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三毛猫

作者: 琉依

土曜日の昼下がり、午前中から近くのショッピングモールまで買い物に出かけていた私は、家へ帰る途中の見通しの良い道を、ひとり、急ぎ足で歩いていた。

「早く帰ってごはん作らないと」

雨上がりのせいなのか、道には私以外の誰もいなかった。

買い物が済んだらすぐに帰る予定だったのだが、傘をもっていなかったおかげで、店の中に足止めを食らった。

「お昼誰か作っていて…くれないか」

かすかにあるかないかの希望を口にして、少し立ち止まり空を見上げる。虹が出ていた。それを見て溜め息混じりの笑みをこぼして、また歩き始める。

歩き始めて、電柱を5本ぐらい過ぎたところだろうか、前方から小さな影がこちらに向かっている。痩せた三毛猫だった。三毛猫は私を見つけるなり、その歩みを止め、こちらに視線を送っている。私は止まることなく歩みを進め、三毛猫の横を通り過ぎようとしたが、三毛猫はそのやわらかな頬を私の足元にすり寄せてきた。思わず私はしゃがみ、三毛猫の頭を撫でた。

「いい子いい子」

気持ち良さそうにする三毛猫はとても愛らしかった。

「三毛さんは可愛いね。…三毛さんみたいに私も自由になりたいな」

ついぽそっと本音が出てしまった。

気持ち良さそうにしていた三毛猫だが今度はじっと私を見ていた。

「なーに?三毛さん。あぁ、この髪の毛かな?三毛さんのここの色と同じ色しているね」

三毛猫の茶色の斑点のところを優しくつつきながら話しかける。

つい先日、気分転換に真っ黒だった髪を思い切って染めたのだ。

「同じ色していても三毛さんの仲間ではないのー。私は肌が白くても三毛さんみたいに茶色似合わないね」

周りから見たら独り言をぶつぶつ猫に言っている少女にしか見えないだろう。しかし、私は独り言だとも思わず、ちゃんと三毛猫と会話していたつもりだ。

「そろそろ帰らなきゃ…お母さんにまた怒られちゃう」

三毛猫と合わせていた目を離し、静かに立ち上がった。

どこか淋しげな目を三毛猫は私へぶつける。

「ごめんね、三毛さん。本当は連れて帰りたいくらい可愛いんだけど…。痩せてるしごはんとかミルクとかいっぱい食べてほしいんだけど、うちでは養ってあげれないよ。ごめんね、がんばって生きてね」

三毛猫は「生きて」の言葉を嫌がるように身体を震わせた。私は手を伸ばし、三毛猫の頭をそっと撫でるとまた家へ向かって歩き出した。

三毛猫の視線を背に感じながら。小さな声で何かを求めるように「にゃお」とだけ泣いた声を背に受けながら。


「ただいま」

玄関のドアが開く音を聞いた母親がリビングから飛び出してくる。

「真澄。どこまで行っていたのか言ってみなさい」

「いつものお店だけだよ。お店を出る時に雨が降っていて…」

「お前は10時に家を出たんだよ?今は何時?」

「2時です、ごめんなさい」

帰ってくるなり母親の怒鳴る声が家中に響く。普通に行って買い物して帰ってくるなら1時間半で帰って来れるのだが、その倍の時間帰って来なかったことに苛立っていたらしい。

「理砂もそんなに怒らないんだよ。真澄ちゃんおかえりなさい」

「…一月いつきさん、ただいま」

「お腹もすいてるし、洗濯物はごちゃごちゃだし、早くして」

「はい」

この家の家事はすべて私の仕事だ。料理、洗濯、掃除、何から何まで。

「真澄ちゃん、お料理お願いできる?帰ってきて早々にごめんね」

「いえ、全然大丈夫です。すぐ作りますね」

今できる精一杯の作り笑顔を向けた。

「ごめんね、ありがとう。僕と理砂で洗濯物はやっておくね」

苛立つ母親をなだめながら父親は母親の手を引き、リビングに戻る。

父親と言っても、私と彼の血の繋がりはない。だから、彼のことは名前で呼ぶ。実の父は私が5歳のときに交通事故で亡くなった。今の父親は2年前に再婚したのだ。横暴な母親のどこを好きになったのか未だに分からないが、こんな怒られてばかりな私をかばってくれることにはいつも感謝している。


