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桜変化  作者: 猫森千鶴
15/24

紅梅・白梅

 あの日、私達の前に現れた高杉晋作は、約一ヶ月の京での潜伏の後、帰郷し脱藩の罪で投獄される。だが、やがては赦免され長州藩の攘夷志士として、病にその若い身を散らすまでこの幕末を走り抜けた。

 まさしく走り抜けたのだ、二十九年という年月を・・・。

 短い生涯だったかもしれない、それでもその生涯は、私がいたあの時代の年月とは違いすぎる。短くても深く熱い時間の連続だったのだろう。

 そして、私はまた考えてはいけない事、思い出してはならない事、心から消えて欲しい歴史の真実に押し潰されそうになる。

 私の中で日に日に大きな存在になる人、土方歳三。

 その熱き魂が召される時まで、あと、・・・・・五年。

 まだ五年あるなのか、たった五年しかないなのか、私には言えない。

 ただひとつ言えることは、彼の生き方を止められる者はいない。ただそれだけ・・・

 止められぬ者達の集まり新選組は、隊士の数も少しずつ増え、周りからは様々な声が聞こえてはくるが、その名は確実に知れ渡っていた。


「月子さん、お久しぶり、ちょっと痩せた?」

 明るく声をかけてきてくれたのは、置屋鉢屋の芸妓、桜香だった。今日は宴席に呼ばれていたのだ。

「痩せるどころかお正月から食べ過ぎで、むしろ太った。」

「まっ大変。でも月子さんは、背が高くて綺麗だから羨ましい。」

 いや、この時代では、あまり女性は背が高くない方がいいのでは、幸いなぜか鉄之介は背が高く、隣りにいると私も目立たない。

 もちろん彼は芸妓達からはモテモテだ。

「最近新選組さん、あまり宴席はされないの? 私達は昼間あまり表に出ないから、隊士の皆さんとお会いすることもないし・・・」

 俯きかげんで話す桜香の姿にまさかと思い、

「誰か会いたい方でも?」

「ち、違います! 私はただ、宴席に呼んでもらうことが仕事だから・・・」

 頬を染める彼女は分かり易い。

 確かに新選組の皆さんは益々忙しいようだが、息抜きはしているだろう。ここ島原だけではなく、時の人達はあらゆる場所に現れているはずだ。

「うちにだけ来られるわけじゃないから、幸菱屋では多分、鉢屋さんに声がかかると思うよ。少なくとも土方さんならそうされると思う。」

 彼は、かつて桜香達に嫌な思いをさせたことを忘れる人じゃない。

「本当に! 土方さん私のこと覚えて下さってるかしら?」

(えっ? まさかの土方さん。)

 そうだった、彼は鉄之介の比にならないくらい女性達から慕われていたんだ。忘れていました。・・・一緒にあの日のことまで思い出してしまった。

「月子さん、なんだか耳が紅いよ。」

「冷えのぼせでしょ。」

 私が笑ってごまかすと、桜香は宴席へと向かった。

(思い出すな! 私。)

「耳紅いぞ、月子。」

 その声、また沖田さんか! 目をつり上げ振り返りながら、

「紅くない!」

 叫んだ先には藤堂さんと原田さんがいた。

(あちゃ。)

