2 -有名人-
前の話のあらすじ
VFBの選手『キノエ』は、同じくVFBで無敗のランナーと呼ばれている柏木綜真のことが大好きだった。
彼女は綜真に振り向いてもらうため、ひたすら努力を続けていた。
2 -有名人-
昼下がりのCE本社屋内。
俺、シンギ・テイルマイトは目の前に広がる光景に慄いていた。
人生においてこれほど動揺したことはないかもしれない。
人間、予想外の状況に陥ると体が固まってしまうというが、あの言葉は間違いなく本当だ。
現に今、俺はその状態にある。
ただ、かろうじて今の気持ちを口に出すことはできた。
「冗談だろ……」
本社のエントランスホール、CEの大きなロゴマークが入った広い大理石の床の上にはおびただしい数の子供がいた。
歳は7歳から10歳くらいだろうか、男女ともに30人ずつくらいいて、全員が紺色の制服を着ている。つまりは小学生児童だ。
制服があるくらいだからどこかの私立の有名な小学校なのだろうか……。
もちろん俺はその小学校の名前など知らない。
しかし、そんな事は問題でも何でもない。
……問題はその小学生共がCE社に見学に来ているということだった。
「なんで俺たちがガキ共の面倒見なくちゃならねーんだ……」
またしても思っていたことを口に出すと、隣からはっきりとした口調の声が聞こえてきた。
「仕方ないだろうシンギ、コルマール社長のお願いなんだ。……給料はしっかり発生しているからきちんと仕事をするんだぞ。」
そう言って俺の肩を叩いたのはケイレブだ。
ケイレブも俺と同じ仕事をサリナに頼まれているらしい。
……地獄に仏とはこの事を言うのだろう。
子供の扱いは上手そうだしケイレブがいると面倒事は起こらないに違いない。
しかし、ケイレブがいるからと言って俺がガキ共の面倒を見たり社内を案内させられることに変わりはない。
ケイレブの爽やかな表情を見ていると余計に苛ついてきた。
「クソ、人が暇なのをいいことに面倒くさい仕事押し付けやがって……。本当はサリナの仕事だろ。」
俺は怒りの矛先をサリナに向ける。
そもそもこの仕事を頼まれたのは今朝になってからだ。
“客人相手に社内の案内をして欲しい”と言われ、どっかの企業からの訪問者を社長室まで連れていけばいいのかと思っていたのだが、蓋を開けてみればこの有様である。
もっと話をよく聞いておくべきだった。
「だいたい、サリナは今どこで何してるんだよ……。」
サリナは俺たちに仕事を押し付けてどこで油を売っているのだろうか。
面倒だから社長室で眠っているに違いない。
そんな予想を立てていると、ケイレブから答えが返ってきた。
「コルマール社長は別に何もしていないぞ。今は二日酔いでダウン中だ。」
「……」
ケイレブはそれを当たり前のように言い放った。
俺は自分の心の平静さを保つためにも、なるべくいい方へいい方へ解釈するよう努力してみる。
「そうか、社長だと色々付き合いとか大変なんだろうな。」
だがそれは無駄な努力だった。
「いや、昨日はフランスの知り合いから送られてきたシードルを飲んでいた。」
「シードル……?」
「ああ、リンゴのお酒のことだ。一緒に飲ませてもらったがなかなか美味かった。結局昨日は社長室で朝まで酒を飲んでいたな。」
「お前ら社長室で何やってんだよ……。」
社長がこんなのでよくやっていけるものだ。
こうなると、ちゃんと社長として仕事ができているかも疑わしくなってくる。
あのだらしない性格もここまで来ると犯罪的だ。
サリナを叩き起こそうかと考えていると、不意にケイレブが小声で喋り出す。
「そう怒るなシンギ、代理にオレ達が選ばれたのはちゃんとした理由がある。」
「なんだよ。」
耳打ちに等しい小声で囁かれ、俺はケイレブの言葉の内容が気になった。
話を聞くべく耳を傾けると、数秒後にケイレブがその理由とやらを教えてくれた。
「――実は『ウォーノーツ』が関係している。そのウォーノーツの中でもオレやシンギは閲覧数が多い部類に入るそこそこ人気なランナーだ。あの児童たちにも大人気らしい。……つまり、オレ達が案内すれば当然児童も喜ぶというわけだ。」
「俺が人気? ……つーか、そもそもあのサイトはガキが見ていいもんじゃねーぞ。普通に人が死んでる映像とか流れてるだろ。」
理由はさておき、あんな子供達が戦争の映像を観ていることには驚いた。
どう見ても戦争とはおおよそ関係のない世界で暮らしているお気楽な児童にしか見えない。
俺の言葉に対し、ケイレブは先ほどの説明に言葉を付け足すように言う。
