銀座の夜
昼間の明るい日差しから、夜の目映い灯りに街が色を変えると、私達銀座の女は、その街の明るさの彩りとなる。
「お〜いママ! シャンパン開けて! ピンドン! 今日は我が後輩、幸田工業二代目社長、幸田哲哉君のおごりだ! みんな遠慮なく頂け!」
「先輩、あんまり無茶言わないで下さい。」
「しけた顔すんな! 俺は何度も言ってるだろ。おまえは自分の造る物に自信を持て! この俺が大丈夫だって言ってんだぞ! まったく、気が小せぇんだから・・。」
「ランバスのオーナーは、気が大き過ぎるんじゃありません?」
キラキラと輝く店内、その煌めきを背に誰よりも輝いている女性。そう、この店のナンバーワン『ルナ』が、さらりと言いながら歩いてきた。
「遅ぇいぞルナ! で、現れた途端それか! おまえもしかしてツンデレ?」
「失礼ですよ、菱田先輩。」
「いいんですよ、幸田社長。ツンデレのデレはありませんから。」
ここは銀座でもナンバーワンのクラブ、『クラブ ムーンライト』
そこのナンバーワンホステス、すなわち、銀座ナンバーワンホステスと言われている私は『ルナ』、本名、桜木月子。
世間が不景気一色の中、しょっちゅうやって来ては必ず私を指名する口の悪〜い目の前の男は、菱田俊三、IT業界トップ『ランバス』のオーナー。
業界の異端児と言われながらも、若くして今の地位を確立したのだ。・・で、その隣りの気の弱そうな彼は、製造業を営む二代目社長。
まっ、ふたりとも容姿的には上位でしょう。あとは性格の問題。
気が強く、イケイケで突っ走る俊三。反して、どこか頼りなく口数も少ない哲哉。
このふたりがいつも一緒なことが不思議だ。大学が同じ位しか共通点はないかもしれない、もちろん当然ナンバーワンの大学出身。
ただ、仕事の話しをしている時のふたりの瞳は、びっくりするほど、キラキラ輝いている。これが共通点?
「何、ボーっとした顔してんだ、集中しろルナ。オ・レ・に!」
「キャァー!」
ヘルプについた女の子達の黄色い声が耳に痛い、
(ここは高級クラブだっていうの! なんでママこういうタイプ雇うかな? 時代の流れですか・・)
まっ、26才、確かに私はもう微妙な年令ですが。
「おい! ルナ、ふん・・」
俊三は私の目の前に空のグラスを差し出し、カラカラと振る。
「ごめんなさい、俊三さん・・。」
私はわざと甘い声でグラスを受け取り、その時、指先がそっと触れる。
「おまえ、天性の才能だな・・、わざとと分かっていてもグラッとするからな。」
あけすけな言葉にヒクつく顔を、気づかせはしない。こいつにだけは実は効いてはいないことは承知のうえ、しかし、私から俊三さんと呼ばれることが好きなのは、分かっている。
その証拠に、今から俊三はいつもにも増して雄弁になる。
「社長ぉ〜、わざとだなんてぇ〜、酷ぉ〜いぃ〜!」
ヘルプ女子の鼻に抜ける黄色い声、
(酷いのはあなたの言葉です!)
「おまえ達はしっかり見習え、天性の才能があるルナでも努力はしてんだ! 容姿だけでナンバーワンにはなれねぇぞ。若さなんか一瞬・・」
(どういう意味だ!)
「すみませんルナさん。」
「あら、哲哉さんが謝られることではありませんよ。」
微笑みながら、彼には薄めの水割りを作る。今から俊三先生のホステス講座はしばらく続くはずだから。
「今日は何かあったんですか?」
「ええ、今僕の会社で開発中の製品に、スポンサーがついて・・」
「俊三さんが仲介されたんですね。」
「はい、よく分かりましたね?」
「だって今日は哲哉さんの、お・ご・り・なんでしょ。」
「参ったなぁ。」
照れたように笑う彼くらいだ、私をさんづけで呼ぶのは、いくら2つ年下だといっても私はホステス、あなたはお客様なのに。
「ふたりだけで盛り上がってねぇ? 哲哉、年上女はやめとけ! 尻にひかれるぞ!」
(それを言うなら、敷かれる。あなたも私より2つ上なだけでしょ。)
「まぁ、このテーブルは賑やかだこと。幸田社長、これは店からのお祝いです。いつもおふたりにはご贔屓頂いておりますからね。ありがとうございます。」
ママはピンクのドンペリを黒服に持ってこさせた。
「お祝いって、まだスポンサーがついただけで・・」
「あら、幸田社長ならきっと成功なさいますよ。だから前祝い。」
「有り難く頂け! ママは人を見る目がある、哲哉に投資したんだ。何倍にもして返せよ!」
そうだ、その通り、かつての銀座ナンバーワンホステスの、ミユキママの目に狂いはない。
「ルナはほどほどにね。あとが大変よ。」
「なんだ、まさかアフター入ってんのか? 俺が誘っても100回に1回位しか来ねえくせに!」
(そんなに誘われた記憶はない!)
だいいちあなたの誘いを待つ子は星の数ほどいるでしょうし、実際誘っているでしょ。
「ルナさんはぁ〜、明日からぁ〜、一週間ん〜、バカンスぅ〜」
(あぁ、この子の喋りにイライラする!)
