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桜変化  作者: 猫森千鶴
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触れる思い

 庭先を後にした鉄之介達と入れ替わるように山南が来て、

「芹沢さんは出掛けられているのですか?」

 と、近藤に尋ねた。

「いや、部屋におられたぞ。」

「明日の打ち合わせをと今部屋を覗いたのですが、おられませんでしたが・・」

 山南の言葉が終わるよりも早く、

「しまった!」

 土方は声をあげると同時にもう走り出していた。

(あいつらと鉢合わせちまう!)

 他の者も慌てて後に続いた。

「どうしたんです? 皆さん慌てて。」

 そう言いながらも山南も皆の後を追っていた。

 そんな事態も知らず庭から屋敷の戸口に向かうふたりはまだ話していた。



「あの、さっき月子さんと土方さんは何を?」

(何を? って、まさか鉄之介まで沖田思考?)

「あれは、倒れかけたのを支えられただけです。」

「倒れかけたって? なんで?」

(あなたについて行くの止められたから・・・もう!)

「鉄之介さんがひとりで鉄扇男の所へ行くからでしょ!」

 私は何度も聞く鉄之介に大きな声で言ってしまった。

「鉄扇男とは私のことか?」

「うわあっ!」

 帰ろうとしていた私達の目の前に、屋敷から出てきた鉄扇男、いや、芹沢さんが立っていた。鉄之介はすぐさま私の前に出て、

「先ほどはお時間を頂きありがとうございました。お出掛け前でいらっしゃったのに申し訳ございません。」

「鉄之介、おまえはよほどその女が大切なのだな。こないだまで軟弱な揚屋の跡取りと思っていたが・・ハハハ。」

(どこまでも失礼な奴だ、鉄之介は軟弱なんかじゃない!)

 そう思ったら勝手に言葉が出てしまっていた。

「お言葉ですが、揚屋を束ねるのは軟弱では出来ません! 浪士の皆様を束ねられる芹沢様ならご存知かと。」

「何ぃ! 揚屋と浪士組を一緒にするのか!」

(遅かった!)

 土方さんは芹沢さんの怒声を聞き思うと、他の人達も同じ事を思っていたようだ。

(これでは詫びに来た事が裏目になる。)

 でももう私は止められなかった。

「商人と武士の違いはございます。それは大きな違いではございますが、上に立ち束ねる者の心構えは同じはずです。同じ思いで歩み進む者を信じ、守り、そして明日を共に迎えるために精一杯頑張る。」

(何を言ってんだこいつ。芹沢さんに説教・・? いや、意見してやがんのか。)

 土方さんだけではなく、その場にいた皆さんが驚いていた。

「月子さん、いい加減にしなさい!」

 鉄之介の声に私が驚いた。

「芹沢様はそんな事は当然ご存知です。筆頭局長だからご存知なのではなく、ご存知だから筆頭局長であられるのです。ここにおられる皆様も、同じ志のもとに生きておられるのです。」

 振り返り言いながら私に向けられた鉄之介の顔は、また初めて見る顔だった。

「ハハハハ・・。月子、おまえは男を成長させる女かもしれんな。」

 芹沢さんはそう言って通り過ぎながら、鉄之介の肩を掴み、

「守りたいものが出来ると強くなれる。だが必ず守りぬけ! 何に代えてもだ。鉄之介、もっと強くなれ!」

 高笑いながら出て行った。



「馬鹿野郎! おまえ詫びに来たのか、それとも喧嘩売りに来たのか! 斬り捨てられても文句言えねえぞ!」

 土方さんの怒鳴り声に返す言葉が見つからない。

「ごめんなさい。」

(な、何殊勝に謝ってんだ。)

「土方さん、申し訳ありません。月子さんは悪気はないんです。」

(鉄之介まで・・・分かってるそんな事。)

 怒鳴った土方さんの方が黙ってしまうと、

「悪気あって言われちゃぁ、裸足で走って来た土方さんの足の裏が気の毒だ。」

 沖田さんの冷めた声に皆さんの視線が自然と下に、

「こ、これは、稽古の途中・・」

「歳、きついぞそれは・・」

「近藤さん、そういう事でいいじゃないですか。」

(総司・・てめえ・・・)

 頷きながら皆さんが笑いを殺していた。

 私はふたたびこの人達の優しさに触れ、それと同時にあの芹沢鴨の心の中を思ってしまった。

 あの人は本当に、私が今まで思っていたような人なのだろうか?

 私の少ない知識の中の芹沢鴨は、豪傑だが乱暴で、酒乱で、どうしようもなく、あらゆる問題を起こし、やがて・・・粛清される。


「月子さん、あなたは不思議な方ですね。先日お会いしたばかりなのに、私達の中にしっかりおられる。」

 優しく微笑みながら話しかけられたのは、確か・・・

「山南さん、甘い事言っちゃぁ駄目です、益々図にのります。」

 沖田さんが言うと、土方さんまで、

「甘い事言わねえでも図にのってる。」

(いつ私が図にのった!)

