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焉蒼のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
Ⅲ ランナーズ・ハイ
87/202

  31 -プライド-

 前の話のあらすじ

 シンギの試合の日、イグナシオは英国空軍から協力要請を受け、ジズと共に施設内で待機することになった。ソウマはイグナシオを心配し、協力を申し出る。

 ナナミは待機中のケイラインのメンテナンスを行い、戦闘支援AIのセブンと会話をしていた。しかし、その会話中にセブンは目標物を察知し、リアトリスを操作してキルヒアイゼンのラボから出て行ってしまう。

 一方、セルカは一人でマイナーリーグのスタジアムへ向かっていた。

  31 -プライド-


 ロンドン郊外、プラムステッド付近にあるスタジアム。

 VFBのマイナーリーグはゴルフ場を改築したというこの場所で行われる。

(ここに来るのは二度目ですね……。)

 正面ゲートをくぐりながら、セルカはスタッフ専用の通用口の扉を見ていた。

 今晩は人が多いせいか、通用口の扉の前にはガードマンが二人配置されている。

 あの時は親切な男性が中に入れてくれたので良かったが、今日はキルヒアイゼンのスカウトマンを装ってなかに入るのは無理だろう。

 ……と言うか、今日は別にあそこから入る必要もない。

 今日は一人の観客としてシンギさんの試合を心ゆくまで観戦するつもりだ。

 セルカはチケットをゲートに設置されたリーダーに通し、正面ゲートを抜ける。すると、目の前に広いバトルエリアを確認できた。

 エリアはかなり向こうまで続いており、青々とした芝生が無数の光源によってライトアップされている。

 そんな強い光の中、4つの巨大な人影……VFが向かい合って立っていた。

 あまりにも圧倒的な存在感に、セルカは思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

「わぁ……」

 試合は2対2のタッグバトル形式で行われると聞いている。試合時の迫力は今よりももっと凄いものになるはずだ。

 まだ4機とも動いていないが、夜の闇に浮かび上がる巨体は、それだけで十分な迫力を演出していた。

 ちなみに、4機は全てノーマルVFで、もっと言うと全て七宮重工製のセブンクレスタをカスタマイズした物だった。

 向かって右側に立っている2機は綺麗なシルバーに塗装されていて、その手には同じく鈍く銀色に光るサーベルが握られている。公式のVFBリーグとは違い、このマイナーリーグでは武器の使用が認められているみたいだ。

 サーベルの切っ先は既に相手2機に向けられていた。

 対する左側のVFは素体はセブンクレスタには違いないが、装甲や腕部パーツなどは様々な銘柄の部位を使用していた。チグハグだとかツギハギと形容するのが妥当だろう。

 見た目には格好悪いが、禍々しいというか、おぞましいというか、シルバーに塗装された綺羅びやかなVFとは逆ベクトルの迫力を感じさせられた。

 暫く見惚れた後、セルカは自分のやるべきことを思い出す。

(えーと、カメラカメラ……)

