6 -遺品-
補足情報005
人工授精に掛かる費用はとても高い。
また、精子バンクに登録されている精子の中でも、IQが高いなど、遺伝的に優れた精子はとても高額である。
医療技術の進歩によって代替臓器のクローン培養が認められている今、経済力のある女性が一人で精子バンクを利用するのも当たり前になってきている。
6 -遺品-
「――三代目社長は考え事をなさる時や暇な時には個人倉庫に篭っていたと聞いています。白骨化した死体が発見されたのもその個人倉庫内です。先程話した通り、そこから仮想人格のAIが三代目に成り代わって数年程指示を出していたというわけです。」
スーツ姿の男の説明を受けつつ、俺は七宮宗生の個人倉庫へと移動していた。
「飛行機の中で聞いた時も不思議に思ってたんだが、そう上手く騙せるもんなのか? AIで騙すのにも限界があるだろ。」
説明に対して質問を投げかけると、すぐにスーツ姿の男が答えてくれた。
「晩年の三代目社長は殆ど本社に顔を出すことはありませんでした。指示もおおまかな事を決めるだけで細かいことは全て役員に任せていたと聞いています。ですから、何年も異変に気が付けなかったのでしょう。それに、その仮想人格データもVFの自律戦闘AIプログラムを元にした、かなり出来がいい物でしたから……」
「そうなのか。その仮想人格ってのはどこにあるんだ?」
「いえ、討議の結果消去されることになり、今は残っていません。」
「もったいないな……。」
AIだのプログラムだのあまり詳しくないので何とも言えないが、大勢の社員を騙せるくらい高度な人工知能だったみたいだ。
それで数年上手くやれたのだから、そのまま人工知能を社長にしてもいいんじゃないかと思う。しかし、そんな事を老舗企業の七宮重工が容認するとは到底考えられなかった。
「見えてきました。あれが三代目社長の個人倉庫です。」
「あれか……って、スゲーでけぇな……。」
先ほど教えられた通り、個人倉庫は本社ビルからかなり近い場所にあった。
平べったいせいで移動中には他の建物の影に隠れて見えなかったが、空から見たら絶対に分かるほどその個人倉庫は大きかった。本社ビルや諸施設が集まっている敷地の一割くらいは占めている気がする。
なるほど、あの老人の役員もこの倉庫を有効利用したいわけだ。
このままデッドスペースになっていたらかなり勿体無い。倉庫として使わないにしても、この広さがあれば色々と有効な施設が建てられそうだ。処分したがっていた理由がよく分かる。
そんな倉庫の外観を眺めながら歩いて行くと、すぐに入り口に到着した。
それは正面搬入口の脇にある通用口だったが、小さなドアにも関わらず重そうな金属扉が設置されており、かなり厳重な印象を受けた。
スーツ姿の男は早速その扉の前に立ち、カードの差込口を指さす。
「ではまずは一枚目のカードキーを差し込んでください。」
「こっちか?」
「はい。このドアを抜けますと大きな扉があります。その扉も同じようにして解錠してください。それで倉庫内に入れるはずです。」
倉庫内のことについて説明を受けつつ、俺は一枚目のカードキーを通用口のカードリダーに差し込む。
すると、扉の各箇所からロックが解除される音が響き、数秒してからようやく扉が開いた。
スライド式の扉を抜けて中に入ると、ひんやりとした空気が体を通り背後へと抜けていった。
中は暗かったが、俺が足を踏み入れると同時に明かりが点き、奥にあるもう一つの金属扉を照らし出した。
そのまま進もうとすると、背後からスーツ姿の男が話しかけてきた。
「私がご案内できるのはここまでです。テイルマイト様、倉庫での用事が済みましたら内線を使って私をお呼びください。法務部の『更木』を迎えによこせとおっしゃってくだされば即お迎えに上がります。」
このまま同行して欲しい気持ちもあったが、何かの規則とかで倉庫内には入れないみたいだ。無理やり倉庫内に入れても迷惑になると思い、俺はスーツ姿の男……サラギさんに一時の別れを告げる事にした。
「わかった。色々ありがとな、サラギさん。」
「いえいえ、これが仕事ですから。それでは失礼します。」
サラギさんは入口付近で軽く会釈すると、倉庫から離れていき、すぐに俺の視界から消えてしまった。
(さて、七宮宗生の形見とやらを拝見するとしますか。)
先ほどと同じように二つ目の扉を開けると、俺は巨大な倉庫内に足を踏み入れる。
すると、手前から順々に強い明かりが点っていき、倉庫全体を見渡すことができた。
結構長い間使われていたと聞いていたのでガラクタや古いものが積まれているのかと思ったのだが、そんな予想に反して中はとても綺麗に保たれていた。
というか、綺麗どころの話ではない。綺麗サッパリ何もない。
(あれ……?)
