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桜変化  作者: 猫森千鶴
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明けた一日

「月子さん大丈夫ですか!」

 鉄之介が小走りに駆け寄り私の左腕を掴んだ。と、同時に背中を支えてくれていた手は引かれ、私は威勢のいい言葉を返していたが、唇がどんどん渇いていくのが分かった。

 目の前で睨みつけるように私をじっと見ているのは、平成の世では今や時の人となっている。

 新選組副長、土方歳三。

 信じられないが事実で、声が出ない。

 土方さんの目は明らかに怒っている、いや、観察していると言う方が合っているかもしれない。

 着物を着ている以外は違和感ありありの強気発言女、そのうえ瞬間的に凍りつき、今度は物言わぬ女。

(いかん! しっかりしろ! 私。)

 黙っていたら、この店に迷惑がかかる事になるかもしれない。

(考えろ! 私。)

 土方さんも同じ人、精悍で端整な容姿なら今までいっぱい見てきている、驚く必要などない。どの時代にいようと、私はわたし・・・。

「ありがとう、鉄之介さん。」

 気持ちを落ち着け声を出すと、その私の言葉を聞きすぐに聞いてきた。

「鉄之介、この女、月子ってのは知り合いか? おまえのことを名で呼ぶって事は使用人じゃぁないな。」

 鋭い、さすがだ、聞き漏らしていない。私は答えようとする鉄之介を制し、

「失礼致しました。わたくしの父と、幸菱屋主人源左衛門様とが旧くからの知り合いで、そのご縁で昨日よりこちらでお世話になっております。名はすでに土方様ご存知の通り、月子と申します。」

「京の女じゃないな。」

 今度は鉄之介が私を制し、

「江戸から遠路、京の料理や揚屋を学びにお見えになられたのです。来られる途中、左足を怪我されて・・。」

(はい、確かにここに来る途中に捻挫しました。)

「怪我ねぇ・・、で、なんでおまえ、そんなに丁寧な物言いなんだ?」

 その言葉には、知り合いの娘、ようするに女に丁寧な物言い? そう言っている気がしてちょっとムッとし、言い返したくなる。でも我慢、我慢。

「月子さんは料理屋をずっとお手伝いされていて、お客様へのおもてなしをよくご存知なのです。ですからこちらにおられる間、私はそれを月子さんから教えて頂きます。」

(鉄之介、あなたはなんていい子。それに引き替えこの歳三、女なんかから教えてもらう?・・って、絶対思ってる顔だ!)

「ほぉ、学んで、教えるねぇ? そんなに凄いなら是非とももてなしとやらに・・・あずかりてぇな。」

 そう言いながらゆっくり顔を近づけ、最後の一言は意地悪く私の耳元で囁いた。

 精悍とか端整とかカッコいいとか・・、一瞬でも思った事全部撤回する!

(ムカつくぅ〜!)

 しかし、笑顔で言ってやった。

「いつでもどうぞ、お待ちしております。江戸風をお気に召されますかしら?・・ほほほ・・・。」

「おまえ、顔引きつってんぞ。」

 笑って言われた。

 私の態度に何かを感じたのか、鉄之介の支えてくれていた手が押さえられている感じになり、困惑の顔で私を見つめる。

(ハハ・・大丈夫よ、大丈夫。)

 すると土方さんが、

「ところでおまえの耳に付いてんのはなんだ? 髪も妙だし・・・」

(耳? あっ! ピアス外し忘れてる。まずい!)

 私が耳を隠すより早く、土方さんは私の右腕を掴み、彼の左手は私の右耳を掴んだ。

「引っぱらないで! 耳たぶが切れる。お願い!」

 彼の左手は止まったが、そのまま撫でるように耳たぶを掬い、顔を近づけじっと見つめられた。

 くすぐったい、それに熱い。

「紅くなってきてるぞ、大丈夫なのか?・・おい、これ刺さってるんじゃぁ・・?」

「か、飾りです。えっと・・かんざしみたいなもの・・」

「簪って、あれは頭に刺さないぞ。」

(分かってます! 説明しにくいでしょ。)

「外しますから、手離して。」

 鉄之介の支えも離してもらい、ゆっくりピアスを外した。

 左耳のピアスはすでに外れていて、こちらに来る途中でどこかに落としたんだろう。

 銀座で仕事を始め、初めての給料で買ったダイヤのピアス、けっこうしたんだ。小さい粒だがクオリティーは高いダイヤ、私の宝物だ。

(なんで外し忘れてたんだ、バカ、バカ。この男が見逃すはずがない。)