「怖いよ月子。原田さん注意してよ、せっかく近くまで来たから顔見よっかなって寄ったのに。」

「おおかた沖田とでも勘違いしたんだろ。」

 笑っている、さすが原田さんだ。

「最近、鉄之介も月子も屯所に来ないよな、俺らもここになかなか来れないし。」

「新選組の皆様はお忙しいですから仕方ございません。」

「だからたまには鉄之介と顔出して・・」

「無理言うな藤堂、月子達も忙しいんだ。」

 原田さんは私の顔を見た、何かを知っているのだろうか? それよりも鉄之介も行っていない事が不思議だった。土方さんをあれほど慕っていたはずなのに。

「鉄之介いるの?」

「はい、奥に・・」

 最後まで聞かずに藤堂さんは奥にパタパタと走っていった。

「仕方ねえな、庭でも観てくか・・。」

 残された原田さんは言った。

 庭に面する廊下に腰をおろし原田さんは前を見ていた、巡察中だからと言われ、お茶を持っていく私に気づくと、こちらを見て、

「ここの庭観てると落ち着くなぁ。」

 そう言って視線をまた戻す。

 原田さんは長身で顔立ちも整った美男子だ、短気で突っ走るタイプのはずなのに、優しい瞳で皆を包み込む。そのおおらかな性格と時折向けられる笑顔に心は安堵する。

 お茶を置くとそのまま隣りに座った。

「月子は変わってるな。世間が俺達新選組を恐れて嫌っても、おまえは初めて会った時とちっとも変わらねえ。」

 原田さんの言葉に私はクスッと笑ってしまった。

「何が可笑しい?」

「原田さん、私は変わってるの? それとも変わらないの?」

「ハハハ・・、そらおかしいな。」

 今目の前で笑っている原田さんは、土方さんよりも先に・・・、奥へ走っていった、いつも明るく話しかけてくれる藤堂さんは、それよりも前に同じ隊士に・・・、ふたりともまだ二十代、生きていればどれだけの明るい未来を見つけ、愛する人とともに見つめられたことだろう。

「どうした? 月子、泣いてんのか・・?」

「塵が入って・・。」

「でかい目開けてるからだ、見せてみろ。」

 潤む目を隠していた手を掴まれよけられると、原田さんは覗き込むように見つめる。その澄んだ瞳には、泣き出しそうな私の顔が映っていた。

「おまえ、ほんとは泣き虫だな。」

 重なる言葉に優しい笑顔まで重なる。

「塵が目に入らねえよう隠してやる、今だけ・・この風がやむまでの一瞬だけ・・・。」

 大きく脈打つ厚い胸に顔を隠される。触れてはならないものに触れるような、原田さんの大きな手を背中に感じていた。

 風がやんだ。

「行くか! 茶、馳走になった。月子、梅でも見に天神さんへ連れてってもらえ。」

「天神さん?」

「知らねえのか? 北野天満宮。・・そっかぁ、京女じゃなかったな。」

 笑いながら藤堂さんを呼び、原田さん達は帰っていった。きっと巡察はまだ続くのだろう。

 梅・・・

 ここに来たのは四月、梅の季節は過ぎていた。桜すらまともに見ていない。

 いつまでここにいられるのかは分からない、ならば、せめて季節をしっかり感じていたい。明日でも行ってみよう。

 梅、桃、桜、菖蒲、紫陽花、鳳仙花・・・。

 いくつの花を見られるだろう。

 咲き続ける花などない、分かっていることだ。

 短すぎる命でも、精一杯咲く花は誰の目にも美しく、遥か先まで記憶に残り、出逢えた時を鮮やかに彩る。



「行ってまいります。」

「ひとりで大丈夫ですか? 鉄之介はどこへ行ったのか・・・まったく。」

「大丈夫です源左衛門さん、鉄之介さんだってひとりで出かけたい時もあります。」

 私が笑顔で言うと、源左衛門さんも笑われた。

 翌日さっそく私は着物の上に被布を着て、キリリとした空気の中、教えてもらった天神さんへゆっくり歩いて向かった。

 無性に梅の花が見たかった、なぜかは分からない。

 飛び梅の伝説を思い出したからかもしれない。

 遠い地へ左遷された主人を慕い、一夜にして飛んできたという逸話。

 私はあの夜、誰を慕い、一夜にして飛んできたのか?・・・この時代に。

 梅の香りが遠く薫る。

 まだまだ肌寒いというのに、梅苑に咲く梅は別名の通り、風を待ち春を告げていた。

 風待草、春告草。

 桜は見上げるように花を見るが、梅は桜より低木で、まるで目の前、同じ目線に花の帯が広がる。

 華やかというよりは静かな佇まいで、柔らかな香りを届けてくれていた。

 カサッ・・と私の目の前、血の色を思わせるような紅梅の木の向こうで音がした。

 鉄之介? 違う、腰に差す剣が見え、梅の花の脇、紅の影をかすかに映し私達は向き合っていた。

「月子。」

「土方さん。」

 一夜にして飛んできたのだろうか? 私はこの人のいる場所に・・。



 なんでここにいるんだ? おまえはどこから飛んできた?

