8 -依頼人-
前の話のあらすじ
アイリはソウマのことを邪魔だと認識しており、どうにかして排除できないかと考えていた。
キノエによる説得も失敗に終わり、もう殺す以外に方法がないと思い悩んでいた。
そんな時サラギからの連絡を受け、アイリはある作戦を思いついた。
8 -依頼人-
「――おい、誰もいねーのか?」
チームキルヒアイゼンのチームビル、俺はその受付カウンターで声を張り上げていた。
周囲にスタッフの影はない。先ほどから呼び出しベルを鳴らし続けているが、反応すら返ってこない。俺が発した声は周囲に響いただけだった。
今日は平日、しかも昼間である。
こんな時間に人っ子ひとりいないのは初めてのことだ。
いつもであれば美人な受付嬢が応対してくれてゲストパスをくれる。その受付嬢すらいないということは、何か事故か事件でも起こったのだろうか。
それとも今日が偶然休みの日だとか……。
しかし、施錠もしないでビルを開けるなんて事はあり得ない。
(ま、いいか……)
結局ゲストパスは手に入らなかったが、俺はあまり気にすることなくいつも通り地下にあるラボに向けてビル内を移動していく。
ゲストパスを付けずにビル内をうろつくのは多少不安だったが、俺はいつもラボに出入りしているし、セキュリティに見つかっても平気だろう。
もし捕まえられてもナナミやセルカが説明してくれれば咎められることもないはずだ。
それにしても今日は本当に静かだ。
通路ですれ違う人もいなければ人がいる気配もない。
元々スタッフが少ないので賑やかなわけではないし、ビル内部は常に落ち着いた雰囲気を保っている。……が、今日に限っては落ち着きを通り越して静寂であった。
それを少し不気味に感じつつも、俺はラボに到着する。
ラボの扉は開きっぱなしになっており、俺は足を止めることなくラボの中に入っていく。
中には人影はなく、整備用の機械類は全て電源が落ちていた。
休憩中という訳でも無さそうだ。
いつもラボで何かしら作業をしているナナミがいないのは異常に思えた。
「こっちも誰もいねーのか……。」
――キルヒアイゼンのスタッフ全員が神隠しにでもあったのだろうか。
そんなオカルトチックな事を考えていると、ラボの中にリアトリスの姿を発見した。
リアトリスはメンテナンスが完了しているらしく、黒い装甲も全て取り付けられた状態で壁際のケージに固定されていた。
ボディのどこにもケーブルらしきものは接続されていないし、いつでも出撃可能といった感じだ。
外からリアトリスの様子を観察しながらラボ内を進んでいくと、俺の存在を感知したのか、リアトリスの外部スピーカーからセブンの合成音声が聞こえてきた。
「シンギ、こんにちは。ラボ内のセキュリティレベルが著しく低下しています。早急に対策を講じましょう。」
いきなりそんな事を言われてもどうしようもない。
俺はリアトリスに近づきながら言葉を返す。
「対策っつっても何をどうすりゃいいか分からねーよ。」
すると、間を置かずしてセブンが俺に指示を出してきた。
「不審者が入ってこないようにドアをロックしろということです。シンギも子供ではないのですから、そのくらい自分で考えましょう。」
「チッ……このクソAIめ……」
本当にセブンにはイライラさせられることが多い。
ちなみに、『セブン』はリアトリスに搭載されている戦闘支援AIの名前だ。
戦闘中は役に立つが、それ以外の時にはまるっきり役立たない。
“戦闘支援”と冠しているのでそれも当然のことだが、俺はセブンのランナーを小馬鹿にしたような物言いがあまり気に食わなかった。
俺は要求を無視してセブンに状況を確認する。
「おいセブン、ナナミやセルカはどうしたんだ? つーか、スタッフも全然見かけないんだがみんなでどこかに行ったのか?」
「はい。昨晩、VFBのバトルフロートユニットに向けて出発しました。アカネスミレも専用輸送船で輸送したようです。」
「っつーことは試合の準備に行ったのか……。」
シーズンがもうすぐ始まると言っていたし、スタッフ総出で準備しているのかもしれない。
それにしても戸締りもしないで行くなんて無用心にも程がある。
俺もそのバトルフロートユニットに行ってみたい気持ちはあったが、準備を手伝うなんてことになると面倒だ。
留守番代わりにここでのんびり過ごすのもいいかもしれない。
