10 -すべての鳥の王-
前の話のあらすじ
ゲルハルトに勝利したシンギは、昔の知り合いであるアルドと対面することになる。
アルドは指示を無視したゲルハルトや、ミスを犯したレオラを罰しようとしたが、シンギは彼らを庇い、自ら試合に出て八百長に協力すると申し出る。
アルドはその申し出を了承し、シンギは再びクロギスの仕事に協力することになった。
10 -すべての鳥の王-
イギリス、ウェールズ地方の南東部。
海に面するその場所にはカーディフという都市がある。
ウェールズの首都でもあるこの都市は、“都市”という名を冠しているものの、その規模は小さく、そこまで賑わっていない静かな場所である。
一昔前まではそれなりに栄えていたのだが、人口の絶対数が減った今ではどうやっても発展できそうにない。
元々ウェールズ地方は人口が少ないので、絶望的と言ってもいいくらいだ。
上空から見ても市街地はスカスカで、高い建物は殆ど建っていない。
しかし、閑散としていることは決して悪いことではない。
静かにゆったりと過ごせるこの街は、自分にとってはなかなか過ごしやすい場所であるといえる。
上空から……空を飛ぶ戦闘機のコックピットからそんな長閑な風景を眺めていると、ヘッドセットから声が聞こえてきた。
「お疲れ様ですイグナシオさん。今週もいい結果が得られそうです。」
「ああ、そうか。」
……イグナシオというのは自分の名前だ。
正式な名前は『イグナシオ・レールベルク』。年齢は57で孫もいる。
こんな年齢になってテストパイロットをやっている人間は、この世にまた二人といないだろう。
とっくの昔に髪は白髪になり、足腰も弱ってきている。
今も旋回時のGのせいで関節が少し痛む。
だが、これでもまだ調子がいいほうだ。
VFBチーム、『ガムラ・システムズ』のランナーを引退する直前はそれはもう辛かった。
試合の度に筋肉痛を起こし、しばしば肉離れもやっていた。
VFBは楽しいし、張り合えるライバルもいた。できれば死ぬまで続けたかった。
……だが、孫娘に「おじいちゃん、危ないからやめて」と言われてしまい、止むなく引退を決意したわけだ。
その後、すぐにVFBも廃止されてしまったのだし、あのタイミングで引退したのは正解だったのかもしれない。
ランナーとしてのイグナシオは終わり、今はテストパイロットして戦闘機を操っている。
もともと戦闘機乗りだったので、この転職は自然な流れだった。
(さて、そろそろ帰るか……。)
海上をゆっくりと飛行していたイグナシオは、戦闘機の鼻を陸側に向け、北海に面する私設飛行場を目指す。
この私設飛行場は元々は普通の飛行場だったのだが、閉鎖が決定された時にガムラ・システムズ社が買い取った。
今は少し手を加えられてガムラ専用の複合研究施設になっている。
……ガムラ・システムズ社はアメリカ合衆国の半国有企業で、VF開発の他にも、あらゆる兵器や武器の開発、革新的な兵器の開発で有名な兵器開発企業だ。
基本的に米国から資金面での援助を受けており、その巨額の研究開発費のおかげで、今まで数え切れないくらいの兵器を開発してきた。
VF産業に関してはキルヒアイゼンや七宮重工には劣るが、それ以外の分野では世界のトップレベルに位置する企業である。
自分が所属している会社の事を考えていると、やがて滑走路が近付いてきた。
イグナシオはHUDに表示されたガイドに従い、機首を下げていく。
この戦闘機にそんなガイドなど必要ないのだが、ここで勝手な操縦をしてクビになるのも嫌だったので、取り敢えず指示されるがまま機体をコントロールする。
やがて戦闘機は滑走路上に侵入し、地面から5mの位置を飛行し始める。
そこでイグナシオは通常の戦闘機の中には存在しない、特殊なコンソールを起動させる。
(こいつ、フラップどころかランディングギアすら無いからな……)
イグナシオが特殊な操作をすると、たちまち戦闘機の形状が変化し、戦闘機は一瞬で人型の巨大なロボットに変形する。
戦闘機は、空中で変形したせいで空気抵抗をより多く受けるようになり、瞬く間に失速する。
「よっ……」
そんな失速を物ともせず、イグナシオは絶妙なバランスで人型の戦闘機の四肢を制御し、滑走路上で五点着地を実行した。
