触れられた思い
今日も近くの揚屋の主人がうちに来て、源左衛門さんにこぼしている。
「あれは酷い! 店を滅茶苦茶にされたうえ七日間も商売を停められたら、私どもに潰れろとでも言われるのか・・、私の店だったらと考えたら身震い致します。正直、浪士組さんが来られるのは・・・特に芹沢様は・・・」
「滅多な事を言われてはなりません。お耳にでも入ったらそれこそ大変! それに、皆様が無茶な方ばかりではございません。」
源左衛門さんが諭すが、
「分かってはおりますが・・、幸菱屋さんは鉄之介さんが浪士組の皆様とお親しいから、無茶はございませんでしょう。」
この主人は何が言いたいのか? そんな事が通用する相手ではない。まさか、浪士組の宴席は全てうちで請けろとでも・・? 自己保身にもほどがある。
しかし、源左衛門さんは微笑みながら、何かあれば、お互い助け合いましょうと言われた。
あの人の行動に商家の主人達はビクビクしているのだ。
実際、私が知る通り、あの人の行動の横暴さは日に日に周りの人達に恐れを抱かせていた。ただそれは、浪士組存続と維持のためである事も確かなのだ。
「先日の芹沢様の所業で、商家の皆様はかなり神経を立てられていますね。」
鉄之介は他人事のように言う。うちだってこの前、下手したら危なかったのだ。
(もちろん私のせいですが・・・)
しかもあの時、騒ぎが大きくなり二階にいた長州藩士と鉢合わせでもしていたらと思うと、今更ながら背筋が凍る。
ただ、私が知る史実にはそんなエピソードはない。と言っても、すでに史実には登場しないはずの私がここにいるのだから、違う事が起こらない確証もない。
歴史に歪みが起こったりはしていないだろうか? 不安で、心配で、それなのにやってしまうのだ。関わらないと思っていても、それは無理な話。
「鉄之介さん、全て他人事ではありませんよ。」
私は自分にも言い聞かすように静かに言った。
「分かっています! ただ、訳もなく無茶をなさる方々ではないと思って。」
確かにそうだろう。それでも今ここでは、浪士組は新選組と名を改めてからも、人斬り集団と言われ周りの人達に恐れられた。
私がいたあの時代、多くの人に支持され愛されていたのも、昔からという訳ではない。
鉄之介は自分の目で見た事を信じ、言っているのだろう。
「でもそう言えば、作られた羽織りの代金、全額は払われていないとか?」
(踏み倒したわけね。)
商家への強引な押し借りもあったはず、借りとは言い難い金策方法だ。
「あんな浅葱色の羽織り着て、京の町を闊歩すれば目立ち過ぎるっていうの!」
「浅葱色? 月子さんご存知なんですか?」
(あちゃぁ〜、またやっちゃった? ごまかさないと・・・)
「このあいだ言ってなかったっけ?」
(苦しいぞ! 私。)
「あっ、私が芹沢様にお詫びに行ってる間に、土方さんから聞いたんですね! お喋りだなぁ土方さん。」
(とりあえずそういう事で・・、許せ土方さん。)
そして京の町に、暑さとともに祇園祭りの季節が訪れた頃、私はその先ばかりに気をとられていた。
八月十八日の政変。九月の芹沢鴨の粛清。私の中でこれらが大きな事柄すぎて、七月の出来事を落としていたのだ。
早朝、私は奥の方の庭にいた。
六月のあの一件以来、私はせめて源左衛門さんや鉄之介を守りたいと思っていた。ここに来て私はふたりに守られてばかりだったから、サボっていた薙刀と合気道の稽古をまた始めたのだ。
薙刀は源左衛門さんが用意して下さった。お願いした時かなり苦笑されていたが・・、鉄之介は私の姿に目を丸くして近づこうともしない。なのに早朝、稽古には付き合ってくれるのだ、ただし遠巻きに見ながらそこにいるだけで、彼の不思議そうな目が痛い。
「鉄之介さんも一緒にする?」
聞いてみても首を横に振る。
「私の祖母が師範だったから、少し位ならお教え出来るよ。」
絶対拒否! の態度だ。
(じゃぁ、寝てて。)
その日の朝、稽古を始め少しした時だった、鉄之介が慌てて飛んで来た。
「月子さん! 土方さんと山南さんが大怪我をして戻られたそうなんです!」
(大怪我? 嘘っ! そんな話しないはず! いや、私が歪ませたの・・・)
私と鉄之介は駆け出していた、なんでだろう? ふたりともきっと訳など説明出来ないだろう。
一度来た道、通った所、そして、二度と足を踏み入れないと思っていた場所に、私は飛び込むように駆け込んでいた。
鉄之介と並ぶように庭先に立つと、あの日のように障子は開け放たれていた。
文机に向かう土方さんの姿があった部屋の前に、三人の男が立っていて、その背中で中の様子が見えない。
(どいて!)
