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桜変化  作者: 猫森千鶴
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一夜明けて

 何度携帯電話を見つめただろう。

 日付けは同じ、電波のアンテナはもちろん1本も立ってはいない。

 違うのは、主人から告げられた年号。


 初めに案内された部屋ではなく、今私は離れの部屋にいる。

 主人からここから出ないように言われた、あたり前だ。こんな格好で、たとえ家の中でもウロウロは出来ない。

 今は主人以外には見つからないようにしなくては。

 主人の名は、幸菱屋(こうびしや)源左衛門(げんざえもん)。

 この京の島原で揚屋を営む。

 島原は歴史も旧い花街、その格も高い。確か太夫たゆうと呼ばれる女性は、最高位の遊女で、もとは公家や皇族が接待相手のはず。

 しかし私の心に響いたのは、嘘か真か、教養に長けた女性しか太夫にはなれず、踊りは名取り、茶道、華道、書道に香道、和楽器や唄、詩歌、おまけに、古典的な貝合わせや囲碁、盤双六、投扇興、これらにも長け、そのうえ話術も人並み以上の女性だという。

 芸は売っても身は売らぬ。

 全てがそうであったかなんて私には分からない。ただ、普通にニコニコ笑っていたらいい、そんな世界ではないはずだ。

 私が頑張ってきた銀座でも、この時代のこの世界には及ばないだろう。

 そして、幕末の島原はあらゆる人間の想いが交差した場所。

 新選組をはじめとする幕臣、長州、薩摩を中心とした攘夷志士達、どれだけの熱い魂がこの場所に集まっていたのか・・・


 やっぱり私、えらいとこに飛んで来た。

 考えれば考えるほど、体はヘロヘロに疲れているのに、頭だけが痛いほど冴えて眠れない。

(戻る事は出来るの? でも今はここで生きなきゃ戻る事も出来ない。生きるって、どうやって!)

 源左衛門さんは休めと言った。それから、これからを考えましょうと・・・なんであんなに落ち着いて、私の話しを聞けるのだろう?

 凄い人物? それとも、ただの馬鹿? 少なくとも後者ではない。


 陽が高くなるにつれ、人が忙しく動く気配が感じられる。

 離れにいても感じるのは、私の神経が張りつめているからだろう。

(神経は図太いはずなんだけど・・・)

 自嘲気味に笑ってしまう。

 その時、廊下をこちらに歩いて来る足音がして、障子の前で止まると、

「月子さん、起きてらっしゃいますか? 入りますよ。」

 源左衛門さんの声がして障子が開くと、素早く入り閉められた。

 何やら大きな柳行李を部屋の隅に置くと、

「昨夜のお話しで、あなたがこの時代のお方でない事は理解いたしました。しかし、その姿では表はおろか、部屋の外にも出られません。それではあなたがもとの場所に戻る手立ても探せない。お着替え願います。」

 優しく丁寧な言葉だが、最後の一言は反論を認めない強さを感じた。

 今の私にはこの人だけが頼り、何より源左衛門さんが言う事は間違っていない。

 行李の中には小物を含め数組の着物が入っていた。どれも商家の女性が着るような品のいいもので、高価すぎず、派手すぎず、源左衛門さんは、ちゃんと考えて選んだのだと思う。

 この人は信用できる。そう感じた私の勘は外れてはいない。

「それから、そちらのお荷物は・・・」

「どこかに隠しておきます。ただ、化粧品とかは使いたいから・・何か小さな箱お借りできますか? 外には持ち出しません。ですから・・・」

 なぜかクスリと笑われた。

「お化粧道具は、いつの時代も女性にとって大切なものなのですね。」

 そう言って、またクスリと笑った。

「失礼致しました。後で箱はお持ちいたします。お着物はお召しになられたことは?」

「ありますよ、自分で着られます。・・それから、源左衛門さん、昨日の打ち合わせ通りなら、その言葉使いやめません。」

「あっ。」

 昨日の打ち合わせとは、私は源左衛門さんの知り合いの娘で、江戸から京に花嫁修業に来たことに・・・無理がある。かなり無理がある。花嫁修業に来るには遅すぎる年令・・26歳・・・しかも、揚屋に花嫁修業・・あり得るのだろうか・・・?

