33 -早すぎる再会-
前の話のあらすじ
アカネスミレが失われ、ナナミは大いに悲しんでいた。
ソウマは今後戦争に参加しないことを決め、VFOBで地道に活動していることを報告する。
シンギはソウマの言動を不審に思っていたが、確認がないため追求できないでいた。
また、シンギはセルカのために病院に同伴することになった。
33 -早すぎる再会-
海上都市群中央フロートユニット。
行政機関や商業施設はもちろんのこと、ここには最新鋭の設備を備えた総合病院もある。
その総合病院内の待合室で俺はセルカと長椅子に座っていた。
セルカ程度の怪我であれば各フロートユニットに建っている診療所でも十分だが、敢えてこの総合病院にかかっているのはちゃんとした理由があった。
いや、単純明快な理由といったほうがいいかもしれない。
その理由とは……サリナがここの病院の理事長と仲がいいというものだった。
そのお陰でCEの社員は丁寧に治療してくれるし、優先的に診察もしてもらえる。
こういう風に優遇を受けるのはあまり好きではないが、怪我をしている人間からすればとてもありがたいのは確かだ。
(サリナ、ここの偉い奴とどうやって知り合ったんだろうな……)
同じ海上都市群に住んでいるというだけで、病院と民間軍事会社に接点はないように思う。
とすれば、偶然知り合ったのかもしれない。
出会いはどうであれ、サリナの人脈形成能力の高さには驚くばかりだ。
俺にしたってゲームセンターでサリナと偶然会ったわけだし、サリナ自身に何か特殊な能力があるとしか思えない。
そうでなければあんなだらけきった性格の女が今の地位にいるわけがない。
サリナのことは後で考えることにして、今はもっと別に考慮すべき問題に直面していた。
「なぁセルカ、後何分くらいで診察室に呼ばれるんだろうな。」
「……。」
「それ、さっきから読んでるけど、何の雑誌なんだ?」
「……。」
セルカが全く会話に応じてくれないのだ。
というか、ラボを出てからセルカは一言も喋っていない。
歩いてる間もずっと前を向いて俺と目を合わせなかったし、病院に着いて待合室の長椅子に座ってからはずっと雑誌を読んでいる。
もちろんフードのせいで表情は全く見えないため、怒っているかどうかすら判断できない。
正面に回り込めば顔も見えるだろう。
しかし、下手にそんなことをすれば余計ややこしい事態に発展しかねない。
一応ソウマからセルカを任されているわけだし、ここは穏便に済ませるためにも慎重に対応した方がいい。
とは言っても、ここまで無視をされると心外だ。
……もしかして、イヤホンか何かを装着していて俺の声が聞こえてないのだろうか。
いや、絶対にそうだ。
そうでなければセルカがこんな態度をとっている理由がわからない。
俺はそれを確認するべく、パーカーのフード越しにセルカの耳を触る。
「ん……。」
耳を触るとセルカは小さく声を漏らし、一瞬ページをめくる動きを止めた。……が、嫌がる様子はなかった。
それを確認し、俺は指先で耳の穴あたりも触ってみる。
(何もつけてないな……)
フード越しに伝わってくるのは小さな穴があるという感触だけだ。
一枚布を挟んでいるのにセルカの耳は柔らかく、俺はちょっかいを出す感覚でセルカの耳をしばらく弄ってみる。
しかし、セルカは全く反応しない。
……こうなると、意識的に俺を無視しているのは明らかだった。
(もしかして、新手のゲームか?)