「月子さん、本当に無茶はこれきりですよ。」

 鉄之介にまで言われた。私達を見てずっと微笑んでいるこの人が、山南さん。

 この人も、人を斬るの? そうだった、この人達は斬るのだ。

 そして、今言葉を交わした沖田さんに介錯され、山南さんは・・・切腹する。

 帰りたい。この人達と触れる事のなかったあの時代へ、帰りたい!

 叶わないのならせめて、私のこの記憶を消して欲しい。いつまでこの時代の中にいるのだろう、いつか私は叫んでしまわないだろうか。・・・・・自信がない。



 その夜、私は眠れなかった。

 灯りもない真っ暗な部屋で横にもならず、布団の上にペタリと座って、頭の中は何も思考していなかった。まだ三ヶ月も過ぎていない、それなのに・・・

「月子さん、まだ起きていらっしゃいますか?」

 源左衛門さんの声だ。

「はい、起きています。」

「よろしかったら、少しお付き合い下さいませんか?」

「はい。」

 着物を羽織り障子を開けると、源左衛門さんが向こうの縁側に座り手招きされていた。

 座布団が敷かれ、その前には小さな丸盆に酒器と盃が用意されている。

 そういえば、ここに来てから一滴もお酒は飲んでいなかった。今まで毎晩のように飲んでいたのに、忘れていた。

「月子さんはお酒は召し上がられますよね?」

「はい。」

「お強そうです。」

(仕事がら・・。)

 伏見のお酒ですと言われ、源左衛門さんは盃に注いで下さった。あの時代でも日本酒はあまり飲んでいない。

 小さな盃、一気に飲み干していた。・・・美味しい。

「いかがですか?」

「とても美味しいです。」

 答えた私の顔を見て、源左衛門さんはクスッと笑い、

「やっと笑って下さった。」

(えっ。)

「八木邸から戻られてから、月子さんのお顔が硬く目も虚ろに見えました。」

 私は驚いた、なぜなら今日八木邸からここに戻り、源左衛門さんと顔を合わせたのは数回だけで、その数回で私の表情をよみ、さっきも眠っていない事を分かっていたんだ。だからわざわざ声をかけて下さった。

 源左衛門さんの人を思いやる心、癒す気配り、その深さは凄い。そして静かで穏やかな声で話して下さる。

「この時代、しかもこの京の町は、私達でも日々大変だと感じ暮らしております。月子さんにとってはその何倍、何十倍も大変でお疲れのはず。そのうえ鉄之介の面倒まで押し付けてしまい・・」

「いいえ、源左衛門さんのお心がなければ私は生きていない。それに、鉄之介さんには随分助けられているんです。」

「ありがとうございます。」

「私の方がありがとうございますと何百回も言いたいです。」

 源左衛門さんは微笑まれた。もう少し甘えてもいいだろうか? 私の心の中、もう少し聞いてもらってもいいだろうか。

「お話ししてはいけない事かもしれません。ですから核心には触れません、源左衛門さんの負担になるのは困りますから・・」

「先の世の事ですね。」

 あらためてこの方の深さを感じる。コクリと頷き、

「私は、自分の知るこれからに、心が押し潰されそうになるんです。どんなこれからであれ、変えてはならない。分かりすぎるくらい理解しています。それでも・・・」

「月子さんの心を軽く出来るかは分かりませんが・・私も四十六年生きてまいりました。その中で、あの時、違う道を選び進めば良かったと思う事はひとつやふたつではありません。しかし、あの時、その瞬間、私は選んだのです。確かに自分自身で今歩んでいるこの道を。その事に後悔はございません。後悔したら、自分自身を否定することになりませんか?」

 選んだ、そう、選んだんだ。自分の信じる道を・・。誠の道を・・。

 その先に待っているものが何であれ、今の自分の心を信じ、貫くことで生きているんだ。それを止める事は誰にも出来ない。いや、止まらない。周りがなんと言おうが、信じる生き方を変えるはずなどない。

 私の思いの遥か上を生きている。ならば私はその姿をしっかり見つめよう。この目に、心に、焼き付けよう。私は私の心を信じ、今いるこの時代を生きよう。

 どれくらいの年月を、ここで生きていけるのかは分からないけれど・・・。

「源左衛門さん、ありがとうございます。」

「あんなひとり言のような私のお喋りに、あなたは何かを感じ取られる。まったく凄い方だ。」

 違う、凄いのは源左衛門さん、あなたです。

 こんな静かで穏やかな気持ちになるお酒は、初めてだ。


 そしてこの六月、起きるべき事は起こった。

 不逞浪士取り締まりのため大坂へ向かった芹沢達は、力士達と乱闘になり人が死んでいる。きっかけはどうやら芹沢、道を譲らなかった力士を殴ったのだ。

 捕縛した不逞浪士より多い数の力士を傷付けている。

 土方さんは同行していなかったが、もし一緒だったとしても、今のあの芹沢鴨には逆らえなかっただろう。

 同じ月、この島原の揚屋でまた芹沢は問題を起こしたのだ。同じ揚屋として顔が曇ったのは源左衛門さんだけではないだろう。

 私は気持ちを押さえられなかった、それは私だけではなかった。

 止められない出来事が次々起こり始める、誰かが嘲笑うかのように・・・。







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