動きだす心
いよいよ話の中、新選組のみなさんが順に登場いたします。
歴史背景を少しはふまえながらも、あくまで想像(妄想・幻想)話ですので、史実とかけ離れている部分多々あるかと思います。
先に申し訳ございません。やんわりとお読みいただけると嬉しいです。
今年は桜を見られなかった。
正確には、ゆっくり穏やかな気持ちで眺める事が出来なかった。
幸菱屋の庭には大きな桜の木はある。しかし、あの広間の部屋の前の庭にあり、廊下もその庭もあの日以来何度も通るのに、なぜか立ち止まれなかった。
(毎年お花見は盛大にしてたのに・・・)
桜は咲いていたはず、この京の町のあちらこちらに、妖しく、美しく、妖艶に、可憐に、人々を魅了していたはずだ。
次の桜を私はいったいどこで誰と見るのだろう? 私はどこかで誰かと見られるのだろうか?
足を怪我していて良かったのかもしれない。なぜなら四月はこの店の中、離れと台所と庭の奥、そこ以外はあまり立ち入らなくて良かった。
だから錯覚しそうだった、自分が江戸から来た女でずっとこの時代にいて、源左衛門さんは昔から私を知っている。・・と、そう思うほどこの親子は自然でさりげなく、私を包んでくれる。
源左衛門さんが自然なのは分かる、46歳という年令に、揚屋の主人である風格。だが、鉄之介は風格にはほど遠いし、どこか天然だし、落ち着きもないし・・、なのに、知らない間に包まれ安心している自分に気づく。
不思議君、鉄之介。実際店の使用人達も彼に癒されている。
そして、置屋の女性達からは人気が高い。
彼がこの店の跡取りという魅力もあるのかもしれないが、それだけではない。置屋に身をおく彼女達はみな、あらゆる事情を抱え、いつも心を奮い起こしながら精進している。それでも周りからは、しょせん遊女と蔑まれる事の方が多い。
お客様から声がかかり、揚屋から呼ばれなければ彼女達の糧はない。
そんな彼女達を分け隔てなく明るく迎え、声をかけ、天然のボケで笑わせてしまう。
鉄之介には本人の自覚のないまま、普通ではしない、出来ない事を自然にしてしまう能力があるようだ。
自覚がないのは、実は厄介なのだが・・・。
「月子さん、慌ててどうされたんですか?」
(あなたのせいだ! 鉄之介!)
「鉄之介さん、今夜のお客様をお請けしたのはあなたですよね。」
「はい、部屋は空いていましたから。」
(バカタレ! 浪士組と長州藩士を同日同時刻に受け入れてどうする!)
「あの、この二組の事情、理解されていますよね?」
彼は驚きも慌てもせず、
「もちろんです。あっ、月子さん心配されてます?」
(はい、めちゃめちゃ心配してます!)
しかもこんな日に源左衛門さんは不在だった。
「大丈夫です。浪士組の皆様はいつもの部屋に、長州の皆様はお二階にご案内致しますから。」
簡単に言うが同じ屋根の下、私の心配が消えないのを見て、
「まだお教えしてませんでしたね、隠し階段のこと。」
(えっ? 隠し階段?)
鉄之介はちょっと自慢げな顔で私の手を掴むと、奥へとサクサクと歩き出した。
彼にはいつも躊躇が感じられない。
「ここです。」
台所へ向かう廊下の上、天井を何やら棒で突くとパカッと開き、スルスルと梯子状の階段が現れた。
(うわっ! ここは忍者屋敷か!)
「長州の皆様にはここから出入りして頂きます。ちゃんとご了解も頂いております。」
隠し階段は分かったが、何もこんな危険を冒さなくてもいいのではと思っていると、
「今、こんな危険な事って思われたでしょ?」
分かっているのに動じていない。
「数日前、先にお約束したのは長州、今日になり急に言ってこられたのは浪士組の土方さんなんです。もし中途半端なお断り方をしたら、あの方は何かを勘ぐられる。いきなり踏み込まれでもしたら大変な事になります。ですからすぐに長州の皆様にはお伝えしてこうなりました。」
なるほど、策があるなら同じ屋根の下、まさかの状況でむしろ好都合かもしれない。
鉄之介は本能的な鋭さを持っているのだろうか?