 せっかく観戦に来たのだ。写真を撮って、後でソウマさんやナナミさんに見せよう。

 シンギさんがどちら側のVFに搭乗しているのか判断できないが、取り敢えず写真を撮っておいて損はない。

 セルカは小型のカメラを構え、フレーム内に4機のVFを収める。

 自動でピントが会ったところで、セルカはシャッターボタンを押した……が、その瞬間に背後から押されてしまい、うまく撮影することができなかった。

 背後から私を押したのは女性のようで、その女性は謝るでもなく、注意してくる。

「こんな場所で立ち止まって写真なんか撮るなよ。ここはゲート入り口だぞ? 他の客に迷惑が掛かるってことくらい分かれよ。」

 彼女の言うとおり、ここはゲート近くなので、最も人の流れが多い場所だ。こんな所で立ち止まるとかなり迷惑だし、私自身も危険だ。

 若干キツめに注意されてしまい、セルカは背後に振り返って反射的に謝る。

「あ、すみません。数枚撮ったらすぐに退きますから……。」

「いや、今すぐ退けよ……って、お前は……!?」

 口調に異変を感じ、セルカは頭を上げて相手の顔を見る。

 見覚えのある特徴的な切れ目は大きく見開かれ、その中にある二つ鳶色の瞳は私をしっかりと捉えていた。

 この目には見覚えがある。

 それに、深い緑色のショートカットの髪や、スレンダーな体にも見覚えがあった。

 セルカはその女性の名を口にする。

「こんにちは、レオラ……キーンクリフさん、でしたっけ。」

 私に注意してきたのは、現在ガムラの複合研究施設内でシンギさんと同居している女性、レオラさんだった。

 レオラさんの隣には一目見て可愛らしいと分かる少女、リリメリアもいた。

 リリメリアはレオラさんと手を繋ぎ、こちらをぼんやりと見上げている。淡いイエローの髪はふかふかしていて触り心地が良さそうだ。

 あのナナミさんがこの少女を気に入った理由もなんとなく理解できる。

 この間手術をしたと聞いたが、無事に何事も無く退院できたみたいだ。

 リリメリアに退院をお祝いする旨を伝えようとすると、それよりも先にレオラさんから言葉が返ってきた。

「名前、よく覚えてたな。……それはそうと、キルヒアイゼンのお嬢様も、こんな場所に観戦しに来るんだな。」

 “お嬢様”と呼ばれ、小馬鹿にされた気がしたセルカはすかさず反論する。

「私はこう見えてVFBチームのスタッフだったんです。当然のように観戦します。それに、今日はシンギさんが試合に出ると聞いたので。」

「やっぱりそうだよな。……でも、シンギの試合は全然面白くないぞ。何せ、すぐに終わってしまうからな。」

「そんなの分かってます。シンギさんが圧勝するのは当然のことです。」

「そうだな。ここの連中相手なら10機相手でも勝てるだろうな。」

 レオラさんと共にシンギさんの強さを再確認していると、リリメリアがレオラさんの服の裾を引っ張り、背後を指さした。

「レオラ、後ろつかえてる。」

 その言葉に反応し、セルカとレオラはほぼ同時に正面ゲート側に視線を向ける。

 その視線の先には、迷惑そうな表情を浮かべている観客達の姿があった。

 別に道を塞いでいるわけではないが、止まっているだけで道の幅を狭めているのは間違いない。

 レオラさんはリリメリアの知らせに対し、「ごめんごめん」と返し、すぐに周囲の流れに沿って歩き始める。

 私も、そんな彼女たちに押される形で前へ進んでいく。

「そろそろ試合も始まるし、こんな場所でお喋りしてる場合じゃなかった。と言うか、注意した本人が注意されるなんて、結構情けないな。」

 歩いている間、レオラさんは反省の言葉を呟いていた。案外レオラさんは素直な人のようだ。

 そんな感想を抱いているうちに、セルカたちは分岐点に差し掛かり、レオラはそのまま1階席がある方向へ進もうとする。

「Nの9は……こっちであってるな。じゃあなお嬢様、迷子になるなよー。」

 最後にそう告げ、レオラさんは私に背を向ける。

「……。」

 レオラ、リリメリア姉妹に親近感を感じていたセルカは、思わずその背中に声を掛けてしまった。

「あの、私、5階の個室席を取っているんですが、良ければ一緒に観戦しませんか。」

 5階の個室席……通常のチケットの20倍以上の値段はするその席は、別名“スペシャルルーム”と呼ばれているらしい。

 位置も高いし、障害物もないので、観戦するにはもってこいの席でもある。

 どうして彼女たちを誘ってしまったのか、自らの口から出た言葉に驚きつつも、セルカはレオラの答えを待つ。

 すぐに返ってきたレオラの答えは淡白なものだった。

「個室……って、流石はお嬢様だな。でも遠慮しとく。じゃあな。」

 レオラに続き、リリメリアも別れの挨拶をする。

「じゃあねレオラ、また後で。」

 しかし、それは私に向けられたものではなく、レオラさんに向けられたものだった。

 レオラさんはほぼ反射的にリリメリアの挨拶に応じる。

「ああ、リリも気をつけて……って、違うだろ。何でそっちにいるんだよ。」

 いつの間にかリリメリアは私の隣に移動しており、腕をしっかりと掴んでいる。どうやら、リリメリアは私の誘いに乗るつもりらしい。

 お手本のようなノリツッコミを披露したレオラさんは、道を引き返してこちらに詰め寄ってくる。

 この辺りは人の流れも少ないし、迷惑にはならないだろう。

 レオラさんの問い詰めに対し、リリメリアは私の隣にいる理由を淡々と話す。

「クラスの友達から聞いたんだけど、個室は食べ物と飲み物がタダで出てくるって……。だから、この人について行く。」

 何とも単純な理由だ。

 レオラさんはそんなリリメリアの話を否定する。

「そんなわけないだろ。こんな出来合いの小さなスタジアムでそんなサービスが……」

「いえ、本当ですよ。チケットを取るときに確認しましたから間違いないです。大抵のスタジアムにはそういうサービスがあるんですけど、私は試合に集中してることが多いので、あんまり利用したことはありませんね。」

「へぇ、そうなのか……。」

 私の説明を聞き、レオラさんは目を泳がせる。

 レオラさんは結構迷っているようで、ヒールで地面をコツコツ叩いたり、腕を組んだり解いたりと、落ち着かない様子だった。

 しかし、そんな挙動不審な動きはすぐに収まった。

「……リリが行きたいって言うんなら、仕方ないな。」

 小さな声でそう告げると、レオラさんも私の隣にぴたりとついた。

 実際、私は飲食サービスにあまり魅力を感じていない。5階という高い位置からの観戦こそがこの個室を取った理由だ。

 でも、この様子だとこの姉妹は飲食サービスを重要視しているみたいだ。

 人それぞれなのだし、別に否定するつもりはなかった。

「一人で観戦するのは寂しかったので、有難いです。……それでは、上に行きましょうか。」

 セルカは姉妹二人にそう言い、エレベーターがある場所に向かって歩き始める。

 人を引き連れて移動するのは久し振りかもしれない。

 移動している間、両隣を姉妹二人に挟まれ、セルカは微妙に緊張していた。



「――こちらで御座いまーす。本日はスペシャルルームをご利用いただき、えー、ありがとうございます。心ゆくまで、試合をお楽しみ下さーい。」

 ……スタジアムビルの5階、セルカ一行が案内されたのは殺風景な個室だった。

 部屋はバトルエリア側に面しており、壁一面が分厚いガラスで覆われている。また、特殊なフィルムが貼られているらしく、夜にもかかわらず暗い部分もよく観察できた。

 小規模なスタジアムなのに、ここまで設備が整っているとは思っていなかった。これは嬉しい誤算だ。

 ただ、観戦以外に関しては、あまりほめられたものではなかった。

 案内してくれたスタッフは微妙に態度が悪いし、もっと言うとガラが悪い。

 私達を先導してくれていた時もガニ股で歩いていた。まるでどこかのチンピラみたいだった。

 また、殺風景な部屋には本当に何もなかった。

 仮にもVFBスタジアムなのだし、VF関連の小物の一つや二つくらい置いていてもバチは当たらないと思う。

 文句を挙げるとキリがないが、普通の観客席の何倍も快適に試合を見られることだけは確かだった。、

 個室内に入ると、レオラが開口一番に驚きの声を上げた。

「うわ、広い……。それに景色もすごい……。」

 そんなにこの景色が珍しいのか、レオラはすぐに部屋の端まで移動し、ガラス越しに外の様子を観察していた。

 イメージとは違うレオラの反応を見て、私は思わず正直な感想を言ってしまう。

「そうですか? そんなにすごくないと思いますけど……」

 試合が観やすいのは間違いないが、景色自体にあまり広がりは感じられない。

 私が広大な海上都市に住んでいるため、このくらいの景色では動じないのかも知れない。だけど、それにしたって、こんな安っぽい景色で感動するのは貧乏臭い。

 カーディフの複合研究施設の方がもっと迫力のある景色を見ることができるはずだ。

 レオラさんはバトルエリアを眺めつつ、先ほどの私の言葉に応じる。

「確かに暗くて地味だけど、この高い位置から観戦するのは初めてなんだよ。少し上るだけでこんなに印象が違って見えるとは思わなかったな……。」

 どうやらレオラさんは何度もこのスタジアムに足を運んでいたようだ。

 そんな彼女がここまで喜んでいるということは、つまり、下の観客席から見える景色はかなり酷いのだろう。

 レオラさんは暫く外を眺めた後、窓際に設置されている大きなシートに腰掛ける。

 座り心地はなかなかいいようで、レオラさんは至福のため息を付いていた。

 その隣のシートには既にリリメリアが座っており、どこからか取ってきたらしいスナック菓子を頬張っていた。

 そんな二人を見て、セルカもシートに腰を下ろす。

(うわ、かなり沈みますね……。)

 シートはセルカが胡座をかけるほど座面が広く、仰向けになって寝られるくらいの長さもあった。

 豪華すぎて逆に落ち着かない感じだ。

「……。」

 セルカはシートの柔らかさを堪能した後、浅く座り直して姉妹の様子を窺う。

 私とは違って姉妹はご満悦らしく、リリメリアは靴を脱いで素足を前に投げ出しており、レオラさんは足を組んで後頭部をシートのヘッドレストに完全に預けていた。

 ……5階にはこの部屋の他にもシングルルームが6部屋、ペアルームが4部屋、私達がいるような中規模な部屋が2部屋ある。

 すべての部屋の中でも、これほど力を抜いてくつろいでいる観客はいないだろう。そう思えるほど、姉妹はリラックスしているように見えた。

 そんな姉妹とは違い、なかなか落ち着けなかったセルカは、何気なく姉妹に話しかける。

「それにしても、喜んでもらえたみたいで良かったです。……本当はキルヒアイゼンのスタッフやイグナシオさんと一緒に観戦する予定だったんですが、皆さん仕事で忙しいらしくて……。危うくこの部屋で独りで観戦するところでした。」

「確かに、この広い部屋に一人じゃ寂しい……と言うか、恥ずかしいかもしれないな。」

 ソウマさんやナナミさん、そしてイグナシオさんも当然観戦に来ると思ってこの個室のチケットを購入したのに、その当てが全て外れたというわけだ。……なので、姉妹と遭遇したこの偶然には意外と感謝している。

