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桜変化  作者: 猫森千鶴
22/24

北へ

 桜の花はまだ咲かない。

 いてはならない時代の中で、見られる花などあるはずもない。

 分かっていたはず・・・

 ここから先、土方さんが率いる新選組は温もりを退けるように北へと向かう。

 そう、指揮したのは土方さんだった。近藤さんが新政府軍に包囲されひとり離れた後ではあるが、その時は近い。それは互いに盟友との永久の別れだった。

 そしてそれからの土方さんは鬼に徹した、心が折れぬよう、迷わぬよう。自らの刃を振り下ろすたび、その同じ傷を己の心にも負いながら、ただまっすぐ前だけを見て進み続ける。


 そんな日々が待っていることを分かっていながら、私はともに行くことを許されなかった。


 暦が四月に替わる朝、早くから鉄之介が私の部屋に来た。

「おはようございます月子さん、ほら! これを見て下さい。西洋の女性が身につける衣服と飾り物だそうです。」

(ここは大袈裟に驚くべきか・・?)

 私からしたら、時代がかったドレスにジュエリー、確かにある意味珍しい。

「まぁ、綺麗ですね。」

「あまり驚いている風じゃないですね、もしかしたらこっそり見ました?」

 見ているわけがない、だいいちどこで見るのだ。

(・・って、まさか私に?)

「鉄之介さん、まさか私の・・」

「月子さん以外誰が着るんですか? 新選組の皆さんの洋装を作られる時、一緒に作られたみたいですよ。」

 私はその言葉に驚いた。安くはないはずだ、なぜ?

「着てみて下さい、はいっ。」

 鉄之介はそう言って私に手渡すと、自分は廊下に出た、そして障子のむこうに控える。

「あっ、月子さん、着方は・・」

「分かります!」

 品のいい真っ白なドレスだった、胸元は大きく開いているが、肌が透けるレースが覆っていた。体にそうロングのラインで生地は高級なシルクだろう。かなり歩きにくいが、さすがに着物よりは動きやすい。

 ジュエリーは、真珠のネックレスとイヤリングで、とっくにピアス孔が塞がった耳たぶには丁度いい。

 全てを身にまとい小さな鏡に映すと驚いた。

(ピッタリだ・・・)

 そう思った瞬間、私は気づいた。すぐに勢いよく障子を開けると、

「鉄之介さん! 土方さんは!」

 叫ぶように聞いていた。なのに鉄之介は返事をしない。

「なんで!」

 なんで黙って行ってしまうの・・・

 そのまま走り出そうとした私の腕を鉄之介が掴む。

「離して!」

「走っても間に合わない。」

「わざと時間を潰させ・・」

 私の言葉を遮るように鉄之介は、掴んでいた私の腕を引っぱると、

「あの夜ほど駆けなくても追いつくでしょう。」

 そう言うと私の手を掴みしっかりつなぐと走り出し、つながれていた馬をほどき素早くその背に乗ると、私を抱き上げ包みこむように手綱を引いた。

 彼が馬に乗れることにも驚いていたが、それ以上に手綱さばきの上手さに驚いていた。

 そういえば彼は大門から駆けてきたと言っていた。

 剣も馬も、もしかしたら彼はそれ以外にも多くを習得しているのかもしれない。

「鉄之介さん、まるで武士のようね。」

「喋らないで! 舌を噛みますよ。」

 その顔は、どこか誰かに似ているように感じたのだが、それが誰なのかは分からなかった。

 駆け抜ける馬上の私の姿は奇妙だったろう。

 まとめられていない髪、上から下まで真っ白な格好で、しかもドレス姿、なのに裸足だった。

 目を閉じていた、聞こえるのは鉄之介の鼓動、力強く優しい音だった。

 北へ向かう土方さんを、白いドレス姿に裸足のままで追う女がいる、こんな歴史はないだろう。

 笑いたいのに笑えないでいた、今はただ鉄之介に全てを委ね走る。

 流れ去る風が時間を止めてくれているのか、それとも早回りさせているのか、不思議な感覚に囚われていた。



「追いつきましたよ、月子さん。」

 鉄之介の声に今という現実の時間が回りだす。

 私達に気づいた隊士達が止まった、隊の先頭にいた近藤さんと土方さんまで、列が割れる。

「歳、先に行ってるぞ。」

 近藤さんが馬を進めると、土方さんの左右を抜きながら皆が後に続いた。

 ひとり立ち止まったままの土方さんは怖い顔で言った。

「鉄之介、なんで連れて来た!」

「見せに来ただけです、こんないい女を残して行く人攫いにね。」

(鉄之介・・・)

 私は声が出なかった。

「見せにねえ・・俺が連れて行くと言い出したらどうする気だ。」

「あり得ないことは考えません。彼女・・月子さんを心に焼き付けたら、俺がちゃんと連れ帰ります!」

 私は馬から降ろされた。

 離れる鉄之介とは逆に、土方さんが近づく。

 私の目の前に立ったのは洋装に身を包んだ誠の武士だ。

 怖かった顔は優しい微笑みに変わっている、私を見つめ、

「よく似合ってる、おまえその姿の方がしっくりするな。」

「あ、ありが・・」

 言葉が終わる前に、私は土方さんの腕の中にいた。

 もうこの温もりに触れることは二度と出来ない、彼は静かに、でもはっきりと言った。

「月子、連れては行けない。待っていろとも言えない。」

「分かっています。」

 彼の手が私の髪をかき上げ、優しい瞳が目の前に・・・

「歳三さん・・・」

「月・・子・・・」

(おまえはとっくの昔に俺の心に焼き付いている、ここで引き戻せばおまえとしあわせになれるのか? いや、そんなしあわせ望んじゃいねえ! 今この一瞬でも、おまえは確かに俺の腕の中にいる、それだけでいい。俺は俺の信じる道を進み、おまえを守る!)


(なんて熱い・・私はどうして名前を呼んだの・・・あなたとともに桜を見ることはなかったのに、目を閉じると桜の花びらが舞う。あなたは永久に忘れえぬ人・・・)


 去っていく。

 その背中は黒い洋装だというのに、どうしてだろう? 浅葱色が風になびいて見えた。

「さようなら・・・」

 思わず声が零れる。


 旧幕府陸軍に加わり、常に先陣を指揮する土方さんのこれからは、夏に向かう中にあっても凍える日々の連続だろう。

 さらに凍てつく大地へ、そこで嵐のような冬を迎える。



 もう目の前には誰もいない、それなのに私はじっと見つめていた。

「月子さん、急ぎましょう。」

 その声に振り返ると、ふたたび鉄之介が私を馬上に抱き上げた。

 彼の胸に添える手がまた透けている。

「間に合ってくれ。」

 ひとり言のように呟く彼に、

「どういうこと?」

 と、聞きながら、見上げた私の顔を見つめ鉄之介は、

「あなたがいるべき場所に帰るんです。」

 はっきりとそう言った。

「なぜそれを・・・」

「とにかく急ぎます、口をあけていたら本当に舌を噛みますよ!」

 今、私が乗っているのは、もしかしたら天馬なのかもしれない・・・







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