「分かりました。あとは私達が普段通りおもてなしをすればいいだけですね。」
「はい! 月子さん凄いなぁ!」
(いえいえあなたの方が凄いです。)
足が完治し店を手伝い始めてはいたが、私は浪士組の席には顔を出さなかった。
もともと店の者はお客様を部屋へ案内したら、あとは食事やお酒を運ぶくらいだし、宴席での接待は置屋から呼んだ女性達に任せている。
要するにセッティングと采配、後片付けをして、宴席場所を貸すような形だ。ただし、何か起こればそれらの問題解決、そして責任も発生する。
私は極力目立たないようにしていたが、しっかりと働きたかったし、鉄之介に教えてあげられる事は伝えたかった。
鉄之介の質問は時々私自身の学びになる事もある、だから楽しい。
それが緩みになるのか、それとも、起こる事が必然だったのか。
浪士組の方々は鉄之介が案内をした。
「すまなかったな鉄之介、急に用意させて。」
「いえ、土方さんから直々の声で嬉しいです。今、京で一番勢いのある壬生浪士組の皆様の宴席です。」
「勢いだけで金はねえ、ハハハ・・。で、あれからふた月近く経つが、足まだ治らねえのか?」
「えっ?」
「いや、ちょっと肩掴んだだけのつもりだったが、まさかあれで悪くなった訳じゃ・・」
「ああ月子さん、違います。大丈夫です。もうすっかり治られています。」
「ならなんで顔見せねえ?」
「月子さんは部屋には顔を出されません。ここはお客様とそのお客様が呼ばれた芸妓さん達の場所だと。」
「自分は芸妓じゃないってか。」
「嫌だな土方さん、彼女はそんな事を思う人じゃないです。置屋の女性達からも信頼されていますし、あっという間に仲良くなられて驚いています。」
(やけに庇うし、知った風だな、鉄之介。)
「どうした歳? まさか鉄之介と女の取り合いか?」
「んな訳ねえだろ!」
「そうですよ近藤さん、私が土方さんに敵うはずがありません。」
「だが、月子って聞こえた気がしたんだが・・」
耳が良すぎです近藤さん、後ろから現れ笑いながらふたりに言ったが、すぐに真顔になると、すっと体を横によけ通路をあけた。
「鉄之介、今夜は二階にも客がいるのか!」
「はい、申し訳ございません芹沢様。小さな寄り合いがございまして、浪士組の皆様のご迷惑にならないよう二階に案内しております。」
「ふん。幸菱屋を貸し切れるだけの金はないからな、貧乏浪士の集まりゆえ。」
吐き捨てるように言い部屋に入っていく、嫌みな奴、あれが芹沢鴨。
その後ろに続いたのが、近藤勇。
(確か芹沢さんが初代筆頭局長。まさか今夜に限って壬生浪士組勢揃い?)
下が気になり、私は庭の奥からそっと様子を見に来ていた。やはり二階は私が責任を持って対応し、浪士組は鉄之介に任せよう。
そう決めた時、廊下に最後までいた土方さんが急にこちらを振り返り見た。
(見つかった?)
いや、むこうを向き部屋に入った。良かった大丈夫だ。って、なんで私、身を隠す?
とにかく台所へ戻ろう、これでどちらの部屋も全員揃った。
台所で采配しながら待機状態の私の所へ、鉄之介が慌てて走って来た。
二階に料理は全て出ている、下も料理は出し終えたはずだ。ただ下はお酒がやたらと出る、仕方ない、酒豪の集まりみたいなものだから。しかし、あまり飲ませたくない人物もいる。
「月子さんどうしよう! 芹沢さんが二階に、で、桜香さんが止めようとお酒が・・・」
(落ち着け鉄之介! 何が言いたいのか分からないよ。)
私は彼の両頬を手で挟み、
「落ち着いて鉄之介さん。ゆっくり順を追って話して。大丈夫! 私がついているから。」
そう言うと彼は深呼吸をしてから、
「酔った芹沢さんが他のお客様に挨拶に行くとか言われ、二階にも行くと、それを鉢屋の桜香さんが止めようとされて、そしたらお酒がこぼれて芹沢さんの着物に・・」
要するに酔っぱらいが無茶言って暴れだしているのね。
「分かりました、私が参ります。鉄之介さんは私の後ろにいてね。」
(あの鉄扇男許せん!)
桜香は置屋鉢屋の芸妓で、初めて会った時から気が合い仲良くなった。今夜の状況を事前に話していたから止めてくれたのだ。
守らなくては、桜香も鉄之介も、そしてこの店も。
「失礼いたします。」
障子を静かに開け下げていた頭をゆっくりと上げた。土方さん以外は驚いている事は、顔を見なくても分かる。
私がまっすぐに見つめた男も振り上げた鉄扇を止めている。
(とりあえず止めた!)
皆が声を出さない間に、私は芹沢さんと桜香の間に入り、桜香を後ろへ退かせる。鉄之介もすぐに理解して私の動きを助けてくれた。
「おまえは誰だ! 何しに来た!」
「芹沢様、初めてお目にかかります。わたくしは月子と申します。縁あってこちらでお世話になっております。粗相がございましたようでお詫びに参りました。」
「ほお、主人は不在と聞いたがおまえが代わりだと? 女ごときが偉そうに!」
(偉そうなのはあなただろ!)
ブチ切れそうだ。
「まぁいい。で、どんな詫びが聞けるのだ。」
鉄扇で私の顎を持ち上げた。目の奥が光っている、怯むものか!