 セルカはそんな事を考えつつ、レオラの意見を肯定する。

「そうですね。絶対恥ずかしくなると思います。それに、一人だと危ないので、レオラさんがいてくれると……なんか、こう、心強いと言いますか……」

「そんなに強そうに見えるのか? 私って。」

 レオラさんは組んでいた足を解き、前屈みになって私を見る。

 私は膝に両手を行儀よく載せ、逆に質問してみる。

「強くないんですか……?」

「いや、それなりに強いつもりだけど……」

 私の質問に、レオラさんは難しげな表情を浮かべていた。

 その表情は暫く続いたが、この質問には答えたくなかったようで、唐突にレオラさんは話題を元に戻してきた。

「……でも、セルカが誘ったって人達、今日は観戦に来なくて良かったかもしれないな。」

「どういう意味ですか……?」

 最初は何かの皮肉かとも考えたが、全く思い浮かばない。

 もしかすると、シンギさんが強すぎて試合にならないから見ても詰まらない、と言いたいのだろうか。

 もしそうだとしても、レオラさんの表情はそんな冗談を言えるような物ではなく、随分と沈んだ雰囲気を放っていた。

「今日の試合、シンギは……いや、なんでもない。」

 レオラさんは何かを言いかけ、途中で言葉を止める。そして、前屈みになっていた上半身を起こし、再びシートの背もたれに背中をくっつけた。

 このまま会話を終わらせることができなかったセルカは、しつこく問いかける。

「もしかして、相手が凄く強いんですか……?」

「まぁ、そんなところだな。」

 そんなレオラさんの投げやりな答えに、私はすかさず言い返す。

「……嘘ですね。」

 レオラさんの体がピクリと動く。

 わかりやすい誤魔化しをしたわりに、嘘と見ぬかれた時の反応が過剰なように思える。

 ……私が知らないところで何かがこのスタジアムで起こっている。

 それをセルカが悟った瞬間、ほぼ同じタイミングでレオラが事の次第を暴露した。

「シンギはこの試合、わざと負けるんだ……。」

「え……。」

 いきなり何を言い出すのだろうか。

 冗談にしても笑えない冗談だ。大体、わざと負ける意味が理解できない。

 あのシンギさんがくだらない理由でそんな事をするわけがない。

 レオラの発言を信じられず、セルカは頭のなかであらゆる可能性を考えていた。

 その間も、レオラの言葉は止まらない。

「ここ、実はクロギスが牛耳ってて、試合結果を使って違法賭博をしてるんだ。シンギはその八百長に協力してるってわけだ。」

「そんな、シンギさんが……」

 負けず嫌いのシンギさんがこんなマイナーリーグの八百長のために無様に負けるだなんて、考えられない。

 レオラの話を否定するべく、セルカはシートから立ち上がって反論しようとした。

 その時、セルカの視界にリリメリアの姿が映り込んだ。

 リリメリアは菓子袋を手に持ったまま、眉尻を下げて物憂げな表情を見せていた。先ほどの天真爛漫な笑顔からは考えられない、曇りに曇った表情だ。

 それは、レオラの話が真実であると判断するのに十分過ぎる光景だった。

 こちらが言葉に詰まっていると、レオラさんは半分自棄になりながら挑発じみたセリフを放つ。

「お前がどう思ってるか分からないけど、人には色々事情って物があるんだ。……お嬢様はこういう汚いことはお嫌いなんだな。」

「そんな事ないです。あと、お嬢様って呼ばないで下さい。創始者の系譜とは言え、今は殆ど経営に関与していませんから……。」

「それでも、私達貧乏人から見れば立派なお嬢様なんだよ。……って、今はそんな話をしても意味ないな。」

 レオラさんは言葉を途中で止め、私に向けていた視線を外へ……バトルエリアに向ける。

 そして、とんでもないことを言い始めた。

「……そうだ、どうせなら相手が勝つ方に手持ちの金を賭けてみたらどうだ? それでここの部屋代くらいはまかなえるだろ。」

「もしかしてレオラさん、相手に賭けてるんですか!?」

 この私の問いに答えたのは、レオラさんではなくリリメリアだった。

「レオラは、掛けてないよ。」

 その声は小さかったが、それでもはっきりと聞こえるくらい、迷いのない言葉だった。

 リリメリアの言葉の後で、レオラさんも私の考えを否定する。

「リリの言う通り、そこまで落ちぶれてないよ。それに、こうなったのも私達姉妹に原因がある。それなのに、シンギ以外の選手に賭けるだなんて……できるわけないだろ。」

 そのセリフの後半、レオラさんはとても辛そうに語っていた。

 自分達に責任があるということは、シンギさんはこの姉妹のために止む無く八百長に協力する羽目になったのかもしれない。いや、絶対そうだ。

 それでも、私はシンギさんがわざと負けるとは思えなかった。

「貴重な情報有り難うございます。……でも、シンギさんは試合に勝つと思います。」

 私の発言に、レオラさんもリリメリアも困惑の表情を浮かべる。

 それでも尚、私は自分の考えを述べ続ける。

「何があっても、シンギさんは絶対に負けませんから。」

 それはただの私の願望に過ぎなかった。

 しかし、誰に何と言われようと、シンギさんが負けるシーンを想像することなどできなかった。



(――またこのオンボロVFで戦わないといけねーのか……)

 スマイリービーストのツギハギのVFのコックピット内、シンギはHMDに表示されている自機のステータスを見て呆れていた。

 HMDには、何十箇所にも渡って発生しているエラーの内容が記されている。

 これらのエラーは、ツギハギのVFを操作するときには毎回見ているお馴染みのエラーで、特に動きに問題は発生していない。しかし、赤いエラーメッセージを見ていい気分はしない。

 SBのエンジニア連中にこの事を伝えたかったが、生憎このバトルエリア内では外部との通信は禁止されている。

 許されているのはタッグを組んでいる同チームのVFくらいなものだ。

 だからといって、わざわざ隣にいる同チームの選手に話しかけるつもりはなかった。

(まぁ、どうせ負けるんだし、エラー程度で騒ぐこともないな……。)

 今日の試合、俺は負けるために出場している。

 この試合で負けなければレオラやリリに危険が及ぶかもしれないからだ。

 アルドの指示に従い、試合に出てわざと負けるだけでこの危険が取り除かれるのだ。どう考えても負けたほうがメリットが大きい。

 それに、俺に勝てたら対戦相手もさぞ喜ぶことだろう。

 その対戦相手はというと、俺の正面に立ち、立派なサーベルを構えていた。

(シルバーのセブンクレスタ……やっぱ、何度見ても趣味悪いな。)