着地は軽やかに成功し、人型の戦闘機は滑らかな所作で立ち上がる。
イグナシオはそのままの状態で戦闘機を操作し、格納庫に向かっててくてくと戦闘機を歩かせる。
ここから格納庫まではちょっと遠い。この速度で歩くなら10分近く掛かるだろう。
こうなるならもうちょっと着地を遅らせても良かったな、と思いつつ、イグナシオはのんびり歩く。
HUDの案内を受けつつ滑走路上を移動していると、ヘッドセットから先ほどと同じ男の声が聞こえてきた。
「見事な着地でしたねイグナシオさん、……どうです? 『ジズ』の性能は最高でしょう?」
「そうだな……」
この戦闘機の名前は『Ziz』と言う。
ガムラ・システムズ社が開発し、現在実用化に向けてテスト中の陸空両用人型戦闘機である。
試作機とあってか、基本的に性能は高く、肩や脚に取り付けられたスラスターはとんでもない推進力を実現させている。
腕は鳥の翼のように平べったい形状をしており、変形した際には機体のバランスを取る尾翼となる。
脚部には大きなスラスターが無数に組み込まれており、これが変形した際にメインエンジンとして威力を発揮する。
脚部は折り畳まれるようにして機体の前に移動し、その後スラスターエンジンの出力が肩部の二つのエンジンに連結され、この重い躯体を空に飛ばしてくれるというわけだ。
つまり、変形後の飛行姿勢を簡単に説明するならば、進行方向につま先を向けて、仰向けの状態で飛行することになる。
もちろん、無駄な空気抵抗をなくすためにほとんどの装甲がピッタリと組み合わさり、機能的にも見た目的にも戦闘機に近くなるのだが、今は変形時間の短縮化を図るためにそこまできっちりとした変形はしていない。
やはり、可変戦闘機とあって変形時間はかなり重要視されている。
そのため、変形はもっと簡素化されるだろう。
見た目の良さより機能性を重視する……。まさにアメリカチックな効率優先的な考え方だ。
イグナシオはその考えをとても気に入っていた。
そんな素晴らしい思想のもと製作されている素晴らしい機体ではあるが、弱点がないわけではない。
変形機構を取り入れているため装甲強度が極端に低いのが弱点であり、難点なのだ。
それはおいおい開発チームが改良してくれることだろう。
(それにしても、テストパイロットの仕事を引き受けて、正解だったな……。)
長い間VFランナーだったイグナシオにとって、この可変戦闘機は新鮮なものだった。
フレーム技術を使用していないためVFではないのだが、その操作感はVFに似ている。
ただ、似ているだけであって操作系統は全く違うので、戦闘機とVF、両方の操作経験が必須だろう。
聞いた所によれば、この『ジズ』という名前は伝説に登場する鳥の怪物の名を借りて名付けられたらしい。
……“らしい”と言うのは、このジズの開発計画自体がかなり古いもので、名前もその時に付けられたためだ。名付けの親ももう他界したと聞く。
なぜそんな古い計画を今更掘り起こしたのか……、それは最近になってようやく計画を実現できる技術が揃ったからだった。
(数十年前の構想をようやく実現できたわけか……)
ここまで開発が遅れた理由は他にもある。
実を言うと、この計画自体はガムラ・システムズ社が発案したものではないのだ。
英国空軍で凍結されていた可変型航空戦闘機開発計画が最近になって再評価され、ガムラ・システムズ社がその計画を受け継ぐと名乗りを上げたというわけだ。
こんな田舎のウェールズでずっと試験飛行し続けているのも、体面上は英国空軍と共同開発したことになっているからである。
わざわざ義理立てしてやることもないのに、ガムラという会社は変な所で律儀な企業らしい。
……話をジズに戻そう。
開発計画自体は古いのだが、このジズは現代のハイエンドVFに負けず劣らずの高い性能を有している。
まだ戦闘テストを行なっていないので何とも言えないが、格闘戦においては、肩や脚に取り付けたスラスターが役に立つはずだ。
ただ飛んで適当にアクロバット飛行をするのにも飽きてきたし、ダミーとでもいいからそろそろ戦闘したいものだ。
人型に変形できる航空戦闘機なのだし、飛行テストよりも戦闘テストの方が絶対に重要だ。
そんな事を考えつつジズを歩かせていると、ヘッドセット越しに先ほどのオペレーターが話しかけてきた。