「まずは濡らしてしまいましたお着物のお着替えを。鉄之介さん。」
先に用意してきていた、濡らしたのは羽織りの片袖の先だけだ、大袈裟に騒ぐ事ではない。
「そんな羽織りで満足すると・・」
「ご不満なのは重々承知のうえで、芹沢様の広いお心におすがりするしかございません。重ねて失礼とは存じますが、こちらはお着物のお仕立て代の一部にもなりませんがお納め下さいませ。」
目がさらに光った。しかしそれはお金に対して光ったのではないとすぐに気づかされた。
「主人代理の顔を立てよう、しかしこの羽織りは少し地味だな。ああ、おまえが今着ている着物、それでよい。それを羽織って帰ろう。」
(えっ、私の着物?・・・・・そうきたか・・・。)
「かしこまりました。」
後ろから鉄之介が小声で、
「着替えにいかれている間、私がこの場をもたせます。」
と言ったが、私は鉄之介の顔を見て苦笑した。
(違うよ、この人が言っているのは・・・)
私はその場に立ち上がり、帯揚げ帯締めをほどき絹ずれの音と共に抜くと、結ばれていた帯が背中でほどけ落ちた。
「月子さん!」
「もういいだろ!」
鉄之介の驚く声と、土方さんの低い声が同時に部屋に響く。
「酔狂もほどほどにしないとただの狂いだけになる。筆頭局長のあんたに狂われたら、浪士組のこれからはどうなる。」
「分かったような事を言うな! 土方、いつからおまえは私に意見出来るようになった!」
慌てて近藤さんが止めに入った。
「待った待った、芹沢さん、歳はそんなつもりで言ってんじゃありません。これ以上はあなたの名を落とすだけで誰の得にもならない。」
「おまえら試衛館では損得で動くわけだ。ハハハ! やはり誠の武士とは違うな。」
「なんだと!」
「やめろ、歳!」
この人達の確執は知っている。だから、こんなのは嫌なんだ!
シュルシュル・・・、絹鳴りの音の後バサリと帯が畳に落ち、紐をほどき抜いた私は、肩から落とした着物を目の前の芹沢さんにふわりと投げた。
「どうぞ羽織るなり巻くなりご自由に、芹沢様のお望み通りにいたしました。ですからあなた方の誠話しもここまでにして下さいませ。」
言葉が終わる前に肩からふわりと羽織りを掛けられた。振り返ると後ろにいた鉄之介が初めて怖い顔で私を睨んでいる。
意外に、鉄之介の羽織り・・・大きい。
「帰るぞ!」
本当に私の着物を羽織って芹沢さんは帰って行った。
(鉄扇男の意地ですか・・?)
「桜香、大丈夫だった? 怪我してない?」
「月子さ〜ん。」
彼女はやっと緊張が解けたのか、私にすがり泣き出した。怖かったんだと思う。
「ごめんね、ごめんね。もう大丈夫だから、ありがとう、桜香。」
「月子さんこそ大丈夫? 私びっくりして、だって本当に襦袢姿になるんだもの。」
裸になった訳じゃないし、きっと恥じらい度が違うのだろう。
落ち着くと桜香は、他の芸妓達と帰って行った。鉢屋には改めてお詫びに行こう。
「江戸風おもてなしとやらは大胆なんだな。」
いつ戻って来たのか、開いていた障子の桟に背をあずけ、腕を組み土方さんが立っていて、私に向かって言った。それを聞いた鉄之介は、
「いくら土方さんでもその言葉は酷すぎます。月子さんは・・」
「いいのよ鉄之介さん、土方さんは止めようとして下さった。脱いだのは私の勝手。」
「勝手だなんて・・・ならそんな勝手、今後私は許しません!」
(鉄之介・・・)
怖い顔をしていたのはその言葉から、思わずクスリと笑ってしまった。
「なんで笑ってるんです。私は真剣に言っているんですよ。」
「ごめんなさい。それから、ありがとう鉄之介さん。・・で、悪いんですが、着物どれでもいいので持ってきて、サクサクっと着ますので。」
「もう! 月子さん分かっているんですか。」
そう言ったが、すぐに鉄之介は離れへ走ってくれた。ホントに素直でまっすぐでいい子だ。
私がそのまま片付けを続けていると、
「おまえ変わってんな、普通自分で飛んで行くだろ。サクサクっと着るって・・」
土方さんが呆れた声で言う。
「鉄之介さんの羽織り着てるし、残った後片付けだけだし。」
時間をかせいでいる間に長州の皆様も全員帰らせていたし、とにかくセーフだ。
そう思って顔を上げると、目の前まで土方さんが来ていた。
「月子、その格好かなり色っぽいが、それもおもてなしか?」
(そんな訳ないでしょ。)
ニヤリと笑ったのに、すぐに厳しい顔になり、
「俺も鉄之介と同じだ。今夜みたいな勝手、二度と許さねえ!」
怒ったように言うといきなり腰を引き寄せられた。帯がないから手の温かさが妙に伝わる。
「おまえ・・いい匂いするな。」
顔が近づき、体も近寄る。
「やあ!」
ドン! と大きな音がした。私は反射的に近づいた顔の顎を押し、踏み込んできた足を払って倒してしまった。
「痛てて・・」
「ごめんなさい! 踏み込んでくるから・・」
「なんなんだ、これ? 柔術とも少し違う・・痛っ・・・」
私達のこの状況を見て、障子の横で着物片手に固まる鉄之介の姿が・・・。
ああ・・私・・・我ながら先が思いやられる。