「いや、あの子達が見てるのはVF同士の戦闘だけだ。……世論の支持を得るにはまず子供を味方につければいいとよく言うが、これは典型的な例だな。近年では先進国の軍隊が他地域の紛争に武力介入することに誰も反対していないだろう?」
「難しいことはわかんねーよ……。」
ケイレブが言うような理屈では納得出来ない。
ただの子供が戦争を楽しんで観て、挙句俺みたいなろくでなしを人気者だということが虚しいのだ。
柄にもなく微妙なやるせなさを感じていると、エントランスホールで騒がしくしていた児童の一人がこちらを向いた。
やがてその児童は周囲の児童を引き連れ、俺たちがいる場所までとことこと歩いてくる。
児童は俺達の事をまだわかっていないのか、怪訝な表情を浮かべていた。
しかし、ある程度まで近付いてくると、先頭にいた児童の表情が一気に明るくなった。
「あ、やっぱりケーレブだ!! サインちょうだい!!」
その児童の言葉に呼応して、エントランスホールにいた残りの児童もわらわらとこちらに集まってくる。
「なになに? ケイレブってあのケイレブ?」
「ここCEだから近くにいるっていうのはわかってたけど、本当に見られるなんて……」
「ねぇねぇ、ケーレブって誰?」
「馬鹿だなお前ー、CEに見学しに来たんだからそのくらい知っとけよなー」
やはり児童とはいえ60人近く集まると結構な迫力がある。
俺はあまり子供の集団という物に慣れていないので、少しだけ、本当にほんの少しだけビビっていた。
これならまだVFの集団に囲まれたほうが気が楽かもしれない。
口々に噂されていたケイレブはと言うと、最初に話しかけてきた少年に応じていた。
「サインですか? もちろんいいですよ。でもその前に今日の見学の予定について……」
ケイレブは児童にも丁寧に対応している。さすが大人だ。
このままだと収拾がつかなくなると思い俺も手伝おうかと考えたのだが、その矢先に面倒な事が発生してしまう。
それはある一人の児童がケイレブの足に触ったことがきっかけだった。
「さわった!! おれ、ケーレブにさわったぜー!!」
その児童は右手を上に挙げ、周囲の児童に自慢げに見せつけていた。
得てして児童というのは好奇心旺盛な奴らが多い。ましてや、CE社を見学先に選んだ子供が大人しくしていられるわけもなかった。
「いいなあ、ぼくも握手する!!」
「わたしも……ほら、タッチした!!」
「おれもおれも!!」
こうなるともう止められない。
ケイレブは児童とエンカウントしてから数分足らずで児童の遊び道具と化していた。
「ちょっと、みんな落ち着いて話を聞いて……」
児童が起こした騒ぎに対応できず、珍しくケイレブは狼狽えていた。
珍しいものが見れて、俺は少しだけ得した気分になっていた。
このままもう少し楽しませてもらおうではないか。
「大人気だなケイレブ。これなら俺がいなくても大丈夫だろ。」
厭味ったらしく声を掛けてみると、ケイレブは言い返すこともせず俺に助けを求めてきた。
「まてシンギ、逃げるんじゃない。」
「……シンギ?」
ケイレブの声に敏感な反応を見せたのは俺の近くにいた女子児童だった。
俺と同じく騒ぎを遠巻きに眺めていた彼女だったが『シンギ』という言葉をきっかけに目の色が変わっていた。
間もなくその女子児童は俺にまとわりついてくる。
「わー、シンギだ!! シンギシンギ!!」
「……ッ!?」
まず俺は何の許可も取らずにいきなりピタリと抱きつかれたことに驚き、それに遅れてこんな女子児童でもウォーノーツを通じて俺の戦闘を見ていたということに重ねて驚愕していた。
ふと、顔を上げるとケイレブの周囲にいた何名かの児童がこちら目掛けて駆け出しており、嬉しそうに俺の名前を口に出していた。
「シンギもいたんだー!!」
「すごいよな、あのアイバーに勝ったんだぜ? めちゃくちゃ速かった!!」
「わたしも見たよ、シンギが一人で全部やっちゃったんだよね。シンギすごい!!」
(何だこいつらは……)
このまま黙っていたらケイレブの二の舞になると思い、俺は思い切って児童たちを怒鳴りつけることにした。
「おい、呼び捨てにすんじゃねーよ糞ガキが!!」
普通の子供なら立ち竦んだであろうそのセリフも、児童の集団の前には子犬の遠吠えに等しかった。
児童たちはとうとう俺の周囲を完璧に包囲してしまう。
「シンギだー。この前の戦闘カッコ良かった!! もちろんシンギもカッコいいよ!!」
「うおっ、シンギ筋肉モリモリだ。腹筋も超硬い!!」
「握手!! 握手!!」
「ねぇねぇシンギってカノジョとかいるの?」
