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桜変化  作者: 猫森千鶴
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触れあう想い

 ここはどこ? やけに腕がだるいし、体に力が入らない。んっ? あの背中、前にも見た事がある、何か書いている後ろ姿に見覚えがある。

(なんで私、布団の中・・?)

「ええっ! 嘘でしょ! まさか私!」

 布団から飛び起き慌てて着物の胸元に手をやった。

「気づいたか、具合悪いとこないか?」

「・・・・・・」

「大丈夫か? ボ〜っとして。」

 私はその声の主、土方さんの顔を睨むように見ていた。

「おい、なんでそんな顔?・・・まさかおまえ変な勘違いしてんじゃないだろうな!」

 勘違い? 着物はちゃんと着ている、でもやけに体がだるく、腕も痛い。そう、そうだった、私は沖田さんと・・確か一応倒したはずだがその途端、張っていた全身の力が抜けて・・・あとは、覚えていなかった。

 もしかしたら土方さんが運んでくれた? そう思ったらちょっと気まずい表情になっていた。

「状況は理解出来たみたいだな。」

 土方さんは笑った。

「すみません。」

「謝る事はねえ、なかなかの立ち合いだった。近藤さんも感心してた。」

 少々気まずい、いや、かなり気まずかった。あんなのはまともな立ち合いじゃぁない。

「まともにやって私が沖田さんに勝てるはずがありません。土方さんならお分かりでしょ。」

 私は土方さんの視線から目を逸らし答えると、

「どんな手使っても勝ちは勝ちだ、一瞬の隙が生死を分ける。恥じる事はねえ。」

 土方さんの言葉に少し驚き視線を戻すと、目の前に彼の顔があった。

「ただしあの手、総司には有効でも俺には効かねえぞ。なんなら今試してみるか?」

(さっきのすみませんを撤回する! 女がみんなその顔に弱いと思うな! この京であなたはモテモテなのでしょうが。)

「それ以上顔を近づけたら叫びますよ。」

「叫ばせてえな。」

 あなたはエロオヤジか! 鉄之介はどこにいったんだろう、肝心な時に彼がいない。

「ハハハハ・・、おまえでも怯むんだな。」

 そう言いながら顔を離し、机にもたれてまだ笑いながら、

「安心しろ、倒れた女襲うほど鬼畜じゃねえ。」

 土方さんの顔が柔らかい微笑みに変わったように感じる私は、かなりやられているのだろうか、急いで布団から出ていずまいを正して聞いた。

「運んで下さったのは土方さんでしょうか、ご面倒をおかけ致しました。それから・・鉄之介さんは?」

「運んで寝かせたのは俺だが、崩れるおまえを支えて抱きとめ抱き上げたのは総司だ。鉄之介はいったん店に戻って、後からちゃんと迎えに来るとさ。」

 あぁ、倒した相手に抱きとめられるとは情けない。私はいったいどれくらい寝ていたんだろう。撤回したすみませんを、やはりもう一度撤回するしかない。

「わざわざお布団まで申し訳ございませんでした。」

 頭を下げた。

「おっ、気がついたのか。」

 背後の廊下から原田さんの声がして、私の横にすっとしゃがむと、

「飯食うか?」

 優しい笑顔を向けられた。

「いえ、結構です。」

 と、答えたのに・・・なんで! 意思に反してお腹が勝手に反応していた。

「食ってけ、腹の虫が鳴いてんぞ。原田、おまえが当番だったのか?」

「いや、永倉と藤堂達だ。月子には聞きてえ事もあるし、まっ、用意する。」

 土方さんに原田さん、勝手に決めないで、本当に結構です。いくらお腹が空いてても、こんな所で落ち着いて食べられません。

「月子、俺の布団片しとけよ。」

「はい。」

(・・って、私、土方さんの布団に寝てたの! 嘘でしょ!)

 しかし冷静に考えれば、早朝に土方さんの部屋の前で倒れたのだから、多分まだ敷かれたままだった一番近い場所の布団に運ばれてあたり前だ。もう自分の情けなさに言葉も出ない。

 仕方なくひとり布団をたたみ片付けていると、

「若妻が寝間を片付けるの図。いや、若くはないか。」

 沖田さん! いつの間に、わざわざそんな事を言いに?

「それから、あの手、次は通用しないから、念の為言っとくね。」

 それだけ言って、さっさと行った。

(何しに来たの?)

「あいつ、様子を見に来たのか? あれでも心配してたんだろ。」

 膳を運んでいた原田さんがそれを見て、私に言うでもなくひとり言のように呟きながら横を通っていった。

 ここの人達はきっと、揃いも揃って不器用なんだろう。あの芹沢でさえ不器用なんだと思う。


 そして私はなぜか朝いたメンバーと朝食をいただいていた。息が詰まりそうで黙々と食べていると、

「月子さんはどこで薙刀を習得された? それにあの柔術もなかなか。」

 近藤さんに聞かれる。実は今さらだが、それが困ると思っていた。なんて答えようか、薙刀はごまかせても合気道は・・、確かまだ合気道というかたちでは存在していなかったのでは? 答えを探し考えていると斎藤さんが先に、

「あれは柔術とは少し違いますね。」

 と、鋭い問い、続けて藤堂さんまで、

「鉄之介が言ってたけど、月子のお婆さんが師範だったんだろ。」

(あいつまたペラペラと・・・)

 考えている間はない。

「祖母がお師匠様というだけで、大した事はないんです。」

「大した事ないのにやられたかぁ、沖田が。」

 永倉さんが豪快に笑う。

(もう、そこはスルーしてよ!)

