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焉蒼のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
Ⅲ ランナーズ・ハイ
80/202

  24 -安寧な場所-

 前の話のあらすじ

 ロンドンから離れ、海上都市に戻ったセルカは、CEが危機敵状況に陥っていることを知らされる。

 また、キルヒアイゼンのラボでは開発中のケイラインを確認できた。

 セルカはその場でソウマにCEへの助力を求めるも、やんわりと断られてしまう。さらに、シンギを呼び戻すことに否定的な意見を聞かされた。

 シンギを呼び戻していいものか、悩むセルカだった。

  24 安寧な場所


 ――時が経つのは本当に早い。

 特に、カーディフに来てからの3ヶ月間はあっという間に過ぎ去った気がする。

 人間、日々の生活が充実していると時が経つのを早く感じるのかもしれない。

(充実というか、心配事が減った感じだな……)

 シンギは朝日を浴びながら、ガムラ社の複合研究施設内の食堂で微睡んでいた。

 高い天井付近にあるガラス窓からは心地の良い光が差しており、室内全体をほんのりと暖めている。

 夏は鬱陶しく感じていたこの太陽光も、12月の今ではありがたい存在だ。

 広い食堂はただでさえ寒いのに、暖房もろくに付いていない。そのため、熱源を太陽光に頼るしかないのだ。

 今座っているテーブルや椅子もこの光によって良い感じに温められている。しかし、周囲に漂う空気はまだ冷たいままだった。

 温かいものを飲めば少しは温まるだろうが、朝食後のコーヒーはとっくに冷めているし、この寒い中わざわざカウンターまで移動する気にもなれない。

 長袖に長ズボンを着て、その上に厚手のカーディガンを羽織っているのにこの寒さだ。明日からはもう一枚セーターなどを着たほうがいいかもしれない。

 天井から降りそそぐ太陽光でそんな寒さを凌いでいると、正面から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

「……おいシンギ、こんな所でくつろいでないで、さっさと格納庫に来い。今日もやるぞ。」

 そう言って意気揚々と食堂に入ってきたのはイグナシオだった。

 イグナシオは刈り込まれた白髪を掻きながらずかずかと歩いて来て、俺の背後に立つ。そして、無理やり椅子の背もたれを掴み、後ろに引いた。

 結果、俺は立たざるを得なくなり、両手をテーブルについた状態で立ち上がる。

「また朝っぱらから格闘テストかよ。もっとゆっくりさせろよな。」

「もう十分ゆっくりできたろう。いくら寒いとはいえ、寒がりすぎだ。」

 老人は朝が早いとよく聞くが、どうやら寒さにも鈍感らしい。

 施設から格納庫までの長い距離、外の寒い空気に晒されるのは結構辛い。

 カシミールの時も外気は寒かったが、あそこは防寒設備がしっかりしていたので全く不快感を感じずに済んだ。

 カーディフの気候は人体に影響を及ぼすほど気温が下がるわけでもないし、防寒設備もそれなりのものしかない。

 俺にとって、この中途半端な寒さは現在一番の悩みの種だった。

(こんな事で悩めるくらい、余裕ができたってことかな……)