どこまで無視に耐えられるか、その時間をひそかに計測しているのかもしれない。
俺が“参った”というのを待っているのだろう。
なるほど、セルカにしては面白いことをするではないか。
耳たぶを触りながらこれから何をしてやろうか考えていると、ふと雑誌の文面が目に入ってきた。
どうやらセルカは普通の週刊誌を読んでいるようで、そこには海上都市内で今後行われる予定のイベントなどが紹介されていた。
ただ、文面以外に気になるところもあった。
俺はそれを指摘する。
「なぁセルカ、その雑誌上下逆じゃねーか?」
あまりにも堂々と読んでいたので気が付かなかった。
セルカは俺に指摘されてようやく気づいたようで、慌てて雑誌を上下逆に回転させた。
しかし、あまりにも慌てたせいで誤って雑誌を落としてしまった。
(何やってんだか……)
身を屈めると怪我が痛むだろうと思い、俺はその雑誌を拾い上げてセルカに差し出す。
「ほら。」
「……。」
セルカはこちらから目を逸らしたまま受け取ろうとしない。
仕方なく俺はセルカの正面に回り込み、顔面めがけて雑誌を突きつけた。
その時、久々にセルカの表情を窺うことができた。
セルカはなぜか顔を赤らめ、その青の瞳を頑なに俺と合わさないように真横に逸らしている。
上下逆さに雑誌を読んでいて恥ずかしい気持ちは分からないでもないが、いくらなんでも恥ずかしがりすぎだ。
若干呆れながらセルカを眺めていると、ようやく待合室にアナウンスが聞こえてきた。
「――セルカ・キルヒアイゼン様、第一診療室にお越しください。セルカ・キルヒアイゼン様……」
アナウンスが聞こえると、セルカは俺を避けるように長椅子から立ち上がり、診察室に駆け込んでいった。
結局最後までセルカとは話せなかった。
無視ゲームはもうあいつの勝ちでいい。あそこまで本気でやられると俺もどうしようもない。
俺は雑誌を棚に戻すと、セルカがひと通り診察を終えるまで待つことにした。
……それにしてもこの病院は広い。
待合室の広さを見て、改めてそう思う。
ロビーには革製のソファーがズラリと並び、子供用の遊戯スペースまで完備されている。
14階全てのフロアにゆったりと寛げるスペースがあり、廊下もボウリングのレーンが4つ入るくらい広い。
また、窓から見える景色もなかなか綺麗だった。
5階からでも十分見応えがあるのだから、14階になるともっとすごいに違いない。
この海の景色を毎日見られるというだけで大抵の病気は治ってしまいそうだ。
……それは少し言い過ぎかもしれないが、そのくらい立地は良かった。
7階には空中庭園があると聞いているし、試しに行ってみようか……。
そんなことを考えていると、何者かが俺の名前を呼んだ。
「ようシンギ・テイルマイト。」
口調からして病院の関係者じゃなさそうだ。
声がした方向に目を向けると、そこにはあまり会いたくない男の姿があった。
「アイヴァーか……。」
坊主頭に触り心地が悪そうな顎髭、そして鋭い目つきが特徴のアイヴァーはその手にタバコのケースを持っていた。
院内は禁煙なので、多分テラスに向かう途中だろう。
話すこともないしさっさとどこかに行って欲しかったのだが、アイヴァーはタバコを懐にしまって俺の隣に座ってきた。
「それにしても、カシミールじゃ大変だったらしいな。ウォーノーツでパキスタンのVFカメラの動画を見たんだが、雪のせいで殆ど視界ゼロだったぞ。開戦直後の貴重な戦闘映像なのに、全部まともに映ってないのは勿体ないなぁ……。」
「だから何だよ。……お前と話すこともねーし、さっさと失せろ。」
こいつと関わって良い事なんて一つもない。
俺はアイヴァーを追い払おうとしていたが、アイヴァーは居座り続ける。
「俺のことが嫌いなのはよく知ってるけどさぁ、そういうのはもっとやんわり言おうぜ……」
「嫌われてるって分かってんならわざわざ話しかけてくるなよ……。」
きつい言葉を浴びせ続けているにも関わらず、アイヴァーは俺に質問してきた。
「そういや何でここにいるんだ。どっか怪我したのか?」
「ただの付き添いだ。」
そんな事は見れば分かるだろうに、わざわざ聞いてくる辺りがとても腹立たしい。
イライラしながらアイヴァーを追い出す方法を考えていると、こちらの考えを察したのか、アイヴァーは長椅子から立ち上がった。
「そんなに怒るなって、もう行くからよ。……じゃ、カシワギソウマにもよろしく言っといてくれ。」
急にソウマの名前が出て、俺は思わず聞き返してしまう。
「ん? ソウマと何かあったのか?」
アイヴァーも聞き返されるとは思っていなかったらしい。
少しばかり驚いた表情を浮かべて確認するように言う。
「あれ? あいつから何も聞いてないのか。」
このセリフで、俺は初めてアイヴァーとソウマの間に何かがあったことを知ることができた。
それが何だったのかをはっきりさせるべく、俺はアイヴァーのズボンのベルトをがっしと掴み、再度椅子に座らせる。
そして、話を聞き出すべくアイヴァーに詰め寄る。
「……おい、何のことだ。」
「いや、知らないなら知らないでいいんだ。」
俺の質問に対し、何故かアイヴァーは狼狽えていた。
もし仮に何かがあったとしても適当に受け流せばいいのに、それができないほど動揺しているというのはかなりの異常事態だ。
ソウマと何か重要なやり取りをしたとも考えられる。
俺は適当に当たりをつけてアイヴァーに再度問いかけてみることにした。
「まさか、お前もカシミールにいたのか? そこでソウマと会ってたんだな?」
「……会ってないぞ?」
アイヴァーは半笑いで首を左右に振っていた。話し方もどこかぎこちない。
「バレバレの嘘ついてんじゃねーよ……。」
アイヴァーがカシミールにいたのは間違い無い。
先ほどもパキスタンだとか何とか言っていたし、パキスタンの傭兵としてあの場に偶然居合わせたのかもしれない。
でも、わざわざそれを隠すくらいだから、何かの意図があってソウマと接触したと考えるほうが自然だ。
この間バトルフロートユニットで話した時には、アイヴァーはアイリにスカウトされて今現在七宮に雇われていると言っていた。
だとすると……
(今回のカシミールの件にアイリが絡んでたってことか……?)