私が叫ぶ前に、先に鉄之介が声を出した。
「原田さん、土方さんと山南さんは無事なんですか!」
一番手前に立っていた男が振り返った。
「どうした鉄之介、肩で息して。」
「だから土方さんと・・」
「俺がなんだって?」
「土方さん!」
私達は一緒に名を呼んでいた。
土方さんは振り返った男三人の間から姿を出し、不思議そうな顔で私達を見た。怪我どころか元気そのものだ。
(じゃ山南さんが?)
山南さんが怪我をしている・・・あった! 大坂で土方さんとふたり商家に押し入る数名の不逞浪士を撃退し、その時山南さんが左腕を負傷した。そしてその傷は山南さんのこれからに影を落とす。私は思い出すとすぐに聞いてしまった。
「山南さんの傷は・・」
「なんでおまえ、その事を知ってる?」
「そ、それは・・」
「私が言ったんです。人づてに土方さんと山南さんが大怪我をされたと聞いて・・・」
鉄之介が答えると、縁側の上の三人と土方さんは、あからさまに大きなため息をつき、原田さんが呆れた声で言った。そう、そこにいた三人は、原田さん、永倉さん、藤堂さんだった。
「藤堂、おまえがどこかで喋ったのか?」
「喋ってないよ! 永倉さんでしょ、いつもお喋りなのは。」
「何ぃ!」
「やめろふたりとも。誰も喋らなくても、尾びれ背びれが付いたうえに羽根がはえて飛んでいく。」
「原田、確かにそうだが、あまりいい事じゃねえ。」
土方さんは言ったが、あなた達の話しはもういい、山南さんの事が気になっていた。
「ですから山南さんは大丈夫・・」
もう一度聞いた私の言葉を遮るように、
「あれぇ、土方さんから山南さんに代わったの?」
またか! 沖田さんだ。後から現れていきなりそれで、私は、
「隠したいなら帰れと言えばいい。そうでないなら一言くらい答えてくれたらどう! それとも女に話す言葉はないとでも。」
なんで私は止められないんだろう。ただ、もしかしたら私の存在のせいかと思った心がまだズキズキと痛くてどうしようもなかった。
「心配するな大丈夫だ。腕を怪我しただけで、これしきのこと・・・おい、だから大丈夫だと。」
土方さんは私の顔を見て慌てているようだ、きっと私は今にも泣き出しそうな顔をしていたのだろう。でも、決して泣かない。
そこにいた全員が庭に下りてきていた。
私はどうしてここにいるのだろう、この人達は、どうして私を優しく見つめてくれるのだ。
「やっぱ山南さんじゃなく土方さんだ。似た者同士って言うでしょ。」
沖田さんは言いながら私の足元を見つめていた。当然皆さんの視線も私の足元に・・・
(あっ! 稽古の途中でそのまま走って・・足袋だけだ!)
「こ、これは稽古の途中で・・」
「あれあれ、言い訳まで同じって。」
「黙れ! いえ、黙って、沖田さん。私は本当に稽古してました!」
(信じてない!)
見ていたはずの鉄之介にフォローを求めようとして彼を見たが、
(フォローはないの!)
一緒になって笑っている。でもすぐに土方さんは真顔で、
「月子、山南さんに会っていくか?」
と、聞いてくれた。
「いえ、大丈夫と言われたあなたの言葉を信じます。今はゆっくりお休み下さいと・・」
「分かった、必ず伝える。」
「土方さんは本当に怪我はないのですね。」
実はまだ気になっていた、私の知る事と違う事が起こっていないかと心配だった。
土方さんは苦笑し、
「俺は大丈夫だ。なんだったら体の隅々まで確認するか? 古傷ぐらいはあるがな。」
「結構です! それでは・・・えっ? な、何? なんですか!」
答えている私の両手をいきなり永倉さんが掴み、手の平をじっと見ていた。
「稽古ってのはホントみたいだな。で、なんの稽古してんだ?」
私の手を掴んだまま、まっすぐ目を見て聞いてくるが、私は黙っていた。言いたくないし説明もしたくない。なのに、
「薙刀と柔術みたいなのを。」
(フォローはしないのに、なんで君が答える! 鉄之介!)
「ほおぉ・・・」
全員で声を揃えてこちらを見ている。
「薙刀かぁ!」
当然原田さんが食いついた。
「ちょっと見てみたいな。いや、軽〜く手合わせでも。」
(原田さん、無理です!)
