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桜変化  作者: 猫森千鶴
17/24

溶けぬ雪

 あれから数日、新選組は巡察の手を緩めることはなかった。

 あの日の帰り道、私は鉄之介にどこで剣を習得したのか聞くと、意外にも幼い時から源左衛門さんに基本を学び、読み書きを学ぶのと同じように道場に通っていたらしい。

 しかし実際に人を斬ったのは初めてだと言ったのだが、あの剣さばきはかなりの腕前でなければ無理だろうと思った。

 だから土方さんを慕っていたのだろうか? 土方さんも鉄之介が剣を使えることを知っていたみたいだし、もしかしたら、源左衛門さんはかつて武士だったのではないかと思えた。

 ただ、今の私には人の過去など関係なかったし、目の前にいる人達だけが私の全てだった。


 池田屋事件で多くの攘夷志士を失った長州藩は、激高した強硬派により挙兵し、京の町を戦火によって揺るがした大事件、『禁門の変』が起きる。

 長州藩の中でも強硬派と慎重派とで揺れていた。私が出会ったあのふたりは慎重派とも言われているが、間違いなく強い影響力は持っていたはずだ。

 この禁門の変でも、長州藩は逸材を多く失う。

 吉田松陰のもと高杉達とともに学び、その高杉晋作と村塾の双璧と言われた俊才、久坂玄瑞もこの戦闘の中、自らの手でその若い命を散らす。

 時代が変わる波の中、いったい幾つの尊い命がその波にのまれていくのか、それほどにも、神に命という捧げものをしなければ時代は変わらなかったのだろうか・・。

 その命の上の流れが行き着いた場所が、私のいたあの時代なら、私の生き方はどれほど軽く、情けないことか・・・


 しかし、池田屋事件、禁門の変での新選組の働きは周りの目を変えるのには十分で、事実、朝廷、幕府、会津藩より感状と恩賞を頂いている。

 そして新選組は新たな隊士を募り、近藤さんは伊東甲子太郎一派を入隊させた。

 剣も弁もたち容姿端麗な伊東さんはすぐに人望を集め、後に新選組を分裂させる。

 もともとがあらゆる人間の集まりだった新選組だ、近藤さんのもと試衛館派が掌握していたと言っても、それぞれの心の中までは掌握出来ない。脱走する者も多くいたという。

 永倉さん、原田さん達も近藤さんの態度に思うところが起きだしていた。

 おそらく、またあの人の心は苦しんでいるだろう。

 私の心は痛かった。あの人が苦しむたび、私の心も痛む。

 もしも、万が一にも、もとの時代に戻ることが出来たら、私の心はもう痛くはならないのだろうか? あの瞳、あの心、あの唇・・、知ってしまった温もりは、全て忘れられるのだろうか・・?

 消えて欲しい記憶、求めてはならない温もり、それはあの人だけではなく、新選組隊士皆さんとの記憶。揚屋幸菱屋のみんなとの記憶。鉄之介との記憶。それから・・・・・・全てを数えるときりがない。

 月日の巡りが早く感じる。二度目の京の冬は・・・凍えるほど寒かった。


 使いに出た先で新選組の皆さんの姿を目にすることはあった。

 彼らはもう浅葱色をまとってはいない。

 年の瀬、積もる雪の中をひとりまた使いに出た帰りだった。

「今日はいちだんと寒い!」

 近くに聞こえたその声は永倉さんだ、私は思わず建屋の脇に身を隠した。

 なんで隠れたりしたのだろう? 無意識の意識? 彼らは基本ひとりでは巡察はしない。陰から顔を少し出し、その声の方を覗くと見えた背中はあの人ではない、斎藤さんだ。

 このふたりは新選組の中でも屈指の剣の腕で、常に戦いの場では中枢にいる。

 そしておそらく多くはいないだろう、後の世を生きた隊士だ。

 なぜだろう、永倉さんと斎藤さんと分かりホッとする気持ちと、そうではない気持ちが心に交ざる。

 そんな今の自分の顔を見られたくない、建屋の脇をそのまま反対へと足早に進み、一瞬振り返り脇を出た時ゴツンと人とぶつかった。

「痛っ、ごめんなさい。」

「誰から慌てて逃げているのです?」

 その言葉に驚き顔を上げた目の前には、冷静な表情の斎藤さんが立っていた。

(ええぇ! さっきあっちにいたよね? いつの間に・・・)

