41 -転居-
前の話のあらすじ
海上都市に向かう輸送船の中で、シンギはソウマから七宮に関する話を聞く。また、ヘリで追いかけてきたイグナシオからは槻矢というVFランナーの話を聞いた。
セブンからも詳しい話を聞けると思ったのだが、セブンは情報の開示を頑なに拒み、何も分からずじまいに終わった。
41 -転居-
――イギリスを出てから4日後、シンギ、ソウマ、ゲルハルトの3名は無事に海上都市にたどり着くことができた。船旅はお世辞にも快適とは言えず、特にすることもなかったのでかなり退屈だった。
VFのシステム同士を繋いでシミュレーション対戦をしようとも考えたが、生憎こういった方面に詳しい人間は船内におらず、筋トレくらいしかやることがなかった。
ソウマは普段からVFの操作練習のみならず、常に体を鍛えているようで、結構キツいメニューを淡々とこなしていた。俺も負けじと同じメニューを行なっていたのだが、二日目にしてついていけなくなり、ペースを落とすことになった。
ちなみに、ゲルハルトは筋トレはせず、VF回収スタッフと日がな一日談話して楽しんでいる様子だった。よくも会話のネタが途切れないものだ。
無理な筋トレのせいで少々痛む太ももを撫でつつ、シンギは輸送船から港に降り立つ。
CE社のフロート内にある港では既にVFの荷揚げ作業が始まっており、作業用VFと巨大なクレーンによってそれぞれのVFが慎重に降ろされていた。
既に港側にはリアトリス、アカネスミレが鎮座しており、残りはケイライン……と、コンテナ詰めにされたアルブレンだけだ。
シンギがクレーンの動きを見ている間、遅れて船から降りてきたソウマとゲルハルトは別の方向に目を向けていた。
「あれがCE社本部か……流石にフロート一つまるごと使用しているだけあって、でかいなぁ。」
「だろう? 僕も初めて見た時は驚いたものさ。」
ゲルハルトはすぐにでもCEのビルに行きたいようで、そわそわしている。まだサリナに話を通してないのでどうなるか分からないが、ゲルハルトなら問題なくCEのメンバーになれるだろう。
(ん……? 何か違和感が……あ。)
シンギはいつも見慣れているロゴマークがビルに存在しないことに気付いてしまった。そして、その代わりに全く見慣れぬマークを見つけた。
(『ファウレン』か……)
ファウレンは七宮重工が買収した、ロシアに本拠地を置くPMCだ。
セルカから聞いた通り、この施設をまるごと奪うという話は嘘じゃなかったみたいだ。
しかし、未だにCE社が無くなったという連絡は受けてないので、別の場所に引っ越したのだろう。
そうなると少々面倒だ。折角荷揚げしたVFをまた別の場所へ移動させないといけない。
しばらくするとソウマもファウレンのロゴマークに気付いたようで、不安げな表情でこちらを見る。
「ねぇシンギ、あれって……」
「ファウレンだな。アイリの野郎、マジで施設ごと乗っ取りやがった。」
ゲルハルトはまだこの事実に気付いていないようで、ファッショングラスの隙間から見える目は爛々としている。視力が悪いせいであのロゴマークもきちんと見えていないのだろう。
遠くに見えるビルを眺めていると、その間に荷揚げ作業が済んだらしい。回収スタッフの面々は軽く挨拶をして去っていってしまった。
そんな彼らと入れ替わるようにして現れたのは一人の少女だった。
少女は潮風に飛ばされぬように帽子のつばを左手で押さえ、捲れないようにスカートの裾を右手で押さえている。
素直にパーカーを被って短パンを履けばいいものを、つくづく女というのは分からない。
「お帰りなさい、シンギさん。」
ある程度まで近づくとその少女……セルカが声を掛けてきた。
シンギはその挨拶に対し、軽く応じる。
「よう、やっぱりそっちのほうが早かったな。」