 ライトアップされたバトルエリアで、そのセブンクレスタはシルバーに光輝いており、夜の闇の中でかなりの存在感を示していた。

 目がチカチカして不快な反面、試合では敵を補足しやすいのでこちらにとっては有利に働くだろう。

 VF全体を観察した後、シンギは相手が持っている武器、サーベルにも注目する。細長く真っ直ぐな刃を持つその剣は、刺突に適した武器である。

 扱いはそんなに難しくないし、素早く攻撃できるので結構有能な武器でもある。

 それに対して、こちら側の武器は相変わらず粗悪な棍棒だ。

 ただの重くて長い棒を武器と呼んでいいものか、甚だ疑問だが、刃の欠けた小さなナイフより役に立つのは間違いなかった。

 棍棒の先端はバトルエリア内の芝生を圧迫しており、少しだけめり込んでいた。

 そんな芝生を見た後、シンギはアイカメラを動かし、何気なく観客席に目を向ける。

 ツギハギのVFは首を動かしただけでさらに数件のエラーを吐き出した。

 シンギはHMDに表示されているシステムメッセージを非表示に設定し、改めて観客席に集まっている人々を観察する。

 少ない客席はほとんど埋まっており、多くの人の視線がこちらに向けられていた。

 この中にレオラとリリもいるはずだ。

 どの席に座っているかまでは把握できていないが、俺にチケットを見せて「試合観に行くから」と宣言していたので、この場に来ているのは間違いない。

 ただ、試合開始までには見つけられそうになかった。

 人々が蠢く観客席を観察していると、不意に通信機から男の声が聞こえてきた。

「シンギぃ……。」

 その男は俺の名を呟き、それっきり黙ってしまう。

 その事を不審に思い、シンギは隣に構えているSBの僚機を見る。

 僚機のアイカメラは相変わらず敵に向けられており、通信をしてきた様子はなかった。

 もしかして幻聴だったのだろうか。

 そんなオカルトチックな事を考えていると、再び男の声がHMDの内蔵スピーカーから聞こえてくる。

「聞こえてるんだろシンギ、俺をCEに推薦するって話はどうなったんだ。」

 推薦というキーワードで、シンギはその声の主を思い出すことができた。

「あー、ゲルハルトか……。ごめん、完璧に忘れてた。」

 確かそんな約束をしていた気がするが、今の今まで完璧に忘れていた。

 そもそも、ゲルハルトの存在自体を忘れていた。

 ――と言うか、たった今気が付いたが、目の前にいる対戦相手はゲルハルトのチームだ。

 目立つシルバーのVFを前にしてもゲルハルトの事を思い出せないとは、俺もいよいよ物忘れが激しくなってきたらしい。

 最後に会ったのはガムラの複合研究施設で選考会をした時だ。

 あのまま素直にガムラ社でテストパイロットになれば良かったものを、どうしてCEに拘るのか、理解できない。

 しかも、現在のCEは存続すら危うい、やばい状態にある。

 そんな現状を鑑みてもCEの契約ランナーになりたいというのなら、俺としても大歓迎だ。

 次こそは本当にサリナに紹介してやろう。

 そんな事を考えていると、再びゲルハルトの声が狭いコックピット内に響く。

「やはり忘れてたんだな。そんなことだろうと思ってたんだ。……CEの社員だとか言っていたフードの女からも全く連絡がないし……お前ら、わざと俺を無視してるんじゃないよな?」

 後半の言葉に引っかかりを覚えつつも、シンギは再度ゲルハルトの要求を聞き入れる。

「単に忘れてただけだって。この試合が終わったらすぐにでも連絡してやるから、安心して闘えよ。頑張れば俺にも勝てるだろ。」

 ついでに敵に塩を送ると、ゲルハルトは苛立った口調で言葉を返してきた。

「何言ってるんだお前は……。勝てるわけが無いだろう。お前みたいな凄腕ランナーに励まされると逆に嫌味に聞こえるぞ。」

 そう言われても、今日は俺はこの試合にわざと負けなければならない。

 つまり、ゲルハルトの勝利は確定しているのだ。

 その事を明らかにすることなく、シンギはゲルハルトを激励し続ける。

「いや、もしかしたら勝てるかも知れねーぞ。こっちはオンボロVFで、そっちは綺麗に整備されたセブンクレスタなんだぞ? いくらランナーの実力に大きな差があっても……あ。」

 激励するつもりが、ついつい本音が出てしまった。

 格下だと思われていたことに腹がたったのか、当然のようにゲルハルトは怒りを露わにする。

「おい、馬鹿にするのもいい加減にしろよ。俺もランナーのはしくれだ。雑魚だの弱いだの言われて我慢出来るほど安いプライドは持ち合わせてない。」

 ゲルハルトは本気でキレているようで、その言葉に合わせて、セブンクレスタが持つサーベルの切っ先が小刻みに動いていた。

 その切っ先からは、今にも刺してきそうな気迫が感じられた。

 また、セブンクレスタ本体からも微かな殺気が漂ってきていた。

「……もういい、連中の指示なんて関係ない。本気でやってやるぞ、シンギ。」

 HMDから聞こえるのはゲルハルトの冷め切った声だ。

 誰からどんな指示をされたのか予想もできない。そんな事はともかく、シンギはこの思いがけない展開を少しだけ喜ばしく感じていた。

 正直、あの程度の失言で、ゲルハルトがこんなにも感情的になるとは思っていなかった。

 ゲルハルト自身が言ったように、いくら腐ってもランナーはランナーだということだろう。ましてや、元はHALハルHELヘルのランナーだったのだし、譲れないものもあるはずだ。

 このキレっぷりから察するに、今までゲルハルトはこのマイナーリーグで本気を出したことが無いように思える。

 ここで試合をしているような弱い連中には本気を出さずとも勝てるし、俺みたいな強いランナーには負けた時のリスクを考えて本気を出さなかったと考えていい。

 今日も、俺に無理に勝とうとせず、VFのダメージを抑えて負ける作戦だったのかもしれない。

 仮にそうだとすれば、ゲルハルトのやる気を引き出せて良かった。

 これで、安心して試合に負けることができるというものだ。

「――皆様お待たせいたしました。間もなく試合開始ですが、その前に各チームの選手を紹介させていただきます。」

 ゲルハルトとの会話の途中、いきなりスタジアムに設置されたスピーカーからアナウンスの声が発せられる。

 そのアナウンスをきっかけにゲルハルトとの通信は途絶え、代わりに会場に流れているのと同じ内容のアナウンスがHMDから直接聞こえてくる。

「――選手の身の安全を考え、名前などの詳しい情報は紹介できませんが、これまでの勝率や戦闘の性格・特徴などをご紹介します。……まずは、『ヘルギノウス』のお二人から紹介して行きましょう……」

 カッコいいチーム名だなと思いつつ、シンギはこの時間を利用して自分のVFのシステムを再度チェックする。

 このツギハギのVFは相変わらず無数のエラーを吐き出しており、しばらくしないうちに“要点検”の文字まで現れ始めた。

 この分だと、本気で試合をしたとしても普通に負けるかもしれない。

 しかし、VFの不具合が原因で負けると後でアルドから色々文句を言われそうだし、なるべく健闘はしておこう。

 ――こちらがエラーをチェックしている間に選手紹介は終了したようで、ふと気が付くとカウントダウンが始まっていた。

(とうとう、あいつら見つけられなかったな……)

 エラーメッセージを非表示にし、シンギは刹那の間だけ観客席に目を向ける。そしてその後、カウントダウンが終わると同時に敵に目を向けた。

「……それでは試合開始です。」

 そのアナウンスの後、試合開始を告げるブザーが鳴り響き、VFの出力制限も解除される。

 枷から解き放たれたVFは体内のバッテリーから大量に供給される電力をふんだんに使い、それぞれがそれぞれの目標目掛けて駆け出す。

 まず敵に突っ込んでいったのはこちらの僚機だった。

 俺と同じツギハギのVFは棍棒を大きく振りかぶり、攻撃してくださいと言わんばかりの無防備さで突き進んでいく。

 僚機に乗っている選手もアルドから負けろと指示されているのだろう。

 傍から見ればヤケクソで投げやりな突進に見えなくもない。

 そんな突進に対応するように出てきたのはゲルハルトの僚機だ。シルバーのセブンクレスタはサーベルを水平に構え、こちらの僚機に駆け寄っていく。

 やがて2機の僚機は互いの攻撃圏内に入る。すると、示し合わせたかのようなタイミングで互いに攻撃を繰り出した。

 ツギハギのVFは相手の頭部めがけて棍棒を振り下ろし、シルバーのセブンクレスタも相手の頭部めがけてサーベルをやや下方から突き出す。

 両者の攻撃は同時に相手に命中し、棍棒はシルバーのセブンクレスタの頭部を陥没させ、サーベルはツギハギのVFの顔面を見事に貫いていた。

(初っ端から派手にやるもんだな……)

 相打ちを予感した場合、普通は互いに攻撃を控えることが多いので、こういう展開はなかなか珍しいように思える。

 しかし、まだ頭部がへこんだり、貫かれたりしても試合は続行可能だ。メインのアイカメラは駄目になったかもしれないが、サブカメラがあるので視界は確保できるだろう。

 ところが、シンギのそんな予想は外れることになる。

 なんと、お互いの攻撃を受けた2機はすぐにその場で機能を停止し、戦闘を放棄したのだ。

「――おっと、試合開始早々リタイアです。どうやら相打ちのようです。……カメラを潰されては流石に戦えないと判断したのでしょうか。」

 スタジアムに実況者の声が響く。

 それに続いて観客席から大きな歓声が沸き上がった。

 そんな歓声を耳にしつつ、シンギはこの同時リタイアについて考える。

 ……こちらの僚機は負ける気まんまんだったのでまだ理解できる。

 しかし、相手はまだまだ戦えるはずなのに、リタイアするなんて理解できない。

 まるで、わざと負けたかのような……

(まさか、向こう側も負けるように指示されてるんじゃ……?)