「それにしてもイグナシオさん、本当に無口な人ですね。」
「君が喋り過ぎなだけだ……。」
あんまり自分が無口だという自覚はない。
ただ、自分の外見は第三者から見るとかなり厳ついというか、ごついようで、単に話しかけてくる人間が少ないのだと予想している。
オペレーターはそんなことを物ともしないで、イグナシオに話し続ける。
「そうだ、親睦を深めるためにみんなで飲みに行きましょうよ。もう半年も経つのに僕、イグナシオさんの事全然知らないんですよ?」
「外人と慣れ合うつもりはない。」
差別感たっぷりに言い返したが、オペレーターは逆にイグナシオをおちょくる。
「あー、アメリカン気取ちゃって、ホントは仲良くなりたいんでしょ?」
「……。」
もうこれ以上話しても疲れるだけだ。
イグナシオはそう判断し、それ以降格納庫に到着するまで無言を貫く事を決める。
しかし、こちらが喋らずとも、オペレーターは遠慮なく話し続ける。
「もう週末ですね。イグナシオさん、週末はいつもロンドンに行ってるんですよね? 何してるかくらい教えて下さいよ。」
「……。」
その質問を無視し、イグナシオはジズを格納庫へと移動させる。
格納庫内には普通の戦闘機も並べられており、脇には作業服姿の整備士が何人も見られた。
イグナシオは器用にジズを操作し、戦闘機や機材を跨いで格納庫の奥、ジズの玉座へと歩を進めていく。
“玉座”というのはジズ専用の固定ケージのことだ。
ジズはボディの至る所にスラスターが装備されており、また、可変機構を持っているため、体全体を固定するようなケージを使えない。
結果、ジズのケージは中腰になって腰部だけをホールドするような、言わば椅子のような外見をしているのだ。
イグナシオはその玉座にジズを座らせ、すぐさま胸部にあるコックピットハッチを内部から開け、装甲の隙間を器用に滑り降りる。
イグナシオがジズから離れると、入れ替わるように整備士が玉座へと近寄り、十数秒と経たないうちにテスト後のメンテナンスが開始された。
整備士同士の掛け声を背後に聞きつつ、イグナシオはロッカールームへ向かう。
その途中、耳に付けたままのヘッドセットからまたしてもオペレーターの声が聞こえてきた。
「ここと違ってロンドンは大都会ですからね。ショッピングでも楽しむつもりですか? それとも観光ですか? 僕のオススメは……」
いい加減うるさく感じたので、イグナシオは嘘偽りなくオペレーターに教えてやることにした。
「……VFBの観戦だ。報酬が少なすぎるから、賭けで増やして補っているんだ。」
VFBを引退した身とはいえ、やはりVF同士のバトルを忘れることはできない。
孫娘と約束しているので試合をするつもりはないが、それでも試合を見ているだけで十分楽しめる。
イグナシオの話に、オペレーターは食いつくでもなく普通に返事する。
「へぇ、真面目そうに見えてイグナシオさんも賭け事をするんですね。僕、酒もタバコもやりますけど、ギャンブルだけは駄目かなぁ。スタジアムの雰囲気もあんまり好きじゃないし……」
「それは良かった。」
「……?」
通信機の向こう側できょとんとしているオペレーターの顔を思い浮かべつつ、イグナシオは言い放つ。
「少なくとも今週末はお前に付き纏われずに済む。」
この言葉を聞き、オペレーターは呆れたふうにため息をつく。
「はぁ……、それじゃまた来週もお願いします。」
「ああ、お前もゆっくり休めよ。」
……ギャンブルをやっているとは言っても、賭けは試合観戦のおまけでやっているようなものだ。
一応これでもガムラ・システムズの選手として公式リーグで活躍していたので、なかなか的中率は高い。お陰で最近は懐も多少暖かい。
やがてロッカールームに到着し、早速明日の対戦カードを確認するべく、イグナシオは携帯端末を自分のロッカー内から取り出す。
すると、タイミングよく誰からか電話がかかってきた。
……孫娘だろうか。
イグナシオは発信者を確かめることなく、即座に応答ボタンを押した。
「――お久しぶりです、イグナシオさん。」
聞こえてきたのは少女の声だった。……だが、孫娘のものでは無かった。
この透き通るような聞き心地のよい声は何度も聞いているし、よく耳に残っている。