 肌に冷たい空気を感じていると、イグナシオは俺の腕を掴んでぐいぐいと引っ張りだす。

「テストパイロットがこんな姿を見せたらスタッフのやる気も落ちるだろう。少しはシャキッとしたらどうだ。」

「仕方ねーなぁ……」

 一応ガムラ社からは結構な額を貰っているし、それに見合うだけの仕事はした方がいい。

 俺は冷たい空気に耐えつつ、格納庫に移動するべくゆっくりと歩き始める。

 イグナシオはそんな俺の背中を叩く。

「ほら、早く歩け。準備万端のジズが待っているぞ。」

「わかった、分かったから叩くなって……。」

 今日もまたイグナシオの操るジズにボコボコにされるかと思うと、気が滅入るシンギだった。



 ――3ヶ月前。

 テストパイロットを決める選考会が終わった後、シンギはすぐにロンドンを離れ、カーディフに移り住んでいた。

 勿論、ロンドンを離れたのはシンギだけではない。

 レオラとリリメリアもカーディフに付いて来た。

 そのおかげか、シンギ達はガムラ社から住居を与えられ、3人でそこに住んでいる。

 住居は複合研究施設の敷地内に建っており、アパートと言うよりも戸建住宅に近く、数名で住むことを前提とした、家族に支給されるような住宅だった。

 敷地内にはそんな戸建住宅が数十件ほど建ち並んでおり、他にもマンションタイプの住宅などもある。

 もともと空港があり、その上近海を埋め立てて敷地を広くしているので、こういう土地は有り余っているのだろう。

 土地だけでなくお金も有り余っているようで、その戸建住宅の内装は結構綺麗で、最新の家具や家電まで備え付けられていた。

 お陰でシンギ達はロンドンのアパートとは比べ物にならないほど快適な生活を送っていた。

 だが、仕事量は格段に増えたため、以前より快適とは言えないかもしれない。

 シンギは毎日のようにガムラのVFに乗せられ、ジズと格闘試験を行っている。

 様々なシチュエーションで、何度も格闘を繰り返すため、根気と体力と高い水準の操作技術が求められる仕事となっているのだ。

 まさにシンギにぴったりの仕事だと言える。

 たまにジズに乗ることもあるが、操作制御が通常のVFとは別次元の複雑さなため、シンギはまともに操作できていない。

 イグナシオはそんなジズを華麗に操ってみせるのだから怖ろしい。

 元来の操作技術に加え、長年培ってきた経験があるため、高度な操作技術を実現できているのだろう。下手をすればソウマよりも手強い相手かもしれない。……いや、絶対にそうだ。

 しかし、3ヶ月間毎日のようにテストを行ったおかげで、そのイグナシオともまともに戦闘できるようになってきた……気がする。

(実際、手加減されてるかすら分からねーからな……。)

 まともに戦えるようになったとはいえ、格闘に関してはイグナシオが遥かに先を行っている事は確かだ。

 悔しいが、この事実は覆らない。

 だからこそ、装甲強度の低いジズでもまともに格闘ができているのだろう。

 並のランナーなら、翼が複雑に取り付けられた腕を突き出すことすらできないはずだ。

 ……ちなみに、テストの内容はかなり実戦に近い形式で行われている。

 俺はガムラのノーマルVFを操作し、銃器から刀剣類に至るまで、あらゆる武器や攻撃方法でジズを攻め続けているのだ。

 あらゆる状況を想定すれば想定するほど有益なデータが得られる、という理屈は分かる。

 しかし、この攻撃のほとんどがジズに掠りすらしないのに、どうやって良いデータを取ることができるのか、甚だ疑問だ。

 いくら俺が射撃が上手くないとはいえ、銃ですら一発も命中しないのは本当に謎だ。

 テストはあまり進んでいるのか分からないのだが、このテストのお陰で俺自身の操作技術が鍛えられているのは実感できている。

 強い相手と手合わせをするだけで自分の格闘センスや、操作感覚が研ぎ澄まされるのがわかるのだ。

 数年前まで素人同然だった俺がここまでVFの操作をマスターできたのも、ケイレブをはじめ、戦闘支援AIのセブンや、VFBで活躍していたソウマ、そしてイグナシオと出会えたからだろう。