「当たり前じゃないですか。高速輸送艇の平均速度は時速50km、対する航空旅客機は時速1000km、単純に考えて20倍なんです。でも、船の20倍と聞くと何だか飛行機の速度が遅い感じがしますね。」
「そんなのどうでもいいから、CEは今どうなってるか教えろよ。」
妙にテンション高めのセルカに不安を覚えながらも、シンギは質問する。
CEの現状がわからない限り、このVF達をどこに保管すればいいのか判断できないからだ。
「CEについてはまた後ほど話しますから、とりあえず今は私に付いてきてください。……あ、ソウマさんもお帰りなさい。」
どうやらセルカは俺達を迎えに来たらしい。今からCEの新しい本部へ案内してくれるようだ。
セルカはソウマに向かって呑気に挨拶しつつ、スカートから手を放して、ポケットから携帯端末を取り出す。風のせいでスカートが捲れそうになっているのに、セルカは帽子からは絶対に手を放しそうにない。それだけ髪を見られたくないということなのだろう。
セルカは片手だけで携帯端末を操作し、何やら連絡を取り始める。
「あのセルカです。シンギさん達、帰ってき……」
通話相手はケイレブかサリナに違いない。また、言葉が途中で遮られたことを考えると、サリナである確率が高そうだ。
セルカはその後、相槌を打ちながら「はい」だとか「ええ」という言葉で返事をし、最終的に「わかりました、サリナ社長」という了解の言葉でしめた。
通話が終わると、セルカは早速サリナからの伝言を伝える。
「皆さん、これからキルヒアイゼン邸に向かいますので、またVFを輸送船に載せてもらっていいですか?」
「やっぱそうなるよな……」
俺の悪い予想が的中してしまった。流石に関係のなくなった企業の港にVFを放置できない。
シンギは特に反論することもなく、積み込み作業を手伝うことにした。
「――サリナ社長、ただ今戻りましたー。」
二度目の荷揚げをキルヒアイゼンのラボに併設された搬入港で行った後、シンギはセルカやソウマ、そしてゲルハルトと共にキルヒアイゼン邸の玄関に移動していた。
キルヒアイゼン邸はキルヒアイゼンのチームビルと隣接しており、移動時間も30秒と掛からない。敷地の入口から玄関にたどり着くまでのほうが時間が掛かるくらいだ。
玄関には色とりどりの植物が植えられており、手入れも行き届いているようだ。ガーデニングには全く興味はないが、こうやって整然とした植物や花を見ると心地がいいものだ。案外悪くない。
キルヒアイゼン邸は屋敷と呼ぶに相応しいくらい大きく、通常の家と違って階ごとの高さは高く、窓も大きい。外壁のデザインも一昔前のレンガ調で、近代住宅や近代マンションが立ち並ぶこの海上都市の中ではとても目立っていた。
階数自体は2階までしかないが、このくらいの敷地面積があれば十分なスペースを取れるだろう。広すぎても管理が大変なだけだし、2階で十分だ。
セルカが玄関からサリナを呼んでから10秒後、ようやく中から返事が返ってきた。
「おかえりー、2階の例の部屋で待ってるからねー。」
「わかりましたー。」
セルカは大きめの声で返答すると、玄関を跨いで邸宅内へ入る。シンギ達もその後に続いた。
中に入ると、木製のフローリングが待ち構えており、壁には大きな絵も飾られていた。
何だか場違いのように思えてしまい、シンギは取り留めのない話をセルカに持ちかける。
「ここ、キルヒアイゼン邸ってことはセルカの家だよな。ここに住んでんのか?」
「あ、はい。昔はここに住んでいたのですが、おばあちゃんが死んでからはあんまり……その、帰ってません。思い出すと辛いので……。」
「そうか……。」
いきなり重い話になってしまい、シンギは何も言えなくなってしまう。
そんな重い空気をさらに微妙な空気にしてくれたのは、例によってソウマだった。