ここには大きなモニターもあるし、ナナミが溜め込んでいるお菓子もたくさんある。
勝手にデータベースを閲覧しながらリラックスさせてもらおうではないか。
そんな事を考えていると、不意に携帯端末に着信が入った。
懐から端末を取り出して画面を見てみると、どうやらサリナからの電話のようだった。
俺は通話ボタンを押し、携帯端末を耳元にあてる。すると、慌てた様子のサリナの声がスピーカー越しに聞こえてきた。
「――シンギ、今どこにいるの? ちょっと頼みたいことがあるから社長室まで来てくれない?」
「また頼みごとかよ……。」
先日の児童のお守りといいレストランでの介抱といい、最近サリナ絡みの事で嫌な思いをしたばかりだ。
そんな事もあって、俺はサリナの言葉に辟易していた。
俺がやる気のない返事をしたにもかかわらず、サリナは問答無用で命令してくる。
「とにかく早く来て欲しいの。今大変なことになってるのはシンギも知ってるでしょう?」
「……ん? 何かあったのか。」
「まさか……何も知らないの!?」
大変なこととは何のことだろうか。さっぱり分からない。
サリナの口振りからすると俺がそのことを知らない方が異常らしい。
その事を調べるべく通話状態を維持したままニュースを見ようとすると、俺が最新ニュースを閲覧する前にセブンが横槍を入れてきた。
「シンギ、世の中の動向には常に目を向けておきましょう。特に、海上都市群で起こってるニュースくらい常に把握していて欲しいものです。今すぐニュースを見ることをおすすめします。」
「うっせーぞ。」
セブンを軽くあしらいつつ普段見ているニュースサイトを覗くと、そこには“不法占拠”という言葉が踊っていた。
詳しく見ると、どうやらキルヒアイゼンの連中やその他のスタッフ、ファンがVFBのバトルフロートユニットを占拠しているらしい。
彼らはVFBの廃止を撤回するよう七宮重工に要求していて、それを世間に広く知らせるために抗議活動を行なっているとのことだ。
七宮重工側は強制的にそのフロートユニットを解体するべく作業船など数隻を用意しているが、占拠しているせいで全く作業を行えないらしい。
それに加え、作業ができない大きな原因はアカネスミレの存在だ。
記事には、フロートユニットに取り付こうとしている海上作業用重機や作業用VFを片っ端から機能停止させていると書かれている。
文章からはその状況をよく把握できなかったが、占拠している様子は上空からの写真で見ることができた。
「スゲーことになってんな……。」
そのつぶやきは電話越しにサリナに届いたらしい。
サリナは重ねて俺に要求してくる。
「その事態を解決するようにCEに依頼が入ったの。シンギにも話し合いに参加してもらいたいから、なるべく早くね。」
この一大事にラボでのんびり過ごす訳にもいかない。
「分かった……。」
俺は短く返事をすると通話を終了させ、CE本社へと急いだ。
――キルヒアイゼンのラボを出てから十数分後。俺はCE社の社長室に到着していた。
キルヒアイゼンがフロートユニットを占拠したという話は既に海上都市内で大きな話題になっていて、ここに来る途中に何回もその話を耳にした。
話によれば今回の事件の発端は七宮重工側が何の予告もなしにバトルフロートユニットを解体し始めたことにあり、キルヒアイゼンの連中はそれを阻止するために慌ててバトルフロートユニットに現れたとのことだ。
七宮も七宮だが、それを実力行使で妨害するキルヒアイゼンもキルヒアイゼンだ。
今は硬直状態に陥っているが、フロートユニットを守るために七宮側と激しい衝突があったらしい。
今後どうなるのだろうか、若干わくわくしつつ社長室に入ると、いきなり予想外の人物と遭遇してしまった。
それは七宮重工の社長、イナズミアイリだった。
アイリはサリナの隣で何かを話していたのだが、俺が部屋に入るとすぐに視線をこちらに向け、うす気味の悪い笑顔を俺に向けた。
アイリは後頭部でまとめた長いポニーテールを揺らしながら接近してきて、目と鼻の先まで近付く。そして、こちらに手を伸ばしてきた。
俺はとっさにその手を回避する。
アイリはそんな動作を気にする様子もなく俺に猫なで声で話しかけてきた。
「シンギ、とても久しぶりね。会いたかったわ。」
俺は会いたくなかった。
その気持ちを俺は行動で示すため、踵を返して一目散に社長室から逃げようとする。
しかし、その短い逃亡劇は未遂で終わってしまう。