「多分永倉さんなら何度でもやられますよ、あの戦術に。」

 茶碗を持ったまま沖田さんが言った。

(沖田さん、かなり根に持ってますね。で、なんで土方さんまで同意の顔してんの!)

 私はもう、米粒ひとつも喉を通らない。早く鉄之介迎えに来て、いや、もう帰る! ひとりでも帰れる。そう思い、

「ご馳走様でした、後片付けさせて頂きます。それから帰ります。早朝からお騒がせ致しました。」

 深々と頭を下げる私に、

「鉄之介がすぐに迎えに来るぞ。」

「まだもう少し話しを聞きたい。」

「さっきの答えは?」

 原田さん、永倉さん、藤堂さんが間をあけず順に言い、近藤さんまで頷いている。もういいでしょと思い、立ち上がろうとすると土方さんが、

「おまえ裸足で帰るのか? 早朝と違い往来には人が多いぞ。」

(あっ!)

 なんで私は裸足なんだろう? 足袋はどうしたの? 思わず土方さんの顔を見た。

「鉄之介が汚れているからと脱がせたんだ! 俺じゃねえ!」

 もう彼を待つしかなかった。

 台所へ膳を運ぼうとしたが、屯所内をうろうろするなと言われ止められ、結局しばらくは土方さんの部屋にいるはめになったのだが、剣術稽古で土方さんはいなくなったのでホッとした。だが、ホッとしたのも束の間、入れ替わるように永倉さんと藤堂さんが来て、

「月子、さっきの、もう一度ちょっとやってみて。」

 何をやってみてと? 藤堂さん、私は裸足で下駄も草履もありませんしと思った事が分かったのか、彼はニッコリ笑い後ろに持っていた女物の下駄を出した。

 八木邸の方に借りてきたのだろう、仕方なく庭に下りた。

「藤堂さん、柔道・・いえ、柔術で投げる時のように私を掴んでみて。」

 私がそう言うと、いいの? と言う顔で着物の胸元の両衿を掴んだ。その手を反し、突っ込んできた勢いをそのまま流れの方向に流すと、藤堂さんは簡単に倒れた。

 彼は驚いた顔で私を見る。

 何度か色々な攻撃をかわしていく、永倉さんはそれをじっと見ていた。私は気づかなかったのだが、いつの間にか斎藤さんと原田さんもそこにいた。

「おまえら何してんだ! 稽古場に姿がないと思ったらこんなとこに集まって、斎藤と原田まで・・、何考えてんだ!」

 お冠の土方さんの前に私達は並んでいた。

「ごめんなさい、私が調子にのっていらない事を・・」

「月子は悪くない! 俺がさっきのもう一度見たかったから頼んだんだ。」

 怒っていた土方さんが、藤堂さんの言葉に急に真面目な顔になると、

「おまえ教える事は出来るのか? 薙刀の方じゃなくもうひとつの方・・」

「それはご勘弁を、土方様。月子さんをお預かりしておりますわたくしが、叱られてしまいます。」

 その声は源左衛門さんだった。案内され廊下の奥からこちらに歩いて来ながらきっぱりと言われた。それを聞き土方さんはフッと笑い、

「俺もどうかしてるな、隊士の師範が揚屋で働く若い女ってありえねえ。あっ、女を馬鹿にしてる訳じゃねえが。」

「分かっております。私も皆様にお教え出来る技量など持っておりません。」

 絶対に無理だ、微笑みながら答えた。

 源左衛門さんは鉄之介の代わりに迎えに来て下さった。ちゃんと草履と足袋を持ち、おまけに山南さんへのお見舞いまで持参されていた。

 渡された足袋を縁側で無造作にはいていると、いつ来ていたのか沖田さんが前で、

「土方さん、さっきの間違ってます。」

 と、急に言った。何が? 女の師範を認めるとでも言うのだろうか。

「若い女ってとこ。この姿には色気もない、まあ胸はちっとはありましたが・・」

 な、なんなの、あなたは! 淡々と話す沖田さんがムカつく。

「浴衣でも着て祇園祭りの灯りん中に浮かべば、色気のいの字くらいはでるかもしれませんが。」

「えっ?」

 みんなの詰まった声を背に言いたい事だけ言い、さっさと行ってしまった。

「深い事言ってねえか、沖田の奴。」

「俺、聞き違いかと・・」

 原田さんと藤堂さんはなぜか驚いていた。

(まさか総司の奴、月子を誘ったのか? まさかな・・あの総司が・・ありえねえ。)