 そう考えると合点がいく。

 先ほど、試合が始まる直前のゲルハルトのセリフも気になっていた。

(“連中の指示なんて関係ない”とか、言ってたし、これは間違いねーな。)

 この“連中”は、クロギスではないことは確かだ。両チームに負けの指示を出すとは考えられないからだ。

 そうなると、クロギスに対抗する組織からの指示と考えていいだろう。

 ゲルハルトはその指示を無視して俺と本気で闘うと宣言したわけだ。

 それがどこの組織なのか、少しだけ気になるし、試合が終わった後でゲルハルト本人から話を聞いておこう。

 リタイアした2機をぼんやり眺めながらそんな事を考えていると、すぐにゲルハルトが俺に攻撃を仕掛けるべく接近してきた。

 ゲルハルトは先程の宣言通り、負ける気は毛頭ないようで、サーベルの切っ先をこちらのコックピットに向けている。いや、コックピットの影にある背中のバッテリーパックを狙っているのだろう。

 このまま無抵抗に負けると不自然すぎるし、少しだけ相手をしたほうがいい。

 そう判断したシンギは棍棒を両手で構え、ゲルハルトの攻撃に対応することにした。

 ゲルハルトは怒涛の勢いでサーベルを突き出してきたが、勢いが良くても技術が全く伴っておらず、狙いもかなり甘かった。

 シンギは胸元に棍棒を引き寄せ、側面の狭い部分でサーベルの攻撃を受け止める。

 鋼鉄に大穴を開けるほどの威力を持った刺突攻撃は呆気無く防がれ、行き場をなくしたエネルギーはサーベルの刃に跳ね返り、刃は不自然なほどにぐわんと歪む。

 装飾が綺麗だとはいえ、このタイプのサーベルの質はお世辞にも高いとは言えない。

 歪みはさらに大きくなり、とうとうサーベルの刃は中程で折れ曲がり、バキンという凄まじい音を立てて壊れてしまった。

 当然、こちら側の棍棒にも同じくらいの衝撃が伝わっていたが、少しだけ湾曲しただけで済んだ。刃物のように精密さが求められる武器ではないし、少しくらい折れ曲がったところで使用するのに何の問題もない。

 しかし、こちらが武器を持ったままだと負けるのに不都合だ。

 そう思ったシンギは咄嗟に棍棒を投げ捨て、アームに不具合が出た演技をする。

 あまりにもバレバレな演技ではあったが、攻撃することに必死なゲルハルトには気付かれていない様子だ。

 ゲルハルトは折れたサーベルを捨て、迷うことなく拳で殴りかかって来た。……が、そのパンチも驚くくらいお粗末な物だった。

 セブンクレスタ自体近距離での格闘には向いていない機体だ。それに加えてランナーが格闘が苦手となれば、こういう結果になるのも当然だ。

 とは言え、ここで回避したりカウンターをするのは駄目だ。負けるためには攻撃を受けなければならない。

 シンギはハエが止まるようなパンチを回避することなく両アームをクロスさせて受け止める。

 ヘロヘロなパンチではあるが、戦闘兵器の渾身の攻撃には違いない。当たればそれなりのダメージが生じる。

 ツギハギのVFを破壊するのにはそのダメージでも十分だったようで、ガードした部分の装甲が綺麗に剥がれ落ちてしまった。

(うわ、マジでボロいな……)

 今まで何度もこのツギハギのVFで試合に出てきたが、一度足りとも真正面から相手の攻撃を受けたことはなかった。

 この程度の攻撃で剥がれる装甲なんて、装甲とは呼べない気がする。よくこんなVFで試合に出られ続けたものだ。

 こちらにダメージを与えたことで調子付いたのか、ゲルハルトは攻撃の勢いをどんどん増していく。

 シルバーのセブンクレスタが放つ拳や蹴りは全て命中し、容赦なくこちらの装甲を剥がしていく。あと十発も殴れば完全にこちらは機能停止するだろう。

 ――このまま負ければいい。

 それでレオラやリリメリアは安心して暮らせるようになる。俺みたいに、組織にボロ雑巾のように扱われる事は今後一切起きない。

 闘うことを放棄し、俺は観客席を眺める。

 HMD越しに見えるのはいつも通りの風景だ。だが、みんな不安げな表情を浮かべていた。

 どうして俺が反撃しないのか、不可解に思っているのだろう。

 中には、何かの紙切れを握りしめて歯ぎしりしている観客も見られる。この試合を俺に賭け、俺の勝利を望んでいる人間に違いない。

 ゲルハルトからの攻撃を受け止めつつそんな観客の様子を見ていると、ふと視界にキラキラした物を見つけた。

 それはスタジアムビルの高い位置から発せられており、無数の小さな光の欠片はゆっくりと地面へと落ちていく。

 それがガラスの破片だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。

 その破片の出処、ビルの窓の一部にぽっかり開いた穴からは、試合前から探し求めていた人物の姿が見えていた。

(レオラ、リリ、それにセルカまで……)

 どうしてあんな場所から観戦しているのかはひとまず置いておいて、3人は大きく割れた窓から体を乗り出して、何やら叫んでいた。

 セルカは帽子を抑えながら前に向かって拳を何度も付き出しており、レオラも敵を殴るようなジェスチャーを繰り返し行なっている。

 さらに珍しいことに、リリメリアも座席の上に立ち、手をメガホン代わりにして叫んでいた。

 術後間もないリリメリアは、声を出すだけでも呼吸が苦しくなる。つまり、今のように思い切り叫ぶというのは苦痛以外の何物でもないのだ。

 しかし、リリメリアはその苦痛を覚悟して俺に何か言葉を伝えようとしている。

 それがどんな言葉なのかは分からない。

 ……だが、その思いは十分こちらに届いていた。

(――俺は一体何をしているんだ?)

 セルカたちが必死に応援している姿を目の当たりにして、シンギはあらゆる事を根本的に省みる。

 すると、現在置かれている状況がとても不合理なように思えた。

 ……どうしてあんなチンピラ連中の言うことを聞かなければならないのだろうか。

 あんな要求なんて全て無視すればいいのだ。

 例えそれでクロギスがレオラ達に危害を加えてきても問題はない。俺がそいつらを追い払えば済む話だ。

 俺にはそれだけの力があるし、協力してくれる仲間もいる。

 この程度の我儘であれば快く聞いてくれる、頼れる仲間がいる。

 そう思うと、クロギスへの恐怖心が一気に砕けて消滅した。

 ……アルドの命令なんて聞いている場合じゃない。

 こんな下らない試合で俺は負けられない。負けてはいけない。

 俺を応援してくれるリリの期待に答えるために。そして何よりも……


 ――自分のプライドのために。

 