 私の疑問と驚き顔に反応する素振りもなく、

「まだ気配までは消せていない。」

 あたり前だ、斎藤さんとは違う。いや、どこから先回りしたのかその方が驚きだ。そんな私の疑問はやはり無視のようだ。

「忙しいのですか?」

「えっ、ええ・・」

「年の瀬、忙しいのはあたり前ですか・・・こちらも幸菱屋へ行けていませんし。」

「お見えになりたいのでしたらいつでも・・」

「行きたいとは言っていない!」

 斎藤さんの、まさかの薄っすら赤面顔に思わずクスッとしてしまった。

「な、何を笑って・・違います! 藤堂が、雪が積もると雪合戦とうるさくて・・・それに・・・・・副長の笑顔を最近見ていないので・・・。」

 心が痛い、苦しい。そんなことを言わないで! 私に聞かせないで!

「悪い、変な事を言った。」

「いえ、ご心配なんでしょ、新しい方々が増え隊の中も色々・・あっ、斎藤さんは表情は変わらないけど本当はお優しいから。」

 またもう少しで余計な事を言いそうだった。

「表情が変わらない人間などいません。」

「ごめんなさい! 違うの、無表情って意味ではなく、いつも冷静沈着だと・・」

 斎藤さんは今度は薄っすら笑った、驚く私を見て急に表情を戻し、

「冷静沈着を装っているだけです。真に冷静沈着なのは副長、だからこそ、張りつめた神経をたまには休めて欲しい。」

「やっぱり斎藤さんはお優しい。」

 粉雪がまた降りだした、斎藤さんの髪に、肩に、雪は触れ溶けていく。

 熱い隊士の心に触れると・・・溶けていく。

 そっと伸びた斎藤さんの手が、私の髪に舞い落ちた雪を優しくはらう。

「お〜い斎藤! どこだ? 戻るぞ!」

 永倉さんの声だ。

「彼に見つかったら屯所まで確実に連れていかれる。今は私達に会いたくなかったのでしょ。さっ、早く行って下さい。」

 心を見透かされているようで、でもそれは間違いなく優しさだ。斉藤さんはたとえ周りからなんと言われようが、己の誠を貫き、あの人を支えた。斎藤さんは多くを語らない、語るよりも雄弁に、静かに深く行動する。

 私は何を貫きたい?

 何を求め(誰を求め)、何を守り(誰を守り)、何を愛す(誰を愛す)。

 私は頭を下げた、粉雪では涙はごまかせない。

 声とは反対の方へ振り向き、足早に歩き出す私の背中に斎藤さんは、

「待っている。月子・・・」

 静かで深い言葉だった。

「待っている・・・」

 その言葉は何度も私の耳の奥で鼓膜を振るわす。

 誰が・・? 私を・・?

 粉雪が頬に触れるたび、あの人を想う心が疼く。


 鉄之介は時々屯所を訪ねているようだった、たいていは源左衛門さんに用を頼まれてだが、私には気になることがあった。

 あの雪合戦の日、縁側に近藤さんと座り微笑んでいた山南さんの左腕、ほとんど動かしていなかった。

 片腕が不自由になる、武士にとってそれが意味する事は・・・年が明けてほどなく、それは起こる。



 元治二年・慶応元年(1865年)

 新選組は動く。動いたのはいったい・・・。

 彼らに牙を剥いたのは攘夷志士達だけではなかった。

 病というどうすることもできない敵、その敵に貼りつかれたのは、そう、あの沖田さんだった。

 しかし沖田さんは病の血を吐くよりも、辛く苦しいやいばを振り下ろさなければならないことになる。

 会わなければ・・・会いたい。

 時代の流れに抗うことなど出来ない。抗ってはならない、変えてはならないのだ。

 分かっている、そんなこと、分かっている! いつも心は叫ぶ。

 


「鉄之介さん、あの・・・」

 私は少し躊躇うように話しかけた。

「明日行きますよ。屯所を引っ越すとかで、皆さんがお忙しくなる前にご挨拶に行き、俺がお手伝い出来ることがあるか伺っておくつもりです。一緒に行きましょう。」

「な、なんで屯所に行きたいって・・」

「顔に書いてます。」

 えっ? 慌てて頬に手をやってしまった。

「月子さん、笑わせようとしています?」

「してない!」

 だいいちもう笑っているじゃないか、彼は私の心が見えるのだろうか。


 翌日私は鉄之介と屯所へ向かった。

 私の目的は山南さんと沖田さんに会うことだった。

 いつものように鉄之介は庭から入る。

(そっちは土方さんの部屋の真ん前では・・・)

 でも、部屋の主はいなかった。

「俺は近藤さんの所へ行きます。月子さんはその間ご自由に。」

「はい。」

 私が俺に変わっただけで、今までと妙に違って感じる。彼はそう言うと、さっさと行ってしまった。・・・って、どこにいらっしゃるのよ? 名前叫ぶわけにいかないでしょう。

(もう、行動変わってない!)

