島原の夜
真っ暗闇の中、提灯の揺れる灯りを挟み私達は固まっていた。
何か言葉を発して欲しい、多分お互いに思っていたのかもしれない。
でも、声が出なかった。
頭が痛い、背中も痛い、足だって・・・、痛っ・・・。
やっと沈黙が解かれた。
「お怪我をされているのですか? あっ、いや、異国の方ですか? 言葉が分からないのか・・・」
「いえ、日本人ですけど。」
(初めて発した言葉がこれってどうよ?)
男性はまた固まった。
でも私は声を発したからか、すぐに次の言葉が出た。
「ここはどこですか?」
すると落ち着いた声が返ってきた。
「ここは京、島原の大門の前ですよ。」
(何言ってるの? 京って・・、冗談キツイ。時代劇役者さん、真面目顔で私をからかっている?)
「ヤダァ〜! 笑えませんよ、あなた。」
多分まだ、かなりアルコールが残っている私は、異国の人以上に奇妙に映っていたのだろう、男性はふたたび固まった。
「銀座のど真ん中で、映画か何かの撮影ですか?」
「銀山?・・いえ、京、島原遊郭の大門・・・」
「あなた、私が酔っぱらいの女と思って馬鹿にしてます?」
私はスーツケースを立て、それを支えに立ち上がった。男性が数歩下がる。
「痛っ・・!」
左足に力が入らない、支えているスーツケースが揺れ体がグラッとした。
「危ない!」
数歩下がっていた男性が、慌てて私の体を支えてくれた。
「すみません。」
「言葉もお分かりになるようだし、とにかく私の屋敷へ、怪我の手当てをいたしましょう。」
(だから、言葉は分かるって言っているのに・・)
26年生きてきて外国人に間違われた事なんかない、私は苦笑した。
男性に支えられ歩きながら、私は周りの建物をしげしげと見ていた。
(よく出来たセットだ。)
すると一軒の建物の脇に入り、横手から裏へ回った。
(張りぼてじゃない!)
裏木戸を静かに開け中に入ると、男性に案内されるまま私は広い部屋に左足を伸ばして座った。
何かカチカチという音がして、真っ暗だった部屋に薄灯りが灯る。
(行灯・・?)
その灯りを見ながら、頭の中にそれまでなかった考えが少しずつ浮かぶ。否定したい、でも出来ない。
灯りを灯し部屋を出た男性が戻って来た、手には小さな箱を持っている。
男性が話しかけるよりも早く、私は恐る恐る聞いた。
「今日は、何年何月何日ですか?」
おかしな事を聞く、とでも言いたげに、すぐに答えは返ってきた。
「文久三年三・・いや、もう四月の一日ですね。」
文久三年・・・文久・・・京・・島原・・・
なんとなく頭に浮かぶ文字、難しい歴史書を見なくても、最近の幕末ブームで目にしている。
新聞や流行りごと、日々の時事を頭に叩き込むのは、銀座の女なら、あたり前の心構えだ。
文久三年(1863年)三月 壬生浪士組、新選組の前身が生まれている。
私は、あの幕末の嵐のような時代に来てしまっているのだ。
しかも、仕事帰りの格好で、そのうえデカいスーツケース片手に、酒臭く、おまけに左足捻挫!
オー! マイゴッド!
初めて外国人並みのリアクションをしたいと思った。
「足、痛みますか? あいにくこんな刻限、医者を呼ぶ事も出来ません。」
その言葉に我に返った。
「いえ、大丈夫です。湿布なら持ってますから・・。」
スーツケースに引っ掛けていたバッグから鍵を出し、スーツケースを開け、半分ほど開けたところで視線を感じた。
(しまった!)
それでなくても異国人と思われているのに、私の姿のみならず、持ち物全て珍しいはず。
その時、携帯のアラームが鳴りだした。
(よりによって今鳴るか!)
男性は慌てて退き、引きつった顔で辺りを見回している。着メロや着ボイスにしていなくて良かった。バッグに手を入れ慌てて止めた。
背中に妙な汗をかきながら、引きつった笑顔を向ける。
(ハハハ・・・)
引きつった顔をしていた男性が、初めて眉間に皺を寄せた。
暗さに目が慣れてきたせいか段々と顔の表情や、全体の雰囲気が掴めてきていた。
銀座ナンバーワンの本領発揮だ! 男性を瞬時に分析する。
(歳は50歳前後、誰にもことわらず私を家に入れた、おそらくはここの主人。その落ち着いた立ち居振舞いから、何かを営む社長。ここは島原遊郭、ならば郭の主人・・、いや、待って、この屋敷というか店、女性を抱えている匂いがしない。)
考えた、頭の中の情報を必死に引っ張り出す。
(揚屋だ!)
置屋と違い女性は抱えない。置屋から女性を呼び宴席を段取りする料亭のようなもの。
黙っている私を変に思ったのか、明らかに男性も私を分析しているように思えた。
接客サービス業の火花が散る。
駄目だ。信じてもらえるかは分からないけれど、この人には正直に話した方が良さそうだ。
今私は、私の世界ではなく、この人達が生きる世界にお邪魔しているのだ。
まさしくお邪魔!
伸ばしていた左足を引き、痛いのを我慢し、私は正座をして居住まいを正す、そして深々と頭を下げた。
「先ほどは失礼致しました。信じて頂けるかどうかは分かりませんが、どうやら私は先の時代より、何かの歪みか悪戯か、この時代に来てしまったようです。気味悪がり放っておかれても仕方ないものを、ここまでお連れ頂き、怪我の手当てまでして下さろうと・・・その優しさに今少し甘えさせて頂いてもよろしいでしょうか? 怪我が治りましたら、すぐにでも出て行きます。」
(どうだ! とにかく怪我を治す!)
主人の眉間の皺が消えた。
(よし!)
「まずは怪我の手当てを。それからもしお疲れでないなら、詳しいお話しを聞かせて頂いてもよろしいですか?」
(この言葉、凄い人だ!)
「もちろんです。ただ、あまり驚かないで下さいね。」
微笑んで答えた。
主人が持ってきてくれた薬を使おうとしたが、効き目がはっきりしないし、やはり自分の湿布を貼る。ただ目立ってはいけないと、主人は布を巻いてくれた。
そこからは私の話しに耳を傾け、特に驚くそぶりもなく、何度か質問をされただけだった。
私自身も言葉を選び、差し障りのない範囲で自分の事を伝えた。
そして、決して時代の流れ、いわゆる幕末の顛末には触れなかった。
主人も、本来なら聞きたい筈だろうに、決して私に聞かなかったし、話させようともしなかった。
この人は信じられる!
行灯の灯りは消え、障子の向こう、乳白色の明るさが差し込む。