キッチンに向かい、すぐにできるような料理を作り、テーブルに並べる。しぶしぶ洗濯物をたたみ終わった母親がやっと食べ物を口にして大人しくなった。

一月が洗濯物を運ぶ姿が見えた。私はすぐに廊下に出てかけよった。

「一月さん、私やりますから、ごはん食べてください。」

「いいんだよ。真澄ちゃん買い物で疲れたでしょ?僕やるから」

「いやいや、きっとわたしがやらないとお母さんも気に食わないと思うので」

「理砂は僕がなだめられるよ。…お母さんに怒られるのは嫌?」

「もう慣れました。でも、なだめる一月さんが大変だから」

「そんなことないよ。僕はものすごく真澄ちゃんに感謝しているんだから。真澄ちゃんがあの時生きていてくれたから…」

「その話はやめてください。」

「理砂の前だと彼女が怒るから真澄ちゃんに感謝しているってこと…」

「もう分かりましたから。片づけてきますね」

一月から洗濯物を預かると、私はそそくさと洗濯物を片づけに2階へ向かった。


夕飯の片づけも終わり、やっと落ち着ける時間になった。

「ふぅ―」

長い息を吐き、ベッドへ寝転がる。何気なく携帯電話を開くとメールが1件入っていた。放課後、まっすぐ家へ帰ってしまう私は遊びに誘われることもなく、友達から連絡があることなどとても珍しいことだ。

とりあえずメールボックスを開いてみる。

「…なーんだ」

こんなことを言えば、メールの送り主に失礼だが、女友達からかと少し期待した私が馬鹿だなと思った。

画面には「唯くん」の文字。つい3カ月ほど前に親しくなった同い年の男の子だ。買い物中によく会うなぁと思っていた。

たまたまチラシが出ていて人が多かった日に小さい子を避けようとしたらかばんぶつかってしまった。それを機に相手も私とよく会うなと思っていたらしく会話がはずみ仲良くなった。

「何の用ですかね、唯くん」

画面に向かって問いかけて、本文を開く。

『早く明日にならないかな、なんてね(笑)』

少しだけ自分の頬が熱くなったのを気にせずにはいられなかった。

明日は日曜日。買い物へ行くと必ずと言って良いほど唯に会う日だ。最近は一緒に買い物をして、帰りにいろいろ話してから帰るようになった。お互いに打ち解けるのも早かった。

唯は、母子家庭だということ、母親の体調があまり良くないこと、バイトだけの稼ぎで頑張っていることなど自分のことをすべて吐き出すように話してくれた。そんな唯に私も家庭のことや、過去のこと、その日にあったことの愚痴など何でも話した。唯は何でも聞いてくれた。私はどんなに母親に怒られても、どんなに苦しくても泣き出すことは今まで1度もなかったのだけれど、唯の前で話をする時は思わず涙が零れることもあった。そんな時、唯は優しく頭を撫でてくれた。精神的に唯に甘えた。


次の日の朝になった。階段を静かにかけ下り、洗面台で顔を洗い、髪を整え、キッチンに立つ。母親たちが起きてくるまでに朝食を作り、自分は作りながら食べてしまう。

「ケチャップと…ベーコンと…」

メニューを考えつつ、今日買って来なければならないものをメモしながら、冷蔵庫の中をのぞく。

ごはんも炊け、おかずも作り、最後のみそ汁を作り終えるところでリビングのドアが開く。

「おはようございます、一月さん」

「真澄ちゃん、おはよう。んー…美味しそうな匂いだね」

「もうごはん食べますか?それともお母さんと?」

「そーだね、理砂が起きてからにするよ」

今食べられることのないおかずにラップをかけ、次の仕事にうつる。洗濯物を干して、買い物へ行く準備をする。唯に会える日だからだろうか、無意識のうちにいつもより着飾る。準備が終えるとまた階段を下りる。玄関で靴を履いている時に、やっと起きだしてきた母親が声をかけてきた。