 女のおまえは紅さす紅梅のはず、だが、月子、おまえは白梅。

 白い花は暗闇の中、道しるべのように浮かぶ。

 俺は迷わない、その道しるべが俺の道を照らす。



 なぜここにいるの? あなたはどこへ向かっているの?

 男のあなたは白き剣を持つ白梅のはず、でも、土方さん、あなたは紅梅。

 紅い花は心の中、炎のように燃えている。

 私は振り返らない、その炎が私の心を照らす。



 あの日以来だった、まさかこんな場所で出くわすとは・・と思っていると、土方さんが先に、

「原田が昨日巡察から戻って、天神さんの梅が綺麗に咲いていたと言うから・・・」

「えっ。」

(なんで月子は驚いてんだ?)

「おまえひとりか?」

「はい。」

「本当にひとりで来たのか?」

「ひとりで来ちゃいけないんですか!」

「いや、やっぱり変わってるなおまえは。」

(変わってるって、土方さんまで・・・)

「土方さんも原田さんも、私を変わり者扱いして!」

(原田も? どういうことだ、なんであいつが出てくる?)

 土方さんの様子に私はなぜか少し慌て、

「昨日巡察の途中、うちの店にも巡察に来られて・・」

(あれっ、私、なんか変な言い方になってる。)

「巡察ねぇ。」

「そっ、巡察です!」

 私がムキになって答えると、呆れたように土方さんは、

「分かった分かった。」

 と、答えた。

「疑ってますよね?」

 私が半目で言うと、

「疑わねえよ! なんだその目は。」

「普通の目。」

「普通の目は、もっと無意味にでかいだろ!」

「無意味にって・・」

 その時、近くから声がした。

「おふたりとも、梅苑で大きな声を。」

「鉄之介!」

 私達は現れた彼に驚いて、同時に名を呼んでいた。

「月子さん、せっかくこんなに美しい梅を見ているんですから、土方さんのように歌のひとつも・・」

 おもわずぷっと吹き出してしまった。

「おまえ! 今笑っただろ!」

「とんでもございません、笑うだなんて。」

 にんまりした顔が普通に戻せない。

「おまえ!・・・鉄之介、なんとかしろこの女。」

「私がなんとかしてもよろしいんですか? 土方さんがどうしようもないと言われるなら、いつでも私がお引き受けいたします。」

 そう答えた鉄之介の顔が笑っていない、どうしてだろう、怒っているのだろうか?

「ごめんなさい、私・・」

「月子さんが謝られることではありません。私と土方さんとのお話しです。」

 ふたりの顔がさっきまでと違う、その時だった、

「土方さん、動きがあったようです。すぐに屯所に戻って下さい。」

 またどこから現れたのか、あの日の男。

 彼の名は山崎烝、諸士調役兼監察方として、異例の兼任をするほど有能な隊士のひとりだ。

「せっかくのおふたりのお時間を引き裂き、申し訳ございません。土方副長とはまた別の日に・・・」

(別の日にって。)

「山崎さん、動向調査不足ですよ、そんなんじゃありません。だいいち土方さんに失礼じゃないですか。どうぞ皆様、お仕事にお戻り下さい。」

 私の言葉にまた皆が驚いていた。

「月子、なんで山崎が動向調査をしていると知っている? 時々おまえは驚く事を言うな、こないだも高杉が銃を持っていることを知っていた。まさかおまえ長州の間者・・?」

(だとしたら、俺は月子をどうする気だ。)

 土方さんはなぜか複雑な顔をしていたが、すぐに鉄之介が、

「そんな訳がないことは、土方さんが一番よくご存知なのでは?」

 と、笑って言うと、ふたりはもういつものふたりに戻っていた。

 そしていつもの生活、変えてはならない歴史が動き出す。


 山崎さん達の地道な探索により長州藩の動きを突き止め、あの新選組の名を不動のものにした池田屋事件が起こる。

 それは、これから起こる動乱の、幕開けにすぎなかったのかもしれない。







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