 あの時、俺は自分で決心したはずだ。常に強さを求め、勝ち続けると。最強を目指すと。

 だからこそ、俺はもう何があろうと屈してはならない。

 どんな事情があろうと自分を偽ってはならない。

 誰であろうと絶対に負けてはならない。

 何と言われようと自分の意志を貫き通さねばならない。

 それこそが、俺、シンギ・テイルマイトという男だ。シンギ・テイルマイトという男はそう在らねばならない。

 そう自覚した時、妙に気分が落ち着き、気持ちがとても軽くなった。まるで、ズレていた歯車が綺麗に噛み合い、滑らかに動き始めたような感覚だ。

 同時にシンギは、絶対的な自信に裏付けされた高揚感を強く感じていた。

「こんなくだらねー試合、さっさと終わらせてやるよ。」

 自分に語りかけるように呟き、シンギは8を数えようとしていた敵のパンチを回避する。

 シルバーのセブンクレスタの拳はこちらの頭部の真横をすり抜け、セブンクレスタはそのまま勢い余って体をぶつけてきた。

 ボディが密着し、その衝撃のせいでツギハギのVFの胸部装甲は剥がれ、芝生に落下する。

 だが、もはや装甲など関係ない。

 次の攻撃でこの試合は終わるからだ。

 すぐ近くに見えるシルバーのセブンクレスタの顔面を見据え、シンギは告げる。

「悪いな、ゲルハルト。勝たせてもらうぞ。」

 その後、シンギは体全体を使ってセブンクレスタを少しだけ押し返し、わずかにできた隙間にアームをねじ込んだ。

 その状態でシンギは器用にアームを操作し、装甲の隙間に拳や指を這わせ、食い込ませる。

 これで下準備は完了だ。

 ここでシンギはアームを意図的に切り離し、セブンクレスタから距離をとった。

 ゲルハルトは胸部にへばり付いたこちらのアームよりも、俺が回避行動を取ったことに驚いているようで、構えたまま動かない。

 そんなへっぴり腰のセブンクレスタ目掛けてシンギは出力を最大限にして突進する。

 こちらから攻撃するのはこの試合でも初めてだ。

 また、俺はこの攻撃を最初で最後の攻撃にするつもりだった。

 高速で接近していくと、ゲルハルトは俺の攻撃を警戒してか、頭部をガードする仕草を見せた。

 セブンクレスタはノーマルVFながら、そこそこの装甲強度を実現している。

 頭部さえ守れば、ツギハギでボロボロのVFの突進くらい耐えられると判断したのだろう。

 だが、俺の狙いは頭部でもなければバッテリーパックでもない。

 ……俺が狙っているのは、先ほど意図的に切り離した自分のアームだった。

「これで終わりだ。」

 その言葉の後、2機のVFは正面から衝突した。

 衝突の瞬間、シンギはツギハギのVFを操作して急制動をかけながら横蹴りを放つ。

 勿論、蹴りの狙いは先程自分自身で切り離したアームだ。

 殺人的な勢いで繰り出された蹴りは見事に目標に命中し、切り離されたアームを粉々に砕く。

 しかし、砕かれたのはそれだけではなかった。

 そのアームを中心にしてシルバーの装甲に亀裂が生じ、その部分が剥がれ落ちてコックピットのハッチが顕になったのだ。

 例えるなら、岩の裂け目に打ち付けられた楔のようなものだ。

 アームの拳や指先が楔の役目を果たし、蹴りのエネルギーを小さな点に一点集中させたと言うわけだ。

 コックピットを露出させられ、シルバーのセブンクレスタは固まっていた。多分何が起きたか理解できず、思考がフリーズしているのだろう。

 俺はその間、近くの芝生に転がっていた棍棒をゆっくりと持ち上げ、肩に担ぐ。腕が片方しかないので不安だが、一度くらい振り下ろすのには問題ない。

 シンギはそのままのんびりと敵の背後に移動し、背中側に取り付けられているバッテリーパック目掛けて遠慮なく棍棒を振り下ろした。

 背中への衝撃のせいで敵VFは仰け反り、そのままうつ伏せになって倒れる。

 セブンクレスタのバッテリーパックはいとも簡単に潰れ、すぐに電解液が周囲に漏れだし、芝生を濡らしていた。

 その様子を確認し、棍棒を手放した瞬間、観客席から歓声が沸き上がった。

 観客はその殆どが席から立ち上がり、口を開けて大声を出している。中には飛び跳ねたり服を脱いでいる輩もいる。興奮も度を越すととんでもないことになるみたいだ。

 スタジアムビルの上の階から観戦していたセルカ達も喜んでいるようで、お互いに抱き合ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。

 レオラやリリもクロギスからの脅威よりも俺が勝ったことが嬉しいみたいだ。

 ……なるほど、ソウマの言う感覚も理解できる気がする。

 これだけ拍手喝采を浴びるというのもなかなか気持ちがいい。今の今までVFBなんていうスポーツを内心では馬鹿にしていたが、いつかは正式に参加してみたいものだ。

「……勝ったぞアルド。ざまぁみやがれ。」

 シンギは残された片方のアームを掲げ、アルドがいるであろうスタジアムビルの個室席に向けて中指を立てる。

 鳴り止まない歓声の中、ただただシンギは勝利の余韻に浸っていた。



「――な、な……何だあれは……。私の、私の金が……」

 試合終了後、5階の個室席にて、アルド・リンデンは呆然としていた。

 バトルエリア内に残っているのはシンギの操作するツギハギのVFだけであり、それは、SBが試合に勝利したことを示していた。

「約束と違うぞ……」

 念には念を入れ、私は病院にまで出向いてシンギを脅したはずだ。

 あの姉妹の安全を脅かせば、シンギはこちらの命令に従うはずだった。

 それなのに、シンギは試合に勝った。

 最後に少しだけ反撃しただけで、いとも簡単にシンギは勝利を収めた。

 そしてあろうことか、シンギはこちらに向けて挑発のサインを送っている。他人に中指を立てられてここまで怒りを感じたことはなかっただろう。

 しかし、今自分か置かれている状況を改めて考えると、その怒りはすぐに絶望の感情に塗りつぶされてしまった。

 今日の賭博を利用したマネーロンダリングは完全に失敗した。

 まだ七宮重工から預かった金だけなら、何か理由をつけてそのまま奪うこともできただろう。だが、今日預かっている金はそれだけではない。他の犯罪組織やクロギスの上層部から任された金も入っている。……むしろ、任された金が大半だ。

 今日はシンギが負け、莫大な賭け金が懐に入ってくるはずだった。しかし、それが全てパーになってしまったのだ。

 ……いつも通り賭式ごとに均等に金を賭けていればこんなことは起こらなかった。言わば、これは私の欲が招いた失態だとも言える。

 預かった金をそっくり返そうにも、今日の賭博ではシンギに賭けている連中が殆どなので、莫大な配当金を支払わなければならない。

 つまり、組織から預かった金をそっくりそのまま観客たちに流したのと何ら変わりない。

 頭のなかで簡単に計算しても、赤字になることは間違いない。

 上手く儲けて利益の一部を掠め取るつもりが、その全てを一瞬にして失ってしまった。

 ……預かった金を全て失ったとなれば罰を受けるどころの話ではない。ましてや、降格や追放だけで終わる話でもない。

 ――処刑だ。

 確実に私は組織によって殺される。見せしめとして殺される。

「逃げるんだ……。そうだ、逃げなければ……」

 アルドは自分の身の危険を悟った瞬間、個室席から通路側に飛び出る。

 そして、エレベーターまで走り、コンソールの呼び出しボタンを連打する。

 今のうちに逃げなければならない。どこか遠い所に。組織に見つからない遠い所に。

「……逃げるんですかい、兄貴。」

 どこに逃げようかと思案していると、いきなり背後から声を掛けられた。

 その声に驚き、アルドはボタンから指を離して振り返る。

 そこには顔なじみの部下の姿があった。

 いつも私を慕っている図体のでかい部下は、私に愛想よく笑いかけるでもなく、淡々と通達し始める。

「最近はしゃぎ過ぎでしたね。……配当金をピンはねして懐に入れている事、そして、あの茶髪野郎ブラウンへアーとの件も既に上に話してあります。あと、ミスすれば連行するように、……逃げるようなら殺せと命令されました。」