「真澄、どこ行くの?」

「買い物だよ。日曜日だからね」

「昨日も行ったじゃない。買い物買い物って言って遊びに行っているんじゃないでしょうね?髪もみんなに合わせて茶色にしたんでしょ?」

母親の言っていることを否定したいのに、まるで肯定するように言葉に詰まってしまった。

反抗すればまた怒鳴られる、そんな頭があったのだろう。

「理砂、真澄ちゃんはそんな子じゃないよ。そんな風に育ててきたのかい?」

少し苛立った母親の声に気付いて一月がリビングから出てきた。

「買い物、気をつけて行ってきてね。ほら、理砂を待っていたから僕はお腹がすいたよ。一緒に食べよう」

「わざわざ待っていたの?待たせてごめんなさい、一月。真澄、早く帰ってくるのよ」

一月の質問には答えず、けろっとした声と顔で一月を見る母親。

今がチャンスと思い、「いってきます」と2人に告げ、私は買い物に出かけた。


家から歩いて40分ぐらいのところにあるショッピングモール。周りを見渡せば子ども連れの家族や主婦ばかりだ。そんな中、こんな食品を主に扱う店には似つかわしくない学生の男の子がひとり立っていた。

「唯くーん!」

私はその姿を確認するなり、手を振って唯に近づく。

「やっと来た。髪染めてから真澄が見つからない」

笑いながら唯は近くの買い物かごを手にした。

「黒に戻した方がいいかな」

「その方が可愛いからそのままにしとけ。ほら、行くぞ」

唯の言葉に「えっ?」と口にしたが、先に行ってしまう唯に置いていかれないように、私もかごを持ち、唯を追いかけた。

お互いの話を気軽にするようになってから、どちらかが決めたわけでもないのに、お互いを待ってから買い物をするようになっていた。

何も知らない人から見たら、仲の良い新婚カップルに見えるだろう。買うものが違い、それぞれかごを持っている不思議なカップル。当然、私と唯は夫婦でもカップルでもない。まだ出会ってから長い時間は経っていないが、友達以上恋人未満の関係とでも言えよう。

店を1周し、レジで会計を済ます。それから、店を出て、5分くらい歩いたところにある公園へ行く。今日は珍しく誰もいなかった。

「誰もいないなんてはじめてだな」

「あ、私、ぶらんこ乗りたい!」

私は昔からぶらんこが好きだった。広い空を近くに感じて、いろんなものから解放されたような気分になれるから。

「乗りたいって荷物どうするんだよ」

「置いておけば大丈夫!」

荷物をいつも座って話していたベンチに置き、小学生のようにはしゃぎながら私はぶらんこに乗った。

「唯くんも乗ろうよ!」

「いや、俺は楽しそうにしてる真澄を見てるだけでいいよ」

唯の言葉に少し恥ずかしくなった。

「…真澄?」

「何、唯くん?」

ぶらんこを止め、唯を見て首を傾げる。

「そうやって楽しんで笑っている方が真澄らしいよ。せっかく真澄って綺麗な名前しているんだから、もっと毎日笑って過ごせばいいのに」

私はつい下を向いた。

「…透き通っているのは名前だけだよ。心は汚れているから。私は…」

「人殺しだとは言わせないよ」

「私はお父さんを…」

「あれは事故だろ。真澄は悪くない」

「私があの時死んでいればよかったのっ!それならお父さんは…っ」

泣き出してしまった。唯の手が私の頭を撫でた。


5歳になったばかりの時だった。家族で出かけていた、空が綺麗な日だった。信号待ちをしていた交差点、スピードを出していた車が曲がり切れずに猛スピードでこちらに突っ込んできた。