 CEでは死を恐れることなく遠隔操作で無謀な戦闘を繰り返していたし、セブンには訓練プログラムで多くのことを習得させられた。

 カシミールではソウマとほぼ二人きりで格闘訓練ができたし、今はそのソウマに引けをとらないVFランナーとテストと言う名の手合わせを行なっている。

 俺は、VFという人型戦闘兵器と共にある運命にあるのかもしれない。

 俺の父親、七宮宗生も長い間VFBに出場していたと聞く。

 ……つくづく、遺伝子というのは怖ろしいものだ。

「ま、そんな運命も悪くないか……。」

 シンギは今の気持ちを呟いてみる。

 俺は本当にVFに対して何の拒絶感も、違和感もない。まるで、自分の体の一部のようにVFを操ることができる。

 それが幸か不幸かは判断しかねるが、充実しているのは事実だった。

「……いきなり何だよシンギ、寝ぼけてるのか?」

 俺の独り言に反応したのはレオラだった。

 ――現在、俺とレオラは戸建住宅の1階、広いリビングルームにいる。

 今は夕食も終わり、テレビを見ながらくつろいでいるところだ。

 俺は床暖房の効いたフローリングに寝そべり、レオラは備え付けの丸椅子に片足を抱えた状態で座っている。

 リリは部屋の中央にあるリクライニングチェアに座り、テレビ画面の正面を陣取っている。本当にリリはテレビが好きなようで、四六時中画面を見ている。

 こんな小さい頃からテレビばかり見ていると教育上よろしくないと思うのだが、別に俺は保護者でも何でもないし、そういうのはレオラに任せたのでいい。

「シンギ、無視するなよ。」

 いつまでも反応しなかった事が気に入らないのか、レオラは丸椅子から離れて俺の正面に胡座をかいて腰を下ろす。

 テレビ画面が見えなくなり、俺は寝転がった状態で横に移動する。

 だが、座った状態にあるレオラにその対処法は不適切だった。

 こちらの移動に合わせて視界を遮ったレオラに対し、俺は文句を言う。

「……別に何でもないからそこ退けよ。アンサーが見えねーだろ。」

 テレビではクイズ番組をやっているのだが、怒涛の勢いで出題と回答が繰り返されているため、少しでも目を離すと何が何だか分からなくなってしまうのだ。

 レオラはこういう番組はあまり好きでは無いようで、全く興味を示していなかった。

「いやいや、いきなり運命が何だとか呟かれて気にならない奴なんていないぞ? 今日、テストで何かあったのか?」

「しつけーなぁ……」

 この3ヶ月間で、レオラは以前に増して、俺に絡んでくるようになった。

 レオラには元々友達と呼べる人間はいなかったみたいだし、俺のような気のおけない同居人が現れたことで、今までお喋りできなかった分を取り戻しているのかもしれない。

 それとも、単に暇で他にやることがないのか……。

 どちらにせよ、最近は刺々しさもなくなってきたし、レオラの扱いには困らなくなってきた。

 これも、研究施設内の食堂で規則正しく働いているおかげだろう。

 ……程よい勤労と程よい人間関係は人を変えるものだ。

 シンギはテレビを諦め、仕事に関してレオラに話しかける。

「それより、そっちの仕事はどうなんだ。厨房の仕事はキツいって聞くぞ。」

「いいや、朝が早いだけで後は普通。あれだけ大量の食材を自由に扱えるのは逆に気持ちいいな。」

 レオラは食堂内で調理の手伝いをしている。元々料理はできる方だったので、あまり苦労することなく働けているようだ。

 大抵のレストランや食堂は調理のほとんどが自動化されているのだが、ここの社員食堂は未だに手作りに拘っている。

 流石に、野菜の切断や皿洗いは自動化されているが、茹でたり、炒めたり、盛り付けたりは人の手で行なっていると聞く。

 実際、ここの食堂の料理は文句ないくらい美味いし、今更自動化しろとは言えない。

 流石はアメリカの金持ち企業だ。無駄なところには気が回る。

 そんな金があるのなら、少しでも報酬を上げて欲しいものだ。 

 レオラを無視した状態で近頃の外食産業に思いを巡らせていると、レオラは俺ではなくリリに絡み始める。

「リリも、テレビばっかり見てないで何でもいいから話そうよ。……そうだ、学校はどんな調子なんだ? 友達とかできたのか?」

「お、それは俺も気になるな……。」

 リリはこちらに来てからガムラ社員の子供専用の学校に通っている。

 “学校”と言ってもそこまで規模が大きいものではないし、そもそも教員もいない。