「それにしても、あの人は憎めない人だったね。四六時中文句言ってて、それはもう元気な人だったよ。……確か、そのブレスレットもおばあさんからの贈り物なんだよね?」
「はい……。」
セルカは立ち止まり、左手首につけているブレスレットを右手で掴む。
メカメカしいデザインをしているのでVFのプレミアグッズか何かと思って意識していなかったが、それが形見だと聞くとまた違った印象を受ける。セルカがあのブレスレットを外した場面は一度も見たことがない。それだけ大事にしているということは……
(好きだったんだろうな、ばあさんのことが。)
セルカはブレスレットを伏目がちに眺めつつ、話を続ける。
「CEに入社したのも家とは違う環境に身を置こうと思ったからでして。ですから、おばあちゃんが死んでからはこの家はほとんど無人なんです。先程の玄関の庭園もちょっと前まで雑草だらけだったんですよ。それをケイレブさんやサリナ社長が……」
「ちょっと、無駄話してないでこっちに来てよ。作業中断して待ってるんだから。」
階段から顔をのぞかせ、話の腰を折ったのはサリナだった。
サリナは相変わらず重量感のあるシルバーのヘアピンをつけており、それは室内の電灯の明かりを反射してチカチカと光っていた。また、ショートカットの金髪もヘアピンに負けず劣らずキラキラと輝いていた。
久々に顔を見て軽く挨拶しようとシンギは手を挙げる……が、セルカが「すみません、今行きます」と返事をすると顔を引っ込めてしまった。
サリナの指示通り、セルカは俺達を引き連れて2階へ上がっていく。その間、ソウマは一言も喋らずニコニコしており、ゲルハルトは物珍しそうに壁にかけられた絵画を眺めていた。
やがて目的の部屋に到達すると、開きっぱなしのドアからサリナとケイレブの姿が見えた。
「失礼します。」
セルカは中途半端に開いていたドアを完全に開き、室内に入る。シンギ達もその後に続いた。
その部屋は四方の壁が本棚によって埋め尽くされており、中央には綺麗な光沢を放つアンティーク調の大きなデスクが置かれていた。
そんな、4人は掛けられそうな大きな机の上に座っているのはサリナだった。
「お帰り、案外遅かったね。」
「どうもタイミングが悪かったみたいです。着いた時には既にVFが荷揚げされていまして……」
「あー、それは遅れるはずだわ。」
先ほどは見えなかったが、サリナはグレーの作業着を着ていて、手には薄汚れた作業用のグローブを装着している。
また、額には汗をかいており、首にかけたタオルでその汗を拭っていた。
そんなサリナを見て、ソウマはにこやかにコメントする。
「元気そうだね社長さん。……この間見た時は酒に飲まれて顔は真っ赤で、眼の下には隈ができて髪型も乱れに乱れていたのに、すっかり治ったみたいだ。良かったよ。」
俺には何のことやら分からなかったが、本人は十分分かっているらしく、タオルで顔を隠してしまった。
「……その話、みんなの前であんまりして欲しくないかも。」
「ごめんごめん。」
その話とやらも気になるが、今最も気になっているのは別の事だった。
「ところでサリナ、何で作業服着てんだ?」
「見てわからない? 掃除してるの。……っていうか、久々に再会できたのに何で作業服に注目しちゃうかなぁ。私、こう見えて結構怒ってるんですけど。」
「はいはい、突然海上都市からいなくなって悪かったな。」
適当に謝罪した後、シンギは改めてこの状況の説明を求める。
「で、何でお前は人様の邸宅を掃除してんだ?」
「本当は清掃業者に依頼したかったんだけど、お金が勿体ないでしょ? だから自分たちで頑張ってるの。」
一向に答えにたどり着けず、シンギはしつこく質問を重ねる。
「だから、どうして掃除する必要があるのかを聞いてるんだっつーの。」
俺の質問にサリナはきょとんとした表情を見せたが、すぐに合点がいったようで手のひらをポンと叩く。