綺麗なのはいいことだ。でも、何もないというのは予想外だ。これだけ広い倉庫なのに、その空間の5%も使われていない。
ただ奥の方に小さな機材やシートで覆われた塊があるだけだった。
「なんだよ……」
金目の物がありそうなら即売るつもりだったのに、これだと期待できそうにない。
もう帰ろうかとも考えたが、一応奥の方に何かあるのだし、確認するだけ確認しておこう。
そう決めた俺は奥に向けて移動していく。
……奥に進むとだんだんと機材やシートで覆われた塊の形がよくわかってきた。
入口付近から見た時は小さく思えたが、シートで覆われた物は結構な大きさだった。高さは10メートルくらいだろうか。大きさやシルエットを考えると、隠れているのはVFかもしれない。
その予想は奥に進むにつれて確信へと変化していき、足元まで来ると100%VFだと断言できるほどの自信を持っていた。
もしもこれが、七宮宗生がVFランナーの時に使っていたVFだとすれば、間違いなく高く売れるに違いない。VFBには詳しくないので、写真を撮ってケイレブに見せればどのくらい貴重なのかすぐに調べてくれるだろう。
とにかく、俺はそのVFの姿を拝むべく、シートを固定していたロープを解き、シートの端を掴んで思い切り引っ張った。
頭上から降ってきたシートを避けるべく後退すると、俺の視界に今までに見たこともないようなVFが映り込んできた。
それを見て、思わず俺は絶句してしまう。
「……おぉ……。」
シートの下から現れたのは漆黒のVFだった。
脚部はどの部分でも敵を真っ二つに出来るくらい鋭い形状をしており、胸部にはシンプルな装甲が配置され、肩部には複雑な形状をした機構が見られた。この機構は多分腕部の膂力を増幅させる役割を持つものだろう。筋肉の筋が幾重にも重なっているようにも見える。腕部もまたシャープな形状をしていて、肩から指先に至るまで各部所が尖って鋭角的だった。
頭部は顔全体を覆うような装甲があり、基幹部分をすっぽりと隠していた。
全体的に研ぎすまされた印象を受ける特異なVFだった。
VFの歴史にはあまり詳しくないが、この漆黒のVFが古いタイプのVFだとは到底思えなかった。もしかすると七宮宗生が独自に開発していた新型のハイエンドVFだろうか。
何か参考になる物はないかと周囲を見渡すと、漆黒のVFの足元にボックス型の端末があった。それはVFを固定しているケージに接続されており、メンテナンス用の操作端末だということがすぐに分かった。
俺は迷うことなくそのボックス型の端末に飛びつき、コンソールを操作してデータベースを呼び出す。
すると、まず始めにVFの個体名である『リアトリス』という名前が表示された。
これは七宮重工が生産しているVFの名前じゃない。これはもしかすると本当に新型のVFかも知れない。
俺は更に情報を得るべく詳しいスペックデータを表示させる。
そのスペックデータを見て俺は度肝を抜かれてしまった。
(あ、ありえねぇ……。)
この『リアトリス』というVFは明らかに現行のVFの性能を一回りも二回りも凌駕している。一体どれほどの開発資金をつぎ込んだのだろうか。これ1機でアルブレン2機……いや、3機に匹敵するほどのスペックがある。
しかも驚きは機体の性能だけにとどまらない。このリアトリスが製作された時期は50年以上も前だったのだ。
どうやらこれは七宮宗生がVFBで使用する予定だったVFみたいだ。
改良に改良を重ねたヴァージョン5とのことだが、端末には戦闘記録が全くない。多分、試合に出る前に七宮宗生自身が引退してしまい、お蔵入りになったのかもしれない。
ケイレブはVFBは今はあまり人気はないと言っていたが、こんなハイスペックなVFが試合に用いられると知っていれば俺だって興味を持ったことだろう。
こんな化け物じみた性能を持つVF同士が戦闘する場面を想像しただけで鳥肌が立ってくる。
(……試しに乗ってみるか。)