 研究施設内の一部を使い、30名程の子供がそれぞれのレベルに見合った授業をオンライン上で受講している感じだ。

 実際に見たことはないが、一日に数回は全員で運動したり、ゲームをしたりして交流するらしいので、別に勉強漬けというわけでもないだろう。

 リリはテレビを見ながら、レオラの質問に答える。

「友達は、4人できた。」

 リリはそれだけ言い、再びテレビに集中する。

 あの少ない中で4人も友達を作るとなると大変そうだ。

 リリがどのように友達を作ったのかが気になり、俺はレオラに代わってリリに問いかける。

「ほー、どうやって作ったんだ?」

 俺が質問すると、リリはレオラの時とは違い、テレビから目を離して俺の方を向く。

「作ったというか、“付き合ってください”、とか、“恋人になってほしい”、って言われた。」

「……んん?」

 脈絡のない答えに、思わず俺は唸ってしまう。

 しかし、次のリリの言葉でその答えの意味を理解することができた。

「……でも、“リリには好きな人がいるから駄目”、って言うと、“友だちでいいから仲良くして欲しい”って、言われて、友だちになった。」

「あー、なるほど……。」

 話の内容は分かった。

 しかし、あまりにも予想外過ぎる展開に、俺は困惑してしまう。

 レオラもリリの話に驚いているらしく、興奮気味にコメントする。

「こ、告白されたのか。……さ、流石はリリだな。リリみたいな可愛い女の子なら、告白されてもおかしくないもんな。」

 褒めているのか、混乱しているのか、よくわからないコメントだ。

 確かに、傍目に見てもリリは可愛いし愛らしい。淡いイエローの長い髪は人目を引くだろうし、いつものほほんとしている表情を見ているだけでも癒される。

 あの年代、10歳前後のガキ共の中でなら人気者になるのも頷ける。

 リリは無邪気な笑みを浮かべながら、その友達について語る。

「告白されたのは驚いたけど、色々優しくしてくれるし、お菓子もくれるから、友達って便利。」

「便利、か……。言い切りやがったぞこいつ……。」

 例えそうだとしても、その事実を何の気後れもなく口に出して言えるのだから、リリという少女は意外と“そういう”素質を持っているのかもしれない。

 このまま成長してしまうと、同じような被害者が増えていくことだろう。

 後で手痛いしっぺ返しを食らう前に、きちんと教育しておいたほうがいい。

 俺も人の事を言えた立場じゃないのは理解しているし、リリの将来のことなんて俺には関係ないことも理解している。

 ……だが、これだけは何とかしたほうがいいのは間違いない。

 その旨を伝えるべく、俺は正面で胡座をかいているレオラに視線を向ける。

 レオラは俺を見ておらず、リリに再び話しかけていた。

「ところでリリ、さっきの話で出てきた“好きな人”っていうのは……」

「もちろん、シンギだよ。」

 迷う様子も躊躇する様子もなく、リリは俺の名前を即答し、笑顔を見せる。

 その笑顔に俺は適当に応じる。

「はいはい、どうもありがとう。」

 ……毎度、このリリの悪気も屈託もない素朴で純粋で天真爛漫な笑顔には悩まされる。

 俺がこの姉妹と関わり合いになったのも元はといえばリリの好意のせいだ。

 リリが俺を気に入っていたからこそ、レオラは俺があのアパートに住むことに同意してくれたのだ。

 そして、カーディフまでレオラを連れて来られたのもリリの好意の賜物だといえる。

 リリが俺と一緒にいきたいと言わなければ、レオラは絶対にロンドンから動かなかっただろう。

 リリが俺の味方をしてくれたお陰で話し合いも難航しなかったし、その後の引越しもトラブルなく行えた。

 改めてよく考えてみると、俺とレオラはリリの思うように行動させられているような気がしないでもない。

 そんな不安を払拭するべく、俺は引越しについての話を持ち出す。

「それにしても、お前らすんなり付いてきたよな。俺が別に部屋を借りるって言った時は、あんなに嫌がってたのに。」

「そうだったっけ?」

 レオラはわざとらしく惚ける。

 最後の最後まで俺がロンドンから離れるのを拒否していたのに、ここまで堂々としらばっくられると、もうツッコミようがない。

 それ以上レオラを責めることはせず、俺は話を丸くまとめる。

「……何にしても、こっちに来てよかったな。空気はうまいし飯もうまい、仕事もあれば学校もあるし、それに加えて治安も良い。文句なしだな。」