「そういえばまだ言ってなかったね。セルカさんの厚意でここにCEの事務所を置けることになったの。だから、掃除するのは当然でしょ。」
「ここに?」
サリナの言葉が信じられず、俺は思わずセルカの顔を見る。
セルカは俺を見て苦笑いしつつも、サリナの言い分を肯定するように軽く頷いていた。
「それはいい考えだね。ここからだとキルヒアイゼンのラボも近いし、部屋も十分な数があるから、住む場所にも困らないと思うよ。」
ソウマも納得したと言った風な顔で腕を組んで頷いている。
シンギはソウマの言葉を受けて、自分が住む場所もファウレンの連中に乗っ取られたという事実に気付いた。冷蔵庫の冷凍食品ももう奪われたと考えていいだろう。
VFにしても人員にしても、どの程度の物を失ったのか、気になったシンギは改めてサリナに問いかける。
「それよりサリナ、CE社は……」
「分かってる。説明する。」
何を答えるべきか、サリナは察したようで、CEの現状を大まかに説明し始める。
「CEは何とか首の皮一枚で保ってる感じね。フロートユニットを丸々差し押さえられ、施設も装備もなければVFも残ってないの。手元には僅かな資金しか残っていないし、七宮重工の根まわしのせいで、他の出資者も金を出し渋ってる。」
大きな木製のデスクの上で足を組み直し、サリナは続ける。
「今は何もかも売り払って何とか凌いでいる状態なの。スタッフも数名しか残っていないし、唯一残ってるVFはケイレブのアルブレンだけ……。まだ存続してるのが不思議なくらい。」
シンギはVFに関して、サリナの言葉を訂正する。
「いいや、リアトリスにケイライン、それにアカネスミレもあるぞ。」
「あ、そうだった、セルカから聞いていたのを忘れてた。……でも、アカネスミレが戻ってきて良かったと思う。ナナミも喜ぶでしょうしね。」
サリナの言う通り、アカネスミレのことを知ればナナミは狂喜乱舞するだろう。
アカネスミレを失ったと報告した時は、それこそかなり落ち込んでいたので、その反動は凄まじいものになるはずだ。
それにしても、まだスタッフが残っていることには驚きだ。普通の神経をしていればこんな会社なんて見限って転職するはずだ。ランナーに関しても、遠隔操作で楽に稼げる場所に移るのは当然の選択で、ファウレンも受け入れを歓迎していると聞いている。ここでCEに残るのは馬鹿だけだ。
「ほんと、こんな状況で残ってるなんて酔狂な連中だな。」
「……酔狂とは、言ってくれるなシンギ。」
思ったことをそのまま言うと、右奥の本棚の方から返事が返ってきた。
そこには、サリナと同じデザインの作業服を着ているケイレブがいた。
「ケイレブ、いたのか。」
ケイレブは本棚の本を一つ一つ綺麗にしているのか、話しながらも作業を続ける。
「しかし、酔狂と言われても仕方がないかもしれないな。オレはともかく、残った連中からはその理由を聞いてみたいものだ。」
このケイレブの意見に、サリナは同意する。
「そうね、でも、私としてはケイレブが残った理由も知りたいんだけど。」
サリナの言葉に反応し、ケイレブの動きが一瞬止まる。この質問にはあまり触れられたくないようで、ケイレブはあからさまに話題を変えた。
「……とにかくだ。これからは積極的に仕事を取ってこないといけないな。今までのように待っているだけで依頼が来ることはないと考えていい。」
「そうですね。依頼側は“遠隔操作による強力な戦力”を求めているわけですし、これからは迷わずファウレンに依頼すると思います。」
セルカはケイレブの言い分を概ね肯定し、自分の言葉で落ち込んでいた。
実際、俺もケイレブと同じ考えだ。まだCEはPMCとしての体をなしているが、こんな少ない人員でまともに依頼をこなせるとは思えない。補助的な機能は外部の業者に任せたとしても、この人数ではメインの業務すら満足にこなせない。これはPMCとしては致命的だ。