それがいったい何を意味するのか。
その結論に至る前に聞き覚えのある女の声が聞こえてきた。
「――良かったじゃないキノエ。ちょっと前まで何も食べられなかったのに、もう健康だって。」
そんな事を言いながら目の前にある第二診察室から出てきたのは七宮重工の社長、遺伝的には俺の姉でもある稲住愛里だった。
スーツ姿のアイリは長いポニーテールを揺らしながら歩いており、その隣にはもう一人女がいた。
赤い髪に赤い瞳を持つその女はアイリの言葉に受け答える。
「はい、こんなに早く回復できたのもイナズミ社長のおかげです。」
「“イナズミ社長”だなんて堅苦しいわ。私の事は“アイリ”でいいって言ってるでしょ?」
「そうでした。すみません、アイリ。」
俺はアイリと仲良く話している女のことを知っていた。
ニシムさんやカルティカ、そして山岳部隊の隊員を惨殺し、おまけにセルカに怪我を負わせた張本人……ソウマが殺したはずの女だった。
「キノエ・カディス……なんで生きて……?」
俺は思わず椅子から立ち上がり、アイリとキノエの元に駆け寄る。
キノエはどこにも怪我をしている様子はなく、至って健康そうに見える。
これだけ無傷だとソウマが殺し損ねたとは考えられない。最初から見逃したか、戦闘を避けたと考えるのが自然だ。
ということは、ソウマは俺に嘘をついていた事になる。
人殺しは嫌だとか散々言っていたし、キノエのことをわざと見逃したのだろうか……?
キノエを前にして困惑していると、アイリの笑い声が耳に入ってきた。
「フフ……。その様子だと綜真から何も聞かされていないのね。可哀想だわぁ。」
アイリはキノエの横から離れると俺の背後に回り、クスクスと笑う。
俺は振り向いてアイリと向かい合い、口調を強めて言う。
「何があったか教えろ!!」
「いいわよ。」
アイリはあっさりと俺の要求を飲み、顔を寄せてくると耳元で囁いた。
「……実はあの一連の事件、全部私達が仕組んでたの。あの戦闘に乗じてソウマを拉致するか、それが無理なら殺すつもりだったのよ。」
「なっ……!?」
いったいどうして? 何のために? どんな目的があって?