「うん、こっちに来て良かった……。」

 レオラは口ではそう言っているものの、何か引っ掛かることがあるのか、少しだけ表情を曇らせていた。

 ……なぜそんな顔をしているのか、俺はその理由を聞くことができなかった。



 ――俺は、シンギ・テイルマイトという男を過小評価しすぎていたかもしれない……。

 ガムラ社の複合研究施設、その一郭にある個人オフィス内で、イグナシオは情報端末の画面を眺めながら、シンギについての認識を新たにしていた。

 テスト時のシンギの動き……あれは確実に何度も死線を潜ってきた人間の動きだ。

 3ヶ月毎日のように手合わせしてきたが、操作技術にブレはなく、常に安定した強さを保てている。

 普通のランナーなら、日によって調子がいい時や悪い時があるものだが、シンギには全くそんなブレが見られない。

 これは、シンギ自身が自分の能力を十二分に把握しており、その能力をどのようにすれば最大限に発揮できるか、その方法も完璧に理解しているからこそ生まれる安定だ。

 安定した強さは、安定した戦力を実現する。

 ……こと、命に関わる戦闘では、この安定が一番頼りになる。

 自分の戦力と敵の戦力を瞬時に比較し、それに見合った戦法を取ることができるだけで、生存率はぐんと上昇するし、勿論勝率も上がる。

 シンギの場合、安定性に加えて類まれなる強さも持ち合わせているため、1対1の戦闘においては並大抵の相手には負けることはないだろう。

 もちろん、その並大抵の中に俺は入っていない。

 しかし、本当の戦場でシンギとまみえることがあれば、勝てるかどうか怪しいところだ。

 それほど、シンギ・テイルマイトという男は揺るぎない強さを持っている。

 ……また、そんな安定した強さは、安定した成長も生み出す。

 あの若さで、ここまでの実力を発揮できるのも、自分の強さを理解しきっているからだろう。

 自分の強み、弱み、特徴などを完璧に理解していれば、その成長速度も早くなる。

 しかし、どのような経験を積めばここまで成長できるのか、俺には想像もできないし、とても気になる。

(戦争に参加した経験があるのは間違いないだろうが、一体どれだけの戦火を潜り抜けたんだ……?)

 シンギの実力を鑑みれば、数十回なんてレベルではないはずだ。

 確実に二桁は超えているし、下手をすれば三桁に届くかもしれない。小規模な小競り合いを含めれば四桁に達している可能性もある。

 冗談に思えるかもしれないが、何より、シンギのこの動きがその可能性を示唆していた。

 その動きとは、今まさにイグナシオが閲覧している映像データ内で再現されている動きだった。

(……ノーマル機でここまで細かい動作ができるか……?)

 映像データは、先週行われた格闘テストで起きた、とあるシーンをピックアップしたものだった。

 この時、シンギは刀身の長いロングソードを使い、ジズと戦闘を行なっていた。

 攻撃はジズに一度も命中しないが、剣の軌跡は実に鮮やかとしか言いようがなかった。

 戦闘テストを行った時にもそこそこ驚いたのだが、こうやって映像で見てみるとその尋常じゃない剣捌きに惚れ惚れしてしまう。

 テストの映像データを眺めつつ、イグナシオはシンギの操作技術に舌を巻いていた。

 ……ロングソードは武器であり、武器は敵により大きなダメージを与えるための道具である。

 だが、映像ではシンギはこの武器をまるで自分の手足のように使っているのだ。

 映像内、シンギの操るノーマルVFは、剣を振り下ろしたかと思うと、そのまま柄に小指を引っ掛けて腕の中で器用に刃を回転させ、振り上げてみせたり、外側から内側に水平方向の斬撃を放ったかと思うと、持ち手をスイッチして続けざまに逆方向から横薙ぎにしたりと、実に多種多様なアプローチをしている。

 しかも、これをほとんど自然に行なっているのだから怖ろしい。

 多分、シンギは最も効率的な攻撃法を無意識のうちに繰り出しているに違いない。まさに、経験がなせる技だ。

 戦争に参加したにしても、並々ならぬ鍛錬を積まなければこんな動きは実現できない。

 初めの方に行った射撃テストはあまりにもお座なりだったので武器の扱いには慣れていないのかと不安に思っていたが、近接武器を持たせるだけでこうも豹変するとは思っていなかった。

 別に射撃が下手糞というわけでもないが、近接武器の扱いは明らかに群を抜いている。

(それにしても、何度見ても見事だな……)