 ふたりして沈黙した、もう一度考えているようだ。

「やめましょう。」

 源左衛門さんは言った、やっぱり彼も無理があると思ったんだ。

「花嫁修業だと、あなたが自由に動けない。・・・私の跡を継ぐ息子の教育係なら、実際お教え頂きたい。幸い客をもてなすお仕事をされていたとか、昨夜のあなたの様子、中々のもの。落ち着いていて胆も据わっている。」

(それって褒められてるの? 微妙だ・・・)

 ただ、源左衛門さんの次の言葉で心が決まった。

「どんな仕事、どんな商売であれ、努力せぬ者に人はついてはきません。上に立つ者であればなおの事、見えぬところで汗している。あなたはそういうお方だとお見受けいたしました。」

 涙が零れそうになった、私、かなり弱ってる? 普段なら笑い飛ばすのに・・・引き受けてしまった。相手も見ないうちに・・。



 昨夜、初めに案内された部屋の、床の間を背に私は足も崩さず待っていた。

(左足が痛い! いつまで待たせる気だ!)

 足の痛みと、何も食べていないせいでお腹も空き、イライラがピークに近づく。

「お待たせしました。」

 やっと源左衛門さんの声がして障子が開き、にこやかに部屋に入って来た源左衛門さんの後ろ、平成ならイケメンと言われたかもしれない容姿なのに、無表情で覇気のない顔の若者が続いて入って来た。

 私の顔も見ない。

「月子さん、息子の鉄之介(てつのすけ)です。お会いになるのは初めてですよね。」

(初めてもなにも、この時代が初めてですから・・。)

 心の中で思いつつ、源左衛門さんは事情を知らない息子に流れを作ってくれているのだろう、その息子、鉄之介の言葉を待った。

「鉄之介、さっき少し話したろ、私の旧い友人の娘さんで月子さん、江戸から商売の勉強かたがた、今まで学ばれた事をおまえに教えて頂こうと・・」

「ちょっとあなた!」

 もう我慢出来ず、源左衛門さんの言葉を私は遮った。

「この部屋に入って来てあなた何を見てるの! 今私は床の間を背に座っている、それに対し、源左衛門さんは私に並ばず奥に座られた、そしてあなたは私の正面、障子に一番近い場所。・・・まだ分からない? 今少なくとも私は、あなた方よりかみの席にいるお客様。そのお客様を散々待たせて現れて、一言もなし! それどころか目も合わさない。私に教えてもらう、もらわないも含め、私が気に入らないならそれも仕方ない。でも、あなたはそれ以前! お客様への態度と対応を一から勉強すべきね!」

 やっと私の顔を見た、ただし、かなり目を見開き驚いた顔で・・。


 やってしまった・・・お邪魔している分際で、何偉そうな事、いくら優しい源左衛門さんでも、自分の息子に訳も分からない女がこの偉そうな言葉、怒ってあたり前だ。

(どうしよう、まだ左足痛いのに、ここを放り出されたら・・行くあてなどない。)


「大変失礼致しました。今しがたいきなり色々な事を父より告げられ、まだ整理も出来ないままここに参りました。どのような顔でなんと言えば良いのか言葉が出ず・・しかし、お客様をお待たせした事は確か。弁解の余地はございません。」

(何・・、ちゃんとしてるじゃない、立派に話せてる。)

 私は源左衛門さんの顔を見た。

「いやぁ、ハハハ・・、驚きました。早速の月子さん効果ですよ。今まで周りが甘やかし過ぎていたのでしょうかね。ハハハ・・・」

(ハハハじゃない! 私のさっきの反省心を返せ!)

 でも、ふと、

「源左衛門さん、私は必要ないのでは?」

「いえ、必要です!」

 目の前の親子ふたりは同時に言い切った。

(で、足痛い。)

「あの・・とりあえず、左足少し崩してもいいですか?」

「あっ、崩されてなかったのですか、気づかず申し訳ない。」

 そしてやっと遅めの食事が運ばれ、私は戸惑いながらも、この時代での居場所をかろうじて確保出来た。

 胃袋が満たされたせいか、張りつめていた気持ちが少し緩む。しかし、安堵しきってはいけない事をその夜、ふたたび思い知る事となった。


 私を助けてくれた源左衛門さんは、苦労してこの揚屋、幸菱屋をここまでにされたそうだ。子のなかった彼は鉄之介を迎え、跡を継がせようとした。・・が、気が弱いのか、優しいのか、なかなか安心して任せられないらしい。

 確かに頂点に立つ者、優しさは必要だがそれだけでは駄目だ。

 優しさと厳しさ、温かさと冷たさ、おおらかさと細やかさ、大胆でいて緻密な計算も出来なくてはいけない。

 全ての商売や仕事は人相手だとはいえ、接客業はさらに人あっての世界、相手を感じる心や、何を望んでいるのかの洞察力は不可欠だ。

 24歳の彼は、この時代なら決して若すぎるとは言えないだろう。


「月子さんは江戸の料理屋の娘さんだとか、わざわざ京に来られたのはなぜ?」

(なぜでしょうね? 私が聞きたい、聞けないよね。)

「京独特のお料理や、島原の揚屋を知りたくてね。」

「へぇ〜、お若いのに偉いですね。」

(喧嘩売ってるのか! いや、まさか天然?)