 どこへ向かおうかと迷っていると、

「あっ! 月子! 屯所内で迷子になってるのか?」

 藤堂さんの声がして、

「そんな訳ないでしょ!」

 私が答えるとすぐに、一緒にいた沖田さんが、

「違うだろ藤堂、待ち人来たらずならぬ、訪ね人おらずだろ。」

 意地悪く言うので、

「私は土方さんを訪ねて来たんじゃない!」

 叫んでしまっていた、沖田さんはニヤリと笑い、

「俺は土方さんとは言ってないけど、やっぱり訪ねるのはそうなんだ・・」

「だから違う! 私は山南さん・・」

 言いかけると藤堂さんが驚いた顔で、

「月子、山南さんに会いに来たの?」

 と、聞いてくれた。

「気が多いね、江戸の女は。」

 沖田さん! どこまでも憎まれ口だ。・・・でも元気そうで良かった。


 藤堂さんの案内で、私は山南さんの部屋の前に辿り着けた。

「山南さんいる? 変わったお客さん。」

 藤堂さんの声に障子が静かに開く、添えられているのは右手だった。少し痩せたように見える。

「あの・・お久しぶりです。・・・えっと・・」

「藤堂さん、お茶をお願いできますか? 寒い中、訪ねて下さったので。」

 藤堂さんは小走りにいってくれた。

「どうぞ月子さん、少し寒いですが、障子は開けておきましょう。」

 落ち着いた山南さんの言葉は温かい。

「すみません、突然・・・あの・・」

「私の左腕が気になったのでしょ、あなたはまっすぐな人だ。その大きな瞳は何を見て、その心は何を感じておられるのでしょう?」

 微笑みながら穏やかに話す山南さんを変えたのは何? 脱走などという大胆な行動をとらせたものはいったいなんだったのだろう。

「片手では今まで通りには剣を使えない、剣を使えぬ隊士の居場所は・・」

「あります! どこにでもあります! だから・・・」

「月子さん、ありがとう。・・・副長、土方さんを、そのまっすぐな瞳で見守ってあげて下さい。」

(あの人は不器用な人だから・・・)


 止めることなど初めから無理なのに、私は何をしたかったのか? 山南さんの部屋を出てひとり廊下を歩きながら考えていた。

 本当にあの穏やかで優しい山南さんを切腹させるのだろうか? 隊のきまりとはいえあまりにも・・、しかも沖田さんが・・・、

「コン・・コンコン・・・」

 どこからか乾いた咳をする音、まさか?・・音を探していた、

(この部屋だ!)

 おもわず障子を開けてしまった。

「沖田さん!」

「閉めて!」

 その声にピシャリと障子を閉めると、私は駆け寄り彼の背中を必死に摩った。

「大丈夫? 苦しい?」

 咳が止まらない。

「どうしよう? どうしたら楽になる?」

 そう言いながら背中を摩るしかできないでいた。

「つ、月子・・・」

「はい。」

「あっためて・・・」

 寒いってことだろうか?

「今すぐ火鉢を・・」

(えっ?)

 沖田さんは立ち上がろうとした私の手を引くと、そのまま両腕の中に、私を抱きかかえた。あっためてと言った彼に、私はまるで温められているようだ。

「やっぱ月子はあったかい。」

 どれくらいそうしていただろう? 誰よりも強いはずの男が、こんな微かな温もりに安堵している。

 人の体の温もりなど、くすぶる炭にも勝てぬはず、なのに・・・あったかいと言う。

 あの人の温もりが蘇る。

「哀しいな、月子は腕ん中にいても、心はいない。」

 その言葉に驚き、見上げたすぐ目の前の沖田さんの顔が哀しそうに笑っている、口の端には血が滲んでいた。

「沖田さん。」

 私は着物の袖で滲む血を拭う。

「汚れる。・・・内緒に・・誰にも言うな。」

「ええ決して言いません。でも、無茶はしないで下さい。」

 私を抱く彼の腕の力が強くなった気がした。


(月子の指先が袖をとおして俺の唇に触れた、求めそうになる、それ以上を・・・)


 その時いきなりだった、障子が開いたのは、開くと同時に聞こえたのは、

「沖田、次の巡察の時、・・・・・・」

 土方さんの声だった。







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