 どうやらこの男は上から派遣されたお目付け役だったみたいだ。

 大きな手の中には拳銃が握られており、その銃口はこちらに向けられていた。

 アルドはこの難を逃れるため、必死に言い訳をする。

「ま、待てよ。金は必ず作る。ちょっと時間はかかるかもしれないが、このスタジアムがあれば絶対に大丈夫だ。保証できる。」

 今回は大赤字になってしまったが、今までの儲けから考えると実に些細なものだ。

 賭博は無限に金を生む装置だ。

 この場所さえあれば、赤字なんてすぐに補填することができるし、預かった金額もすぐに返すことができる。

 しかし、そんな私の言い分はすぐに却下されてしまう。

「残念ですが兄貴、それも無理なんです。今日ここが摘発されるって噂がありましてね。今シーズンで資金洗浄のルートを変えるつもりだったんです。……本当にとんでもないミスをしでかしましたね。」

「はっ。そんな根も葉もない噂を……」

 部下の言葉を一蹴しようとすると、スタジアムビルの外から甲高いサイレン音が聞こえてきた。

 それは、我々犯罪組織にとって聞き慣れた音であり、また、絶対に聞きたくない音だった。

 規則的なサイレン音の中、警告の言葉まで聞こえてきた。

「――こちらは警察です。今夜、このスタジアム内にて違法な賭博行為が確認されました。観客は誘導に従い、スタジアム外に移動して下さい。スタジアムで使用されているVFも証拠品として押収します。ランナーは今すぐ武装解除し、コックピットから降りなさい。」

 外からの警告の言葉に対し、部下の男は銃を構えたまま笑う。

「“火のないところに煙は立たぬ”……確か、この言葉を教えてくれたのは兄貴でしたよね?」

 噂が立った時点で上層部はこのスタジアムを見限っていたようだ。

 それにしても、不可解なことが多すぎる。

(どうして……このタイミングで……!?)

 アルドは部下に殺されるかもしれない状況においても、こうなった原因を考えていた。

 そして、すぐにその原因に思い当たる。

(まさか、七宮……あの提案自体が罠だったのか……?)

 よく考えれば、あの七宮重工がこんな場所にまで出向いて資金洗浄をするとは考えにくい。

 社長や金が本物だったとしても、警察や公安に協力して、指示通りに動いていた可能性もある。

 こんなことにも気付けないとは情けない。

 提示された金に目が眩んで、慎重さを欠いていたようだ。

 ……だが、警察に捕まることは今の私にとって地獄に仏かもしれない。

 ここで警察に逮捕してもらえば一時的にではあるがムショで安全に過ごせる。そこで組織の情報を売って司法取引をすれば、私は新しい名前と住所を与えられ、一生保護の対象となって殺される心配がなくなる。

 そうなると私の野望や夢は全て実現不可能になってしまうが、死ぬよりはマシだ。

 人生、最終的に生きていたものが勝ちなのだ。

 ただ、警察に保護してもらうためには、私を殺そうとしている部下をどうにかせねばならない。

 部下は拳銃を構えたまま接近しており、とうとう銃口がこちらの胸元に押し当てられた。

「……兄貴、死んでもらいますぜ。」

 部下の男は拳銃を両手で構え、銃口を強く押し当てる。

 すると、そのタイミングでようやくエレベーターが到着した。

 到着を知らせるチャイム音がすると、エレベーターの扉が開き、アルドは部下の男に押されるような形でボックスの中に倒れこむ。

 そのまま床にこけてしまうかと思ったが、私は倒れることなく誰かに支えられていた。

「動くな!! 武器を捨てろ!!」

 エレベーター内には数名の屈強そうな男達が入っており、到着すると同時に通路に飛び出し、部下の男にテーザーガンを向けた。

 電極を射出し、感電させることで対象の動きを止めるその武器を見て、私は全てを悟る。

(こいつら、全員警察官か……。)

 どうやら、すでに私服警官がスタジアム内に潜り込んでいたようだ。

 この統率の取れた素早い動きを見る限り、エリートの特殊隊員だろう。

「何だお前らは!?」

 部下の男はいきなりの展開に驚いている様子で、その拳銃を左右に振って警官を牽制していた。

 そんな部下の男に対し、私服警官は無警告でテーザーガンを放ち、動きを完璧に止めた。

 そして慣れた様子で関節技をきめ、その手から拳銃を簡単に奪いとる。

(助かった……。)

 何名もの警官にがんじがらめに拘束されていく部下を見つつ、アルドはホッと息をつく。

 このまま邪魔が入らなければ私は然るべき所に移送され、クロギスに殺される心配はなくなる。

「……アルド・リンデンだな。お前の身柄を拘束する。」

「どうぞお好きに。」

 拘束でも何でもしてもらって構わない。保護さえしてもらえれば文句はないのだ。

 大きな安心感を得ながら警官に手錠を掛けられていると、急に通路に面したドアが開いた。

 確か、あそこは二人用の観戦個室だ。

 その個室から出てきた女性は室内に視線を向けながら楽しげに話す。

「ほら、やっぱり私の言った通りだったでしょう? シンギが勝つって。」

「でもよ、あのゲルハルトって野郎、完璧に俺らの指示を無視したよな。」

「いいじゃない。お陰で面白いものが見られたわ。……それよりも、問題はリアトリスね。まだ到着しないのかしら。」

「そろそろ来るだろ。つーか、ジズが空で撃ち落としてくれるのが面倒がなくていいな。そうでないとこのスタジアム、そこいらの戦場よりも酷い有様になるぜ。」

 どうやら、室内にいる男性と会話をしているみたいだ。

 まだ室内から完全に出ておらず、ここからでは彼女の後頭部と背中くらいしか見えない。

 その状態で、女性は話し続ける。

「むしろ、そのくらい盛り上がってくれないと困るわ。せっかくお膳立てして上げたのだし、警官隊や軍の連中には頑張ってリアトリスと戦闘してもらわないとね。……あれだけ集まれば囮くらいにはなるでしょうし。」

「おいおい、リアトリスに破壊されるのを分かってて戦わせるのか? ……酷い女だな。」

「よく言われるわ。フフ……」

 女性は不気味な声で笑うと、そこで一旦会話を区切り、ようやくこちらに顔を向ける。

「あ……」

 後頭部で一つにまとめられた長い黒髪。見ているだけで鳥肌が立ってしまいそうなほど冷めた光を放つブラウンの瞳。そして、均整のとれた美しい顔立ち。

 その女性は七宮重工の社長、イナズミアイリに間違いなかった。

 会話の内容が内容だけに、警官の注意は完全にアイリに向けられており、いくつかのテーザーガンもアイリに向けられていた。

「戦場? お膳立て? ……お前、色々と事情を知っていそうだな。」

 アイリの話の内容が気に掛かったのか、一人の警官が手錠を片手にアイリに近寄っていく。

 私自身もアイリの言葉に驚いていた。

 そして、今起こっていること、今から起きようとしていることを理解した。

 アイリは別の目的のために私を、このスタジアムを利用していたというわけだ。

 リアトリスという言葉が何を意味するのかは理解できないが、この件にシンギか深く関わっていることを理解するのは容易かった。

 だが、アイリも運の悪い女だ。

 この数の警官に疑われ、包囲されてしまってはどうしようもできない。

 しかし、私の予想に反して、アイリは警官たちに向かって堂々と言い放つ。

「知っているも何も、私が首謀者よ。」

「!?」

 突拍子もない発言に、警官たちは驚いている様子だった。

 また、その言葉が発せられた瞬間、背後から……エレベーター側から悲鳴が上がった。

「うわっ!? 何だコイツは!?」

 警官の声に反応してエレベーターの方を見ると、赤い人影を確認できた。

 赤い人影は警官の合間を風のように切り抜けていく。人影が通過する度に警官たちの腕や足からは血が吹き出し、警官たちはその切り傷を手で押さえてその場に崩れ落ちた。

 最終的にその赤い人影はアイリの前に立ちはだかっていた警官をも攻撃し、全ての警官をあっという間に行動不能にさせた。

 ここでようやく赤い人影はその動きを止め、臀部と背中の境目、腰辺りに取り付けられているヒップホルスターに、ナイフともナタとも見て取れる鈍い光を放つ半円型の刃物を後ろ手で収める。