ガレージの鍵を渡された時点でこの中にあるものは全て俺のものだ。つまり、この素晴らしいVFも俺のものだ。試し乗りをしても問題はない。
問題があるとすれば50年も放置されていたVFが正常に動いてくれるかどうかだ。
まぁ、自己診断プログラムを走らせて駄目なようなら今日のところは諦めよう。
そんな軽い気持ちで俺はケージの端末を操作し、リアトリスをケージから外す。するとリアトリスは自動的にその場に足を伸ばして座り、続いて胸部の装甲が上昇し、コックピットハッチが開いた。
今まで遠隔操作のVFしか操作したことがないので、こうやって実際にVFのコックピットに乗るのは初めてだ。
でもあまり不安は感じていない。
「よいしょ……っと」
俺はリアトリスの脚によじ登ると、そのまま脚をつたってコックピットまで移動し、コックピットの中に入り込んだ。
内部は当然ながらキュービクルよりも狭く窮屈だった。しかし、意外にもあまり違和感はない。体中を包まれているような感覚だ。
ただ、操作コンソールが異常なほどに複雑だった。
七宮宗生はこれを自由に操っていたのだから、すごいとしか言いようがない。七宮宗生に限らずVFBのランナーというのはかなり大変だったみたいだ。
しかし、このコンソールでの操作をマスターすれば、AIに頼ることなく自分の思うままVFを操作できるはずだ。七宮宗生のようにVFを自在に操ることも夢ではない。
(とりあえず歩いてみるか。)
自己診断では各部所に異常は見られず、エネルギーも4割ほど残っていた。アルブレンなんかとは違って、自己修復機能が備わっているのかもしれない。
俺はコックピット内部にあったゴーグル型の簡易HMDを装着し、早速歩行してみることにした。コンソールが複雑だとはいえ、基本的な部分は同じなのだ。
まずは歩き出すために座った状態から立ち上がってみる。こういう決まった動作はいつもはAIに任せているので何だか不思議な気分だ。
俺はじっくりと時間を掛けて各関節を慎重に操作し、1分ほど時間を掛けてようやく立ち上がることができた。操作する度にコックピットに微細な振動が伝わり、僅かながらGの変化も感じられた。
この感覚はとても新鮮だった。
AIのサポートを受けられないのは不便極まりないが、こういうのもたまには悪くない。
続いて俺はリアトリスのアームを操作してみる。アシストがないので動きが不自然になったが、そこまで難しくは無さそうだ。
腕の細かい動作の練習がてら、俺は何か掴めるものがないか周囲を見渡す。すると、先程までは見えなかった物が視界に入り込んできた。
地面からだと死角になる位置、ケージの側面に取り付けられたそれは形状からして日本刀のようだった。
俺は一旦リアトリスに振り向かせ、ゆっくりとした動きでその日本刀を左アームで掴む。リアトリスが鞘の中央部分を掴むと自動的にケージから日本刀が外れた。更にその日本刀の柄の部分を右手で握ると、またしても自動的に鞘が展開し、中から巨大な刀身が姿を表した。
俺はその時改めて刀全体を観察することができた。
見てくれはチェーンソードよりも小さく、少し力を加えれば簡単に折れてしまうそうに見える。しかし、一目見てこの刀が傑作だと俺は直感で感じ取った。
刃紋に浮かぶ斑模様は言葉で言い表せられないほど美しく、倉庫内の明かりを反射して綺羅びやかな印象を俺に与えていた。また、特異で美麗な刃紋は、この刀の性能の高さと直結しているようにも思われた。
もちろん外見だけでなく重量バランスも刃渡りも理想的だ。
素晴らしいの一言に尽きる。
VFの手首を回転させて様々な角度から日本刀を観察していると、不意にHMDに『鋼八雲』という形の文字が表示された。
どうやらこの武器をリアトリスが自動的に認識したようだ。これは漢字というものだろうか、日本語はあまりわからないので何と書いてあるか読めないが、なかなかクールな形状をしていた。
「すごいな……」
思わず感嘆のセリフが口から漏れる。ここまで感動したのも久しぶりだ。
