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桜変化  作者: 猫森千鶴
14/24

仕舞いたい心

 とうとう新年を迎えてしまった。

 文久四年・元治元年(1864年)一月。

 京の町には多くの浪士や志士達が潜伏し、新選組の捜索と捕縛の手は緩められる事はなかった。

 そんな中、私はお気楽にも京の雅なお正月を味わっていた。

「このお雑煮白い・・・」

「そら、白味噌ですから。」

「お餅が丸い・・・」

「そら、丸餅ですから。」

「野菜が・・・」

「いちいち感心せずとも、口に合いませんか?」

「美味しいです。すごく不思議な美味しさです。」

 そう答える私の満足顔を見て、鉄之介は微笑んだ。

 狭い日本の中でもそれぞれの土地に根付く食文化、食材、味付け、食べ方、さまざまな違いがあり、ことに行事料理となればなおさらのこと。私は江戸ならぬ東京生まれの東京育ち、だから今まで食べた事がないわけではないが、京の料理は馴染みが薄い、まして、お正月の料理は初めてだった。

 神社仏閣の多いこの土地、除夜の鐘を近くに聞き、迎えた新しい年。

「月子さん、丸餅伸ばしすぎ! もう。」

(だって伸びるんだもん。)

 源左衛門さんも笑っていた。嘘のように穏やかな新しい年の朝だった。

 永遠に続けばと願う私の心は、消さねばならない。

 永遠に続くはずなどないのだから・・・。

 静かにお雑煮のお椀を置いた。

「気になっていたのですが、新年をご家族とお迎えにならなくても良かったのですか?」

 優しい鉄之介らしい問いかけだ。

 私は江戸から来たことになっているが、この時代に家族は・・実はあの時代にも、もう家族はいない。

 大学を卒業する年に病気で両親は続けて亡くなり、半年後には唯一の肉親だった祖母も両親の後を追うように呆気なく亡くなった。ひとり逞しく生きるため、大学新卒で銀座の夜に就職したんだ。両親や祖母は怒っているかもしれない。

 黙っていた私に彼はまた聞いた。

「今さらですが、ちゃんと気づかず申し訳ありま・・」

「大丈夫です、お気遣いありがとう。今はここが私の居場所です。」

 鉄之介の顔が綻んだ。


 しかし、かつての世間でいうお正月休みはここには無いようなものだった。

 次々やって来るご挨拶の訪問者、その合間をぬって、こちらも色々な所へご挨拶に訪ねる。

 幸菱屋の存在の大きさと、何より源左衛門さんの大きさをあらためて思い知らされる。島原の揚屋のみならず、あらゆる商家の主人達とのつながりと、同時に多くの人に頼りにされている証しだ。

 その大きな背中を見続ける鉄之介はどんな気持ちなのだろう? やがては受け継がねばならぬ身の彼に、思わず聞いていた。

「鉄之介さん、二代目って大変でしょうね。」

「そうですね、でも私は私、真似をしたところで同じにはいかない、私らしく頑張るしかないでしょう。」

 そう言って、私を見つめ微笑んだ。

(やっぱりあなた、大物です。)

 私も彼を見て微笑む。

「あっ、月捕り合戦一歩先にでたか? 鉄之介!」

 ゆっくりその声の方を呆れ顔で見ると案の定、沖田さんだ。後ろには近藤さんと土方さんがいて、巡察中なのか浅葱色が眩しい。

 年が改まって初めて顔を見る。その場に座り、

「皆様、明けましておめでとうございます。」

 今年も宜しくお願い致しますと続けるつもりが、言葉を飲み込んでしまった。

 私は今年、本当に一年間この場所にいるのだろうか? いや、いられるのだろうか? いてもいいのだろうか?

 正座して下げた頭をあげられない、顔が見られない・・見られたくない。

 心を見抜かれそうな瞳が、私を捉えるだろうから・・・。

「皆様、おめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。どうぞ奥へ。」

 鉄之介が言った。

「鉄之介、今年もよろしく。じゃぁ少し・・歳、沖田、ほら。」

 近藤さんの声の後ろにふたりは続いたようだ。足音が後ろに遠ざかり鉄之介が立ち上がり小走りに追ってから、私は顔をあげやっと立ち上がり、くるりと振り返った。

「きゃっ。」

「何が、きゃっだ。殊勝に正座などしてるからだ。まっ、今年もよろしく、月子。」

 すぐ目の前の浅葱色に顔をぶつけ、見上げた私を土方さんの瞳が捉える。

 何か言わなきゃと思うのに、何も言えない。

「おまえ、江戸に帰らなかったんだな。」

「えっ?」

「えっ、って、変わってるな。」

「今はまだ帰れませんから・・・」

 私は目を逸らした。

「そっか、じゃ、ずっとここにいろ。」

(まっすぐな瞳で言わないで。)

「月子。」

 名を呼ばれ顔をあげる私から、土方さんは目を逸らさず、

「帰る時は言えよ、返す物があるからな。」

 ニヤリと笑い私の右の耳たぶを掴んだ。

(あっ、・・って、返してくれるの?)

「預かり物はなくさねえ。」

 笑いながら懐に手を入れ奥へと歩いていった。

(まさかいつも持ってるの?)