 まだ色々と見ていたいが、目を酷使するのもあまり良くないし、程々にしておこう。

 映像データを数回リピートしてシンギの華麗な動作を見終えると、イグナシオは目を強く瞑り、背伸びをする。

 すると、斜め後ろに伸ばした手が背後の本棚にぶつかった。

 個人オフィスは情報端末が載ったデスクと、小さな本棚だけで構成されている狭い場所なため、少し動くだけで物にぶつかってしまうのだ。 

 物を整理すればもう少し広々とできるのだろうが、折角パーティション内に持ち込んだ書籍を再び運び出す気は起きなかった。

「――イグナシオさん、お電話です。」

 背伸びをしていると、いきなりデスク上の通話機からボイスメッセージが発せられた。

 イグナシオは慌てて椅子に座り直すと、内線用の通話機を手に取り、そのメッセージに応答する。

「電話? こんな時間にか?」

「はい、キルヒアイゼンのセルカ様からです。」

 今は午後の9時。時差を考えると海上都市は丁度日付が変わった頃だろう。

 夜中にも関わらず電話を掛けてくるなんて、余程の事があったに違いない。

「分かった。繋いでくれ。」

 受話器に向けてそう告げると、すぐにセルカの声が聞こえてきた。

「……イグナシオさん、セルカです。急にお電話してすみません。」

「何かあったのか?」

 イグナシオは受話器を持ったまま椅子から離れ、個人オフィスから出る。

 あんな狭苦しい所で話をしていると、会話の中身にまで影響しそうだ。

 この時間になるとオフィス内にはほとんど人もいないし、休憩室も空いているだろう。

 そう思い、イグナシオは休憩室に向けて歩き出す。

 その間、セルカは要件を短く告げる。

「今日は、前に話していた探し人の件で電話しました。」

「CEから抜けたランナーの件か。……見つかったのか?」

 イグナシオは反射的に答え、そして、そのランナーが誰なのか、瞬時に理解してしまう。

(まさか……いや、絶対にそうだよな……。)

 今までその可能性を考えなかったわけではない。しかし、それはあまりにも都合が良すぎると思い、可能性から除外していたのだ。

 受話器片手に同じフロアにある休憩室に入ると、早速セルカはそ名前を口にする。

「はい、シンギさんはガムラの複合研究施設でテストパイロットをやっているはずなんです。……知らないとは言わせませんよ、イグナシオさん。」

「やはり、そうだったんだな。探していたのはシンギだったか……。」

 イグナシオは休憩室内のウォーターサーバーでコップに水を注ぎ、そのまま二人掛け用の小さなテーブルに座る。

 休憩室内は予想通り誰もおらず、しんとしていた。

 その静かな休憩室内に、受話器を通してセルカの大声が小さく響く。

「イグナシオさん、この事を知ってて……!!」

 セルカが怒鳴るのも無理は無い。今まで探していたシンギの事を知っていたにも関わらず、それを教えなかったのだ。

 しかし、普段おとなしいセルカがここまで感情を昂ぶらせるとは思っていなかった。

 それだけシンギに執着しているのだろう。

 イグナシオは少し受話器から耳を離し、間を置いてから謝る。

「悪かった。……だが、名前までは教えてもらっていなかったからな。シンギが探し人だと確信できなかったんだ。」

「だったら、その事を私に連絡してくれれば、この3ヶ月間悩まずに済んだのに……。」

 セルカは力なく言い、ため息をつく。

 そのため息を聞いただけで、セルカの体の力が抜けたのが手に取るように分かった。

(3ヶ月間も……随分悩んだんだな……。)

 100日近くも悩んでいたと聞くと、流石に気の毒に思えてきた。

 イグナシオはコップに注がれた水を一口のみ、自分なりの言い訳をする。

「一応連絡しようとも考えたさ。だがな、シンギ程の逸材をPMCにやりたくなかった。あの才能を戦争のために使うのは勿体ないと思わないか?」

「……勿体ないかどうかはシンギさんが決めることです。イグナシオさんが決めることじゃありません。」

 すぐにセルカは反論してきた。

 その反論に対し、イグナシオは同じ言葉を返す。

「そうだな。そして、セルカが決めることでもない。」

「そんなこと、十分に分かってます……でも……」

 本当にセルカはシンギのことしか考えられないみたいだ。

 3ヶ月も悩んでいたわけだし、その分だけシンギに対する思いも膨れ上がっていることだろう。

 正直、セルカのことが気の毒に思えてきた。

 だからと言って、シンギをCEに渡すつもりは毛頭ない。

 その意志を伝えるべく、イグナシオは言葉を続ける。

「シンギはここでの生活に満足しているようだぞ。……そんなシンギを戦争に引き戻すのか。」

「ち、違います。私はそんなつもりじゃ……」

 台詞の途中でセルカの声はだんだん小さくなっていく。

 受話器に耳を押し当てたままこちらが黙っていると、セルカは小さな声で呟いた。

「本当に、シンギさんに何て言えばいいのか、全然わからないんです……。」

 セルカの弱音を聞き、イグナシオは我に返る。

 相手はまだ子供だ。

 その子供に対して本気で説き伏せようとするなんて、60手前のいい大人がしていいことではない。

 相手の姿が見えないせいで、冷静さを失っていたみたいだ。

 ……歳を取ったせいで、自制心まで緩んできているらしい。

 イグナシオは受話器を一旦テーブルの上に置き、自分の頬を軽く叩く。

 そもそも、セルカが電話を掛けてきたのは、この研究施設に直接来る勇気がなかったからだ。

 少し考えれば分かった事なのに、それに気付かないとは……情けない。

 イグナシオは改めて受話器を耳に当て、優しい口調で謝罪する。

「そっちもそっちで色々と悩んでいるんだな。無神経な事を言って済まなかった。……別に俺もシンギを無理に引き止める気はない。CEに戻りたいと言うのなら、望みどおりにさせるつもりだ。」