一瞬で様々な疑問が頭を駆け巡ったが、そのどれも口に出して質問することができなかった。
それほど俺はアイリの告白に驚愕していた。
アイリはそれだけ言って俺から身を離し、更に話し続ける。
「でも安心していいわよ。もうソウマは脅威じゃなくなったわ。今後、戦闘行為に介入してくる心配もないでしょうね。フフ……。」
「じゃあ、お前がソウマの作戦参加を許したのも……」
「そうよ。せっかくあなたのところの社長に頼んで戦場まで用意してもらったのに、結局最後は話し合いで片付いちゃったのよね。無駄なことをしたわ。……最初からソウマが交渉に応じてくれるって分かっていたらあんなに無駄に人が死なずに済んだのに。」
アイリからは死者に対する敬意というものが全く感じられなかった。
無駄という言葉も、人の命に対してではなく、自分がかけた労力や時間に対して使われているように感じた。
すべての原因がアイリにあると分かり、俺は今まで抑えていた物を爆発させてしまう。
「お前のせいで……お前のせいで何人死んだと思ってやがる!! 戦争にまで発展してるんだぞ!?」
そう叫びながら俺はアイリのスーツの襟を両手で掴む。
その際、襟のボタンが数個外れて院内の廊下に飛び散った。
周囲にいた患者やスタッフも俺のことを見ていたが、そんな視線に構うことなく俺はアイリを糾弾し続ける。
「セルカもお前のせいで酷い目にあったんだぞ!! 分かってんのか!?」
「何言ってるのよ。それが戦争でしょう? ……怪我するのが嫌ならお家に引き篭ってなさいよ。あと……」
アイリは全く口調を変えることなく俺の言葉を否定する。
そして、言葉の最後を区切ったかと思うと俺の腕を勢い良く上にはじき、がら空きになった鳩尾に拳を入れた。
そこまで力がこもったパンチではないものの、ほぼノーガードだったので、そのダメージは見た目以上に響いた。
鳩尾に入れられたせいか、心なしか呼吸も苦しい。
アイリは俺の腕を襟から剥がすと、そのまま腕ごと俺を引き寄せ、再び耳元で囁く。
「お姉ちゃんに乱暴しちゃダメでしょう?」
「クソ……。」
ああ見えてアイリは格闘のプロフェッショナルだ。
そんな相手によく考えもせず飛びついた俺が馬鹿だった。
「シンギさん……?」
アイリに密着されたまま呼吸を整えていると、第一診療室からセルカが出てきていた。
包帯も巻き直したようで、服の上から脇辺りをさすっていた。
セルカは最初は俺とアイリのことを見ていたが、次第にその視線は別の場所に移り、顔色も悪くなってきた。
「シンギさん、私ちょっと疲れてるかもしれません。死んだはずのキノエが……」
セルカの視線の先にいたのは赤髪の女、キノエだった。
名前を呼ばれ、キノエはセルカに挨拶を返す。。
「セルカ・キルヒアイゼンじゃないですか。……あの時はすみませんでした。結構殴った記憶があるんですが、大丈夫ですか?」
「いや……近寄らないで……」
キノエに接近され、セルカは怯えた表情を浮かべる。
セルカはキノエから遠ざかるように後退していたが、足がうまく動かないのか、三歩も歩かないうちにその場にこけてしまった。
それを見て俺はすぐにアイリから離れ、胸の痛みに耐えながらセルカの元に駆け寄る。
俺がそばに来てもセルカは立ち上がる事ができず、そのまま頭を抱えて床に伏せてしまった。
どれだけ酷いことをされたらこんなにもキノエのことを怖がれるのだろうか……。
可哀想に、セルカは床にうずくまって小動物のように震えていた。
俺はキノエを牽制しながらアイリ達に告げる。
「お前ら覚悟しろよ。警察に付き出してやるからな。」
“警察”という言葉を出した途端、アイリは吹き出し、アイヴァーやキノエまでもが俺を馬鹿にするように小さく笑った。
「警察……? お門違いもいいところです。ボクは中国政府の依頼を遂行したまでです。文句があるなら中国に言ってください。」
「警察に言ったところで向こうも困るだけだろ。大体何て言うつもりだ? “戦争中に敵に攻撃されて怪我したから敵を逮捕してくれ”とか言うのか? ……笑われるのがオチだぞ。」
キノエとアイヴァーの言葉の後、アイリも俺に告げる。
「別に警察でにも公安にでも通報して構わないわよ。……ただ、そんなことをしたら綜真の努力が無駄になるわね。泣く泣くアカネスミレを手放したって聞いたわよ?」
「……。」
俺は何も言えなかった。
そもそもこの海上都市群は正確には国ではないので、警察もあまり積極的に捜査はしない。容疑者を本国に送り返すくらいが関の山だ。
そんな事を話していると、騒ぎを聞きつけた病院の警備スタッフがやってきた。
今は廊下の向こう側にいるが、10秒もすればこちらに到着するはずだ。
アイリ達はその警備スタッフを避けるようにその場を去り始める。
その際、アイリはまたしても俺に囁いてきた。
「もっと事情が知りたければあなたのところの社長に聞いてみればいいわ。あの人、全部知ってるはずだから。……じゃあね、シンギ。」
その後、警備スタッフや看護師が駆けつけたが、既にアイリ達はその場から消えていた。
セルカはキノエが去ったにも関わらずまだ震えていて、すぐに看護師がどこかへ連れて行ってしまった。
俺もセルカに付き添おうかと思ったが、それよりも先に行くべき場所があった。
(サリナ……)
アイリに言われた通りに行動するのは気が進まない。
しかし、あの作戦に関わった以上、サリナから事情を聞いておくべきだ。
……サリナが全ての事情を知っているということが何を意味するのか、この時の俺はまだ気付いていなかった。