 心の問いは言葉にならず、私は大きな背中をただ見つめていた。意地悪な言葉とその背中に温かさを感じる私の心は、冷えているのだろうか? 掴まれた耳たぶが熱い。

 もう、ピアスの孔は塞がっていた。



 数日後、土方さんがひとりで突然やって来た。

 部屋に入ると厳しい顔で源左衛門さんを呼び、私は妙に気になりそっと部屋の近くまでいき耳をそばだてた。

「源左衛門さん、まさかとは思うが攘夷志士をかくまったりはしてねえな?」

「なぜそのようなことを?」

「ここに長州藩士が出入りしていることは分かっている。ただ島原は苦界、役人の手は入りにくい、だが、俺ら新選組はそんなことは関係ねえ、どこへだって必要とあれば踏み込み剣を抜く。」

「理解申し上げております。」

「俺が言いてえのは・・」

「何かあればわたくしだけではなく店の者にも類が及ぶと・・、鉄之介や月子さんにも。」

「俺は・・・」

 心配してくれているというの、あなたは鬼の副長と呼ばれているのに・・いったい誰が呼んだの? こんな優しい鬼はいない。

「私は大丈夫です!」

「月子!」

「月子さん。」

「どうぞおふたりとも、信じる道をお進み下さい。」

 そう叫びながら、飛び込むように部屋に入っていた。

 私の存在が歴史を変えてはならない。なぜなら、今日もここに長州藩士がいたのだ。

 高杉晋作。

 若くして留学を経験して、その見聞をもって和議交渉を任されるのも近い。ただ、今は脱藩の身だった。

 源左衛門さんは攘夷思想を持っているのだろうか? それともたんに世話好きなだけなのだろうか?

「なら、進ませてもらうぞ。」

 土方さんは立ち上がるといきなり反対側の障子を勢いよく開けた。そこには、

「気づいてましたか? さすが新選組副長。」

「何しに京へ来た!」

「この国を救うため、では答えになりませんか。」

「何様のつもりだ。」

「同じ問い、新選組さんにもお返ししたい。ほら、すぐに剣に頼ろうとする。」

 土方さんは剣に手をかけていた。

(駄目!)

 高杉さんの懐にはきっと銃が・・そう思った瞬間ふたりの間に飛び出していた。

「銃に頼るのはありなんですか! それじゃぁ大砲向ける外国のやり方と変わらない!」

 ふたりは驚いていた。私の発言は普通じゃない、少なくともこの時代の女が発する言葉ではないのだろう。

「驚きますね、土方さんのお相手は見聞が広いようだ。そのうえ怖いもの知らず、銃の前に平気で立つ。」

 土方さんが私の腕を引き自分の後ろへかばう。

(だから駄目! あなたが死んだら駄目なの!)

「撃ちたきゃ撃て、鬼はそう簡単には死なねえ。」

「自分で鬼と認めますか、仲間を殺ってそれを長州藩士の仕業と言うだけのことはある。」

「・・・・・・・・」

 土方さんは苦しんだ! 土方さんは鬼なんかじゃない! 土方さんは・・・

「あなたに何が分かるの! あなたが指揮した奇兵隊も同じような・・」

 言いかけて止めた、これ以上言ってはいけない。

 長州藩内の同志の争い教法寺事件で、高杉さんは結成した奇兵隊の総督を罷免されている、もちろん殺害された者がいたのだ。

「ハハ・・、参りました、よくご存知のようだ。お互い過去を見ている暇はありませんでした。今はただ前を見て信じる道を進むしかない。その道が互いに違っても、あなたの信じる誠を否定する気はない。私は私の信じる誠を突き進む。」

 高杉さんは懐に入れていた手を出した。

「行け! 二度とここには来るな。この次遭う時は、間違いなく剣を抜く!」

「土方さんは剣の道を進まれるということですね。それも誠・・・時代が違っていたらあなたとは酒を酌み交わせたかもしれません。」

「さっさと行け!」



 部屋には凍りついたような空気と、その空気に体を固められてしまったように立ち尽くす土方さんと私だけがいた。

 私の存在はまたこの人を苦しめたのでは? いっそ銃弾に貫かれ、息絶えていた方が良かったかもしれない。

 凍りついた体からは涙も流れはしない、なのに・・・溶かさないで。

 凍りついた空気を動かしたのは、土方さんの熱い心。

 背を向け立っていた私の両肩を掴むと、ゆっくり振り返らされ引き寄せられると強く抱きしめられた。

 苦しいほどに、強く、強く、その力強い腕の中、動くことさえ出来ない。

 私の頬をそっと土方さんの手が包み持ち上げる、もう片方の手は私の体を抱きしめたまま決して離さなかった。

 熱い吐息は唇に触れ、舌を喉を心を巡る。

 苦しいと囁くことも許されぬほど土方さんの熱は私に流れ込む。

 溶けていく、ゆっくり激しく、溶けていく。

 頬を伝う涙は、彼の唇を、濡らしていく。

 あなたを待つこの先を、一言も、ただの一語も語れぬように、私の唇を塞ぎ続けていて欲しい。







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