……その少女が誰なのか、イグナシオはすぐに判断することができた。
「何だセルカか。ソウマの奴は元気にしてるのか。」
セルカとはソウマを通じて何度も会ったことがある。
世間話も何度もしたし、孫娘へのプレゼントの相談もできるくらい親しい仲だ。
こちらの問いに対し、セルカはぎこちなく答える。
「ソウマさんは一応元気ですけれど、色々あったと言いますか……」
電話越しのセルカの声にはあまり元気さが感じられない。
無理もない。VFBが廃止され、今は再建の目処も立っていないのだ。
ただ、それだけにしては些か雰囲気が暗すぎるような気もする。
「一応元気ならそれでいい。……また試合したいもんだな。」
「はい、いずれそうなることを願ってます。」
ソウマとの試合はとても楽しかったし、充実していた。
勝率はソウマが圧倒的に高いが、これは単にVFの性能差に寄るものだ。
技量的にはソウマに負けず劣らずだ……と思っている。
しかし、今後はソウマは成長し続け、逆にこちらは鈍っていく。まともに試合できるのもあと数年かそこらかもしれない。
そう思うと、何だか感慨深い。
「……俺ももう60の手前だ。リーグを再建するつもりなら俺が死ぬ前に、できるだけ早めに頼むぞ。」
「死ぬだなんて、そんな……」
イグナシオの言葉を冗談と捉えたのか、セルカは「あはは……」と、力なく笑う。
そんな笑い声をひとしきり聞いた後、イグナシオは本題に入ることにした。
「それで、急に俺に電話して、いったい何の用事だ?」
「しばらくロンドンで過ごすことになったので、一応挨拶だけでもと思いまして……」
今自分が住んでいるのはカーディフなのだが、ロンドンまで電車で2時間と掛からないし、別に余計なことをいう必要もないだろう。
イグナシオは自然に会話を続ける。
「そうか、何か大掛かりな作戦でもあるのか。」
「いえ、これは個人的な事なんです。」
長い話になりそうだと判断し、イグナシオはロッカールーム内のベンチに腰を下ろす。
そして、携帯端末を利き手に持ち替え、壁に背中を預けた。
こちらの動きを見計らったかのように、セルカは一息置いて事情を話し始める。
「イグナシオさんには話しますけど、ロンドンでCEのランナーを捜索するつもりなんです。」
「スカウトか?」
「いえ、スカウトじゃないです。契約していたランナーと意見の食い違いが発生しまして、そのせいで故郷のロンドンに帰ってしまったんです。……ですから、見つけ出して戻ってきてくれるように話し合うつもりです。」
人見知りで出不精のセルカが海外に出てまで追いかけるとなると、これは一大事である。
会話の感じだとセルカ一人だけで探索するみたいだし、本当に大丈夫なのだろうか。
それだけ、そのランナーはセルカにとって重要な人物らしい。
「わざわざ引き戻すとなると、そいつは本当に優秀なランナーだったんだな。」
こちらが単純な感想を告げると、セルカはまたしても否定から入る。
「いえ、そんなに優秀でもないんですけど、CEには欠かせないメンバーだったと言いますか……。と、とにかくあの人はCEに戻らなければ駄目なんです。」
本当に色々と複雑な事情があるみたいだ。
部外者が突っ込んで根掘り葉掘り聞くのも悪いし、詮索はやめておこう。
「……そうか、俺はCEの事はよく知らないが、見つけられるといいな。」
「はい、ありがとうございます。」
本当にセルカは素直でいい子だ。
孫娘も彼女のようにお淑やかな女に育って欲しいものだ。
「……。」
孫娘の将来のことを考えていると、自然と涙が出てきそうになる。
歳を取ると涙腺が緩み、すぐに涙が出るから困る。
イグナシオはこの辺りで通話を切り上げることにした。
「……久々に話せてよかった。なにか困ったことがあったら何でも言ってくれ。いつでも助けになるからな。」
「はい、その時はよろしくお願いします。……それでは。」
「ああ、じゃあな。」
別れの挨拶をし、イグナシオはすぐに携帯端末の通話終了ボタンを押し、それをジャケットの中に突っ込む。
(さて、さっさと電車のチケットを買ってロンドンに行くか……)
まだ夕方だし、余裕を持って移動しても試合開始時刻には十分間に合う。
今日のタッグバトルではどんな面白い展開が待っているのか、イグナシオは楽しみにしていた。