なぜなら、あっという間にアイリに追いつかれ、体ごと掴まれて社長室の中に放り込まれてしまったからだ。
いとも簡単に投げられてしまったことに驚きつつも、俺はアイリに文句を言う。
「何だよ、こんな所にまでくるんじゃねーよ。気持ち悪いな。」
何故こいつがこんな場所で待ち構えていたのか、全く理解できない。
と言うか、簡単にCEの社長室に入って来られるということが驚きだ。
アイリは俺の“気持ち悪い”発言に敏感に反応し、言い返してくる。
「こんな美人の義姉さんに対して気持ち悪いはひどいんじゃない?」
「美人って……自分で言うなよ……。」
自信満々に美人だと言い切るその性格が嫌いなのだ。しかし、これを言った所でアイリがましになるとも思えない。
俺はアイリを一旦置いておいて、室内の椅子に座っているサリナに対して不平を告げる。
「おいサリナ。こいつがいるなら先に電話で伝えろよな。」
「ごめんごめん。でもイナズミ社長の事を言ったら絶対に来てくれないと思ったの。それに、今回の依頼主を追い出すわけにもいかないでしょ?」
「依頼主?」
サリナの視線に誘導され、俺の視線はアイリに向けられる。
俺の視線に対してアイリは不敵な笑みを浮かべ、間もなく依頼内容を話し始めた。
「シンギにはあのアカネスミレを倒して欲しいのよ。……いいかしら?」
「……!!」
アカネスミレを操作しているのはあの無敗のランナー、ソウマだ。
事態をあまり把握できていない俺でも、アカネスミレを排除さえすれば全てが上手くいくということは理解している。
それにしても、ソウマに対して俺一人で対処するというのは荷が重すぎる。
シミュレーターでの対戦では手も足も出ない状態だったし、勝てる見込みは少ない。
だからと言っておめおめと断るつもりもなかった。むしろ願ってもないチャンスだ。
俺がゆっくりと頷くと、アイリは言葉を再開させる。
「バトルフロートユニットでVFBチーム『キルヒアイゼン』が集結して抗議活動……、シンギもニュースで見たわよね?」
「ああ、さっきな。」
「それなら話が早いわね。……実は七宮重工はVFBを終わらせるって公式発表する前に、各チームの親企業に内々に通告していたのよ。その中で唯一キルヒアイゼンだけが納得してくれなかった。……根気よく何度も交渉した結果、キルヒアイゼン本社はVFB事業の廃止を了承してくれたんだけれど、実際にチームを運営してるスタッフが納得してくれないって状況ね。抗議のために立て篭もっちゃったのよ。一部のファンまで抗議に参加しているのが厄介ね。」
つまり、キルヒアイゼン自体が抗議をしているのではなく、スタッフが独自の判断で立て篭もっているということらしい。
ソウマのようなカリスマが先頭に立てばこんな事も簡単にできるのだろう。
アイリの説明を聞いて大まかな事情を把握していると、背後からケイレブの声が聞こえてきた。
「なるほど、やはりそういう経緯だったか。」
ケイレブは納得したように呟くと、開きっぱなしだったドアを閉めて入口付近の壁に背中を預けた。
遅れて登場したケイレブはアイリの言葉に付け足すように言う。
「キルヒアイゼンのスタッフがこんな暴挙に出たのも、七宮重工と経済的な繋がりが薄いからだろうな。そうでなければ他のチームのように素直に言うことを聞いていたはずだ。」
ケイレブは一息ついて、そのまま語り続ける。
「大体、VFBは宣伝目的に使うにはコストが掛かり過ぎる。にも関わらず他の4企業がVFBに参加していたのは新パーツの試験やそれを使用したテスト戦闘が目的だったからだ。強いランナー相手なら有用性が高い実戦データを得られるからな。」
VFBというスポーツは単なるスポーツではなく、いろんな団体の様々な思惑が働いて運営されていたようだ。
難しことは分からないが、元々崩壊の兆候があったということだけは理解できた。
ケイレブの話について、アイリはそれを肯定していた。
「そうそう。よく分かってるじゃない。先代の社長の七宮宗生がVFBが好きだったから、気に入られるために仕方なくVFBのスポンサーになってた企業もあったみたいよ。だから今回のVFB廃止の話に反対する理由もないわけ。既に下火状態のVFBがこんなにも長く存続できていたのは所詮そんな理由なのよ。」
アイリの言うことは多分正しいのだろう。
それでも、VFBを純粋に楽しんでいるファンが多くいるのもまた事実だ。