「…っ真澄!!」

これが私が最後に聞いた実の父親の声だった。父親は私をかばったおかげで天国へ旅立ってしまった。

それから母親の性格が急変したのだ。

「人殺し」、「お前が死ねばあの人は生きていられた」、「私の最愛の人を返して」

何回もこんな言葉を浴びせられた。だから、私は償えない罪を償おうとするために母親の下部のように働いて、扱使われて当たり前なのだ。

私が生きていたことに一月が感謝している理由もこの事故だ。私が生きて、父親が死ぬってことがなければ一月と母親が結婚するなんてことはなかったから。


「真澄の母親、やっぱりおかしいよ。父親との最後の絆が真澄じゃん。」

「お母さんは…本当にお父さんが大好きだったんだよ…。お父さんに愛されていれば他には何もいらなかったんだよね。だから、元から私も生まれた瞬間から邪魔で…」

「最愛の人が命がけで守ったものを、しかも自分の娘を愛せないってことはないだろ」

「いいの。私は死ぬまで人殺しのレッテルを貼られたままだよ」

「俺は真澄にそんな生き方してほしくはない」

私は唯の言葉に何も返せなかった。

「…帰らなきゃ。また来週ね」

唯の顔をちゃんと見ることができないまま、ぶらんこから降りベンチから荷物を取るなり走って私は家へ帰った。


『今日はごめん。考えすぎるなよ?真澄は笑顔が本当に似合うから笑え。こんな雰囲気の時に言うのはロマンティックさも何もないけど…俺は、真澄が好きだ。だから、悲しい顔してほしくない。』

夜、唯のメールが入っていた。けれど何故か返信できなかった。嬉しいのかそれともつらいのか分からない涙が滲んだ。今日は泣いたからなのかすぐ眠りに落ちてしまった。


頭が痛くて起きた。学校もあるのになかなか起きる気になれない。

「真澄。まさか寝てる?」

母親がいつまでも起きない私の様子を見に部屋に入ってきた。

「まだ布団にいるなんてふざけてるの?」

「ちょっと頭が痛くて…」

「仮病使うなんていい度胸ね、早く起きなさい」

母親が急に私の腕を引っ張った。その勢いのおかげでベッド柵におでこをぶつけてしまった。

「痛い!痛いって!起きるから…」

「理砂―?」と1階から母親を呼ぶ一月の声が聞こえ、母親から解放された。

ぶつけたところを鏡で見てみる。赤くなっていた。かなりの勢いでぶつけたので痣になってしまうだろう。


とりあえず制服に着替え、静かに階段を下りて行く。話し声が聞こえる。

「頭が痛いなんて仮病なんか使ってなかなか起きやしない」

「真澄ちゃんも疲れているんだよ、理砂も厳しすぎるよ」

「いいのよ、あんな子なんて。いらないわ」

はっきり聞こえた母親の言葉はショックだった。今までも聞いてきたはずなのに、自分以外の人にも私のことがいらないとはっきり言うということは本当に生きている意味がないと感じた。

そのまま私は家を飛び出した。走った。自分の気が済むところまで走った。

ポケットから携帯電話を取り出し唯に電話をかけた。

『もしもし?真澄?』

「…唯くん、私…やっぱり…」

『ごめん、真澄。学校ついちゃうから後で』

「唯くん、待って!唯く…ん」

電話は切れていた。私はこの瞬間にもう覚悟を決めてしまった。


『今までごめんなさい。お幸せに。』

母親にメールを送った。

『唯くんごめんなさい。私、無理だった。私も唯くんが好きだよ。最初で最後の恋でした』

泣きながら唯にメールを送った。


私はある場所へ歩みを進めていた。

メール受信のサウンドが流れる。唯からだろう。しかしメールを開く気にはなれなかった。

どのくらい歩いただろう。白い肌に、おでこにできた黒い痣、茶色に染まった髪。ひとりでよたよた歩く。あぁ、きっとあの日の三毛猫は私だったんだ。


交差点に着いた。あの交差点。

歩行者信号が赤に変わった。私は道路に飛び出した。辺りにクラクションと急ブレーキ音が響き渡った。

目の前が赤黒い。血なまぐさい。目の前が真っ暗になる。


――お父さん。ここまでの時間の命をありがとう。ごめんなさい。今から会いに行くね。


――――まだ来るな。


懐かしい声が聞こえた気がした。


――――み…すみ…――――っ真澄!


「真澄!真澄っ!」

大好きな声がする。何か冷たい水滴が落ちてきたのを感じた。

「真澄…?」

「…い…くん?」

目を開けると唯がいた。

「馬鹿!死のうなんて考えるな!」

「…私…なんて…この…世に…必要ない…」

小さい小さい声を精一杯しぼりだした。

「真澄は俺に必要だ。生きてよ、生きろよ。俺のそばで――笑って生きろよ」


三毛猫は「生きて」の言葉を嫌がるように身体を震わせはしなかった。小さく涙を零し頷いた。


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