 土方さんの心の呟きなど分かるはずもない。私はここに来てから余裕がないのか、そんな言葉さえ素通りさせていた。


 源左衛門さんと歩く帰路、私を振り返る人々の視線を感じ、目立ってはいけないのに逆の事ばかりしてしまう自分が腹立たしかった。

 店に戻り着替えた私のもとに源左衛門さんが来られ、静かに、でもはっきりと、

「聡明なあなたならお分かりと思いますが、関わり過ぎられてはあなたが戻られる時、お辛い思いをなさる事に・・、もちろん残された者もです。」

 分かっています。

「わたくしは、先日のようなあなたのお顔を、二度と拝見したくはありません。」

 と、仰られた。そして源左衛門さんは同時に心の中で、

(それでもわたくしには分かる。月子さん、あなたはきっと関わってしまう。あまりにも似ている、あなたは・・・)

 思っておられた。そんな思いは私には想像出来ない事だった。



 八月の嵐の前、祇園囃子の鐘の音が、灯りとともに京の町を包み込む。その幽遠の風の中、私は源左衛門さんの優しい言葉をどこかに置き忘れた。

 祭りのざわめきが私の心を揺らし、ありえぬ時間が夢とうつつを往き来して惑わす。


「月子さん、今日この時しかありませんよ。だから急いで急いで。」

(あなた妙なとこだけ素早いよね。)

 私達は源左衛門さんの許しをもらい、祇園祭りの宵山に出かけようとしていた。

 この時期、当然店は忙しくまさか宵山見物など出来るとは思っていなかった。なのに、少し夜は更けたが、ぽっかり時間が出来たのだ。

 鉄之介がここぞとばかりに源左衛門さんに頼み込み、私は目立たぬようにとだけこっそり言われ、少しワクワクする気持ちを胸に店を出た。

 時間を忘れてしまうほどの柔らかな灯り、どこまでも続く祇園囃子、私達は宵山の人混みの中、その波にのまれるように紛れていく。

「ほら、迷ったら帰れませんよ。」

 鉄之介は戸惑うことなく私の手を掴みしっかりと握った。

 この手の先、見える背中が大きく感じ、握る手の大きさと力強さに驚く。

 彼がふいに見せる真っ直ぐな強さは、普段どこに隠されているのだろう。

「あっ! 鉄之介さん、月子さんも!」

 声のする方に目をやると鉢屋の芸妓、桜香が他の芸妓達と一緒にいた、吉野太夫まで一緒だ。思わずつながれた手を離そうと引いた。

「月子さん。」

 心配そうな顔で鉄之介が見たが、

「大丈夫、ちゃんと鉄之介さんの背中にくっついているから。」

 それがいけなかった、くっつける訳がない。鉢屋の芸妓達にあっという間に彼は囲まれた。その姿を目で追っていたつもりが、いつの間にか私自身が人の波にのまれてしまったようだ。


 ほんの一瞬の出来事、なのにやけに長い時間、ひとりで立ち竦んでいるような錯覚に落ちる。

 耳の奥、彼の声、

「迷ったら帰れませんよ。」

 そう、私は迷っている。この時代に、この時間に、ここで出会う人々の中、私の心は迷っている。

 人の声は遠のき、山鉾の灯りが回り、囃子の鐘の音が大きくなる。

 軽い目まいが・・・

「つき・・・」

「月・・子・・・・・月子!」

 耳鳴り・・?

「土方さん!」

 目の前に彼が立っていた。

「こんなとこでぼ〜っと突っ立ってたら、攫われるぞ!」

 私はいつの間にか人混みからひとり外れ、ほの暗い場所にいた。

 祭りの灯りは遠く、あれほど大きく聞こえていた祇園囃子も今は幽かな響き。まるで今の私の現実を、思い知らされているようで・・・

「どうした? 月子、しっかりしろ! 具合でも悪いのか?」

 土方さんの大きな手が額を覆った。

 人の手の温もりが今という現実に引き戻す。泣き出したかった心が引き戻り、泣くことはできない。・・・はずだった、なのに・・・

「熱くはないな・・、どうした? 迷子の猫みたいな顔して、いや、猫なら鳴くか。おまえ、泣きたい時には泣けよ。」

 前にも同じことを言われた。あの時は意地を張れたはずなのに。

 額を覆っていた手が指先を離さずそのまま頬を包む。柔らかな微笑みとともに・・・

 とめどなく涙が溢れた。次から次へと涙の粒なのか流れなのか、溢れる滴の煌めきは、藍染浴衣の朝顔の夜露と変わる。

「泣きたいだけ泣けばいい。」

(おまえは何をそんなに抱えてんだ? 俺が全部持ってやる。だから・・・)

 指先で涙を拭われそのまま引き寄せられた。まとめていた髪の飾りが滑り落ち、柔らかな髪が肩を撫でるように流れるとそのまま逞しい腕に落ちた。

 私は浅葱色に包まれて、震える心は誠に触れる。

 ぽっかり空いた時間も、宵山の人の波に沈んだのも、ひとりはぐれ迷ったのも、そう、この時代に迷い込んだことさえも、全ては必然だとでも言うのだろうか。

 偶然ならば、あまりに哀しい。







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