あなた方、何か勘違いされていませんか? 私は他流試合ができるような腕ではございません。だいたいここに薙刀はないし、どうしてそちらの方向に話しがいくのか。
すぐに土方さんも止めようと、
「やめとけ。女相手に本気は出せねえだろ。」
と、言ってくれたのに、
「俺は本気出せますが、土方さん。」
(どこまでいっても・・、こいつを投げられるなら、いや、倒せるなら。)
突っかかるような沖田さんの言葉に、私の目は真剣に変わったのかもしれない。
「認めん! いい加減にしろ、総司!」
私の耳に土方さんの声は入らない。
「薙刀はありますか? 戻ればありますが、もしここにあるのならお借り致します。」
「月子! おまえまで何言ってんだ、大概にしとけ!」
もう完璧に、私と沖田さんの間には火花が散っていたように思う。
そこに運良くか悪くか、流れを知らない近藤さんが現れ、
「こりゃまた勢揃いだな。」
笑いながら声をかけるとすぐに沖田さんが、
「近藤さん、薙刀ってここにありましたっけ?」
ない! と言う土方さんの声にかぶるように、
「あるが。」
と、言って近藤さんはご丁寧に持ってきて、沖田さんに手渡した。
「はい、月子さん。」
(よっしゃぁ!)
「ええっ!」
近藤さん、今頃気づいても、もう遅いです。土方さんも諦めていた。
私は白い袴姿だった、手渡された薙刀をしっかり握るとひと振りしてみる、空を切る音がした。
「彼女かなりの腕前です。まあ沖田さんの相手ではありませんが。」
いつの間にいたのか斎藤さんの声に原田さんは、
「斎藤、勝負は分かんねえぜ。」
なぜか口元が笑っている。いつもなら止める鉄之介も黙ってじっと見ていた。
誰が合図するわけでもなかった。
私は中段構えでまっすぐ正面の沖田さんを見つめ、沖田さんは当然だが木刀を構えている。懐に入られたら多分間合いをとる間にやられる。
薙刀は振り下ろした時、エネルギーが最大値を出すように斬りつける。間合いは大事だ。
ジリジリとにじり寄る沖田さんは、当然全てを理解しているはず。私が不用意に薙刀を振り上げたら、すかさず飛び込んでくるだろう。
根競べのような時間が続いた次の瞬間、まだ振り上げてもいない私の正面に沖田さんは飛び込んできた。その木刀を薙刀で辛うじて防ぎ止める。
私達の顔は互いの目の前にあった。
「やりますね、止めただけでも褒めてあげます。」
そう言って不敵に笑う。カチンとくるが、今は次の手を早く考えないと、力では勝てない。
ふと、これが沖田さんに有効かは分からないが・・、勝負にでた。
「やっぱり力では勝てない。ごめんなさい、総司さん・・・」
銀座の夜の声で・・甘く囁く。
(よし! 効いた!)
沖田さんが瞬間怯んだ。押してきていた彼の攻撃の力を円く捌き導き流す。
「総司! 気を・・・」
土方さんの声も間に合わない。私は彼の攻撃の力を無力化し、その力をそのまま使い返し技とする。沖田さんはつんのめるようにその場に倒れ、やっと薙刀を振り下ろせた。
「それまで!」
近藤さんの声がした。
何が起こったのか見ていた皆さんはすぐには分からず、しばらくの静けさの後、沖田さんは静かに立ち上がった。と同時、私はその沖田さんの横で足元から崩れていた。
「月子!」
土方さんの声が遠い。頭の中が真っ白になり、気を失った私を支え抱きとめてくれたのは、沖田さんだったようだ。
「参りますね。人を倒しておきながら自分が崩れ、その俺に抱かせるなんて・・・」
苦笑しながら呟く声は周りには聞こえない。
「おい、沖田の野郎笑ってるぞ。大丈夫か?」
「そらかなり堪えるんじゃぁ・・。」
永倉と藤堂は驚き心配していたが、斎藤は思っていた。
(永倉さんも藤堂も分かっていませんね。沖田さんはますます強くなりますよ。)
沖田は胸に支え抱いていた月子を抱き上げると、皆がいる方へゆっくり歩いてきて、
「土方さん、交代してください。俺、今の勝負で結構力使ってますから。」
と、言うと、そのまま土方に月子を渡した。
腕の中、ぐったりと眠るような月子の姿に土方は、
(おまえ女にしとくのは勿体ない・・でも、女でいてほしい。・・・おいおい、俺は何考えてんだ。)
ひとり苦笑していた。
止めても聞かない目の前の不思議な女、月子。ただ、この女の心に嘘はない、語る言葉や行動はそのままこの女の心の中そのもの。それだけに危なっかしい。だから・・・目が離せない。土方は思っていた。もしかしたら周りの皆がそう感じていたのかもしれない。
今という時間はなかった時間。
それでも、触れてしまった温もりは現実。