今へ
駆け抜ける。
蹄の音は、間違いなく大地を蹴っている、なのに、まるで天を翔けているように風をきる。
駆け抜けているのは、この時代? あの時代?
「もう少しで着きます、辛いでしょうが辛抱して下さい。」
鉄之介の言葉に我に返った、もう少しで着くとは、いったいどこに? 私がいるべき場所に帰ると彼は言った。
いるべき場所などここにはない、・・はずだ。ならば、まさかもとの時代に?
鉄之介はいったいどこまで私のことを、知らされているのだろうか?
今日が四月一日だということなど、私の頭からは飛んでいた。
そう、五年前の今日、私は飛んできたのだ。
もう、あれから五年・・・。
「月子さん、着きました。さっ。」
(ここは・・?)
鉄之介は私をそっと馬から抱え降ろしてくれた。
「ありがとう、鉄之・・」
お礼も言い終わらない内に、そのまま私は引き寄せられ鉄之介の胸に埋まるように抱きしめられた。
「まだ月子さんの体に触れられる、もう、手先や足先は透けているのに・・。」
その言葉に私自身が驚き、彼の顔を見上げた。
「月子さんが驚いてどうするんです。」
笑う彼の瞳の中に、私のすべては包まれていた。
「いつから知っていたの?」
「初めて会った時から。」
私は笑ってしまった、彼は・・鉄之介はやっぱりはるかに大人だった。
私の事情の何もかもを知っていながら何も言わず、そのことを私にも気づかさず、ずっと・・・ずっと、ずっと、寄り添ってくれていたのだ。
私は気づかない内に彼に包まれ、その中で、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、恋して、愛した。
「ひどい人・・・」
「そうかもしれません、だから罰を受けた。あなたが土方さんに心を奪われていく姿を、目の前で見続けなければならなかった。」
「鉄之介さん。」
「こうしていても、いや、これから先もずっと、土方さんは月子さんの心の中に永久に生きる。」
その声に、彼の心の震えが伝わる。
「鉄之介さん、私の心の中に生き続けるのは、土方さんだけじゃない。この時代で出会った人みんな、私を助けて下さった源左衛門さん、幸菱屋の皆さん、誠を貫かれた新選組隊士の方々、そして、私の傍にずっといてくれたあなた・・・鉄之介さん。」
「月子さん・・・」
彼の腕に力が入る。
「苦しい・・」
私は小さく囁いた。
慌てて少しだけ緩む彼の腕の中、私は包まれたままだった。
彼は決して私を離さず、そのまま静かにゆっくりと話し始めた。
「このまま俺の腕の中で聞いていて下さい。」
(何を・・?)
心の中で問う。
「俺は父、幸菱屋源左衛門の本当の子です。ただし母は・・・おそらく月子さんと同じ時代の人らしい・・・」
(えっ!)
私は声が出ないまま驚いた。
「美雪(みゆき)という名しか聞かされてはいませんが・・・」
そう言って彼は小さな根付けを私に見せてくれた。
桜が彫られた柘植の小さな根付けだ。
「あっ!・・・」
私は思わず声を出していた、見覚えがあったのだ。
ただし、柘植のかんざしで、同じように桜が彫られていた、桜の絵柄なんてどれも同じなのかもしれないのだが、はっきりと覚えていた。
間違いない! ミユキママが着物を着た時、必ずと言っていい、いつも髪にそっと挿していた。その時の柔らかな優しいミユキママの顔を、私は忘れられなかった。
だからはっきりと覚えていたのだ。
それでも確かめるように彼に聞いた。
「その根付けは?」
「父、源左衛門がいつも持っている大切なもののようです。なぜか、俺があなたを追うと言った時、持たされました。」
もしかしたら、私の時代と彼の時代をつなぐものなのかもしれない。ただ、頭の中は混乱していた。
落ち着こう、冷静に考えよう、自分自身に言い聞かす。
目の前の鉄之介は不思議に落ち着いて見えた。
私が思いをまとめ、言葉を探すよりも早く、彼は静かに語り始めた。
「父が母のことを私に話さないのは、きっと事情がある・・約束かもしれません。俺が母の名だけを初めて聞いたのは、月子さんと最初に会った日の朝でした。」
彼の話しに驚いた、だからあの時、彼は今の私以上に混乱していたんだ。そんな中、私に叱られ、それでもあれほどの返答をした。
やはり鉄之介は大人だ。それも、大きな心と強さを持ち、知らない間に相手を優しさで包みこんでいる。
黙って聞いていた私に彼は続けて言った。
「だから俺が月子さんを、いるべき場所に帰らせてあげられるかもしれない!」
(ほんとは帰したくない! でも・・それは俺の我が儘・・・)
「俺の中にはふたつの時代がきっと存在している、だから・・」
「鉄之介さん・・」
どうしたんだろう? 私は涙がとめどなく流れて止まらない。心の底から初めて、『帰りたくない!』と、叫びそうになった。
土方さんに恋した想いと違うのは、やはり鉄之介の言う通り、彼の中にふたつの時代があるからなのか?
鉄之介の腕の中、また強く抱きしめられた。
着物ではなく洋装をまとう体は、すっぽりと彼の中に包まれ、鼓動を感じる。
私の耳元で伝えられる彼の声、
「愛しています・・月子・・・出逢えて良かった。」
「ありがとう鉄之介さん・・・あなたに包まれしあわせでした。」
触れる彼の胸に伝える声、互いの唇に伝える声は言葉にはならない。
伝えても伝えても、伝えきれない。
永遠に続くかのように交わる、声にならない吐息、彼の心が熱を増すたび、私の体が透明度を増し透けていたことなど、ふたりとも気づいていなかった。
ただ、この場所が別れの場所なんだと、お互い言葉にはしないが感じていた。
この場所は、私の時代の銀座だった。
もし戻れたら、私は彼の時代での出来事を、記憶に残していられるのだろうか?
この時代を駆け抜けた彼らの熱い心を、一片も飛ばされることなく、心に積もらせておけるのだろうか?
神様お願いいたします。
この時代が私を忘れても、あの時代で私は忘れたくない。