それほど俺はこのリアトリスというVFと鋼八雲という日本刀に感銘を受けていた。
売り払えば少しは足しになると思っていた自分が愚かに思える。これは売っていいようなものではない。いくら金を積まれても他人に渡すつもりもない。
この遺品、有り難くもらっておこう。
思わぬところで思わぬ掘り出し物を発見し、俺はかなり興奮していた。
(他にも何かスゲーのがあるかもな……)
ぱっと見では殆ど何も残されていない。しかし、倉庫内を隈なく調べるくらいの価値はある。隠し扉があって、そこにも貴重なVFが隠されている可能性だってあるのだ。
俺はリアトリスを足代わりに使い、しばらく広い倉庫内を散策する。
すると、急にリアトリスに搭載されていたマニュアルが起動し、コックピット内に女性の合成音声が響いた。
「――パーソナルパターンを記録しました。続けてランナーの登録を行います。……ランナー名をお願いします。」
多分リアトリスにデフォルトで搭載されている戦闘アシストAIだろう。
「シンギだ。」
あまり疑問を持たずに俺の名前を教えると、それに反応する形で合成音声が返ってきた。
「こんにちはシンギ。私はランナーが最大限の実力を発揮できるように設計された支援AIの『セブン』です。今後はあなたをサポートしますので、よろしくお願いします。」
「おう、よろしく。」
丁寧に喋るAIもあったものだ。こういうふうに戦闘行動の助けとなるサポートAIを使用するのは普通のことで、ケイレブを含めてほとんどのランナーは使用している。銃の残弾数を教えてくれたり、動体検知してくれたり、目標の特性を教えてくれる便利なツールだ。
優秀なAIを作成するのもランナーの実力の内だと言われているくらい、AIによる補助はランナーの実力を引き出してくれる。
一般的には便利な道具であるAIだが、俺は煩わしいのでAIは使用していない。
オペレーターですら邪魔なのに、戦闘中にこんなふうに喋られたら気が散って仕方がない。
50年以上前のAIとなればあまり期待できないかもしれない。しかし、七宮宗生の戦闘データを記憶しているAIともなれば話は別だ。
受け答えをした後、倉庫内の散策に戻るとセブンというAIは脈略もなく声を掛けてきた。
「あまりにも操作が未熟です。シンギは初心者ですね。チュートリアルプログラムを起動しますか?」
「初心者だと?」
心にもないことを言われ、俺は一旦操作するのを止めてAIとの対話に集中するべくHMDの表示モードを切り替える。
「操作技術がとても未熟ですが、初心者ではないのですか?」
これでも撃墜VF数は100を超えているし、その他の軍用車や砲台を含めれば200は超えている。世が世なら俺はエースパイロットなのだ。
それを初心者という言葉で呼ばれるのはあまり気分がよくなかった。
「俺はプロのランナーだ。まだこの操作コンソールに慣れてねーだけだ。」
AIに理由を話したところであまり意味は無い。それによくよく考えると、リアトリスの操作に関しては初心者であることに違いはないのだ。
「そうでしたか。では、改めてあなたの正確な戦闘データを収集します。」
セブンがそう告げた途端、リアトリスが勝手に停止し、その場に腰を下ろした。セブンは勝手にこちらのコントロールを奪ったみたいだ。
セブンの介入はそれだけで終わらず、続けて勝手に何かのプログラムを起動し始める。
「これからシミュレーションプログラム上で戦闘を行なってもらいます。これであなたの操作技術の熟練度や戦闘の展開の仕方、反射速度や格闘センスが分かります。まずはこれを分析してあなたにあった武器や戦闘スタイルを提案します。」
「……面白そうだな。」
ランナーを無視して操作に介入したのは感心できないが、シミュレーションで自分の能力を診断するのは面白そうだ。
「やる気は十分なようですね。それでは始めましょう。まずはレベル1-1からです。」
「おう。」
その時の俺は、それが単なる診断テストではなく本格的な訓練プログラムだったと知る由もなかった。