「本当に江戸から来たのか? 髪の色も少し違う、結わずにひとつにまとめ男の姿にでもなってたんじゃないのか?」


「そうでございますよ、土方様。月子さんの身を案じ男の姿で行けと言われ、その言いつけを守られお見えになられたのです。」

 庭先より現れた源左衛門さんが、落ち着いた声で答えてくれた。

「なら髪の色は?」

「髪の色などまさに色々。私など、ほら、灰やら白やら・・。」

 源左衛門さんの答えに、土方さんは半笑いの顔をすると、

「幸菱屋主人の言う事、今日は信じるよ。だが、こいつは預かる。江戸に帰る時には返してやる。」

 そう言って私のピアスを手拭いに挟み、自分の懐に入れた。

 片方失くしたピアス、残ったもう片方を没収されても、どうってことはない。これ以上源左衛門さんに迷惑はかけられない。

「土方様、そろそろ他の皆様もお見えになられるのでは? そちらのお部屋へどうぞ。」

 源左衛門さんに促され部屋へ入りかけた土方さんは振り返ると、

「さっさと足治せ。ちゃんともてなされに来てやるから。月子だったな。」

「えっ。・・はい、月子です。お待ち申し上げております。」

 彼は笑った。嫌みでも意地悪でもない、優しい微笑み。

(あんな笑顔も出来るんだ。)

 だが、さっき撤回した事はそのまま撤回はしない!

 源左衛門さんはどこに持っていたのか、私の草履を置き、

「さっ、庭の方から奥へ。そちらからは浪士組の皆様がお見えになられます。土方様のように優しい方ばかりではありませんから、急いで。」

 と、言われた。

(優しい? あれで・・? 人の肩掴んで、耳掴んで、ピアス没収して。)

 いや待て、全て原因は私にある。

「源左衛門さんごめんなさい、不注意でした。鉄之介さんごめんなさいね。大切なお客様なのに・・」

「大丈夫ですよ。」

 ふたりは笑顔で言ってくれたが、少なくとも鉄之介は私の事情を知らない。真剣に教えを請うつもりだし、今は怪我を庇ってくれている。

 私も真剣にならなくてはいけない。

 鉄之介は土方さんと親しいのだろうか? 土方様ではなく、土方さんと呼んでいた。鉄之介に聞くと、

「よく細かい事を聞いておられましたね。お客様としてお見えになられる前に使いで行った八木邸でお会いして、憧れの人であり、兄のような人でしょうか。」

「土方様も鉄之介を弟のように思ってくださっているようです。」

 源左衛門さんも言われた。

 それならばなおさら下手うちは駄目だ、安堵しきってはいけない。


 私は、ここには存在しない人間。私と関わった人の日々を変えるような事は、決してしてはならない。

 しかし、すでに変わっているのだ。会えないはずの人に会い、言葉を交わし、持ち物まで相手の懐に納められてしまった。

 全て私の気の緩み・・・


「そうそう、やっぱり土方さんは凄いなぁ、月子さんの髪の事指摘されたし、耳の事も。私もその光っているの何かなって思っていたから・・・」

(鉄之介ぇ! でしたら・・・の続きはそれだったの? もっと早くに言ってよ!)

 鉄之介の、緩いのかしっかりしているのか分からない性格、私ちゃんとご指導出来るのだろうか? 不安でいっぱいだ。


 足の事もあり、私はお客様の前にしばらくは出なかった。台所や庭の奥からお見えになられる方々を感じ、揚屋の一日を学んでいた。

 四月はあっという間に過ぎ、5月に入る頃には完全に足も治り、いよいよ動き出す事となる。

 動き出さない方が良かったのかもしれない。でも、止まっていても何も変わらない。変わらないという事は、元の時代に戻れないという事になる。

 それが良い訳がない。私にも、この時代の人達にとっても、早く元に戻さなければならない。


 庭の奥でよく空を見上げた。

 この空は私の時代につながっているのだろうか?

 ふと視線を感じ振り返ると、誰もいない。

 感じる視線は、この時代の人? あの時代の人? 分からない。ただ温かい気がした。


 だが幕末の嵐の波は、決して凪いではいなかった。

 京独特の蒸し暑さの訪れと共に、彼らの熱い日々はすでに始まっていた。







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