特にセルカは楽しむどころかVFBに夢中だ。
そんな少女のことを思うと複雑な心境になった。
「ところでケイレブ、ソウマとの戦闘はどうだったの?」
社長室の大きなデスクからケイレブに話しかけたのはサリナだった。
そのサリナの問いかけに対し、ケイレブは思い出したように報告する。
「すみませんコルマール社長、努力したのですが、アルブレンでは歯が立ちませんでした。」
俺はその言葉に咄嗟に反応してしまう。
「ケイレブ、ソウマと戦ったのか!?」
「ああ。10秒と持たなかったがな。」
ケイレブはさらっと答えると、サリナが座るデスクに近付き報告を続ける。
「ソウマ選手もこちらが無人機だということを知っていて攻撃に容赦がありません。今もアルブレンを送り込んでいますが、これ以上はアルブレンを無駄にするだけかと。」
遠くから取り囲んで銃撃すればいいとも思ったが、スタッフやファンがいる場所に向かって銃弾を浴びせるのは論外だ。
戦闘で敵わないのなら、持久戦に持ち込めばいいのではないだろうか。
俺はその考えを何となく口に出してみる。
「エネルギーが切れるまで粘ればいいんじゃねーの? 補給するにしてもスペアのVFもないから絶対隙ができるだろ。」
だが、俺の提案はすぐに却下されてしまう。
「よく考えろシンギ、このままバトルフロートユニットの様子が報道されたら七宮重工の企業イメージが悪くなるし、海上都市群の観光イメージにも影響が出る。早急に対処すべきなんだ。」
ケイレブの言葉の後、アイリもため息混じりに言う。
「はぁ。……ある程度の反抗は予想していたけれど、ここまで反発されるとは思わなかったわ。それに、複数のアルブレンを簡単に破壊できるソウマの強さにも驚きね……。」
CEは何だかんだ言っても優秀なランナーが集まっているエリート集団だ。
そんなランナーが操作しているアルブレンを何機も破壊できるのは本当に驚きだ。
俺だって複数を相手にして勝てる自信はない。
それを簡単にやってのけるのだからもはや化け物レベルである。
改めてソウマの実力に戦慄すら覚えていると、サリナから決定的な言葉が発せられた。
「……やっぱり、勝つためには有人機で戦うしかないわね。」
“有人機”という言葉が出た途端、社長室内にいた3人の視線が俺に向けられる。
なるほど、今回の件に関して俺以上の適任者はいないというわけだ。
アカネスミレと同程度の性能を有するリアトリスならば勝機があると考えているに違いない。
VFの性能についてはその意見は概ね正しい。しかし、ランナーに関しては間違っている。
認めるのは悔しいが、ソウマは俺よりも遥かに強い。
同程度の性能のVFで戦った場合、ランナーの操作技術が高いほうが勝つに決まっている。
――それを十分に理解していても、俺の闘志が揺らぐことはなかった。
VFBが解体されるとなれば、ソウマもアカネスミレに乗れなくなってしまう。
……つまりソウマと闘える機会は今回以外に無いということだ。
これを逃してしまえば俺はずっとソウマに負けたままになってしまう。
闘えるのなら、喜んで依頼を受けてやろうではないか。
「分かった。やる。」
短いながらもしっかりとした返事をすると、すぐにアイリが俺の手を掴んできた。
アイリはその手を胸元に引き寄せながら小さく跳ねる。
「あら、意外に素直じゃないの。お姉ちゃん嬉しいわ。」
別に俺は嬉しくともなんともない。
それに、アイリの為にソウマと戦うわけではない。俺が戦うのはCEのためであり、そして俺自身のためである。
俺はアイリの手を振り払い、今度こそ社長室から出るべく移動していく。
「じゃあ俺は早速リアトリスを起動させに行くからな。評判が落ちる前にさっさと片付けたいんだろ?」
そんな俺の動きに応じて、サリナから指示が送られてきた。
「そうね。すぐに海上輸送用のVTOL(垂直離陸機)を用意させるわ。ある程度のプランはこちらで立てているから、シンギにはそれに従ってもらうわよ。」
「わかったわかった。」
背後から聞こえてくるサリナの言葉に応じつつ、俺はドアを開ける。
――今度こそソウマを倒す。
あそこまでコケにされて泣き寝入りするのは俺の性に合わない。
シミュレーション上では負けたが、実戦になれば勝つ自信がある。
……どこからともなく湧いてきた確信を胸に、俺は社長室を後にした。