俊三は親指を立て、
「まさかこれとか?」
(違うわ、バカタレ!)
「違います、ひとりでのんびり久々の長期休暇です。」
「寂しっ。で、どこ行くんだ? 俺がボディーガードで一緒に行ってやろうか?」
(ボディーガードが一番危ないわ!)
「結構です、お仕事お忙しいのに。」
「心配するな、俺の仕事はどこにいてもできる。」
(そういう問題じゃない!)
「ルナさんにぃ〜、ボディーガードはぁ〜、要らないですよ! だってぇ〜、合気道にぃ〜、薙刀もぉ〜、凄い腕とか!」
(あなた微妙に喋り変えてきたな!)
「俊三先輩も剣道なら師範代の腕ですよ。」
(へぇ〜、剣道をしているのは知っていたけど、飾りかと思っていた。情報不足でした。)
「で、どこ行くんだ?」
「海外です。」
「店終わってからか?」
「早朝の飛行機ですから、この後そのまま空港に行って時間を待ちます。」
「ふ〜ん、じゃそれまで飲むか!」
(嘘ん! やめてよ、目の下クマで海外?)
まばらとはいえ、他のテーブルのお客様は次々帰っていった。ここだけが盛り上がっている。
「哲哉、ひとりで海外行くような女には引っかかるな。おまけに合気道に薙刀、致命的だぞ!」
「失礼ですよ先輩。これからの時代、女性だってひとりでどんどん行動されます。」
(あなた達、さっきからひとりを強調しすぎてませんか?)
俊三は私の顔の前まで身をのり出し数センチのところで、まっすぐ私の目を見た。
「おまえホントに寂しくねぇの? 泣きたい時には泣けよ。」
(何、なんでそんなこと、あなたに言われなきゃならないの。)
「それは僕も俊三先輩と同意見です。」
(なんでそんなとこだけ、性格一緒なの!)
「おふたりともご心配なく、ひ・と・り・でも、しっかり泣いて、しっかり笑い、しっかり怒って、しっかり喜んでいます!」
「あっ、そ。」
(と、し、みぃ!)
「でもふたりなら、悲しみは二分の一に、喜びや笑いは二倍にも三倍にもなりますよ。」
正直、その哲哉の言葉は効いた。
「本当に大丈夫? そんな大きなスーツケース持って。タクシーここまで呼ぼうか?」
「大丈夫ですママ。それでは月子は本日より一週間、お休みを頂きます!」
「酔ってるよね、今自分のこと月子って本名言ってたよね。」
「心配するな! 哲哉。タクシー乗っけて空港まで俺が送ってやる。・・ついでに飛行機一緒に乗っちまうか!」
「駄目です。だいたいパスポートは?」
俊三は哲哉に胸ポケットをたたいてみせた。
「持ってるの? でも駄目です! とにかく空港まで僕も一緒に行きますから。」
「まさか、俺達ライバルか?」
「ふたりとも何ごちゃごちゃ言ってるの! 私行くわよ!」
ガタガタとスーツケースを引くと、哲哉が代わって持ってくれた。
私はママの妙に心配そうな顔にも気づかず、ふたりの前をスタスタ歩き出していた。
「待てよ! そっち反対じゃぁ・・」
「大通りに出る近道なの! 銀座は私に任せなさい!」
日付けはとっくに替わっていた。
四月 一日
私はきっと忘れない。
「そっち急な階段がありませんでしたか?」
「階段くらい何! 哲哉は心配しすぎ! 男なんだからガンガン進む!」
「昇り階段じゃなくて、下り階段ですから気をつけて! 待って月子さん!」
「あっ、今どさくさ紛れに哲哉、月子さんって言った?」
「言ってません。」
(もぉ、男ふたりで何言ってるの! 遅いぞ!)
私は階段の上でふたりを待ち、
「おいてくよ! 俊三、哲哉!」
「あいつやっぱ酔ってるな・・急げ、哲哉!」
急ぐふたりの前を黒猫が走り横切った。
「わっ!」
「ふみぃゃ〜!」
スーツケースが哲哉の手を離れ私に向かってくる。
「危ない!」
その勢いのまま私にぶつかりそのまま一緒に階段下へ・・・ふたりが視界から消えた。
んんっ・・、あっ痛っ、頭痛い。・・腰も・・・。
私は眠りから醒めるように目を開けた。
(ここどこ? やけに真っ暗、銀座の夜じゃない。痛〜い! 足挫いてる?)
(えっと、店出て、近道して、・・あっ! 俊三と哲哉は? スーツケース? あった!)
私は近くに転がるスーツケースを掴んだ。
その時、前方にほわっとした灯りが、ゆっくりこちらに近づいてくる。
「誰かいるんですか? こんな夜更けに大門で・・・」
(何? この灯り、これ提灯?)
提灯の緩い灯りに浮かび上がったのは、白髪混じりの男性。
(えっ、誰? どうして時代劇なの! 私どこかの撮影所に迷い込んだ?)
その男性は、提灯を近づけ私の顔を見ると驚き、声も出ないようだ。
しっかり手で掴むスーツケースの感覚が、夢ではないことを唯一私に教えていた。