重に彼の少女を守ろうとする強い信念があったからだ。
そして、遂に少年の心も折れてしまった。
「佳純……。俺…もう……ダメみたいだ……」
「えっ……?」
「すまん。もう立ち上がれないんだ。……すまん、お前だけでも助けたかったのに……」
〈奴ら〉はもう目の前にいた。少年は一番近い〈奴〉の顔が目に入る。目は血走り、死体のような血の通っていない真っ白な肌。上顎と下顎をカタカタと鳴らしていた。それはさながら、自分たちを食うために顎を鍛えているかのようにも見えた。
絶望、無念、失望などの負の感情が少年の精神を支配する。〈奴ら〉の一体が彼を拘束し食らう為に腕を伸ばしに掛る。
もう、これで終わりなのかよ。結局俺は佳純一人、助ける事すら出来ないほどに貧弱だったのかよ。
〈奴〉の手が少年の髪を思いっきり掴む。少年は頭皮が千切れるのではないかと思うぐらいに強い力で引っ張られた。
「くっ―――! い、痛ってえんだよ。糞が! 放せってんだよ!」
その願いは却下され、〈奴〉の口元に引き寄せられる。そして、〈奴〉は自分が少年を食らえる位置まで到達すると、若干首を傾げる。そして、大口を開け少年の喉目掛けて首を動かした。その瞬間、少年は目を力一杯閉じた。
だが、本来来るであろう喉の皮膚を引き千切られる痛みは来なかった。その代りに銃声が少年の鼓膜を震わせた。それと同時に少年の頬に、べチャっとした感触が増えた。
少年は目に掛けていた力をゆっくりと抜くと髪の毛を引っ張っていた〈奴〉の頭部の一部は吹き飛んでおりえぐれていた。〈奴〉の手の力が抜けると少年はその場に倒れる。
更に続く銃声。
すると、周りにいた〈奴ら〉の頭部が撃ち抜かれ、バタバタと倒れ臥せっていく。少年は今起きた現象を瞬時に理解できなかった。そして、こちらに二人の男女が近付いてくる姿が目に入った。
「秀一くん! 佳純くん! 大丈夫か!」
「……香佐代さん…。 無事だったんですね…」
「まあな。君が声を上げてくれたから私たちも気付けた。それより君たちは大丈夫かね?」
女性は少年と少女を目視で怪我などの外傷がないか確認する。そして、少年も女性を見て安心するのだった。
「…はい、何とか。…それより佳純を……!」
「分かっている。蒼龍寺中隊長、彼女を頼む」
「了解しました」
少年は男性に少女を預けると、男性は彼女を連れてこの場を後にする。そして、少年は女性に問いかけた。
「……そう言えば、美香佐さん。みんなは大丈夫なんですか・・・?」
「………。済まない……。私たちも逃げ出す事に必死で、彼らを保護する事が出来なかった。今の所は君たち以外保護できていない」
「……!? そんな…!」
少年は動かない体を無理矢理にでも動作させようとする。しかし、女性はそんな少年の行動を阻止する。
「放してください。俺は皆を探しに行きます!」
「駄目だ。君は私たちと一緒に来てもらう」
「そんな! 放せっっ!」
少年は駄々をこねジタバタするが、残っている体力ではさほどの抵抗も出来ない。だからこそ女性の障害とならなかった。
若干鬱陶しくなったのか女性は怪訝な顔をする。そして、女性は少年に思いっ切り腹パンをくらわす。
「ぐはっ―――!」
それで、少年の意識は落ちた。女性は彼をお姫様抱っこしエントランスを後にする。
だが、一瞬だけ施設内を見る為に振り替えった。しかし、奥からは〈奴ら〉の呻き声以外生きている人間の悲鳴はもうなかった。
女性は再び向き直し施設の外に着陸していた、離陸可能状態にあったヘリに乗り込む。その後、ヘリは離陸するのだった。
To be continued
2023/5/28 改変