 警官を切り刻んだその人物はランナースーツに身を包んでおり、なめらかな曲線を描く腰の上、背中には赤くて長い髪を確認できた。手触りが硬そうな長い髪だが、見た目にはインパクトのある髪だった。

 赤毛に赤い瞳を持つ彼女は、馴れ馴れしくアイリに報告する。

「取り敢えず武器を持っていた人間を切っておきました。どうしますか? このまま全員殺しますか?」

「そうだな、話聞かれちまったし、ここは殺しておいたほうがいいかもな……」

 その赤髪の女の物騒な提案に同意したのは、個室から出てきた髭面の男だった。

 彼も警官に攻撃を加えるつもりだったのか、手には小型自動小銃が握られていた。

 もしも赤髪の彼女が現れなければ、私もあの銃で撃ち殺されていたかもしれない。

 髭面の男の話を冷や汗をかきながら聞いていると、ここでようやくアイリが口を開いた。

「アイヴァー、あなた馬鹿なのかしら? 警察官を殺すなんてとんでもないことできるわけないでしょう。……要は忘れさせればいいのだから、頭に数発テーザーガンを撃てばいいわ。運が悪ければ記憶障害を起こすかもしれないけれど、死ぬことはないでしょう。」

 そんなアイリの言葉に応じるように、赤髪の女は通路に落ちているテーザーガンを拾い上げる。

「わかりましたアイリ。すぐに終わらせます。」

「頼んだわよ、キノエ。」

 赤髪の女は迷うことなくテーザーガンを通路に転がっている警官の頭部に押し当てる。

 警官は先ほど切られた場所を手で押さえて呻いていたが、赤髪の女がトリガーを引くと一瞬痙攣した後、すぐにおとなしくなった。

 赤髪の女がその作業をしている間、アイリは私の存在に気が付いたらしく、微笑みながら話しかけてきた。

「あら、久し振りねアルド・リンデン。すべてを失った気分はどう?」

 アイリはツカツカと足音を立てながらこちらに近寄ってくると、膝に手をついて足を伸ばしたまま上半身だけを曲げてかがみ込み、視線の高さをこちらに合わせてきた。

 優越感たっぷりのこの顔を思い切り張り飛ばしてやりたい気分だったが、自動小銃を持った手練の男と、ナイフだけで特殊隊員数名を行動不能にさせた女に挟まれた状態でそんなことができるわけがない。

 そもそも、後ろ手に手錠をかけられた状態では何もできない。アイリもそれを分かって近付いてきたのだろう。

 それならせめて、と、アルドは質問する。

「この騒ぎ、全部お前たちが仕組んだことなんだな?」

「そうよ。そして、これからもっと凄い事が起きる予定よ。」

 やはり、私はこの女社長に利用されたようだ。

 改めてその事実を突きつけられ、アルドは絶望に打ちひしがれる。

「なんてことをしてくれたんだ……。」

「何を言ってるの? 賭博も八百長も全部貴方がやったことでしょう? それに、私たちの金を横取りしようとするから資金洗浄も失敗したってこと、分かってる? 自業自得よ。」

「そうじゃない。どうして警官に攻撃したんだ。……このままだと私はクロギスの奴らに殺されてしまう。」

「そんなこと知らないわよ。」

 アイリは興味無さげに言い放ち、腰を伸ばしてこちらを見下ろす。

 その瞳に哀れみの色は全くなく、完全にこちらを蔑んでいるようだった。

「……それにしても、あれだけ息巻いていた男からここまで情けないセリフが飛び出してくるとは思っていなかったわ。やっぱり、貴方みたいな度胸も根性も信念もない社会のゴミは嫌いよ。自分の命が少し危険に晒されただけでこの有様。あぁ、本当に反吐が出るわ。」

 軽蔑するようにセリフを吐くと、アイリは長い足をこちらの肩に押し当て、蹴り飛ばした。

 手を拘束されたアルドは受け身を取ることができず、そのまま無様に転んでしまう。

 通路の床に背中を打ち付けられ、アルドは仰向けになった。

 すると、視界に赤毛の女が映り込んだ。どうやら警官全員の頭部にテーザーガンを打ち終えたようで、赤毛の女はテーザーガンをその場に投げ捨てていた。

 そんな彼女を俯角から見ていると、テーザーガンの代わりにどこからともなくナイフを取り出し、その切っ先をこちらに向けた。

「どうしますかアイリ、この痩せ男も処分するんですか。」

 さっき警官を何人も切り倒したのに、まだ物足りないらしい。赤毛の女は血が付着したナイフを手に持ったままうずうずしている。

「放っておきなさい。どうせクロギスに殺されるのだし、わざわざ手を汚す必要なんてないわ。」

「わかりました、アイリ。」

 赤毛の女は素直にアイリに従い、ナイフをシースに戻す。

 それを合図に、髭面の男も自動小銃にセーフティロックをかけた。

「こんな所でもたもたしてる場合じゃないぞ。そろそろリアトリスも来るだろうし、さっさとVFに乗って待機しておかないと……」

 若干焦りの色が見える発言に対し、アイリは余裕たっぷりに応じる。

「そんなに焦らなくても大丈夫よ。クロギスの構成員が素直に大人しく捕まるわけがないし、制圧するまで結構な時間が掛かるはずよ。」

「……だといいんだがな。」

 髭面の男はこちらに見向きもせず、開いたままのエレベーターに乗り込む。

 エレベーター内には気を失った警官が4名ほどいて、扉の部分に引っかかっていた。

 そんな警官を、髭面の男は足蹴にし、通路側へ押しやっていく。

 その間、アイリや赤毛の女はその作業を手伝うことなくエレベーターの手前で見ていた。

 髭面の男は微動だにしない女二人に協力を求める。

「見てないで手伝ってくれよ。」

「力仕事はパスよ。」

「右に同じです。」

「……。」

 この一言だけで諦めたのか、髭面の男は何も言わずに作業を再開させた。

 その作業も1分もしないうちに終わり、赤毛の女は髭面の男そっちのけでエレベーター内に入る。

 アイリはというと、去り際に私に囁いてきた。

「そうだ、クロギスの始末屋が先に来るか、警察が先に来るか……賭けてみる?」

「……。」

 もはや、言い返す気力も残っていない。

 無言のままアイリを見ていると、アイリは急に興味を失ったように表情を一変させた。

「何よ、つまらないわね。」

 そう呟くと、アイリはエレベーターの中に入る。

 エレベーターの扉はすぐに閉じられ、3名は階下へと向かっていった。

 その後暫くの間、アルドはエレベーターのコンソールに浮かぶ数字をぼんやりと眺めていた。

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