しかし、ソウマはそうは考えていないようだった。
「僕はそうは思わないな。」
ソウマはボサボサの髪を掻きながら、臆する様子もなく告げる。その態度からは多少の苛立ちも感じられた。
「でもソウマさん、依頼をファウレンに奪われているのは紛うことなき事実なんです。それどころか、CEがこんな状態では依頼をこなすどころか……」
「大丈夫だよ。……半分部外者の僕が言うのも何だけど、CEのブランド名は伊達じゃないと思ってるんだ。」
ソウマはセルカと取り合うこともなく、頑なに主張を続ける。
俺もソウマの言い分を認めたい。サリナやケイレブだって信じたいはずだ。しかし、現実は現実として受け止め、それに沿った行動をする必要がある。
希望的観測で気楽に構えるのも悪くはないが、それは思考の放棄を意味しているように思えた。
サリナは木製のデスクから降り、ソウマの前に立つ。
「そこまで言うのには、それなりの理由があるのね?」
ソウマは自信ありげに頷き、腕を組んでその根拠を述べ始める。
「日本の言葉に一機当千ということわざがあってね……」
「一騎当千でしょ? あと、正確には日本じゃなくて中国の故事ね。」
「……。」
いきなりサリナに出鼻を挫かれたソウマだったが、すぐにセルカがフォローに入った。
「その言葉、千人分の兵にも優る強力な兵のことですよね。ソウマさんは自分の事をそうだと言いたいんですよね?」
セルカの解説に後押しされる形で、ソウマは話を再開させる。
「もちろん、シンギやケイレブもね。……そんな僕らがCEの看板を背負ってるんだ。まだまだ来るところからは依頼が来ると思うよ。」
まぁ、VFBリーグの頂点に立ったソウマは宣伝材用として申し分ないのは事実だ。
少数精鋭となれば依頼の内容も特別で凝った物が多くなりそうだが、それだけリターンも大きくなると考えれば納得できる。
ソウマの前向きな言葉で少し希望が持てたのか、サリナは笑顔を浮かべる。
「そうなることを願ってるわ。ま、何にしても残ってくれたみんなのためにも頑張らないとね。それに、規模が小さくなって融通が効きやすくなった、って考えれば悪くはないかも。」
こういう、前向きな姿勢は嫌いではない。
以前のように高い収益は望めそうにないが、存在することに意味があるのだと思う。この場にいる全員がそう考えていることだろう。……と思っていたが、どうやら一名はそうでもないらしい。
その一名とは、今まで一言も喋らなかったゲルハルトだった。
「き、聞いてないぞ!! これじゃまるで沈みかけの船に無理やり乗せられたようなものじゃないか……。」
「何だよゲルハルト、あれだけCEに入りたいって言っておいて、その言い草はないだろう。」
シンギは頭を抱えているゲルハルトの肩をバシバシと叩く。
すると、ゲルハルトはこちらの手を払い除け、本心を漏らし出した。
「俺はだな、契約ランナーになって、報酬のいい依頼をどんどんこなして、金を貯めて……」
「無理だな。諦めろ。」
短いセリフでゲルハルトの野望をスパっと切り捨てると、ゲルハルトは膝を折ってその場に崩れ、床に両手をついた。
これが普通のランナーならファウレンにでも行けとアドバイスしてやれるのだが、ゲルハルトはあのアイリの指示を無視し、挙句アイヴァーを撃破したのだ。
そんなランナーをファウレンが受け入れるわけがない。ゲルハルトもそれを自覚しているのか、文句をいう事なく深い溜息を付いているだけだった。
「そのメガネのロン毛、誰なの?」
サリナはこの会話でゲルハルトの存在に気が付いたらしく、説明を求める。
その説明に応じたのはセルカだった。
「あの人が昨日お話したゲルハルトさんです。例の騒ぎではアイヴァー・グレゴールを倒していますし、加入条件は十分に満たしていると思います。」
「実力なんてどうでもいい、こっちは猫の手も借りたい状況なの。拒む理由なんてないない。」