 先程も言った通り、シンギがこれからどうするのかは、シンギ自身しか決められない。

 それに、何を言った所でシンギは自分の決断を変えることはないだろう。

 こちらが理解を示すと、セルカも丁寧に謝罪し始める。

「私も、急に変なことを言ってすみませんでした。こんな時間に急に電話をして、挙句イグナシオさんのことを責めるなんて……私、自分が恥ずかしいです。」

 セルカは少し泣いていたのか、話している間も鼻水をすする音が一定間隔で聞こえていた。

 ともかく、ここでセルカと話した所でシンギをどうすることもできない。

 それならば、セルカにここに来てもらうだけだ。

 直接シンギと話し合った上で、今後のことを決めるのが一番いいに決まっている。

 イグナシオはその旨を伝えるべく、セルカに提案する。

「近いうちにガムラの施設に来るといい。シンギをどうしたいか、その目でシンギを見て判断することだ。幸い、シンギは暫くここから動くつもりはないようだし、決心がついたらでいい。いつでも歓迎するぞ。」

「でも、私もCEの件で色々と忙しくて、そちらに行く余裕が……」

 こちらが誘うと、途端にセルカは戸惑いの言葉を口にした。

 その芳しくない返事に、イグナシオは疑問を抱く。

(シンギに会いたいが、会って嫌われたくない……。まさにジレンマだな……)

 現実から目を背けたい気持ちはわからないでもないが、そのままでは前に進めない。

 仕方なく、イグナシオはその“理由”を作ってやることにした。

「……それはそうと、ソウマから新型VFの話を聞いたぞ。完成が近いらしいな。」

 話題を変えると、セルカは嬉々としてその話題に乗ってきた。

「あ、はい、今は調整作業を行なっているみたいです。」

「それは良かった。ソウマからその話を聞いて、CEにあることを依頼しようと思っていたんだが、今から依頼しても構わないか?」

「それはどういった依頼ですか……?」

「何、こっちでテスト中の可変型の人型戦闘機と、その新型のVFとで模擬戦闘をして欲しいなと思っただけだ。」

 依頼という形でキルヒアイゼンの人間を呼べば、セルカもこちらに来やすくなる。

 それを見越した発言だったのに、セルカ本人はそのことに気付いていないようで、まじめにこちらの依頼について詳しい相談をしてくる。

「それって、ジズのことですよね……。ジズの噂はよく耳にしますけれど、本当にケイラインが相手で構わないんですか?」

 キルヒアイゼンが作っている新型VFはケイラインという名前らしい。

 名前からはどんなVFか想像できないが、ソウマが操作すればどんなVFでも強敵に早変わりだ。

 模擬戦闘をするにしても、セルカだけで決められる話でもないし、これ以上のことは直接ソウマに話したのでいいだろう。

 イグナシオは紙コップに注がれた冷たい水を飲み干し、セルカの言葉に応じる。

「ジズの事を知っているのなら話は早い。VFを開発しているのなら、そちらも模擬戦闘くらいしておきたいだろう。勿論、テストの場所はこちらの複合研究施設内だ。……シンギとはその時に会えばいい。」

 ここまで言うとようやくセルカは発言の意図を理解してくれたようだ。

 受話器の向こうのセルカはいきいきと返事する。

「わかりました。模擬戦闘が必要かどうか、早速ナナミさんに訊いてみます。」

 それだけ言うと、セルカは「失礼します」とだけ告げ、電話を切った。

 通話が終了し、受話器からは単調な電子音が流れ始める。

 イグナシオは受話器のボタンを押してその電子音を止め、椅子に深く座り直す。

(一応、シンギにも伝えておいたほうがいいか……)

 通話が終了した後も、イグナシオはシンギの処遇について夜遅くまで悩んでいた。

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