「いるわけないでしょ、シンギは硬派なんだって掲示板で言ってたもん。」
外見を褒められたり、腹筋をパンチされたり、無理やり手を握られたり、女性関係について質問されたり、その挙句勝手に独り身認定されたりと、俺のストレスはあっという間に限界まで達した。
限界まで達するとすぐにストレスは諦めの感情へと変化し、不思議と穏やかな気持になってきた。
一種の自己防衛反応なのかもしれない。
「……。」
暫くの間心を無にして全てを受け入れていると、ケイレブの言葉が耳に入ってきた。
「……ほらシンギ、応えてやったらどうだ。」
その言葉で我に返ると、真正面にいる男子児童が背伸びをしながら俺に訴えてきた。
「ボクも将来はシンギみたいに活躍するんだ!! どうしたらいいと思う?」
少年の訴えを受け、俺の口からは普段絶対に言わないような優しい言葉が自然に出てきた。
「そうかそうか、だったらたくさん訓練しないといけないな。頑張るんだぞ。」
俺のセリフに対し、男子児童は満面の笑みで頷く。
「……うん、練習して強くなる!!」
何とも健気な子供ではないか。
本音を言えば普通の職業に就くことを勧めたい。……とは言え、ここで子供の夢を打ち砕くほど俺も意地悪な性格の持ち主ではなかった。
純粋な子供と話すのも悪くないな、などと和やかなことを思っていると、別の児童が水を差すようなセリフを言い放った。
「えー、どうせならおれはシンギよりもソウマのほうがいいな。ソウマの方が強いし。」
「……ソウマ?」
どこかで聞いたことがある名前だ。
しかしどうもはっきりと思い出せない。
しばらく視線を泳がせていると、その児童は俺のことを馬鹿にしてきた。
「えー? もしかしてシンギってソウマのこと知らないの? うわぁ、だっさいなあ。」
「なんだとこの糞ガキ。」
馬鹿にされるのは嫌いだ。
その挑発のセリフのせいで俺の穏やかな気分は一気に吹き飛んでしまった。
俺は脅しの言葉を言った後でその児童に近づき、正面から両肩に手を載せる。
その状態でさらに顔を接近させ、睨みながら低い声で告げる。
「もういっぺん言ってみろよ? オイ。」
「ひっ……あ、う……」
一言だけですぐに児童は泣きだした。
これくらいで勘弁してやるかと考えていると、俺が離れる前にケイレブに腕を引っ張られて児童から引き剥がされてしまった。
ある程度離れた場所まで移動すると、ケイレブは呆れた口調で俺に注意してくる。
「あのなぁ、子供相手に本気で威嚇するなシンギ。」
「手出しはしてないし、あのくらい別にいいだろ。今のうちに教えておかねーと後でホントにひどい目見ることになるぞ。」
俺が自分の考えを言うと、ケイレブは大きくため息を吐いて首をゆっくりと左右に振った。
続いてケイレブが話し始めたのは俺がキレるきっかけになった話題についてだった。
「いいかシンギ、あの子供が言った“ソウマ”と言うのは『柏木綜真』のことだ。……現在VFBの頂点に立っている『無敗のランナー』だ。」
カシワギ……。名前からして日本人っぽい。
あのムカつく女、アイリの姓もそんな感じだった気がする。名前の響き的にはサラギさんと似ているかもしれない。
名前は初耳だったのだが、ケイレブのセリフの中には俺が覚えている単語もあった。
「VFBっつーとあれか、VF同士で闘うスポーツのことか。」
確認してみると、ケイレブは小さく頷いた。
「そうだ。シンギは見たことがないんだったな……。オフシーズンでも各地で色々と試合をしているみたいだし、暇があれば今度連れて行ってやろう。」
「構わねーよ。そんなもん見たって意味ないだろ。」
男二人だけで旅行なんてまっぴら御免である。
それに見るだけなら試合映像を見たほうが早いし安い。
しばらくケイレブと2人で話していると、児童たちが声を掛けてきた。
「ねーねー、二人で何話してるの?」
「早く見学に行こうよ。他にもランナーと会えるかもしれないし。」
「もう騒がないからさー。」
児童たちに話しかけられたケイレブは俺との会話を自然に打ち切り、またしても丁寧な口調で言葉を返した。
「そうだった、済まないね。じゃあ今から見学の予定を教えよう。最後まで騒がず静かに見学できたら豪華なお土産もあるから、楽しみにしているといい。」
「わーい!!」
「おみやげって何!?」
「やったー、やっぱ海水浴じゃなくてこっち選んでよかったぜ!!」
ケイレブから静かにしろと言われたにもかかわらず、それからしばらく児童たちはお土産の内容について騒いで話し合っていた。