予想通り、サリナはゲルハルトの加入をあっさりと認めてしまった。
そんな適当さに呆れたのか、ケイレブは拭いていた本を本棚に戻し、サリナの元まで移動する。
「サリナ社長、またそんな適当に……」
「いいのいいの。操作技術がアレでも、雑務スタッフとして使えばいいだけだし。」
ひどいことをサラッというのは相変わらずのようだ。
それにしても、ゲルハルトも可哀想な男だ。VFBリーグでは2軍から抜けだせず、マイナーリーグでは八百長の道具にされ、たった今CEでこき使われることが決定した。
実力が伴っていても、周囲の環境のせいで不遇されるのは不憫すぎる。
だからと言って、擁護するつもりもなかった。
「……盛り上がってる所悪いんだけど、そろそろ僕はラボの方に行くよ。まだ京姉にただいまを言っていないからね。」
いきなり会話を断ち切ったのはソウマだった。
「それに、アカネスミレのこともあるし……それじゃあね。」
ソウマはそれだけ告げると本棚の部屋から出て行ってしまった。
重要な話は特に無いようで、サリナはソウマを引き留めることなく雑談を続ける。
「VFに関してはナナミさんがいるから、何の心配もないよね。」
「……ですね。あれほどの人材はそうそう見つけられるものではありませんからね。」
ナナミの話題になり、気になることがあったシンギはサリナとケイレブの会話に混ざる。
「前々から思ってたんだが、ナナミ以外にプリミティブVFの面倒を見れる奴っていないのか?」
「いるにはいると思うけど、数がすごく少ないのは間違いないわ。そんなこと訊くなんて、急にどうしたの?」
「いや、流石にリアトリスとアカネスミレとケイラインの3機を一人だけで整備するのは無理があると思ったんだよ。やっぱ、エンジニアは増やせねーのか?」
サリナは俺の意見に考慮の価値を見出したのか、いつになく真面目な考えを述べる。
「確かに増やしておきたいわね。でも、新しく探すにしても、ナナミさんから要請があってからでも遅くないと思うの。」
「いや、遅いだろ。」
ナナミは無理をする性格の持ち主だ。やせ我慢をして過労でぶっ倒れたらそれこそ後の祭りだ。
しかし、セルカはサリナの考えを否定しなかった。
「そうでもないと思います。」
その後一呼吸置き、セルカは俺の言い分をやんわりと否定する。
「何だかんだ言って、プリミティブVFを2機も好き勝手にメンテナンスできるのは、ナナミさんにとって幸せなことだと思うんです。あれだけのVFを独り占めできるのは、滅多にない事なんです。それに、いざとなったらナナミさん本人よりも先にソウマさんから何か意見が来るはずです。人員を増やすのはその時でいいと思います。」
「そんなもんか……。」
セルカの考えも納得できないでもない。これ以上突っ込んだ話をしても、今の時点ではエンジニアを確保できないのだし、暫くは放置していていいだろう。
会話が終わると、サリナは作業用のグローブを手に嵌め直し、腕を挙げて背伸びする。
「さあ、お喋りはこのくらいにして掃除に戻るわよ。そこのゲル……なんだっけ?」
背伸びの後、サリナはゲルハルトを指さす。
いきなり指さされたゲルハルトは恐る恐るフルネームを告げた。
「……ゲルハルト・メイヤーだ。」
「面倒くさいからゲルでいいわ。早速で悪いけど、1階に置いてるデスクを運んでくれない?」
「ゲル……え?」
名前を半分以下に短縮されたゲルハルトは、悲哀の表情を浮かべ、こちらを見る。
色々なことがあり過ぎて、反論する気力すら残っていないみたいだ。つくづく不運な男である。
体を動かせば気持ちも軽くなるだろうと思い、俺も作業を手伝ってやることにした。
「さっさと終わらせるぞゲル。」
「……。」
……それ以降、デスクを運び終えるまでゲルハルトは一言も喋らなかった。