「若くはないわよ、鉄之介さんより二つも上よ。」

「見えないです! てっきり歳下かと・・・」

(そんなとこでは口がお上手なのね。)

「まぁ、ホホホ・・。」

 そして鉄之介は少し顔を曇らせ、

「京は今、大変な場所になっています。この近くには壬生浪士組の屯所があり、ここにもお見えになります。反する攘夷志士の方々も・・」

「鉄之介さん、お客様の事は軽々しく話しては駄目。どんな秘密を知り得ても、それを守れない店は駄目な店。」

 この時代だけの事ではない、いつだって言える事。


 私としては、鉄之介が話したそのどちらとも会いたくない。興味がないと言えば嘘になる、むしろ、実際の方々に会いたい気持ちはいっぱいだ。

 でも、会えない、会っちゃいけない気がしていた。

 思いを巡らせていた私に、意を決したように鉄之介が聞いてきた。

「月子さんは髪を結われないのですね。着物姿もどこか他の女性とは違う気が・・江戸ではそうなのですか?」

(こいつ、意外に見ているじゃない。)

 さっき着替えたばかりだし、髪だって結う間もなければ、結う気もない。後ろの高い位置にひとつにまとめているだけだった。

 髪型より気にしていたのは、緩いウェーブとはいえパーマがかかり染めている事。たいした茶髪ではないが、どう見ても真っ黒ではない。

(これは気にならないのか? 鉄之介くん。)

 やっぱりどこか抜けているのか、それとも少しビビッている? 初めの一喝が効いたのか、私に対し若干引き気味の気が・・・。

「どこかおかしなところがあったら、なんでも言ってね。京には不慣れだし、身の回りあまり構わない方だから。」

(嘘です、しっかり嘘です。ナチュラルメイクを気にしながら、それでもスッピンではない。)

 笑顔が引きつる。

「でしたら・・・」

 鉄之介が何か言いかけた時、

「月子さん、お客様がお見えになる前に、店の者の紹介と店の中を案内いたします。」

 源左衛門さんの声に、鉄之介の言葉は止まった。

(うわぁ、でしたら・・の続き、気になるぅ・・!)

 しかし、店を知る方が先だ、俄かに忙しくなり覚える事もいっぱいだ。

 鉄之介に教える、なんていうのは口実かと思っていたが、そうでもなさそうだし、迷ったり悩んでいる暇はない。

「大丈夫ですか? 月子さん。」

 鉄之介に左腕をそっと支えられた。

(えっ、気遣い出来るじゃない。)

 そのまま支えられ、店の中を順に案内してもらった。



 まだ四月、陽が暮れるのも早い、ほどなく客も来るのだろう。慌ただしい空気が走りだした。

 いつの間にか私はひとりにされていた、仕方ない。おおかたの配置は頭に入ったし、この足じゃお手伝いもまともに出来ない、だから離れに戻ろう。お客様に会うのはさすがに今は控えた方が・・そう思ったのに・・・遅かった!

(いや、来るの早いでしょ、お客様!)

 部屋の横、庭に面した廊下の向こうから人が・・、部屋に入って隠れる事は無理、庭に下りるには履き物が・・でも庭の奥は台所の裏手につながっていたはず。

(下りるか・・。)

 お客様に背を向け廊下の反対の端まで行き下りよう。急がなければ、だって飛び下りられない。

(恨めしい左足・・。)

 踵を返し、左足を引き摺るように小走りに端まで急ぐ。

「おい! 待て!」

 命令口調の低い声が後ろから聞こえる。

(待てと言われて、待てますか!)

 聞こえていない事にする。

「聞こえないのか!」

(はい、聞こえていません!)

 たったったっ・・と、早い足音。

(ええっ!)

 すぐに気配は背中に、右肩を掴まれ無理やり振り返らされた。

 今左足は軸足にならない、防御技だって出来ない。

「痛っ。」

 案の定、体はぐらつきそのまま後ろへ・・、

「おいっ!」

 右肩を掴んだ手がすぐに背中に、片腕で私の体を支え引き寄せた。倒れると思い一瞬閉じた目を開けると、

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない!」

 捻挫した足をさらに捻挫するかと思った。

「足引き摺りながら、走ったりするからだ。」

「違う! 無理やり振り返らせるからでしょ!」

「おまえが待たないからだろ!」

「待てなんて聞こえてない!」

「嘘つくな! なんて女だ・・・」

(腹立つぅ! その偉そうな言い方! 手・・)

「背中の手離して!」


「何かありましたか?」

 鉄之介の声が聞こえた。

「どうかされましたか? 土方さん。」


(ええぇ! まさかこの人、土方歳三!)

 今度は後ろではなく、その場に崩れそうになった。







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